第三者視点の閑話です。
あまり補足しすぎても、想像の余地を削ると指摘されたので、どうすればいいのか迷いました。
「行かせたのね。 ノアを王都へ」
ヴェロニカが、静かに言った。
ランドルフは何も言い返さず頷いた。
彼女はただ寂しそうに微笑んだ。
ランドルフがノアを引き取った時、彼は死の淵にいた。
母を亡くしてすぐに、原因不明の高熱にうなされ、それが何日も続いている。
父を亡くした事も知らないまま、幼い身でひとり取り残されたのだ。
ランドルフは正直、この子は長くは保たないだろうと思った。
ナイジェルや子供好きのヴェロニカが、こまめに看病を行っているが、回復の兆しが全く見られないのだ。
今まで保った事すら奇跡的な程、ノアの体は弱っていた。
しかし、ノアは耐えてみせた。
熱は徐々に引いて行き、意識がはっきりし始め、起き上がれるようになった。
ランドルフは、ノアに伝えなければならない事があった。
父の死についてである。
ヴェロニカは、もっと後からで良いのでは無いかと反対したが、何時までも黙っては置けない。
ランドルフが父親の最後を伝えると、ノアはショックを受けた様子だった。
「嘘だ……。 だって父さんはまだ死んでない……」
ノアは混乱していた。
二ヶ月もの間寝込んでいた事による記憶の混濁だろうと医者は言った。
医者の言った言葉に間違いは無かった。
しかし、前の世界とこの世界での記憶が混じり合ったせいだと気が付く者はいなかった。
しばらくして、ノアは自分を取り戻した。
ランドルフがこの城に住むように言うと、丁寧に感謝した。
彼の両親はノアをきちんと躾ていた様だ、とランドルフは思った。
ノアは同じように、ヴェロニカとナイジェルにも感謝して見せた。
この時、ランドルフはノアという人間が、ただ厳しく躾されただけの子供でないと思った。
ランドルフは実力主義だ。獣人に対しても、使える者は使う。だが、特別扱いはしない。
ノアの父もそうであった。
金や利益があれば、獣人でも商売をした。子供は、大人の反応を見て真似をする。
ノアは父親に付いて、商売を学んでいた。
獣人に対する差別意識を他の人族から感じとる機会は必ずあった筈だ。
それでも、ノアはナイジェルに素直に感謝できる人間だったのだ。
ノアの世話をしようと決めた時、ランドルフは、彼を引き取りたいと言う商人達と変わらない意識でいた。
スキルが使える人間は貴重だ。ならば教育をして、手元に置こう。
そう思っていた。
ランドルフは時がたつにつれ、ノアの性格を知るにつれ、その意識が徐々に変わって行った。
ヴェロニカの元につかせて学ばせれば、ノアは大変聡明だと分かった。
算術は直ぐに覚え、外で遊びたいとも言わず、意欲的に物の流れを学んだ。
ランドルフが実力主義だと誰かから聞いたのか、ノアは積極的に自分の出来る事をする様になった。
一時も無駄にしないで学び続ける姿は、ランドルフには居場所を無くさない為に必死に頑張っている様に見えた。
両親の死を乗り越えるには早すぎる。もっとゆっくりと成長すれば良い。
無理をしていないかと尋ねても、ノアは平気だと言った。
あまりにも不健康に見えたランドルフは、ノアを外へ連れ出して運動させるよう、ナイジェルに言った。
この時も、ノアの素質はランドルフを驚かせた。
ランドルフは、ノアに外で遊ぶ楽しさを覚えさせたかったのだが、ナイジェルは違った捉え方をした。
ナイジェルは、ランドルフの言葉をノアを鍛えろという風に認識した。
ナイジェルに悪気は全く無かった。
体を動かす喜びは知っていたが、子供が喜ぶ様な遊びを彼は知らなかった。
ランドルフが間違いに気付いた時、ノアは木刀を振っていた。
これにもノアは、文句を言わず体を鍛えた。
ノアはあまりにも効率良く体の動かし方を覚えて行き、ナイジェルを驚かせた。
