8月26日(日)、母を連れて、弟、樫田正剛の脚本による舞台「あたっくNo.1」を見に行きました。
あの真珠湾攻撃で、航空部隊よりも数時間早く、海底から出撃した特別攻撃隊である5隻の特殊潜航艇のことを知る人はわずかです。
たまたま、母の兄である樫田勝衛(かつもり)がその特殊潜航艇を搭載した潜水艦に乗務していて、また、1943年2月11日に潜水艦が米軍攻撃で沈められる数ヶ月前に日本から最後の出撃をしているのですが、その際に日本においてきた日記から、母は戦時中に、作戦の一環を知ることとなりました。
ともあれ、母にすれば、この舞台に「カツモリ」という役名の下士官が出演することで、自分の兄をそこに見るのでしょう。
会場は東京の新国立劇場の中劇場で800人ほどの会場は若い女性でほぼ満席でした。
理由の一つは、この舞台のリピーターがいることと、やはり、あのEXILEからKENCHIとTETSUYAが出演していることもあると思います。
そして、そのTETSUYAこそが「カツモリ」を演じてくれたわけです。
そういうことで、終演後、弟が自分の控え室に私と母を招いてくれましたが、そこにKENCHIとTETSUYAが挨拶に来てくれました。
今年、そして、来年は母にとっては特別な年です。
というのは、来年2月11日が、母の兄、樫田勝衛の70周忌にあたるからです。
しかし、私たちは、一年早く、今年の6月だったでしょうか、70周忌の法要を済ませました。というのは、今年は、母の母、つまり私の祖母の33周忌に当たるため、二人一緒にやってしまおうということになったからです。
じつは、その後、母が言うには、不思議なことが起こりました。
母は、けっこう、霊感があるほうです。
33年前に祖母がなくなった後も、母が就寝中に、当時住んでいた、アパートの3階の玄関だか窓だかがスーと開いて誰かがそのまま布団に入ってきたというのです。すぐに「母だ」と直観した母はそのままお経を唱えていたとか。
今回の、伯父と祖母への法要の後でも、伯父が枕元にまでやってきたそうです。施錠しているはずのベランダのガラス戸が開き、誰かが安心したように母を見つめていたそうです。
母は兄に違いないと嬉しくなったと語っていました。
もちろん、これらの出来事は、最近研究が進んでいる脳科学で説明がつくののかもしれませんが、世の中には、あまり科学で解明せずに、そっとしておいてもいい事象があると私は思っています。
だから、おそらく、今回の舞台も、伯父、樫田勝衛は、会場のどこかで見ているのだと信じていたいです。
母と兄との別れは、真珠湾攻撃の半年前の1941年5月。
当時、北海道函館市の専門学校に在籍していた母は、函館が当時は本州を結ぶ連絡線が出ていることで、北海道の実家に帰省していた兄が再び海軍の横須賀基地に戻るために函館に立ち寄った際に出会っています。
青函連絡船に乗り横須賀に帰る日、桟橋まで一緒に来た母に、夕方ということもあり、伯父は「もうここでいいから帰れ」と告げたのですが、なぜか母は、そのとき無性に見送りたいと思い、その場を去らなかったそうです。
そして、出航が近づくと、ドラの音が鳴り響き、「蛍の光」のメロディーが流れ出すのですが、すると、やはり妹が気になったのか、伯父は甲板にまで上がってきて、眼下に妹を発見すると、まっすぐに海軍式の敬礼を捧げたといいます。
伯父は、そのまま、互いの姿が見えなくなるまで敬礼を続けていたそうです。相当に長い時間です。
これが、母が兄を見た最後の姿となりました。伯父の敬礼の間、母はなぜだかわからないが、涙がとどめなく流れたそうです。
あのときの、敬礼をしてくれた、海軍の白い手袋。それが今でも忘れられないと母は振り返ります。
あたっくNo.1の東京公演は8月28日で終了。
そして、8月31日から9月2日まで大阪で公演予定です。
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私は今二十歳の大学生です。
9月1日のあたっくを見に行きました。
私はEXILEのTETSUYAさんのファンで、
舞台を見に行った理由も、
TETSUYAさんを見たかったから
という気持ちがあったからです。
しかしそれだけではなく、
小学生の頃から戦争のことに
興味があったといえば
変な表現になってしまうかもしれませんが
よく学校の図書室などで戦争の本を読んだり
祖父母に話を聞いたりしていました。
特に父方の祖父は、父親を沖縄の陸上戦で亡くしており、
色々なことを教えてくれました。
テレビや映画も見たりしていました。
この舞台も、TETSUYAさんを見たかったから
というのもありますが、それと同じぐらい
戦争について新たな知識を得たい
という思いもあり、観劇しました。
そして観劇してビックリしたことが、
実は私はこの極秘任務のことを知っていたということです。
学校で聞いたのか、祖父母に聞いたのか、
テレビで見たのか、はたまた本で読んだのか…
そのへんの記憶はありませんが、
その潜水艦の上官(?)の方の
「私は部下に魚雷を持たせて敵鑑に体当たりさせ、
何人もの部下を殺してしまった」
という内容の話を聞いたことがありました。
なので私は極秘任務だということを知らず、
みんなが知っているものだと思っていました。
長々と書いてしまい、結局自分でも
何を言いたかったのかわからなくなってしまいましたが
このあたっくNo.1は私の記憶に
一生残る記憶になると思います。
勝衛さんの日記も、他に何を書いていたのか
すごく気になります。
また再演することがあれば、
是非見に行かせていただきたいと思います。
本当に長々と失礼しました。