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第三十一話
 根本的な解決策は見つからなかったものの多少すっきりした所で、俺は水をかぶるのを止めて桶を置いた。ぽたぽたと髪から滴る水が肩を濡らしていくのを服越しに感じたので、これ以上服が濡れる前にびしょびしょになった頭を拭くべく俺は亜空間からタオルを取り出す。

「こちらをどうぞ、ドイル様」
「あぁ、ありが、とう!?」

 しかし、俺がタオルを取りだす前にすっとタオルが差し出された。差し出されたタオルを反射的に受け取りながら、いるはずもない人物の声にガバッと顔を上げる。顔を上げた先には、一昨日殿下と共に立ち去ったジンが立っていた。
 こんな側に寄られるまでまったく気が付かなかったことには驚いたが、此奴はこれでも【次期槍の勇者】と言われるくらい優秀だ。戦闘面に限る、が。
 もしかしたら俺の気配察知を潜り抜けられるようなスキルを持っているのかもしれない、と必死に結論付け自分を納得させる。今までここまで気配が分らなかったのは、隠密や情報集に優れたバラドくらいだったので驚きはしたが、ジンの気配に気が付かなかったことを知られるのはなんだか悔しかった。

 意味の分からない悔しさに苛まれつつ、何とか驚きを押し殺す。受け取ったタオルで髪を拭きながら、気を紛らわせるかのように周辺を探った。
 しかし周囲に他の気配は無くジン以外誰もいないと分かった瞬間、体から力が抜ける。同時に殿下の姿を探し、期待していた己に気が付き、口の中に苦いものを感じた。

 それはいくらなんでも調子良すぎるだろ、俺。

 甘い期待をした己に呆れつつ、ジンに意識を戻した。どうやら俺が髪を拭き終わるのを待っているらしいジンに、あらかた髪が拭き終ったところで手を止めて声をかける。


「ジン殿」
「調子はいかがですか? ドイル様」

 名を呼べばジンは涼しい顔で俺の調子を尋ねてきた。何気なくかけられた言葉に返す答えが見つからず俺は口をつぐむ。調子は良くない。しかし、それをジンに素直に打ち明けるのは抵抗がある。というか、何故こいつはピンポイントで答えにくいことを聞いてくるんだと思いながら、ジンを見れば奴は俺を見ていなかった。

 俺のくだらない葛藤など知らないジンは、いつの間にか先ほどまで俺が飛んでいた障害飛越を眺めていたのだ。俺の答えを待っていた訳ではなさそうな姿に、先ほどの問いかけは社交辞令のようなものだったのだろうと思う。本題の前に適当な世間話をするのは貴族の基本だからな。

 ただ、ジンの場合貴族の習慣に則ってやっているのか、天然なのか迷ってしまうが、ここで正直に上手くいっていないと答えて心配されるのも嫌なので、俺は貴族の習慣に則ったのだと判断し、先ほどのジンの言葉を流す。肩すかしをくらったような気分ではあったが、追求されても困る。

 考えるのを止め、改めてジンを観察する。障害飛越のセットを眺めるジンの傍らには、一般的な鹿毛の馬が立っていた。
 俺がリュートと揉めていた時に乗っていた馬と同じ毛色であり、手綱と鞍が付けられているのを見るに、ジンが捕まえた馬なのだろう。
 森の中ではいい感じに周囲に埋没できそうな一般的な鹿毛の馬は、大人しくジンの側に立っている。
 ブランと出会う前に俺が希望していた馬そのものを連れたジンに、ジリッと心が焼けるのを感じた。

 ……嫌味なくらい俺の欲しかったもんばっかり、手に入れる奴だな。

 今の俺はブランを大変気に入っているし、文句も無い。無いが、槍の適性と言い、魔法の適性と言い、今回の馬といい俺が望んで諦めた物ばかり持つジンに苛立つ。疎ましいとまではいかないが、こういったふとした瞬間、やはりどうあっても好きになれない奴だなと、強く思う。

「…………何かご用ですか?」

 だから、自然と憮然とした態度になってしまうのは仕方が無いと思う。

「……お邪魔でしたか? こちらにいらっしゃるとお聞きしたので、様子を窺いに来たのですが……」
「いや、今は丁度休憩中だったので」
「では、しばらくお時間を頂いても?」
「構いませんが」
「ありがとうございます!」

 不機嫌そうな俺の態度を感じ取ったのか、しゅんとして邪魔か尋ねてきたジンに、ムキになった自分が馬鹿らしくなり普通に対応してやる。そうすれば目に見えて嬉しそうに返事をしたジンに、いつか見た幻覚の耳と尾っぽが再び見えた。
 【犬の気持ち】を取得したら此奴の心も読めそうだと、失礼極まりないことを考えながらジンに座る様に勧める。と言っても柵と芝生があるだけだが。

「座られては?」
「お邪魔します!」

 馬の手綱を柵に括りつけてから、俺の隣に座りこんだジンを見る。一体此奴は俺に何の話があると言うのか。殿下の件だったら俺に話すことは無い。ただ、リュートが気にくわないだけだ。
 そうは思ったもののわざわざここまで足を運んだジンを今更追い返すのも憚られ、俺は再びジンに用件を尋ねる。

「それで、ジン殿は一体何用ですか?」
「ジンで構いません、ドイル様! 用件はお一つお聞きしたいことがありまして、お伺いさせていただきました!」
「ならば、私もドイルと」
「いいえ、ドイル様で! 私ごときが次期公爵様を呼び捨てるなどできませんので!」

 ピン! と耳を立て元気よく言ったジンに一応俺も名前でいいと言えば、きっぱりと断られた。いっそ気持ちがいいほど即答され頬が引きつるのを感じたが、不毛な争いになる気がしたので深く追求しないことにする。

 でも、やっぱり、こいつは好きになれん!

