イタイイタイ病は、いまから1世紀も前に最初の患者が出たとされる公害病である。

 富山県の神通川沿いで、鉱山から流れたカドミウムが飲食物を通じて人の体に入り、全身をむしばんだ。

 国が最初の公害病と認めたのは1968年。それから約半世紀へた今月、被害者団体と原因企業の三井金属が「全面解決」に向けた合意書に調印した。

 社長が初めて公式に謝罪し、これまで賠償の枠外だった腎機能障害の人にも一時金を払う。被害者団体の高木勲寛(くにひろ)代表は式典で、「筆舌に尽くせぬ辛酸の歴史があった」と述べた。

 すでに世を去った人々の命は戻らないが、それでも一つの節目に達したことは評価したい。長い道のりが残した教訓を今後も考え続けねばならない。

 水俣病や四日市ぜんそくなどと比べて特筆されるのは、被害者側と企業が息長く「緊張感ある信頼関係」を培ったことだ。

 裁判にでた被害者側は二審で勝った72年、三井と交渉し、賠償、土壌の復元、今後の公害防止について文書を交わした。

 この際、三井は謝罪を申し出たが、対策に「一定の成果が出るまでは」と、あえて受け入れを保留した。

 被害者らは毎年、鉱山を立ち入り調査し、三井と意見交換した。カドミウム濃度は自然界レベルにまで下がり、汚染土壌の入れ替えも昨年で終えた。

 幅広い救済を盛り込んだ今回の合意も、互いの努力の積み重ねが結実したものだ。被害者側と企業とが真摯(しんし)に向き合った長い対話と責任ある行動にこそ、問題を解くカギがあった。

 時代は移り、環境意識が高まったいま、かつてのような形の公害は影を潜めている。だが、地域の人間や暮らしより企業や国の経済性が優先されがちな現実は変わったとは言い難い。

 東京電力福島第一原発事故がその典型だろう。自然災害が発端とはいえ、企業活動が住民に広大な被害を及ぼしてしまった問題をどう解決するのか。イタイイタイ病の歴史に学ぶべき点は多いのではないか。

 この公害病について国はいまもかたくなな姿勢を崩さない。公的な救済制度ができた67年以降、行政が患者と認めたのは196人で、存命は3人だけ。いまも申請は続いているが、認定されるのはごくまれだ。

 認定基準は、水俣病でも大きな問題となっている。国は被害の実態に即し、柔軟に見直していくべきだ。行政だけが公害克服の歴史から取り残されるようでは困る。