聖イグナチオ教会
旧聖堂
(1949〜1997or8年)
戦後からここに通った土居健郎は、建て直し以前のイグナチオ教会が、日本人の美意識にあい、大きな木が何本もあって境内のようだったという。また、四谷の土手に隣接し、自然に溶け込んでいる、と賞賛している。〔写真〕
旧典礼時代
故ジョン・ケネディ大統領の追悼荘厳ミサ(1963年11月26日)
撮影年からして明らかに、旧典礼が行われていた頃の写真である。御聖櫃の向こう側に主の磔刑像がちゃんと掲げられている。
新典礼時代
撮影年は不明だが、司祭の立ち位置からして明らかに、新典礼に切り替わってからの写真である。主の磔刑像がなくなっている。
祭壇の向う側に、左右に二人ずつ、神父様方が立っておられる。向かって右の二人のうち、祭壇の端の側に立っている背の高い方の人は、アドルフォ・ニコラス神父かも知れない。そして、向かって左の二人のうち、中央寄りに立っているのは、池長神父であるかも知れない。(共に「かも知れない」である。)
主の磔刑像は取り外された。しかしそれでも、司祭達はまだまだ、主の「聖なる祭壇」というものと、「御聖櫃」(御聖体)というものを、ちゃんと意識していたのではないか。
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ここに於いて司祭達が「御聖櫃」をちゃんと意識しているならば、それは御聖櫃が御聖堂の《正面中央》にデンと在るからこそである。
豊かな御聖堂だった。
新聖堂を見てみよう。
私はこの旧聖堂の内部が「方舟」を象ったものであることを知った。
神戸中央教会も「方舟」を象ったものだという。ということは、大阪梅田教会の「方舟」(参照)に関しては私の思い過ごしだったか。
しかし、まだ引っかかる事があるので記事はそのまま置いておく。