 と言うか、自分からふっておいて相手の申し出は断る方が失礼だとは思わないのかとか、二度と名前呼びの許可は出さないからなとか、言ってやりたいことは山ほどあったがグッと堪えて本題に戻る。天然脳筋野郎の相手を真面目にする方がそもそもの間違いだ。

「……お好きにお呼び下さい。それで、ジンは私に一体何を聞きに?」

 ジンの相手はバラドとはまた違った疲労感があるな、と思いながら再度用件を尋ねる。そんな俺の言葉に、ジンは伸ばしていた足を正座に替え佇まいを直した後、真剣な顔つきで口を開いた。

「…………恐れながら。このようなことは私が口にすべきことではないと思いますが、どうしてもドイル様にお答えして頂きたく」
「私に答えられることでしたら」

 重々しい口調で口を開いたジンに返事を返せば、ジンは意を決したように俺に訪ねた。





「何故、ドイル様はそこまで頑なにグレイ殿下のご助力を拒まれるのでしょうか?」

 そうきたか、と思った。
 何故、リュートの勝負を受けたのかとか、何故殿下の期待を裏切るような真似をするのかといった質問を想定していたから、ジンの問いかけには素直に感心した。模擬戦の時も思ったが、こいつは意外に周囲をよく見ている。

「…………何故、そのように思ったのかお伺いしても?」

 だから、逆に質問してやった。聞けば何でもかんでも教えて貰える訳ではないし、聞かれたことに何でもかんでも素直に答えるほど、俺は優しい性格はしていない。
 それに何故ジンは俺が殿下の助けを拒んでいるという結論に至ったのか、純粋に興味があるしな。

「…………何故と聞かれると困りますね。……こう明確にこれというものがあった訳ではなく、何となくそうなのかなと思っただけですので」
「何となくですか?」
「はい。…………班分けの発表があった日、ドイル様はいとも簡単にグレイ殿下のお気持ちを察しておられました。殿下に正面から怒られても容易に流されていますし、殿下もドイル様の事をよく分かられている様に感じます。お二人の間には私では到底割って入れない絆を感じます故、ドイル様はあの日、リュート殿の一件でグレイ殿下がドイル様のお力なろうと駆けつけたのも当然気が付いておられると思いました」

 本当によく見ている。
 あれだけ急いだ様子で殿下は駆け込んできてくれた上に、俺とリュートの間に割って入ってくれた。そして俺の班分けに異論はないと遠回しに言ってくれたのだ。殿下が俺を庇おうとしてくれた事くらい、分かっているに決まっている。

「ですからあの日、私にはドイル様が意図的に殿下のご厚意を拒絶している様に感じました。…………殿下は、ドイル様のお力になりたいと思われています。槍の一件でお力になれなかった分、強く。なのに、ドイル様はそれを頑なに拒まれる。何故ですか? 殿下はドイル様が頼って下さった方が、きっと喜ばれます。他の誰でも無く、ドイル様には自分を頼って欲しいと、誰よりも強く思われているはずです。――――――そして、そんな殿下のお気持ちをドイル様は誰よりもご理解されていると私は思うのです」

 「だから、ご理由を伺いに参りました」と真っ直ぐに俺を見つめるジンに安心する。ジンが入れば大丈夫だ。もしも、俺が殿下の期待に応えられなくとも、ジンが側に居てくれるなら殿下も大丈夫だろう。こいつなら父上が言っていた王の隣に立つのに大事なものを持てる。
 そう感じると共に父上の言葉を思い出した。あの日、父上が言った言葉は不思議と霞むことなく、今も一字一句俺の中に残っている。

「…………ジンは王の隣に立つのに大事なものって何だと思います?」
「へ?」
「強さで無く、気配りで無く、賢さで無く、命を賭ける覚悟で無く、尊敬される人柄で無く、誠実さで無く。王の隣に立つのに一番大事なものって何か知っていますか?」
「王の隣に立つのに大事なもの、ですか?」
「ちなみに私は昔父上に同じことを聞かれて直ぐに分りました」
「ええっ!?」

 嘘だけどな。まったく分らなくて、俺は父上に答えを教えて貰った。そしてその答えを聞いて決めていることが一つだけ、俺にはある。ずっと昔に【英雄】である父上に教えて頂いたもの。
 目の前で幼い頃の俺の様に、うんうんと唸りながら頭を悩ますジンを俺はじっと待つ。父上もこうやって答えが出せない俺をずっと待っていてくれた。
 あの時の父上を思い出しながら俺はジンが降参するまで、ジンの唸り声を聞きながら待った。






「うーーーーん。――――――分りません! 降参です!」

 そして、結構な時間悩んでいたジンはガバッと顔を上げたかと思うと、きっぱりと言い切った。

「幾ら考えても私には分りません! 恐れ入りますが、お答えをお教え頂けますでしょうか!?」

 潔い奴だ。ジンのこの素直さは美徳だと思う。分り易すぎるのは玉に傷だが、ジンのこういった所は嫌いじゃない。

「王の隣に立つのに大事なものはですね、」
「はい!」
「王に決して頼らないことです」
「はっ?」

 俺の答えを聞いてポカンと口を開けたジンの間抜けな顔を見て、つい笑う。
 そんな笑みに気が付かず、未だに難しい顔で俺の言葉を噛み砕くジンに俺は声を上げぬよう息を殺しながら笑った。



 ああ、きっとあの日。
 俺に同じ言葉を告げた後、声を上げて笑った父上は、俺のこんな顔を見て笑ったのだろうなと思った。

ここまでお読みいただきありがとうございました。


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