2013.12.18

奇蹟をまともに信じられないということ

 

参照

 上は遠藤周作氏の生誕90周年を祝う司祭達の姿である。
 しかし、遠藤氏と云えば──

(…)それはこの婚姻の席でイエスが「水を酒に変えた」という象徴的な出来事の意味である。聖書のなかではイエスの奇蹟として語られているこの行為は、実はイエスと弟子たちとの関係を暗示しているのだ。

遠藤周作著「イエスの生涯」(新潮社) p. 47

 このような発言の多い人だった。
 しかし、カトリック信者の大方が、このような遠藤氏を容れるのである。

 しかし、「奇蹟をまともに信じられない」ということには一つの重大な不都合がある。
 それは、そのような人は「御聖体の内なる主のまことの現存」ということもなかなかまともには信じられないということである。

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