1.先ず、よく禅の本に「一日10分でもいいから坐ること」と書いてありますが、私には異論があります。
とにかく見性体験をするまではキチンと40分坐禅をして、歩くときも電車やバスに乗っているときも無念無想、数息観や隋息観を徹底的に行うこと。それで運よく見性体験が終わったあとなら「10分の坐禅」でもいい、と考えます。何故なら見性を体験すると瞑想による快感物質の放出と、歓喜と悲しみが混ざったような菩提心の爆発、というマックス状態が分かります。その基準値が分かっていれば、10分20分の坐禅(その他の方法でもいいですが)の間に基準値に達することが出来るので、申し分のない法悦境(広義の意味で)を味わえるでしょう。マックス状態が分からないまま短い坐禅をやっても、掴みどころがなく達成感がないのではないか、というのが異論の理由です。
言うまでもなく見性が全てではなく、結果的に如来の心を感じ取り菩薩行を果敢に実践すれば充分でしょう。「断じて行えば鬼神もこれを避く」の強い気持ちを抱いて日々を生きてください。
2.かつて何度か書きましたが、諦観や無執着ばかり強調するのは初心者です。生きて闘って菩薩行に励むためには、健康、愛、経済力など最低限の自分自身の幸福に執着しなければならない。無執着への執着に対しても無執着でなければなりません。
3.微笑禅の会は「勧誘禁止」の会則を設けています。が、困っている人、気の毒な人が身近にいれば一緒に座り、悩み事を聞いて助言するぐらいは人間として当然のことでしょう。会員各々が坐禅会を開くのは大いに結構です。
草莽崛起が可能だったのは武士道が生きていた時代の話です。今は総体革命と裏腹の関係で生まれた「悟り世代」という第二のシラケブームの真っ最中です。微笑禅の会の皆さんがこの末世を変革する地の塩になってもらいたい、と切に願います。
4.記憶違いの訂正です。私が東京工芸大で非常勤講師をしていたときの教え子が特別無料会員兼志士の会の代表でした。かつて彼を「全国高校統一模試の2位」と記したのは間違い。本当は1位でした。そして東大浪人で重い鬱病に罹っている青年が助言を請いに来た話をしましたが、彼が全国2位でした。彼には自殺願望があったので元気か気になります。
5.現在、私のHPはフォルダごと削除されてしまい、更新が出来ない状態になっています。月刊五行歌に掲載された作品や、RJP基金の会計報告(平成24年度以降)が、index.htmlごと消えているために更新できません。ご了承下さい。無線ルータの受信状態を見てくれたNTTリモートサポーターが「警察に届けたほうがいい」と心配してくれました。設置しているルータは私のパソコンの上の階の約3メートルほどの距離にあります。隣の入居者へもお隣さんにも確認しましたがパソコンは使っていません。にも係わらずlogitec54とlogitec2nd54という謎の記号の受信状態のほうが常に強い。私のパソコンの受信状態はタススマネージャを起動して確認すると柱2本から4本の間で不安定に動くのに、謎の2つの記号のほうは5本柱が安定して立っている状態です。これまで無かった記号で、この1ヶ月ほどの間に現れました。真夜中、早朝、ほぼ常にこの状態が続いています。一階のテナントの記号でないことも当然確認しています。
6.前回出した公案の一つの回答として、次の公案を示します。
「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に須(すべか)く歩を進め、十方世界に全身を現ずべし」
7.途中経過をたまに報告しているように現在、八王子市高齢者福祉課(8月までは支援課)を相手にして市の情報公開条例、個人情報保護条例に基く応酬を続けています。終わりのない闘いになりそうな気配です。
妻子失踪、言論の暴力としてDVシェルターに入ったと判明(もちろん保護命令はありません)、その後2〜3年は妻の両親へも一方的に非通知の電話が入るだけという不思議な状況が続きました(シェルターに留まる期間は長くて2ヶ月間)。その最中、私の母が保護措置と称して監禁されました。洗濯機から布団を取り出そうとして肩か手首の亜脱臼(消防隊員の話)、搬送された病院で治療がなく、翌日ニチイのデイサービスに行ったところケアマネの判断でショートステイに移送され、その瞬間に高齢者福祉課の谷斑主任の起案で保護措置とされたものです。つまり救急車で運ばれた翌日に私の虐待による保護措置と断定したわけです。分かり易いですねwww。関連する法令に照らせばその前に行うべき諸手続きを完全に無視した計画的監禁=立派な犯罪です。谷斑主任が素直に謝罪していればここまで大事に至らず、多くの人の手を煩わせることはなかったのに・・・度し難いと思います。
保護措置から丁度1ヵ月後、男気があると評判の八王子市議の力で保護措置から救い出され、その10日ほどあとに私の緊張の糸が切れて救急車で搬送された直後から約二週間、意識不明の危篤となり、ケアマネと母が来たそうですが記憶にありません。そのときの夢です。
よく聞く臨死体験の夢と類似した夢も見ましたが、これは有り勝ちな夢ですので余り興味が湧きません。その夢と共に、子供と妻、妻の両親の夢を繰り返し見ました。以下その記録です。
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法政大学を現役で合格しながら蹴って早稲田浪人を選んだ夏に消えた長女が、とあるビルの一階のソファーの下に潜り込むようにして倒れています。随分太ったな、と思ったら妊娠している様子。うつぶせに倒れたまま動きません。一階と二階の間には中二階のような空間があり、親から見ても出来すぎ君の長男(失踪したのは中学2年)が、そこに見事なロゴハウスを造り住んでいます。時々友人も遊びに来ます。私は長男が降りて来くるのを待っているのですが、一向に降りて来ません。長男の顔は「ベルリン天使の詩」の主人公のように目から異光を放っています。しかも一点を見つめたまま表情がありません。私が疲れて横たわっていると、長男は中二階から私をジッと見下ろしているのですが、目から光が出たままピクリとも動きません。まるで彫刻のようで生きている人間の気配がありません。
2階は温水プールになっていました。3階は中華料理のレストランで妻とその両親の他誰もいません。三人は和やかにご飯を食べています。二人の子供が大変なのに、何もやっているのだろうと私は呆れました。
また一階に下りて長男を見上げます。豹のような姿に構えた長男は変わらずに目から光を放射したまま動きません。
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このような夢を危篤の時に繰り返し見ました。非常にシンボリックですが、義母やその他から聞く子供たちの様子は、どうも本質的な部分を暗示しているように思います。
禅の話と関係があるかないかは読者の判断に任せます。最近は早寝早起きの習慣がついてきたので、これにて失礼致し、最後に今日詠んだ五行歌を前説と共に披露します。
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確か一休禅師は
生まれ子の次第次第に智恵つきて仏に遠くなるぞ悲しき
と詠んでいます。
ハイハイからヨチヨチになり、やがてゴムボールのように弾んで駆けまわる幼子の姿をみると恩寵の顕現かのように感動します。そこで一首
私の子供たちが
ゴムボールだった頃
このまま大きくなるな
と言って抱きしめた
仏から今何メートル?