|
|
|
|
■ 特別企画:勇気を出して、はじめてのオフ会(前編) ■ というわけで、日刊海燕の海燕さん主導の企画、第1回「日刊海燕」オフ会に参加してきました。 これまで自分は、自身のサイトを運営していく上で、他のサイト管理人さんたちと顔を合わせたり 直接会話をしたりする事に対して、欲求を持ったり衝動を感じたりする事はあまりなかったんですよ。 でも、書系サイトの集まりの場合、関西で行われる事自体が比較的稀ですし、加えて海燕さん自身も 新潟在住でなかなか会える人ではないという事情がありましたので、この折角の機会を有効利用すべく 自ら参加意志を表明して今回のオフ会へ突撃したという次第。かなり貴重なチャンスですもんね。 で、以下の文章は、この日の出来事を私の視点から書いていくオフ会レポになるわけですが、 そもそも、日刊海燕を知らない人にはよく判らないですよね。書系サイトでは最大手の一角に 位置する「誰でも知ってるサイト(ブログ)」ではあるんですが、一般的な知名度は判らないですし。 端的に要約すれば、小説・マンガ・ゲームといった作品個別の感想から、広くオタク論一般までの サブカルチャー全体について語る、幅広いレンジの射程距離を持つテキストサイトであります。 もっとも、百聞は一見にしかず。実際にご覧になればすぐ判ることなので、是非そうして下さい。 ちなみに、今回の参加者をあげるとこんな感じ。思えば結構な人数ですよね。
このメンバーに私(TKO)を入れて全部で15人……ですかね? これが標準的なオフ会から見て 果たして多いのか少ないのか私には全く判断できないんですけど、大体この程度が許容範囲かな? 昔のドラクエなら5人同時に1列に並ぶと一人分身体が透けたりしてましたけど、その計算でいけば 誰か3人は半透明の身体に変化してたわけですな。で、その内の一人が私だ。影、薄いからね。 また、サイトの管理人さんたちに関しては、殆ど私の巡回先の人たちだったってのもあって、割と こちらが質問したことに答えて頂くという形での会話が多かったような気がします。でも、初対面 だったわりに、それぞれの人に予め訊こうと思ってたことは大抵訊けたので、上手く立ち回れた方かな。 それにしても、石野さんと進井さんがウチのサイトをご存じだったことにはかなり驚きましたが。 滅・こぉるさんも憶えて下さってた模様で、それだけでも会に参加した甲斐はあったってもんです。 ◇ さて、じゃあ順を追って話していきましょうか。1時に天王寺駅集合ってことで10分前頃に 私は現場に着いたんですけど、そこで幹事の石野さんを捜すことから全ては始まったわけです。 みどりの窓口前にて、目印を持って立ってるはずの人を捜索。ちなみに、その目印というのが なんと、劇場版『AIR』のパンフレット。センスが凄い。これ、メールが届いたときは思わず、 「AIR」の本 = 「空気」を読め という内容の、ある種の符牒なのかと勘ぐってしまいましたよ。単なる偶然だとは思うものの、 これは踏み絵なのか、と咄嗟に考えたのは事実。「この門をくぐるもの、全ての希望を捨てよ」 だとか、あるいは「その火を飛び越して来い」とか、色んなものが脳内に去来したりなんかして。 でも、そんな事はお構いなしに、実に自然な体勢で石野さんはこれを抱えておられたのですが。 細面で長身痩躯な石野さんがこれを持ってる姿は、まるでどこかの写真展の帰り際なんかに 手渡されたパンフレットをパラパラ眺めてる好事家の様相。まぁ、中身は『AIR』なんですけど。 ◇ で、一通り挨拶と自己紹介が済むと遅れられてた かんでさんが無事到着。その足で串カツ屋へ。 二手に分かれて行列待ち後に昼食を取ると、今度はフェスティバルゲートを横目に一路、通天閣へ。 眺望だのビリケンさんだのはさておき、大きな声でのトークが続く。私が憶えてる話題としては、 劇場版『AIR』の何がいけなかったのか、グインサーガは現在どこまで続刊予定なのか、それから、 坂田三吉の「通天閣打法」は、『ドカベン』以前に登場していなかったか、などなど。わからねー。 そういや通天閣の上で印象的だったのは、ぎをらむさんがまず「インテックス大阪」の場所を 真っ先に探していたことですね。