表の政治を操る裏の利権構造は旧態依然のようだ。

 東京都の猪瀬直樹知事の辞任劇は、変わらない政治とカネの問題の根深さを見せつけた。

 有権者が1千万を超える都知事選は、都市型選挙の典型と見られてきた。幅広い民意の支持がものを言い、金権選挙にはなりにくいはずだった。

 ところがその裏側では、都から補助金を受けている医療法人・徳洲会側から、猪瀬氏に5千万円もの現金が動いていた。

 猪瀬氏は徳洲会側とは面識がなかったとされる。石原慎太郎前知事と親しかった徳洲会は、都政とのパイプをつなぎとめたかったのだろう。

 それは猪瀬氏だから、はまった落とし穴でもない。知事という権力の座には、さまざまな思惑をもった人がまとわりつく。その舞台裏が、徳洲会事件のために厚い幕のすきまから垣間見えたにすぎまい。

 猪瀬氏に期待されたのは、この古い政治の打破だったはずだ。ジャーナリストとして、副知事として、多くの利権を追及する姿勢を見せてきた。

 彼なら今までの職業政治家と違って利害関係にとらわれない政治をしてくれる――。「アマチュア」ならではの斬新な政治を有権者は望んだことだろう。

 ところが、選挙の前から利害関係者とカネをやり取りし、発覚後も言い逃れを二転三転させた。その姿は旧来の政治家と何ら変わらなかった。

 猪瀬氏には、東京電力病院の売却にまつわる疑惑も浮かんでいる。まっとうな説明をしないままの幕引きは許されない。

 政治家として身を引いても、事実の重みを説いてきた作家としての説明責任は消えないことを肝に銘じるべきだ。

 私たちは何を頼りに、どんなリーダーを選べばいいのか。有権者に残した問いかけは重い。闇の中でうごめく政党の打算や利権団体のしがらみを断ち切る政治は実現しないのか。

 猪瀬氏の去り際も象徴的だった。辞任を決意させたのは、前任の石原氏らから促されたことだという。自民党本部が公然と辞任を求めたことも決定的だっただろう。

 有権者の怒りの声よりも、背後に控える政党やOBが引導を渡すことによって政治生命が絶たれる。この経緯自体、猪瀬氏が古い政治の世界にからめとられていたことを物語っている。

 徳洲会と関係のあった政治家は猪瀬氏だけではない。政治に利害関係をもつ団体も徳洲会だけではない。「猪瀬問題」で終わらせるべき話ではない。