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リベラルの欺瞞とファシズム - 加藤陽子、長谷部恭男、東大
秘密保護法への反対運動が盛り上がった先々週、成立2日前の水曜(12/4)が、抗議のヒューマンチェーンが呼びかけられた日だった。小春日和の昼間、12時から13時半、6000人が集まって国会を取り巻いた。集会をやっている参院議員会館前から、美しい銀杏並木を時計回りで一周しようとして、永田町駅の角から国会図書館、さらに憲政記念館から国会正門へ向かって歩いていた。時計塔のある国会前庭の付近にさしかかったとき、ハンドマイクで演説している者がいて、周辺の歩道に一塊の小さな集団ができていた。「出版労連」の幟旗が立っている。40代後半に見えるハンドマイクの男は、新聞労連の副委員長だと名乗っていた。今回の運動では出版労連の仲間たちが精力的に動いてくれていて、今日もこうして昼休みの時間に駆けつけているのだと案内をした。そして、岩波書店労組の委員長に挨拶のマイクをバトンタッチした。歩いていた私は、それを聞いてほうと思い、どんな顔か拝ませてもらおうと立ち止まったところ、これまた40代に見える若い、私の感覚では女の子という印象になる人物が、秘密保護法反対の話を喋り出した。が、感想を正直に言うと、肩書きから期待したものとは裏腹に、演説は素人丸出しで全く面白くなかった。言葉に知的興奮を感じなかった。縁故採用ばかりやっているから、こんな具合になるのだろうかと、不興に感じたのが本音である。


最近、本屋で新刊を覗き込むことをほとんどしなくなったが、2か月ほど前、池袋のLIBROで新書の棚を眺めていたら、池上彰の岩波新書を見つけてギョッとさせられたことがあった。信じられない気分で腰を抜かしたが、今はもう、それを見て呆然とする人間というのは、異端で奇特な私のような者しかいないのだろうと思い、また、岩波書店も経営で稼がなきゃいけないのだろうと思い、気を取り直すことにした。が、その次に目に飛び込んだのは成毛真の岩波新書で、この目撃物体については、私の理解と想像の範疇を超えていて、腰を抜かすとか呆然とするというリアクションの表現では到底収まらない。憎悪と言うか、破裂と言うか、これまで岩波新書を読んできた者たちに対する深刻で悪辣な裏切りであり、岩波書店の自己否定である。岩波書店も、小学館や集英社と同じあこぎな銭儲けの本屋になり、夢のない腐って汚れた事業体に成り果てた。縁故入社した貴族社員の給料が高いだけが取り柄の会社だ。組合が秘密保護法反対を言うのはいいだろう。今回の反対運動では、何回か岩波労組の幟旗を見た。が、経営はどうなのだ。それ以前に、秘密保護法案に賛成の参考人意見を国会で臆面もなく陳述した長谷部恭男の岩波新書を、岩波書店は絶版にする意思はないのか。秘密保護法推進学者の本を拡販し、ブランド価値を付け、宣伝してやるのが岩波書店の事業なのか。扶桑社と同じではないか。

このところ、ずっと考えているのは学閥の問題である。そして、日本のアカデミーのリベラルという問題だ。11/12の記事「日本版NSCの正体 - 参謀本部、内閣情報室、満鉄調査部」で、加藤陽子の岩波新書「満州事変から日中戦争へ」を紹介した。今、眼前で起きている現実、そしてこれから起きる中国との戦争、それらを考える上で非常に参考になる歴史の本だと思われる。未読の人は、ぜひ一度目を通していただきたい。さて、「秘密保護法に反対する学者の会」の総勢が、12/10時点で3500人を超えているのだが、この中に加藤陽子は入っているだろうか。この岩波新書を再読して記事で紹介したとき、もう一つの感想として強く思ったのは、何でJ-NSA(国家安全保障局)の政治が進行しているときに、この本の著者の加藤陽子が沈黙をしているのだろうかということだった。報道で説明されているとおり、新年に60名で始動するJ-NSAの組織は6部門で構成されている。第1班が総括、第2班が戦略、第3班が情報、第4班が中国・北朝鮮、第5班が同盟国、第6班がその他。1班から3班が任務別、4班から6班が地域別の体制となっていて、まさに参謀本部の組織(第1部-作戦課、第2部-ソ連課、欧米課、支那課、謀略課)がそのまま再現され復活した図になっている。この恐ろしい事実はBlogの記事で指摘した。マスコミで話題にした人間を知らない。J-NSAの情報班(第3班)は警察(公安:内調)の担当で、諜報と治安警察の司令部である。

