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  異世界魔法は遅れてる! 作者:鼻から牛肉
友達の旅立ちまで


 ――水明達がこの世界に呼ばれ、魔王討伐を依頼されてから、はや二週間がの時が経っていた。
 今ではもう勇者黎二の魔王討伐の準備は進み、もう数日後には出立の目処が立つだろうと見積もられていた。



 そんな風に着々と勇者の訓練が運ぶ中、水明はというと、彼は現在、彼に宛がわれた一室で、この世界の本を読んでいた。

 ジャンルに関しては広く、浅く、手当たり次第に。その理由は無論、自分達が降り立ったこの世界の情報を、より多く手に入れるためであった。過日、謁見の間で国王アルマディヤウスから、元いた世界に戻る事ができないと聞かされ、ガラにもなく喚き散らしたのは記憶に新しいが、そんな理由で水明はこの世界での生活を余儀なくされた。
 初めは無責任な召喚に憤慨こそあったものの、今はそれもそこまで気にしてはいない。というより、気にしているような暇がないと言えばいいか。それよりもやらなければならない事に、忙殺される事態である。

 それが、知識の獲得である。
 今も勉強する大半が、この世界の文化や法律、各種単位などの基礎知識、不文律、向こうの世界との齟齬の有無といった内容だ。先述にもあったが、これからこの世界に住むのだ。それらが有るか無いかだけで、異世界での生活に抵抗なく溶け込めるか、大問題ばかり起こしてしまうか、大きく変わる。

 幸い英傑召喚の影響か、水明はこの世界の言葉だけではなく、この世界の文字までも、理解できるようになっていた。そのお陰で、誰の力も借りずに異世界の本を読むことができているのである。
 手に入れた知識の取り扱いに関しては、そのまま覚えるか、重要そうな内容は元々鞄に入れていた魔術で綴じた白地の帳面に覚え書きして整理している。
 今ではもう、ここに来てから手に入れた情報量は、結構なものになっていた。

 そして、いま水明が読んでいる本はというと、この世界の神話の類いが記述されたもの。神の力を受け継いだ英雄が、世界を闇に閉ざそうとしていた竜種を打ち倒したというお話だ。どうやらこの英雄譚はというと、この世界では口伝や書物によって広く知られているオーソドックスな話らしく、水明も勉強の合間の息抜きにと、この本を読んでいた。

 中々に興味深いなと思いながらページを進めていき、気付くと、いつのまにか物語は終わっていた。結局話は、竜種を倒した勇者は皆に喜びと共に迎えられ、皆と仲良く幸せに暮らしたとされ、その話は今も語り続けられているという文言を最後に、綺麗に締め括られていた。


(勇者、ねぇ……)


 パタリと本を閉じ、あてどもなく呟く。
 さて、竜を倒した英雄の話はともかくとして、魔王討伐に乗り気になったこちらの勇者と言えば、この二週間、同行を決めた水樹と共に、魔王討伐に向けアステルの近衛騎士団長や宮廷魔導師からみっちりと戦い方や魔法を学んでいた。
 無論騎士団長殿からは剣術や戦い方に加え、馬の乗り方。宮廷魔導師からは、各種魔法の使い方をである。

 二週間というあまりに無茶な突貫作業とハードスケジュールだったが、しかしその内容に関しては、水明も口を閉ざしたくある。おそらくは良い方の意味で。

(はぁ……)

 黎二の事を思い浮かべて、溜め息を吐く水明。時々窓の外から練習風景を眺めたり、一日に二回は訪れる黎二や水樹の報告からでしか情報を手に入れる手段がなく、量としては乏しいものだが、その内容が違う意味で酷かったのだ。

 黎二は向こうでは一般人だったので、当然戦闘訓練では叩きのめされる事になった。
 だが、それも最初の一日か二日だけの話で、それからは直ぐに戦い方を覚えたのか、三日目には本気の騎士団長と渡り合えるようになり、今では多対一の状態でも苦もなく勝利できるようになっていた。