どうすればレベルが上がるのか知っているノアだからこそ出来る、無駄の無い吸収の仕方だった。
ここまで来て、ランドルフはノアを跡取りとして育てようかと考え始めた。
ノアはずっと、ランドルフの事を伯爵様と呼んでいた。
いつからか、そう呼ばれるのに違和感を感じていたランドルフは、ノアに家族に様はいらないと言った。
その日から、ノアはプライベートの時はランドルフの事をおじさんと呼ぶ様になった。
ランドルフは、少しだけ、父さんと呼ばれる事を期待していた自分に驚いた。
ランドルフにはかわいい娘がいた。
妻は娘が生まれてすぐに亡くしている。
クリスは活発な子に育っていた。
ノアと正反対と言っていいくらい。スカートをはくのを嫌がり、馬に乗るのが好きだった。
城にいた同年代の子はノアくらいで、最初はちょっかいを掛けていたが、ずっと勉強ばかりしているノアに飽きて、あまり話さないでいた。
ノアも、伯爵の娘に失礼の無いよう当たり障りなく接していた。
お互い成長し、クリスが性別と言うものを意識し始めると、ヴェロニカは、クリスにドレスを着せて、城の皆の前に出した。
皆似合っていると言ったが、クリスは自分に似合わないのを自覚していた。
そんな時、ランドルフがノアに意見を求めた。
クリスは恥ずかしくて、きっと皆と同じように心にも無い事を言うに違いないと思って顔を背けた。
せっかく綺麗な髪なのだから、もっと伸ばせば良いのに。そしたらもっとかわいいですよ、とムッツリしたクリスに、ノアは困ったように言った。
クリスは動きやすさを重視して、貴族の女子にしては、短めの髪をしていた。
ノアの言葉は、すんなりとクリスの心に入って来た。
お世辞でも良かった。母と似た髪を褒められた事が嬉しかった。
それ以来、クリスはすっかり大人しくなった。
やっと女子としての自覚が出たかとランドルフは喜び、ノアを跡取りとする意識を強めた。
ある日唐突に「フィンブルの一年」が始まった。
モンスターの発生率が高くなり、至る所で被害が報告され始めた。
暗黒期が始まったのだ。
暗黒期がいつ来るのか、ハッキリした事は分かっていない。
以前暗黒期があったのは、十年程前である。
城が物資の拠点から、前線に変わるのも、時間の問題だった。
クリスは城に残ると言った。
ランドルフは認めなかった。彼女がひとり残った所で、状況が変わる訳では無い。
大事な娘を戦場に置きたがる人間がどこにいると言うのだろう。
ノアはクリスをなだめた。
クリスがいたら、ランドルフが冷静に戦えないだろうと。
クリスはノアの言う事なら頭に入る様子だった。
ランドルフは安心して、クリスをノアに任せた。
誰かが側にいなければ、自分から戦場に向かいそうなクリスを止められるのはノアしかいないとランドルフは思った。
ランドルフには、ノアの姿勢が、自分の実力を把握して、冷静に判断を下せているのだと映った。
ノアは、恐縮して、戦う事が怖いだけだと言っていたが、ランドルフがノアの評価を下げる事は無かった。
戦場を怖れる事は、悪い事では無いのだ。
経験の浅いまま、無謀に突っ込んで行く事こそ、愚かである。
ノアの真価は、戦場では無く、交易で発揮されるだろう。
ランドルフが戦場に出た時、そこは泥沼の様だった。
モンスターの止まない猛攻に、絶望的な空気が漂っていた。
何か欲しかった。この空気を変える何かが。
ランドルフは決意した。
これまでの戦いの常識を捨てるのだ。
汚名を被ろうとも、ここで生き延びねば意味が無い。
ランドルフは、獣人に指揮権を与え、獣人だけの隊を組んだ。
これまで、獣人は前衛として捨て駒の様に使われて来た。
集団で起用はされなかった。反乱を起こされるのを防ぐ為である。
その暗黙の了解を破り、ランドルフは獣人に指揮権を与えた。
最近実力を伸ばしていたナイジェルもその内のひとりで、小隊を率いて戦った。
