「息を吐くように嘘を言う朝鮮人」という例えが有る。彼らと接点を持つ人間は私も含めてこの言葉が真実だという事は判っていると思う。以下の一貫性の無い証言は正に嘘に嘘を重ねて何が真実か本人も判らなくなってしまっているからなのではないか?


■『金君子の証言』




15日に米国の聴聞会で発言したおばあさん(金君子)ですが今までの証言はこのようです。

 


http://lumokurago.exblog.jp/3098321#3098321_1
1942年3月、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮/人の軍人に連れて行かれました。
中国・ソ連・朝鮮の国境近くのコンシュンというところに金曜日に連れて行かれ、土曜日の午後にはもう軍人
の相手をさせられました。

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http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/senkanokioku/katari/03.php3 
幼いとき両親をなくした金さんは、六十数年前、日本植民地時代の韓国江原道で、養女に出された。
ある日、養父から「お使いに行っておくれ」と言われて、汽車に乗せられた。着いたのは、中国吉林省琿春の「慰安所」。女性たちがたくさんいて、兵隊の姿も見えた。 翌日から兵隊たちが小さな紙の券
を手に小屋の前で列をつくった。広さは三畳ほど。堅い木の寝台に裸電球。
一日三十人の相手をさせられた

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http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri/index.php?eid=324   
李さんの隣の部屋で暮らす金君子(キム・グンジャ)さん(79)。「私は天涯孤独。この世に生きて、
何も残すものがない」と、硬い表情で天井を見つめた。
幼い時に両親が死んで養女に。17歳の時、家に朝鮮/人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。列車で連行されたのが旧ソ連国境近くの中国・琿春。慰安所だった。


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http://news.sbs.co.kr/section_news/news_read.jsp?news_id=N1000217238

最後の願いは日本の人々が謝罪して賠償したらと思います.(現在)

 

 いやーこれだけ転々とするとその場作り話だとしか思えませんよね。




■『金学順の証言』


生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。

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三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に40円で売られ連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」   「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付

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 しかしその後、証言は「義父と北京へ仕事を探しに行き、そこで日本兵に連れて行かれた」


一体、どの証言が正しいんだよ??



■『「黄錦周」(ファン・クムジュ)の証言』


(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一




(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日




(3)日本TV企業"TBS"「ここが変だよ日本人」というTV番組より(従軍慰安婦問題)




(4)日韓社会科教育交流団韓国を訪問 / 1997夏期




(5)元日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日



(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて



 発言内容に全く一貫性がなく、発言するたびに内容が変わりっています。



■『「李容洙」(イ・ヨンス)の証言』

@元「慰安婦」へ補償を (日本共産党/Japanese Communist Party)(2002.6.26)

  韓国の李容洙さん(74)は、14歳銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し、「私は歴史の生き証人として今、生きている。この法案が審議され、成立することを望む」と語りました。


   http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html


A「消せない記憶」-李容珠 (2004.12.4)

1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。
その後、連れて行かれた先の台湾で、
日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では1日に何人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る
16歳から三年間です。
1944年から1947年、終戦後も慰安婦していたことになりますね。明らかに嘘です。

http://www.geocities.jp/kesenai_kioku_04/kyoto/profile.htm


B埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議(JanJan 2006.10.13)

この後、イさんは県庁内で記者会見。15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。その中でイさんは「当事者の私が来ているのに、知事はなぜ会って自分の意見を言わないのか!」と強く批判した。その後、安久沢秘書課長に「要請書」を手渡した。

   http://www.janjan.jp/area/0610/0610042248/1.php

CStatement of Lee Yong-soo (U.S. House of Representatives)(2007.2.15)
 

In the autumn of 1944, when I was 16 years old, my friend, Kim Punsun, and I were
collecting shellfish at the riverside when we noticed an elderly man and a Japanese man
looking down at us form the hillside......
A few days later, Punsun knocked on my window early in the morning,
and whispered to me to follow her quietly. I tip-toed out of the house after her
.

  http://www.internationalrelations.house.gov/110/lee021507.htm
 


Dイヨンスさいたま公聴会 (2007.2.23)
  15歳の時、家で寝ているとき小窓をたたく音に目を覚まし・・(画像)


EJapan PM war slavery denial uncovers old pain (CNN) 
(2007.3.3)
 Lee Yong-soo, 78, a South Korean who was interviewed during a recent trip to Tokyo,
said she was
14 when Japanese soldiers took her from her home in 1944 to work
as a sex slave in Taiwan
.
   http://edition.cnn.com/2007/WORLD/asiapcf/03/03/japan.sexslaves.ap/


