2013/12/18
「日韓首脳会談が開かれない本当の理由〜日韓関係の構造的変化〜」 ソウル支局長/大野 公二
2009年に作られた韓国の最高額紙幣である5万ウォン札には、申師(シンサ)任堂(イムダン)(1504−1551年)という女性が描かれている。朝鮮王朝時代の芸術家であり、良妻賢母の鑑と言われた彼女は、幼いころから絵画の天才だった。7歳の時に有名な絵師の山水画を模写した際、実物よりも出来が良かったため、大人たちが驚くと、彼女は平然と「写すだけでは満足できる絵は描けません」と言ったそうだ。
日韓関係の悪化が止まらない。昨年末から今年初めにかけて両国で新政権が誕生したが、首脳会談が行われないまま1年が終わろうとしている。日韓関係はこれまで何度も悪化したが、今回ほど、「出口の見えない」「解決策が見い出せない」状態は、初めてといえる。
なぜこのような状況に陥ったのか。関係が改善に向かわない理由の一つは、日韓関係の構造的な変化だ。これまで日韓関係のパターンは、「韓国が傷つき怒って、日本がなだめて譲歩する」というものだった。しかし、今回はこのパターンが変化した。
対立の発端は去年8月の李(イ)明博(ミョンバク)前大統領による竹島上陸と、それに続いた「天皇陛下への謝罪要求」発言だった。これに日本の世論が大きく反発した。その後、朴(パク) 槿(ク)恵(ネ)大統領が就任しても関係はリセットされず、それどころか朴大統領は初訪米で、日本に批判的な議会演説を行ったのを皮切りに、中国やヨーロッパなどの外遊先でも日本の歴史認識に対する批判を繰り返した。こうした動きに「いつまで歴史問題で謝罪すればいいのか」という長年の不満が加わり、日本人の嫌韓感情はかつてなく強まっている。
今回の日韓関係の悪化は「日本が怒る」という初めての状況になった。日本の週刊誌を含む活字メディアの一部では、韓国バッシングとも受け取られかねないネガティブキャンペーン的な報道が繰り返され、街では差別用語を繰り返すヘイトスピーチまで出現している。いずれもこれまでにはなかった現象だが、これも「日本が怒る」という日韓関係悪化の構造的変化と無関係ではないだろう。
日韓首脳会談について安倍総理や菅官房長官は「対話の扉は常に開かれている。韓国側も応じてほしい」と前向きな発言を繰り返している。だがこの発言には裏があるように思える。東アジア安定のため、日韓両国の関係改善を強く求めるアメリカを意識し「日本は首脳会談をやりたいのに韓国が頑なに応じない」というイメージを定着させる戦略ではないか。
実際、日本側に首脳会談に向けた積極的な動きはなく、最前線で交渉にあたる駐韓日本大使館の外交官たちも「官邸は『韓国側が手をついて謝ってくるまで、今回は放っておく』と話している。だから我々実務者も動くに動けない」と口をそろえる。今の安倍政権からは「歴史、歴史と言う韓国は無視していればいい」と突き放しているように見える。
一方の韓国だが、先月27日に対日強硬派である尹(ユン)外務大臣が、唐突に「韓国政府は関係改善に向けて努力している」と発言し、首脳会談に向けた韓国側の努力を強調した。この発言について韓国の外交当局者は「日本の“イメージ戦略”に対抗するものだ。韓国側も話し合う準備はあるが、条件が合わないためにできないことをアピールする狙いだった」と説明し、日本の外務省幹部も「韓国がババを引かされていることに気が付いた」と話す。
朴大統領は首脳会談について「正しい歴史認識が具体的な行動で示されることが必要だ」と発言している。この発言の真意について大統領と直接話ができる側近は「歴史問題とは慰安婦問題のこと。大統領は慰安婦問題に進展がない限り首脳会談はできないと考えている。だから日本側からの新たな提案を待っている」と話す。
朴大統領が外遊先で必ず日本の歴史認識を批判するのも「慰安婦問題を世界に訴えて国際世論を喚起し、日本に圧力をかけることで日本側の変化を促そうという狙いがある」(前出の大統領側近)と言う。
実は先月行われた朴大統領のヨーロッパ訪問も、当初韓国はドイツを最初の訪問国にしようと作業を進めていた。実際にはドイツとは選挙などの国内事情で会談が調整できなかったが、ナチスの過去を謝罪し続け、個人賠償に応じているドイツへまず訪問しようとした大統領の意図の中には、もちろん日本へのメッセージが含まれている。
日韓双方が、相手の嫌がることを探して実行し、そのうち相手が頭を下げてくるとお互いが思っている。ただどちらも永遠に頭は下げない。両国が必死に取り組むのは「自分は悪くない」と対外的にアピールすることだけ。これが今の日韓関係であり、首脳会談ができない理由だ。
ではどこに解決の糸口があるのか。日韓両政府で共通しているのは「慰安婦問題がカギ」との認識だ。だが両国の外交当局者は、ともに前例を踏襲しようとする意識が強く、こう着状態から抜け出せない。
韓国は日本政府の“心からの謝罪”と“責任ある措置”という抽象的な要求を盾に日本側に譲歩を迫り続け、日本は1965年の日韓協定ですべての賠償問題は解決したとの立場を堅持する。前例の踏襲では限界が来ていることは明らかだ。模写の繰り返しでは過去を超えられないと考え実践した7歳の少女に、日韓両国は学ぶべきではないだろうか。2015年には日韓基本条約から50年という節目を迎える。ここで新たな日韓関係の絵を描かなくてはいけない。
日本政府内で慰安婦問題にかかわってきた人間に共通するのは、韓国政府の言葉を信じて河野談話を出し、アジア女性基金をつくったのに、結局韓国政府が国内からの反発に耐えられずにはしごを外したという意識だ。「日本はこれ以上何をすればいいのか」という思いが問題解決の歩みを極端に遅らせている。
韓国政府はまず、この条件なら責任を持って国内世論や市民団体を説得して問題を解決できるという「具体的なゴール地点」を水面下で日本政府に提示してはどうだろうか。日本側も慰安婦問題について「法的に解決済み」と突っぱねるのはあまりにも知恵がない。韓国側の提案を実現できるよう真摯に取り組むべきだ。韓国は「日本政府の法的責任」を求めるだろう。
日本は「慰安婦問題が中国や北朝鮮に広がったら大変」(外交当局者)との懸念から「法的責任」は認めない立場をつらぬいてきた。しかし、例えば人道支援の名目で国家財政からの支援を行うなど、検討すべき方法はまだあるはずだ。
冒頭で紹介した5万ウォン札の肖像画となった申師(シンサ)任堂(イムダン)。彼女の息子、李(イ)栗谷(ユルゴク)は母と死別したのち儒学の大家となった。彼も今、5千ウォン札の肖像画となっている。