ノアを見ていると、ランドルフも獣人を信じようと言う気になったのだ。
ランドルフの戦略は当たった。獣人は個々で戦う何倍もの実力を発揮し、戦場の空気を変えた。
その中でも、ナイジェルの隊は見事な働きを見せた。彼の隊は、怪我人はいても、死者は出なかった。
もはや奇跡的だった。
勢いを取り戻した人類側は、モンスターの波をジリジリと押し返した。
そうしている内、暗黒期が終わった。
ナイジェルは額に傷を負ったが、四肢が欠ける事は無く、無事に帰還した。
全てが終わってから、ランドルフはナイジェルに声を掛けた。
よく無事だったなと。
ナイジェルは自分でもよく分からないのだと零す様に言った。まるで何かから守られている様だったと。
再会を喜ぶクリスとは違い、ノアは傷ついた皆の姿に素直に喜べない様子だった。
それでも、無事で良かったと心底から言っていたのは、戦った者に伝わった。
再び生活できるまでに城は修復されたが、今回の暗黒期の被害でエセックスの城は辺境に位置する事になった。
ランドルフは「フィンブルの一年」の功績が認められ、そのまま辺境伯の地位を授かった。
城が砦として改修されていく中、ランドルフはノアに養子にならないかと尋ねた。
ノアは首を横に振った。
世話になった事には感謝しているし、恩を返したい気持ちはある。しかし、自分に戦う才能が無い。人の命を預かって、おじさんの様に生きる事は出来ないと。
ランドルフは、ノアは権力に興味が無いのだと思った。
恩などすでに彼のスキルの働きで返されている。
人の命を大切に扱える気持ちこそ、上に立つ者が持っているべきものである。
ヴェロニカは、無理に今決めなくても良いと言った。
ノアをかわいがっていた彼女は、ノアの優しさを知っているからこそ、その重荷を背負わせたく無い様だった。
散々話し合ったが、答えは出ないまま、ノアは独り立ちすると言って城を出た。
ランドルフも、確かに世界を知る事も必要だろうと反対しなかった。
ノアは権力に興味が無い。
物欲も金欲も無い。
手紙のやり取りや、上司である支部長に探りを入れた限りでは、毎日真面目に働いて、たまに人助けをしている様だった。
ノアのスキルがあれば、彼の父の様に財産を作る事も出来た筈だし、欲しい物を手に入れる事も簡単だろう。
ランドルフには、何事にも興味を示さないノアが心配だった。
誰にでも一線を引いて、特別に付き合う事はしない。
いつも曖昧に笑っていて、そう言えば彼が怒った所を見た事があっただろうか。
気が付いたら、ふらりと消えてしまうのでは無いだろうか。
支部長から、ノアのスキルについて話しがあったのは、彼が独り立ちして二年程がたった頃だった。
ランドルフは、支部長からの手紙を読んで、長年の疑問が解けた気がした。
ノアを呼び、先王に引き合わせたランドルフは、罪悪感で一杯だった。
自分から、もし何処かへ逃げても、裏切りだとは思わないと言ったのは、ノアに裏切り者だとランドルフ自身が言われるのを恐れたからだった。
こう言えば、ノアはきっと逃げられなくなる。
ノアの優しさに付け込んだのだ。
ランドルフは、ノアならば誰にも知られずにこの国を出て、そして生きて行く力があると思っていた。
そうしたら、二度と彼とは会えないだろうと本気で思っていた。
同時に、ノアに生きる喜びを知って欲しいと思うのも本当だった。
戦いを嫌悪しながらも、結局はギルドに身を置いて、人助けをしているノアの正義感を生かしたかった。
王都でなら、それが見つかるかもしれない。
ランドルフとヴェロニカは、彼の成長を願い、そしていつか、彼の帰る場所になれたらと願いながら、王都へ旅立ったノアを想った。
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