加藤陽子は、マスコミ報道でJ-NSCとJ-NSAの記事を見れば、これが何のことだかすぐに察するはずで、身の毛のよだつ思いをするはずだ。J-NSCは御前会議もしくは政府大本営連絡会議であり、J-NSAは陸軍参謀本部もしくは大本営(参謀本部+軍令部)である。そのコピー(複製)である。そんなことは、歴史学者の加藤陽子でなくても誰でも一目瞭然だ。こんなものが堂々と法制化され、国会で可決して設置され、秘密保護法の刑罰でガードされて始動することになった。加藤陽子は、テレビにも頻繁に登場してきた売れっ子だ。学閥(桜陰→学閥)で毛並みがよく、岩波から著書が出て、NHKの番組に出演させてもらえる。終戦記念日の特番とか過去の戦争を振り返る番組で、よく登場して発言する場面を見た。その気になれば、朝日に時事の論評を投書して、即、紙面に掲載させることができるだろう。つまり、権力(影響力)を持った人間だ。そして、これまでの議論や著作から類推すれば、日本のアカデミーのセンターポジションであるリベラルの位置にあると目される学者である。左右の偏りの印象はない。厳密に研究の中身を検証すると、果たしてリベラルの評価を与えてよいかという疑念もあるけれど、ここまで酷く右傾化が進んだ論壇とアカデミーの中では、リベラルのシールを貼って妥当な存在だろう。と言うよりも、われわれの中に岩波新書のブランド信仰があり、岩波新書の著者ならリベラルに違いないという条件反射的な判断をする習慣ができている。

加藤陽子から、J-NSCやJ-NSAへの批判や論評が出ないのは意外で、それを取材して出さないマスコミも不思議だ。マスコミは取材に来ているが、加藤陽子が保身でコメントを回避しているのだろうか。現在53歳。今は安倍政権の絶頂。アカデミーは雪崩を打って総右傾化。次の出世を考え、天下りを考え、勲章を考えているのかもしれない。リベラルが怪しくなっている。リベラルが怪しくなり、リベラルの知識を提供してきた発信拠点の岩波が怪しくなり、リベラルの知識を生産する現場だった東大がすっかりおかしくなっている。東大が、貴族化と阿世化の果てに、リベラルではなく右翼の知識生産の工場となっている。その典型で象徴が、長谷部恭男の岩波新書「憲法とは何か」であり、国会に参考人として出てきて秘密保護法を堂々と正当化した姿である。安倍晋三と森雅子は、特別委の質疑の答弁で窮する度に、その件はまた有識者のご意見ご提案を頂戴しながらと言って逃げまくっていた。そのとき、安倍晋三と森雅子が助け船として思い描いていたのが、学閥憲法学の権威の長谷部恭男だったことは想像に難くない。学閥憲法学の泰斗の地位にあり、岩波新書から「憲法をは何か」を出して、この国の法学アカデミーと法曹界を睥睨している長谷部恭男が、秘密保護法は必要で妥当だと擁護するのなら、法律論の説得力としてこれ以上のものはないではないか。「有識者の意見も聞きながら」の答弁は、こっちには岩波知識人で憲法学トップの用心棒が付いているぞという威嚇に聞こえた。

来年、特定秘密指定の基準作りと第三者機関の法制化の作業で、安倍晋三が言っていた「有識者会議」には、長谷部恭男が座長で名前を連ねるのだろう。と、そう思っていたら、もう記事が出ていた。その長谷部恭男の岩波新書「憲法とは何か」は、今年、私が読み込んだ数少ない本の一冊だ。今年の春、96条改定の政局の際、立憲主義と最近の憲法学理論について押さえる必要を感じ、樋口陽一と長谷部恭男の新書を何冊か繙いた。同じ立憲主義の憲法学を唱えながら、秘密保護法についての立場は二人の間で180度違っている。弟子に当たる長谷部恭男を、師匠の樋口陽一が名指しで批判したという話を聞かない。二人の立憲主義論を読みながら、特に長谷部恭男の所論には不審と疑問を感じる部分が多く、立憲主義の言説の流行そのものに対する抵抗感とも重なり、それはBlogの記事にして書いた。長谷部恭男は、自らの理論的立場を「リベラル・デモクラシー」の語で説明している。その中身は、単純化して言えば、反ファシズムで反共産主義、すなわち反全体主義の思想的立地である。ファシズム(シュミット)も共産主義(マルクス)もだめというスタンスで、「リベラル」はロールズ的な意味を積極的に滲ませている。現在の学閥の公法政治学コースは、基本的にこの立地を本拠にして、この方法を基礎に理論生産していて、ロールズとアーレントで正統性と合理性の衣を纏う。「リベラル・デモクラシー」の憲法学と政治学。而してその内実と役割は、政府が進める隷米路線と安倍晋三のファシズム路線のオーソライズ(公認)である。