 果たして、それを酷いと言えずしてなんと言えようか。凄いと言う言葉では決して見合わない、力というものが雄弁に語るの残酷さがそこにあった。それが、英傑召喚の加護とかいう魔術の恩恵なのかは分からないが、それでもあの覚えの早さは異常だった。

 そう、例えるならあれはスポンジではなく汲み上げポンプだ。水という才能を吸収するのではなく、容赦なく吸い上げるような。
 あれを見ていると、まるで自分の努力を否定されているようで、悲しくなってくる。

(ずりぃよな。ぜってー)

 それは、魔法にだって顕著だ。水明が向こうの世界で魔術に触れてから、目に見える神秘を起こせるまでに二年もの歳月を必要としたが、黎二は三日。たったの三日で、何もない虚空に火を顕現させたのだ。

 そんなものを見せられれば水明とて、だれたくもなるものである。

「む――」

 気が付くと、足音と魔力の気配。ふっと気を引き締めて、そちらに目を向ける。

 恐らくはこの部屋の来訪者であろう。足音と気配は迷いなくこちらに向かって来ている。
 では、その来訪者の正体とは。

 それはこの期間の間にメキメキと実力をつけた黎二と、あとは二人。黎二を慕い、彼の助けになると言って四六時中彼と一緒にいるティータニアと、そのせいでより一層黎二にべったり張り付くようになった水樹である。

 彼等がこちらに来る事を察した途端、水明は机に出してあった書物や魔術品、能動的に何かしていた形跡を魔術を使って隠蔽する。


 今の水明は実のところ、ずっと常に部屋に閉じ籠ってふて寝をしていると、周囲に思わせているのだ。人と必要以上に接触していると、その分自分の正体が露見する、可能性が増える。なのでバレるのを防ぐために、一人部屋に籠りきり、最低限だれとも関わらないようにして、自分が魔術師だという事を隠しているのである。
 当然、二日に一回はある夜会には出席せず、食事はいつも持ってきてもらっているし、部屋を出るのは黎二達の様子を人知れず見に行ったり、城の書庫へ赴いたり、召喚の間へいったりと、あとはトイレだけの徹底ぶり。

 自分が魔術師と知られぬためには、当然の事だ。魔術師だと知られ、その力に目を付けた連中に利用されたくはないし、黎二達に知られるのもまだ抵抗がある。それにこうしておけば自由な時間が増え、魔術の研究や情報を蓄える事もできるのだ。

 ただその反面、城の人間の自分に対する評価はだだ下がりである。

 勇者黎二に魔王討伐を考え直させるような発言はするわ、謁見の間で最後に叫んだあの日から、ずっと部屋に引き籠もっているわで、呼んだ手前の国王と黎二と一緒にいるティータニア以外には、すれ違うだけで嫌味を囁かれるくらいに信用は失墜している。

 水明としては、それが隠れ蓑になるゆえ、まるで気にはしていない。寧ろじゃんじゃんそうして欲しい。
 と、そんな事を考えつつ、ベッドに潜り込む。すると、控え目なノックが聞こえ、次いで黎二の声が耳に入る。

「おはよう水明。起きてる?」

「……ああ、どうぞ」

「お邪魔します」

「失礼しますね」

 黎二達が入ってくると同時に、水明はのそりと起き上がる。
 そして、いつものように各々が椅子に腰掛けるのを見計らって、黎二に訊ねた。

「で? 今日は何があったんだ?」

「え? な、なんか突然だね、水明」

「お前、今日はいつもとちょっと雰囲気が違うしさ。なんか落ち着きないだろ?」

「あはは、やっぱり分かる?」

「まあな」


 照れ隠しのように笑う黎二に、水明は頷く。
 部屋に入ってきた時から、黎二の様子の違いには気付いていた。顔に笑みを滲ませながらも、しかしどこか落ち着かない様子。さながら、良いことと微妙なことの両方があったような、そんな感じだ。

