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“女子勤労挺身隊”支援する夫婦の思い

12月17日(火) 21時04分


太平洋戦争の開戦から72年、戦争の記憶を次の世代に語り継いでいくことが重要になっています。

きょうは、「女子勤労挺身隊」として軍需工場などで強制労働させられた韓国人の女性と、彼女たちを支援する福岡市の夫婦についてお伝えします。

夫婦は「それぞれがナショナリズムをあおるのではなく、理解し合うことが重要だ」と話しています。

●キムさんと花房さん夫婦の再会
「ありがとうございます…」

韓国・ソウルで暮らすキムジョンジュさんを訪ねたのは、福岡市の花房俊雄さんと妻の恵美子さんです。

太平洋戦争末期に「女子勤労挺身隊」として軍需工場で労働を強いられたキムさんの裁判などを長年、支援してきました。

●元女子勤労挺身隊・キムジョンジュさん(82)
「花房さんたちは、天使のような存在(日本語訳)」

精進料理店を営む花房さん夫婦が、店を切り盛りする一方で、取り組んでいるのが、朝鮮半島からの「女子勤労挺身隊」の問題です。

●花房俊雄さん(69)
「韓国では、慰安婦被害者イコール挺身隊というふうに誤解されてきたんですね。韓国の中では、あるいは家族の中で、名乗りを上げつことさえ困難だという状況におかれていたんですよね。だから、彼女らが、日本にやって来て、初めて自分たちのことを思いっきり語ることができ、裁判の中で自分たちの主張をすることができた」

キムさんは現在、82歳。

13歳だった1945年3月から、「女子勤労挺身隊」として富山にある軍需工場で労働を強いられました。

●キムジョンジュさん
「小さなかごに閉じ込められたネズミみたいで、有刺鉄線の巻かれた高い柵に囲まれた生活だった。昼休み時間にトイレに行って、帰って来るのが遅いと、『何で遅いのか』と、蹴られたり、頬をたたかれたりした。(日本語訳)」

「女子勤労挺身隊」は、労働力の深刻な不足を補うために組織され、朝鮮半島から、12歳から15歳の幼い少女たちが、日本各地の工場に動員されました。

●花房俊雄さん
「優秀で、勤労意欲のある子たちが、『会社に行きながら女学校に通わせてやる』と言われて、それにひかれたんです。結構、優秀で、もっと勉強したいという子が志願してくるんですよ。だから、完全に裏切られた感じですよね」

●富山不二越本社正門前の集会
「強制労働の責任をとれ!」
「強制労働の責任をとれ!」

キムさんはこの日、同じ挺身隊員だった同級生のチェさんたちとともに、強制労働についての謝罪などを求めて、工作機械メーカー「不二越」前での集会に臨みました。

キムさんたちは、2003年4月、富山地裁に「不二越」と日本政府を相手取って裁判を起こしましたが、「賠償請求権がない」として敗訴しました。

しかし、判決では、強制労働の事実関係や、「勉強の機会があるなどとだまして勧誘させた」ことについては認めています。

2人が今回初めて訪れたこちらの地下トンネル。

空襲などに備え、地下に工場を建設するために、およそ300人の朝鮮人などを動員して工事が進められましたが、未完成のまま敗戦を迎えました。

●キムジョンジュさん
「心が痛いです。ここで働いた人もつらい思いをしたかと思うと、言葉にならないぐらい悲しい…(日本語訳)」

戦争が終わり、朝鮮半島に戻るためキムさんやチェさんたちが向かったのは、博多港でした。

●チェヒスンさん(82)
「博多に着いて船に乗るまで3日間、待った。働かされている時は、毎日、空襲で、いつ死ぬのかと夢も希望もなかったが、博多に着いた時、生きて帰れると、うれしい気持ちでいっぱいだった。(日本語訳)」

ようやくたどり着いた博多港には、祖国へ向かう朝鮮半島の人たちに加え、外地から引き揚げてきた日本人であふれ返っていました。

●チェヒスンさん
「あんまりおなかがすいたので、雑草をむしって食べた。(日本語訳)」

2人は、今も覚えている日本の歌を歌ってくれました。

●歌う2人
(音)

戦後68年。

歴史問題や竹島問題によって冷え切った日本と韓国の関係に、花房さんは現状を危惧しています。

●花房俊雄さん
「自分たちの被害だけはわかっていても、やったことに対してね、それを知らないということはやっぱり不幸ですよね。同じ過ちを犯しかねない。今は、その問題が、双方のナショナリズムを、対立をあおるような状況になってきているっていうのは、いたたまれない気分がありますね」

※スタジオ※

●川上キャスター
日本と朝鮮半島は、はるか昔から交流を続けてきました。

今は、歴史認識や領土問題でそれぞれの立場があるとしても、それを乗り越えるために知恵を絞っていくことが重要なのではないでしょうか。

2013年12月17日(火)のニュース