14→16→15→16→15→14 歳ってどうみてもおかしいでしょ、これ。
しかも
慰安婦だった期間が3年→1年未満、10ヶ月に大幅に訂正されているし。
これななぜかと言うと、当初1944年の秋から3年間慰安婦として働かされたと言っていたが、終戦後も働いていたなんて絶対におかしい、嘘だ!と各方面から指摘されて、イ・ヨンスをダシに使っている人権ゴロが1944年→1945年8月15日に大幅に修正せざるを得なかったのが真相である。また、「7人兄弟なのに軍人が小窓を叩いて連れて行った時に何もしなかったのはおかしい」と指摘されてあたかも一人娘だったかの様に展示物を修正した形跡も確認されている。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1829931


もうね、何をやっているんだか、この人たちは。嘘に嘘を重ねたから全く辻褄が合わずに一貫性が無い証言が続出している。全員が全員だ。こんな糞証言、どうやって信じろと言うのか?



■『チョン・ソウンの証言』

全世界に従軍慰安婦の実像を暴露したチョ-ン・ソウン氏死去 (中央日報)2004.02.26 18:56


13歳のとき、インドネシアに連れて行かされ、7年間にわたって日本軍の従軍慰安婦として生きなければならなかった「挺身隊おばあさん」チョ-ン・ソウン氏が、26日未明、慶尚南道鎮海(キョンサンナムド・チンヘ)の自宅で老患で亡くなった。80歳


 チョ-ン氏は、1995年9月、中国で開かれた北京女性大会に、韓国代表として堂々と出席、全世界に向かって、日本軍の蛮行を知らせた人物だ。


 チョ-ン氏は、当時「日本の軍医官から不妊手術を受けており、金の代わりに軍票を受けた。1日平均50人ずつ、週末には100人の軍人と性関係を持たなければならなかった」と証言、国際社会に衝撃を与えた
 喪家は、鎮海第一病院に設けられた。


1日平均50人ずつ、週末には100人の軍人と性関係

24時間から睡眠時間6時間引いて18時間。
単純計算で18/50=0.36 つまり21分で入れ替わり時間5分引いて
16分平均。
おそるべき16分ごとに朝から寝るまでずーっとかよ。ありえない『性処理』能力('A`)
しかも週末は1日に100人となると8分以内でに朝から晩までずーっと(^A^)
不可能でしょ(^A^)

【疑問点2】日本軍がいないときに,どうして日本軍相手に商売ができるの?

>最近亡くなった、従軍慰安婦であったと自称する女性が、1995年(9年前、71歳の時)の北京の国際女性会議で、韓国代表としてインドネシアで慰安婦をさせられたと発言していたそうです。
しかし、あたかも真実に思えそうなこの主張には、重大な誤謬がありました。

彼女が強制的にインドネシアに連行されて慰安婦にさせられた歳月と言うのは、日本軍がまだインドネシアを占領する前、第二次大戦前のことです

2004年80歳で死亡。→ 1924年産まれ。

つまり

【事実1】「13歳から7年間インドネシアで慰安婦 → 1937年?1942年までインドネシアで慰安活動。

【事実2】日本軍がインドネシアを占領していたのは、1942年?1945年までの3年間
つまり、この婆さんがいた、1942年以前のインドネシアは、オランダの植民地だった。
はい、これも嘘でした(^A^)

■『李玉善の証言』


【東大の学園祭での紹介】
http://minsei-komaba.hp.infoseek.co.jp/kikaku_frame.html

1927年日本の植民地だった韓国の釜山で6人兄妹の長女として生まれる。10代前半で日本人と朝鮮人の男性2人に拉致され、中国で日本軍の「慰安婦」にされた。戦後は中国に置き去りにされた。1999年に帰国し、「ナヌムの家」(元日本軍『慰安婦』が共同生活をおくる福祉施設、ソウル市内にある)に入居。以来、聖書を読んだり、日本語の勉強をしながら、毎週水曜日、ソウルの日本大使館前で元「慰安婦」への賠償と謝罪を求める「水曜デモ」に参加している