 黎二が問い掛けてくる。

「今日は身体強化の魔法を覚えたんだ。見てみる?」

「お? 頼むよ」

 なるほど良い機嫌の原因はそれか。また新しい魔法を覚えられたことが、黎二は嬉しかったらしい。それについては、自分もよく分かる。新しい魔術を編み上げ、初めて行使するときのあの昂揚感は抑え切れないものがある。

 黎二はその場で屈伸運動や関節を動かして、身体をほぐし始める。身体強化の魔術だ。併用して身体強度を上げる魔術も使わない場合は、こう言う動作は大事な事だ。

「いくよ」

 そう一言口にして、身体中に魔力を行き渡らせる黎二。瞬く間に術式を構築して、詠唱もなしに魔術を発動する。

「バーンブースト!」

 黎二が魔術の名称を口にすると、鍵言によって産み出された炎の帯が黎二の身体に纏わるようにうねり巡る。
 そして、その魔術発動に伴い向上する黎二の身体能力。いま彼の身体には英傑召喚で得た力よりも更に強力な力が漲っていた。

「おお!!」

 そしてついつい、黎二の魔術の完成度の高さに、感嘆の声を上げる魔術師八鍵水明。
 今の魔術の発動は見事だった。魔力の最適化から魔術の構築、そして起動までの一連の行程は細部まで整っており、素晴らしいの一言に尽きる。確かに工夫や簡略化がないので能がないと言えばそれまでだが、魔術に触れて二週間そこらで基本行程を模範演技と同等にやって退けたのだ、褒める道理はあれ、貶す謂れはないだろう。

 この身体強化の魔術。恐らくは火属ゆえ、身体強化以外にその恩恵として、力が爆発的に増幅されているに違いない。この分だと風属性の場合は速度で、水属性は身体の円滑な動きを、土は身体強度に影響を及ぼすと見た――

 水明が黎二の身体強化から考えられうる他の属性の身体強化までを勝手に分析していると、ティータニアがうっとりとした瞳のまま、黎二に近寄る。

「さすが、素晴らしいですわレイジ様……」

「あはは、ありがとうティア」

 朗らかな笑みを浮かべてティータニアにお礼を言う黎二。彼が口にしたその名は愛称か、いつの間にかかなり親しい関係になっているらしい。
 すると、水樹が少しだけ膨れたようにティータニアを見る。

「ティア、ちょっと近すぎるんじゃない?」

「良いではありませんかミズキ。いつもはミズキの方が近いのですから、少しは私に譲って下さい」

「え、いや、私そんな近くないよっ!」

「そんなことありません。ミズキはいつも不必要にレイジの近くにいます。ずるいです」

 黎二の身体強化の話だったはずなのに、いつの間にか火花を散らしている二人。お腹いっぱいである。

「リア充ばくは……いや、黎二その魔法だいぶカッケーな」

「え? うん! だよね! この魔法、使い勝手も良くて気に入ったよ」
「ああ。見た目も良いし、案外悪いとこはなさそうかな……」

 それは、水明が正直に思った事だった。なによりも、見た目がいいのが評価できる。炎を龍のように纏わせるのは、かなり格好いいのだ。見た目が良いことはそれだけで相手にインパクトを与えられる。それが憧憬であれ、恐怖であれ。相手を尻込みさせる事ができるアドバンテージと言うのは、戦闘面しかり、それに付随する交渉の場しかりで、かなり役に立つのだ。

 すると、水樹が何故かこちらではなく黎二に向かって言う。

「わ、私もできるようになったの!」

「そうなんだ。やっぱ水樹も頑張ってるんだ」

「え? うん、まあ……」

 と、水明が返事をすると意外な所から言われたとキョトン顔。ティータニアとの駆け引きのせいで水樹はもう完全に黎二しか見ていないようすだった。
 ようするに、彼に褒めてもらい、ティータニアに対抗したかったのだろう。何にせよ端から見る友人の目からは、黎二に対する殺意半分と、微笑ましいものにしか見えない。