現在の長谷部恭男の機能と活躍を見て、それをカール・シュミットやオットー・ケルロイターと擬えるのは、社会科学的に正鵠を射た認識というものだろう。シュミットを批判した長谷部恭男が、シュミットに逢着し、シュミットと同一化する様は、何とも皮肉で滑稽な現象であり、弁証法における対立物への転化と言うほかない。結局のところ、それはリベラルでもデモクラシーでもなく、まさに自由と民主主義を奪うところのファシズムのイデオロギーに転化し、日本のファシズム化を進める道具となっている。東大法学部はファシズムの学舎となり、ファシズムの理論工場となり、岩波はファシズム理論をデリバリーする卸問屋と化してしまった。絶望を覚えるのはこの点に関わる。東大法学部の貴族たちは、90年代後半以降、陣地構築した「リベラル・デモクラシー」を正統化するため、丸山真男を「リベラル・デモクラシー」の表象で塗り固める作業に着手し没頭していた。その丸山真男は常に言っていたものだ。戦前戦中のファシズムの嵐が吹き荒れた時代にあっても、東大法学部だけはリベラルの砦を守っていたのだと。ファナティックな軍国支配者に睨まれ、攻撃され続けた仇敵の存在だったのだと。それは、治安維持法違反容疑で特高に逮捕歴があり、憲兵の監視下に置かれた潜在的思想犯である我が身を、南原繁が守り続けてくれ、チャンスを与えてくれたことへの感謝の表明であり、さらに、戦後のGHQによる赤狩り公職追放のときに、ブラックリストに載った自分を最後まで庇護してもらった恩義への報いである。

そのように丸山真男に語られ、伝説化され、民主主義日本の伝統的思想的中核として権威づけられてきた東大法学部(公法・政治)が、今、ファシズムの砦に化けている。日本語のリベラルは意味変容をきたし、ファシズムがリベラルの語に化けて言い表されている。本来、北岡伸一だの御厨貴だの、出ようのないアカデミーのはずだったのだが。



by thessalonike5 | 2013-12-17 23:30 | Trackback | Comments(5)
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Commented by 旅マン at 2013-12-17 18:36 x
『新聞なんて場貸し屋みたいなモン。朝日をやっつけろと煽る文春や新潮の広告をウチは載せているんだから』と、丸山先生に師事する今は亡き我が師匠、異論に目を通す大切さを語るネタに使われていたのを想起した。
『岩波はチャレンジできますかね』『ああ、もし本気なら無理!あそこは人を採らないよ』と飯田橋駅前で言われたことも…。
さて、長谷部を指摘するならば、あの岩田喜久男は?(笑)。
先日の毎日で、岩波知識人の大御所;伊東さんが極めて明快・切れ味鋭くアベノミクスを批判をされていたが、岩田こそ安倍政権のラッファーだ。
岩波は論議の幅をご提供されているんだろうが、馬鹿学生が量産されるリスクは罪である!
Commented by 荻原 理 at 2013-12-17 21:54 x
加藤陽子氏は「秘密保護法に反対する学者の会」に名を連ねています。、先月の29日の、東京新聞朝刊の1面に、会の一部の1人として、彼女の名前が、活字で大きく記されていました。時間に余裕が出来たなら、図書館に行って、確認を御願い致します。長谷部氏については、今週発売の「Newsweek(日本版)」に、この法律について、相変わらず要領を得ないインタビューが1べージ分載っていました。この雑誌自体、この法律に賛成の立場ですからねえ・・・。
Commented by ろうのう at 2013-12-17 22:42 x
池上彰なんてちっともリベラルじゃなく、レトリックがリベラル風なだけ。おそらく支配者たちは主張の内容を見ないで雰囲気がリベラルっぽいからリベラルだと判断するように習慣づけようとしている。
Commented at 2013-12-17 23:41 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by H.A. at 2013-12-18 00:07 x
長谷部恭男氏については知りませんが、樋口陽一氏は、見識も能力も立派だったけれど、考え方が進歩的すぎたから、東大教授になれず東北大で教授になった、という話が、ささやかれています。
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