「というか、ぎをらむさんって、名古屋の人ではないんですか?」 と、本人に訊いたら「違いますよ」と笑いながら返答されてビックリしました。でも、確かにいま、 竜人館の自己紹介見ると尼崎ってちゃんと書いてあるんです。つまり読んでなかったのよ、私。 完全に、間違った先入観と一方的な思い込みによるものだったんですが、でも面白いことに、この後 滅・こぉるさんも全く同じことをぎをらむさんに訊いてたのを見て、「やっぱりなぁ」とか思いました。 でも、一番の原因は、トップに「見ないでください。」って書いてあるからなんじゃあ……(;´Д`) で、一応一通り見たので降りようと、2階からの階段を下りてると、先を行く滅・こぉるさんが 突如何かに取り憑かれたかのような勢いで笑い出したので、ビックリ。なんだろうと思って壁を見ると そこにはなぜか「お困りのようですなぁ……」とかなんとか書かれた台詞と共に、前代未聞の鬼作の絵が。 また、この絵が下手だったら何でもなかったんだけど、中途半端に似てるだけにタチが悪い。いつだれが 通るかしれない狭い階段の壁に一所懸命似せようと苦心して描かれた「おやじ」の絵。もうアホすぎる。 大阪名物・通天閣最大の見所がそんなタダの落書きだったなんて、ホント驚愕でしたよ。面白かったー。 で、通天閣から出てきたところで、京都から到着したという進井さん・リッパーさん両氏と合流。 その足で、次の予定である喫茶店へと向かう。でも、予約無しでこの人数って……とか思ってたら、 あまり店内は混んでなかったようで、別れて座る状態ながらも何とか入店。ここでは、私は ぎをらむさんからラノパの話、滅・こぉるさんから業界関係の裏話を訊かせて頂いたのですが 残念ながらどちらもここでは書けないデリケートな話題ですね。ちなみに、ぎをらむさんはこの日、 ラノパの「御三家」(←滅・こぉるさん命名、ぎをらむさん曰く「名古屋組」)がお休みだった為に、 実質的にラノパの代表的立場に立たされていたようで。平和さんもスタッフでありながらこの日は 参加されてて、両者共に締切がシビアな事を漏らしておられたのが印象的でした。でもそういう苦労が 今イチ閲覧者の方に見えてきてない点は勿体ないなぁ。ラノパはこれからが本番ですしね。 ◇ で、これにて昼の部は終了。以下、ジュンク堂書店前で待ち合わせ。夜からの参加者を2名加えて 今度は飲み屋へ。このとき、ぎをらむさんが特集目当てに「小説トリッパー」を購入しておられました。 逆に、一緒に入店された滅・こぉるさんは「電車男があるのに、電波男がない」と残念そうな様子でしたが。 それから、道頓堀の方面へ行きつつ店内へ。ここでは、席の移動などを割と自由に行いつつ、 めいめいが話をしたり情報を交換したりといった風情。途中で、某マンガのネタバレとかも 発生したりして声の絶えない賑やかな時間帯だったように記憶してますが、海燕さんや石野さん 進井さん辺りとはあまりお話が出来なかったので、この辺はそれぞれのサイトで言及される事を 今から期待して待つことにします。私の場合、正面が政宗九さん、向かってその左に滅・こぉるさん、 自分の右手にはリッパーさん、とミステリ系サイトの方々も居れば、右斜め前に平和さん、左側には ぎをらむさんというラノパのスタッフの方も居る、一番話を聞きやすい位置に座っていたのですね。 なので、かなり聞き手側に回りつつも、非常に刺激を受ける面白い話を聞かせてもらいましたよ。 ▼スクープ! これが日刊海燕オフ会だ! (画面は、はめ込み合成です) 政宗九さんが途中でお帰りになるも、結局、予定の9時を遥かに越え、10時まで居座る我々。 そしてこの後いよいよ問題の、カラオケボックスへ突入することになるのでした……(つづく) |