「くくく……」

「な、何? 水明くん」
「いいや、頑張れよ」

「うん! 私負けないね」

 それは、誰にか。端から聞けば魔王とかになるのだろうが、この場に関しては絶対違う。そんな風に考えながら、応援と見せ掛けて煽った水明。
 身体強化の話も終わったところで、別の事も聞いてみる。

「で、他には?」

「え? まあ色々と……」

 訊ねると黎二はどこか歯切れの悪い返事をする。何かあったがそれには思うところでもあるのか。これが彼のおかしなところの原因だろう。

「どうしたのです? レイジ様」

「え? いや、うん……」

「王女様。何かおかしな事でも有ったんですか?」

「いいえ? おかしな事どころか、レイジ様がより一層凄いという事が垣間見える事があったのですよ」

 何かあったかと訊ねたが、ティータニアは寧ろ良いことがあったと言って憚らない。このようすだと嘘を言っている感じはしないが、ならば何故黎二は誤魔化そうとしているのだろうか。

 ティータニアに詳しい部分を訊ねる。
「それは?」

「そ、それはさ、えーと――」

 黎二が邪魔をしようとするが、ティータニアはお構い無し。まるで自分の事のように誇らしいと、自慢するように答える。

「はい。本日、アステル王国傘下の魔法使いギルドの各部門のスペシャリスト達が、レイジ様と魔法の試合をしにきたんです」

「へぇ〜魔法使いギルドですか」

 魔法使いギルド。詳しい事はまだ調べてはいないが、確か国の魔法使いのほとんどが名を連ねる組織だ。

「はい。かねてよりこちらから打診してあった通り、皆様本日揃い踏みと相成りました」

 揃ったと言うのは、そのスペシャリストの事だろう。要は魔法使いギルドの幹部だ。

「みんな揃うのは珍しいんですか?」

「ええ。皆様多忙なお歴々。普段は王国領内を世話しなく巡って、活動なさっているのです」

 ならば、一同が揃うのは大変な事なのだろう。しかし、各部門のスペシャリストとは色々と気になる言い回し。
 それについてティータニアに訊ねてみる。

「因みに各部門って言うのはなんです?」

「火、水、風、土、雷、木、光、闇の八部門の最も優れた魔法使い達です。中には宮廷魔導師をも凌ぐ実力を有していて、それぞれが帝の名誉称を持っています。火の部門の帝なら、炎帝の光の部門であれば、輝帝と」

「…………」

 ……良いのか。帝とはもっと尊い言葉だったはずだ。日本でも天皇陛下を指す言葉だ。
 こちらの言葉が日本語に変換されている故の齟齬のせいなのかも知れないが、いくらなんでも違和感がある。

