医療法人徳洲会グループから五千万円を受け取った猪瀬直樹東京都知事が辞職する。真相はいまだやぶの中だ。説明責任からの逃走であれば許されない。
真実追求を旨としてきたノンフィクション作家にしては、あまりに嘆かわしい退任劇である。
うそはいくら糊塗(こと)しても、いつかは必ずほころぶ。それが昔からの教えであることを、猪瀬氏は誰よりも熟知しているはずだ。
それだけに、辞意を表明した記者会見で「不徳の致すところ」という一言に真相を押し込めてしまったのは、逃げ口上と受け止められても仕方ない。
「不徳」という無責任
政治の担い手としての未熟さを反省する一方で、あやふやな“政治家用語”を使って中途半端に職責を締めくくる。そんな去就を見せつけられては、政治不信が一層広がらないかと憂うほかない。
辞職を決意したきっかけは、日本維新の会共同代表の石原慎太郎前知事らとの会談だったと、猪瀬氏は明らかにした。都政の停滞を打開する道筋を確認し合った末に出した結論だという。
しかし、都議会が地方自治法に基づく百条委員会の設置を決めた直後である。出頭や証言、記録の提出を拒んだり、虚偽の証言をしたりすると刑事罰を科され得る厳しい追及の場となるはずだった。
直前までかたくなに辞意を否定していた姿勢を一夜にして転換した形だ。疑惑にふたをして逃げ去る意図を勘繰る向きもある。
なぜ疑念は晴れるどころか膨らんだのか。五千万円の授受、保管、返却、そして趣旨という重大なポイントになると、猪瀬氏の説明が二転三転したからだ。
徳田毅衆院議員から現金を受け取ると真っすぐに帰宅したと答えていたのに、本当は個人事務所に立ち寄っていた。大金を目にして驚いて貸金庫に預けたという答弁は、あらかじめ妻に貸金庫を用意させたと訂正した。
徳洲会マネーの闇
五千万円には手を付けなかったと弁明しながら、実は保管先の貸金庫を変えていた。現金の返却日も事実と食い違っていた。徳田氏が送り返してきたと説明していた借用証は、民族派団体の木村三浩代表から郵送されてきていた。
「妻が」「秘書が」「覚えていない」「記憶にない」と、都議会総務委員会の審議でも“政治家用語”を多用した。周りには真相をけむに巻きたいと映っただろう。
庶民にとっては一生に一度の買い物のマイホームさえ購入できる金額である。猪瀬氏は「説明責任を果たすべく努力した」と釈明したが、無利子無担保で生活資金を借りたという説明の根幹からして民心に届くはずがない。
さらに、見過ごせない事実も急浮上した。猪瀬氏は昨年十一月の現金授受に先立ち、徳洲会の徳田虎雄前理事長から都内の東京電力病院を取得する意向を伝えられていたというのだ。
都は東電の株主である。猪瀬氏は副知事だった昨年六月に株主総会に出席し、経営陣に病院売却を迫っていた。その後、東電は競争入札での売却を決め、徳洲会は今年八月に入札に参加していた。
五千万円の意味合いが有利な取り計らいへの対価だったとすれば、収賄の疑いさえ出てくる。
昨年十二月の衆院選に絡み、捜査当局が摘発した徳洲会グループの公職選挙法違反事件は、政界に根強く残る金権体質ぶりを浮かび上がらせたと言える。
徳田衆院議員の昨年分の政治資金収支報告書のみに限っても、徳田氏側から九十人に及ぶ国会議員側にパーティー券購入といった名目で資金が流れていた。政界での影響力を高めようとしていたのだろう。
しかし、それらは公式に記録された“表のカネ”にすぎない。手にした五千万円を「個人的な借入金」と言い張る猪瀬氏の姿は、水面下で桁違いの“裏のカネ”が広くばらまかれた疑いをかえって抱かせる。真相解明が急がれる。
一年前の知事選で猪瀬氏に投票した四百三十四万人の多くは裏切られた思いだろう。真実を求める作家知事に対しての信頼と期待は大きかったはずである。
次期選挙では同じ轍(てつ)を踏まないよう注意したい。候補者が訴える政策は重要だが、首長にふさわしい資質を兼ね備えているか同時に見抜かねばならない。人物情報を集め、考え抜いて投票したい。
問われる“有権者力”
二〇二〇年東京五輪の開催準備が控える。都政運営には十兆円規模の予算が充てられる。課題は山積みだ。リーダーシップを発揮する清潔で誠実な知事が必要だ。
「首長は誰がなっても同じ」という無関心や諦めは最大の敵である。選挙の主役は有権者だ。選ぶ力が試される。
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