【QAB琉球朝日放送での紹介】
http://www.qab.co.jp/01nw/05-10-14/index9.html

李玉善(イ・オクソン)さん。李さんは戦時中、旧日本軍にむりやり従軍慰安婦にさせられたひとりです。李さんは釜山生まれ。15歳のとき、お使いに出かけ、路上で、日本人と朝鮮人のふたり組の男に突然、両脇を抱えられて連れ去られ、中国で慰安婦として働かされました。





【東京新聞での紹介】
http://www.tokyo-np.co.jp/kioku05/txt/20050729.html

軍慰安所の少女たちは皆、日本名で呼ばれていた。十四歳の李玉善(イ・オクソン)さん(78)は、この呼び名が嫌いだった。
(中略)
朝鮮半島東南の海辺の町、蔚山(ウルサン)。買い物に出かけた李さんが突然、見ず知らずの男たちに捕まり町から連れ去られたのは一九四二年のことだ。貨物列車で連れて行かれたのは、中国東北部、延吉の日本軍駐屯地に置かれた慰安所。管理人を名乗る男から着物と毛布を渡され、「これは借金だ。返すまで家には帰れない」と言われた



【JANJANでの紹介】
http://www.janjan.jp/world/0401/040126574/1.php?action=tree&PHPSESSID=d4499a4bb06bba1c5043b1ac274ba74fl




李玉善さんは1927年釜山で6人兄妹の長女として生まれた。家が大変貧しくて学校に行きたくても行けなかった。14歳の時、お金が稼げるし、学校にも行かせてやると言われ飲み屋の養女として売られたが、仕事がうまくできないと雇い主からよく殴られた。その後李さんはその店を解雇され、別の飲み屋に売られた
 ある日店の人からお使いに出された時日本人と朝鮮人の男性2人に拉致され、行き先も告げられず無理やりトラックに乗せられた。李さんが到着した場所は中国の延吉にある空軍部隊の飛行場だった。



【ナムヌの家】

http://excite.co.jp/world/korean/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fwww.nanum.org%2Fsub7%2Dmain1%5Fg8.htm&wb_lp=KOJA&wb_dis=2

自分の親の学校を送ってくれるという話は真っ赤な嘘だった. 養女でもなかった. 朝鮮人主人はあらゆる下動きはもちろんスルゾブデまでさせた. オックソンはお酒接待を拒否して二回も逃げてからブッザブヒョがなぐられたりした.
(中略)
朝鮮男 2人が手首をぱっと引っ張って


このハルモニさんは売られたんですね。人身売買です。酷い話です。でも訴える相手は日本政府では無く、
貴女を売買した親や朝鮮人の主人じゃないでしょうか?売春宿は民間経営ですよ。




■『文玉珠の場合』


文玉珠は戦前の
日本円で2万6千円の多額の貯金を持っていたことが明らかになった。一九九二年五月二百の毎日新聞に、文玉珠の預金通帳についての記事が載っている。その通帳によれば、一九四一二年から一九四五年の間に12回振り込みがあり、その預金残高は2万6145円に上っている。これは今の金額にすると数千万円に相当する。当時日本軍の陸軍大将の年俸は6600円だった。従って文玉珠は陸軍大将の約二倍稼いでいたことになる。
 また元海軍中佐重村実は
彼女らの前借金が4000円から5000円であったと言っている。そして彼女らはこの前借金を三カ月から半年で返し、平均的な貯蓄額は5〜6000円から一万円持っていたと言っている。その中には三万円も持っている人も居て、皆驚いていた。アメリカの反撃が予想以上に早く、彼女らの中には爆撃で死んだ人も居た。また前借金の返済が終わったにもかかわらず、船がなくて帰ることが出来ず、前線で亡くなった人も居る。しかし終戦と共に彼女らの大半は日本に帰った。千田夏光の『従軍慰安婦正篇』には一九三七年(昭和12年)位の話として、内地にて前借金1000円で集めたとしている。そして彼女らは遅くても数カ月で借金を帰し、自由の身になったが誰もこの商売を止めなかったと書いている。
(P114〜116)

 ちなみに、2万6千円とは、
当時では家が数件も買えた金額だそうで、これが、虐待されたと騒いでいる朝鮮人自称慰安婦の実態です。何度も書きますが、この朝鮮人たちは売春婦だっただけなのです。
そして、売春は今でも南朝鮮では年間26兆ウォン(約2兆6000億円)台の規模であり、専業女性がおよそ26万人もいるのです。


http://japanese.joins.com/html/2003/0206/20030206152238400.html




2年半で貯蓄した26,045円の郵便貯金の残高証明書です(^A^)!