「スイメイ様。いかがなされました?」

「あ、いえなんでも。それで、試合の結果は?」
「無論レイジ様が勝ちました」

 ティータニアは我が事のようにそのささやかな胸を張り、答える。そして続けて、彼女は聞き逃せない事を言った。

「その時に、魔法使いギルドのマスターから二つ名も頂きましたし」

「二つ名?」

 二つ名。それは頂いた者の強さ、功績を本人の特徴で表すのに使われる名誉称。無論ファンタジーでは付き物である。

 すると、黎二がどこかぎこちない様子で、話題を変えようとする。

「そ、それは別に言わなくて良いんじゃないかな?」

 しかし、そんな黎二の姿が面白いか、忍び笑いを漏らす水樹。

「ふ、ふふ……」

「どした水樹?」

「う、ううん。何でもないの。そのまま聞いてて」

「うん? で、王女様。黎二がギルドマスターから貰った二つ名って?」

「水明だから――」

「レイジ様がギルドマスターから頂いた二つ名それはっ、全ての属性を統べる奇跡の使い手――全属の覇者です」

 ティータニアがそう口にして一瞬、場が凍り付いた。
 そして当然、水明は堪えきれなくなって豪快に噴き出した。

「ぶふぉあっ!!」

「スイメイ様!?」

「ぜ、全属の、は、覇者って、はは。ヤバ、ダメ、ムリ、ひっ、あ、あっははははははははははっ!!」

 突然の水明の笑気に、何事かと驚くティータニア。目を白黒させているが、その隣で黎二はどうしてこうなったとでも言いたそうに、顔を両手で隠し、頭を振っている。水樹は、無論水明と同じように腹を抱えて笑っていた。

 そして、水明が一頻り笑声を吐き出したところで、黎二がまるで拗ねたように口にする。

「……ほら、だから言うの嫌だったんだよ」

「……? 何故です? 二つ名を頂くのは魔法使いにとってとても名誉な事ですのに、ミズキはおろかスイメイ様まで……」

「だって、全属の覇者――全属の覇者だぞ? ぶふぉっ! なんだよそんな二つ名付けたギルドマスター! ヤベェ、センス無ぇ! 欠片も無ぇ! 腹痛ぇ! ふは、はははははははははははっ、ひー!」

「……水明頼むから言わないで」


 黎二のげっそりとした声が響く。結局、この日は最後までこの話で盛り上ったのだった。


        ☆



「北棟、異常なし……と」

 コツコツと石畳に軍靴の踵を打ち付けながら、王国から支給された軽装を纏った衛士は、順路の一つである部屋の中を手に持った明かりで照らして内部を睥睨、扉を閉めた。
 ここが、北棟では最後の部屋。ここに何も異常がなかった故、この区画の巡回はこれで終わりだった。


 そう。この夜、この衛士は夜の王城の見回りのその真っ最中であった。夜の城内の巡回は、日毎に衛士に割り当てられる当番制の仕事である。衛士の仕事は王城の警備だ。それは当然、昼間だけでなく、誰もが寝静まった夜にも行われる。

 夜間のキャメリアは、昼間のキャメリアはとは大きく違うところがある。昼間は所々から日の光が入り、暗い場所にも蝋燭が立てられ、行き来しやすいキャメリアも、夜になると一変。
 差し込む月明かりは日の光と比べると侘しいもので、現国王が推し進める倹約策のため、以前は常に灯されていた蝋燭も、今は夜になると全て消されている。

 ここで頼みにできる明かりは、手に持った蝋燭の弱々しい光のみ。真っ暗闇の中も通らなければならい巡回では、心許なくある。


 そんな夜間の見回りは誰もがやりたくない仕事だ。普段は就寝の時間でもあるし、広大で入り組んだ王城を回るのは相当に骨だ。加えて、前述した明かりの少なさからくる不気味さがある。だからこの役回りは嫌われ、若い衛士は先輩衛士にこの仕事を押し付けられるのだ。城の内部を隅々まで覚えてこい、と付け加えられて。


「はぁ、早く終わらないかなぁ……」


 この衛士も、そんな押し付けられた方の一人。横暴な先輩衛士に理不尽な理由をつけられ、
このところ頻繁に夜の巡回をさせられていた。

 ――どうせ何もないのに。いくら何でも勇者のいる城に襲撃を加えるような馬鹿はいないだろう。

 衛士はそう暗闇に暗闇に向かって一人ごちる。彼がそんな風に思うのも、当然だ。
 国王陛下が勇者を呼び出したため、城の警備をいつもより強化する通達が出されたのだが、しかしあの訓練風景を見れば誰もがそんな命令を過保護に思ったことだろう。
 ふとした機会に衛士が見た勇者の訓練は、それだけ凄まじいものだった。

 そう、勇者レイジは、皆から慕われ恐れられるあの、アステル王国随一の騎士とされる騎士団長と互角の戦いを繰り広げ、今はそれに十数名の騎士を加えても平然と戦っていられるような人間なのだ。
 だから、自分達が守ってもらうような立場なはずなのに、自分達が守るとはどういう道理か、と。
 よく考えればその有益さも分かるのたが、この少しだけ自分勝手な衛士にはそれが全く理解できなかった。


 と、衛士が上の人間に不満を募らせていたその時だった。


「――ん?」


 後ろの方から、物音がした。カシャンと、軽い金属がぶつかるような、澄んだ音が。衛士は咄嗟に振り向いて蝋燭の光を当てる。


「誰かいるのか?」
 声を掛けても、しかし返事はないし、照らした先には誰もいない。有るのは曲がり角の先に、宮廷魔導師達が特別な儀式を行う時に使うと噂の、不気味な部屋のみ。


 こちらは先程見て回った。その時は何も異常はなかった。……ただ、前日や前々日とは違い、扉の前に鎧の置物がおかれていたが。


「ピーター。お前か? 趣味の悪い悪戯はよせ」

 心に芽生えた不安を隠し、衛士は今日一緒に夜の巡回を押し付けられた同僚の名を呼ぶ。
 ここは衛士の誰からも気味悪がられる場所だ。それを知っている悪戯好きの同僚が、自分を怖がらせるために一計案じた可能性がある。
 そうかもしれないと、そうであったらいいな。縮こまる気持ちをひた隠しにした衛士の、単に見てみぬ振りの延長線上のものだが――しかし呼び掛けは黒を塗りたくった背景に吸い込まれるのみで、待ち望んだ同僚の薄ら笑いは見られない。

 そしてまた、先程と同様のガシャンという音が響いた。


 ――衛士の背中に緊張が走る。まさか、侵入者か。流石の同僚もここまで悪ふざけはしないはず。
 ならば、どこから情報を掴んだかは知れないが、勇者を狙った魔族の手先かもしれない。ならば、放っておくわけにはいかない。

 衛士は剣を抜き放ち、息を飲み込んで胃に下し、物音のした場所にゆっくり近付く。

 もしもの時の呼び笛の用意もある。最悪自分に何かあった時は、これで仲間に知らせればいい。

 そして――








「……ふん。なんだ、何もいないじゃないか。全く驚かせやがって」

 結局、衛士の危惧は杞憂に終わった。たどり着いた場所には、元々置いてあった鎧の置物が部屋の前に鎮座するのみ。不審者なんていないし、魔族などいる訳がない。当たり前と言えばそう、当たり前だ。

 そもそもだ。この王城キャメリアの中をこんな夜中にうろつく輩など、“目の前にいる少年”以外には誰もいないのだから。であれば、剣を抜いたらままである必要はない。無害な者は放って置けばいいのだ。下手に気を張って損をした。毎夜の巡回が祟って、今日は疲れている。早く休んでしまうべきだろう。 不意に襲ってきた眠気にあくびをすると、目の前の少年がお休みと言って別れの意か、笑顔で手を振る。
 それに片手を上げて応じ、踵を返した。これで今宵の巡回は、おしまいである。









「いやー危ない危ない。間一髪……」


 眠そうな衛士にバイバイと手を振って送り返した水明は、衛士が見えなくなると一転、そんな所感と共に安堵の吐息を放った。
 まさか、衛士がまだ近場を巡回しているとは。そちらに関しての警戒は怠っており、この邂逅は完全な油断であった。
 だが、所詮は魔術師でもない、かといって手練れでもない一般人。こちらの魔術行使にあっさり引っ掛かり、さっさと帰ってくれた。これでもう彼については心配すまい。このあと詰め所でもどこでも眠りに落ちれば、今の出来事は勝手に全て忘れてくれる。全く手間取らせてくれたものである。

 そもそもその原因になったのが、隣にあるこの鎧で――

「いやいや、まさか自動人形(オートマタ)を置いてるとはな。この前来たときは何もなかったのに、あの女もご丁寧な事をしてくれる……」

 今一度、水明は鎧の置物を冷たい視線で一瞥する。それは、本当に鎧に向けたものか、それとも真実は幻視した女に向けたものか。

 ……オートマタ。大別すれば錬金術に属する、ゴーレム作製技術の一つである。土塊(つちくれ)木偶(でく)、人形、今回のように鎧や魔力で編み上げた生物の模造品に術式と核を組み込み、一定条件下において決められた行動を自動でさせる、現代風に言えばアンドロイドというやつである。
 自分達の世界では、ヘブライの秘術カバラの奥義から端を発した一つである。異世界ゆえか術式は全然関係がないものだったが……それはともかく。

 水明が鎧の置物に軽く触れると、それはまるで分解されたようにバラバラと崩れ、床にのたうつ鉄屑と化した。音がしても、もう誰も来る気配はない。

 そして、ふうと溜め息。一度目の騒音はこの鎧に襲い掛かられた時のもので、二度目の騒音はこの鎧を壊した時のもの。

(しっかしまた良くできたモンで。まー最近作られたような感じはしないから、ここの人間が作った物じゃないだろうが……)

 だがしかし、こんな遺物どこにあったのか。ここに来る途中で存在にも危険性にも予め気付いていた故、油断や予断は全く無かったが――これは中々に良い出来の人形だった。
 その感想が浮かぶ通り、このオートマタは圏内に一定の魔力を有した侵入者があるとマナを吸い上げて自律行動。対魔術、対物理防御もそれなりに付加されており、攻撃性も高く知覚した自分を備えてあった剣を用いて容赦なく殺しに来た。

 すごい、ゆえにひどい。

「……マジで何考えてんだってあの女。いくら城ん中勝手にうろちょろしてるからって殺人はないだろ殺人は。お前は責任感と自尊の塊かっての」

 いまここにはいない宮廷魔導師フェルメニアに、豚のように不平を言う水明。お怒りである。いくら同じく魔導の道を歩む者と言えど、こんな人死にが出そうな罠を仕掛けてくるとは、どれだけ宮仕えの誇りを尊んでいるか。俺様の庭に入ってきた以上容赦はしないぞと、憚りもなく言われたようである。

「あ……まー魔術師なら当然か……だよな……」

 そうだ。そうだった。何を思い違いをしているのか自分は。確かにここが異世界でも、魔術師は魔術師なのだ。自分の研究を狙ったり、家に踏み込む同業には死をもって答えるのが常識。挨拶のように魔術が飛び交う異世界にいるから薄れていたが、良く良く考えればそれがごく当たり前の話である。実際こちらではどうかまだ分からないが。



 ふと、足下の鎧の置物だった物に目を向ける。これをこのままにしておくのも問題か。フェルメニアにバレるのは別に良いとしても、明日他の誰かに見付かってこれのせいで騒ぎになるのは嬉しくない。はっきり言って見回りが増えたら嫌だから。


「直しとくか……」


 そう口にして、水明は魔力を最適化して術式を構築する。足元、自分の真下を中心点として、円形の小魔法陣が赤い魔力光を放ちながら大きくなる。魔法陣は回転しながら展開、一定の数値と文字列を内包したあと、その場に安定する。

 そして。

「Renovatio.Redivivus」
(骨子復元、及び再構成)

 基礎を踏襲した基本的な復元魔術。修理でなく、以前の物に戻す技だ。それを、オートマタに行使した。
 オートマタの真下に出現した魔法陣が二つに剥離し、下から上へと緩やかに回転しながら上がってゆく。壊れた部品が画像の巻き戻しのように戻っていき、魔法陣が頂点に達した時にはもう、オートマタは以前の形に戻っていた。

「――よし。良くもなく悪くもなくいつも通りっと」
 そう(むら)のない魔術行使をちょっとだけ自賛して、オートマタをぽんぽんと叩く。もうこれは動かない。外身や核のみならず、刻まれた術式まで完膚なきまでに破壊し尽くしたため、これはもうオートマタの形をしたただの形骸に過ぎないのだ。


        ☆


 直したオートマタを置き去りにして、水明はオートマタが守っていた部屋に侵入した。――と言っても慣れたもの。
 ここは水明が訪れる、書庫部屋以外の数少ない部屋の一つだ。

 そう、ここはこの世界に呼ばれた時に彼らが初めて来た部屋。英傑召喚の儀式部屋である。

 ここには水明も、書庫と同じく早い段階から訪れていた。目的は無論、この床に描かれた召喚陣の調査と解読と、それから導き出されるだろう帰還の方法だ。帰す方法が分からないと言うなら、自分で探し、作るまで。
 その考えの下、水明は本を読み漁る傍ら、日夜この召喚陣の研究に勤しんでいた。

 帰りたいのである。自分には父から託された魔術の命題がある。それを達成するためには、研究成果、研究資料、各種魔術品のある向こうに戻るのが一番手っ取り早い。確かに時間を掛ければこちらの世界でも出来ないことはないのかも知れないが、元々自分の代でも間に合うかどうか分からないものなのだ。時間は惜しいし、無駄には使えない。だから、なによりそれを何よりも優先する自分は、元々いた世界に戻らなければならないのだ。


 そう、それも確かに大きな理由なのだが――


「二人も、帰りたいだろうな……」


 魔導の灯りで淡く照らされた石壁の天井を見上げて、そう宛どもなく声放つ。

 水明は知っている。黎二が時々、空を見上げている事を。空の先、見果てぬ彼方に、故郷を幻視しているのを。大事な人達との別れを未練としているのを。

 水明は知っている。水樹が部屋で一人、すすり泣いているのを。大事な人と一緒にいたいと勇気を出して、その代償に恐怖と、寂しさを受け止めたことを。


 それを思い浮かべると、心の底の奥の奥から、ふつふつと何かが湧き上がってくる。
 名状し難く、言い表すには(あた)わない、熱く篤い何かが。
 あの朝見たはずの家族の姿を、彼らの最後にはさせたくはない。二度と会えない悲しみと無念を抱いて、日々を喘いで欲しくはない。いつかは来るはずの別れがあの日来たというだけの話なのだとしても、それでも希望が有る限り、諦めさせたくはない。

 だからあの日、自分は魔術師になる事を父から受け入れたのだ。どんな理不尽にも立ち向かえるようになるために。

「……ガラじゃないけどさ、俺も頑張っちゃおうかなって思うよな、やっぱり」

 必ずやるから口にする。口にしたら曲げられないから、だから決意を言葉で結んだ。自分は付いていかないから。だから必ず、彼らにも選択肢は作るのだと、誓って。


 そんな中、彼のその崇高な決意に水を差すように、魔力の気配が感じられる。

 巧妙に隠そうとしているが、これは誰か人の気配だ。いや、誰かと濁すまでもないか。白炎と呼ばれる宮廷魔導師、フェルメニア・スティングレイである。
 フェルメニアはそのまま部屋に近付き、オートマタの辺りで暫し止まったあとで、扉に身を寄せる。どうやら僅かに開いておいた扉の隙間から、中の様子を窺っているようだ。


 さて、もうこの手の尾行は何度目か。当然気付いていない振りをして、彼女を野放しにさせているのだが。やれ全く飽きないものである。
 オートマタしかり。自分を危険分子だと思って監視しているつもりなのだろう。


 暫くの間こちらを窺っていたが、やがてフェルメニアは音もなくその場から立ち去った。

 そして――


「種は蒔ききったかね? となると、だ。あとはステージとタイミングだけだな……」


 そう、これ以上はもういいだろう。ちょこまかと他人の尻の臭いを嗅ぎ回るような人間には、お仕置きが必要だ。向こうは、自分にお仕置きをするつもりでいるだろうが。
 逆にその顔を驚きに変えてみせるのも、また一興である。




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