■ 日刊海燕オフ(後編)──悩む海燕、休む極楽トンボを走らす。(敬称略) ■ さて、話の前にまずは確認事項。貴方は「まいじゃー推進委員会!」というサイトをご存じでしょうか? ライトノベルを中心に、ゲーム・マンガ・アニメ等を扱う、ラノベ業界最大手の「紹介サイト」であります。 「欠点」よりも「美点」を、「短所」よりも「長所」を、という姿勢で愛される良心的なここの管理人こそ、 有名な 極楽トンボさん。そして、今回の日刊海燕オフに欠席されたうちの一人でもあります。 今回は、オフ会に欠席された筈のこの人が、実は裏の主人公になっているわけでして……。 「極楽トンボさんには、言いたいことがあったのに……」 あの日、悔しそうに こう呟く海燕さんがとても印象的でした。が、その話は後回しにして、 まずは順を追って流れを追いかけていきましょう。「店員さんの目が、流石に厳しいので」と、 やおら席を立つことになって飲み屋を出ると、昼の時とはうって変わった厳しい寒空が我々を待ち 構えていた午後10時。一応、この後の予定では、カラオケボックスで膝付き合わせて唄も歌わず 徹夜で歓談というコースなのですが、夜中のフリータイムは11時からという事もあり、1時間ほど 本屋で時間潰しと相成ります。で、本屋のフロアに到着すると誘蛾灯に誘われるみたく真っ先に ラノベとノベルズのコーナーに向かう皆様方。見事なほどに、みんな行動原理が同じだ! ですが、ここでは特にイベントなども発生しなかったので、特記事項はなし。あ〜、「電波男」は やっぱりありませんでしたよ。完売したのか未入荷なのかは定かではない。でもおそらくは後者。 個人的には、このとき講談社ノベルズの前でリッパーさんにお薦めを訊く。で「月の扉」を読了決意。 ◇ そんなわけで、1時間経過後ここらでカラオケへ移動。このとき、客引きの兄ちゃんに石野さんが 「12人です」と人数を告げる。でも、そのわずかな間に一人減り、二人減り、気づけば人数は10人に。 「15分待ちになります」と戻ってきた兄ちゃんに今度は「すいません。11人でした」と告げる石野さん。 ……ひとり多いですよ? で、移った部屋に入っていきなり「11人いる!?」とか誰ともなく言い始めたり。 さて、場所は確保したと言いつつも、やはり疲れも見え始めた様で、なんとなく部屋の重さが1Gぐらい 余計に負荷が掛かった感じで若干重め。ここではもっぱら滅・こぉるさんが話の牽引役になり、話題を リードしていく。個別の作品について論争していくと言うよりは、小説作法としての一般的な話が多かった。 群像小説に於ける多視点型の小説構成に異論を唱える滅・こぉるさんに対し、「バトルロワイアル」や 歴史小説を例に出して、反論をする海燕さん。「ムダに長くなる」という意見に対しても「好きな作品は できれば長く楽しみたい」と反論。「星新一とかは?」「いや、それは……」といった感じ。戯言とかの 「サイコロジカル」が二分冊な点など、理解は出来るも問題はあるという議論が巻き起こったり。 ところが、実はこの辺りから滅・こぉるさんの言動が少し怪しくなり始める。 いや、思い返せば飲み屋内に於いて既にその兆候は見られたわけで、
という、その日の目的が全て崩壊しかねない事件も起こっていたのですが、あの辺りからこの後の展開は 垣間見えていたのかもしれません。「ところで、最近よく見る『真逆』って、『まさか』以外に、何て読みます?」 とか、前触れなく突然疑問を提示し始める。「しんぎゃく、じゃないですか?」「なんか以前、どっかで見たなぁ」 造語なんだか誤用なんだか、とにかく辞書には載ってないので読み方を議論しても不毛な気がしますが……。 するとここで かんでさんがカバンからサブノートのVAIOを取り出してネットで検索を始めました。実はコレが、 この後、長く続くカラオケの部の方向を決定的にしてしまった行為だったのですが、勿論このときは誰も、 そんな事に気づくはずもありません。ちなみに、この辺りで石野さん、進井さん、リッパーさんの3人が、 体力の限界を感じて石野さん宅に引き上げて行かれました。あまりお話しできませんでしたね。残念。 それはさておき、ネットに繋ぎ始めたかんでさん。多分、昔海燕さんが見たページはこことここかな。 「まぎゃく、が多いみたいです」と結論めいたものが出たところで、事態は新たな展開を見せ始めた。 「そういえば、今日は『海燕チャット』はないんですか」と滅・こぉるさんが発言。土曜の夜なんだから 定例ではある筈なんですよね。でも、本人が今ここにいるのにチャットってのも……。で、調べてみると 勿論、チャット参加者はゼロ。やはり常連さんもオフ会参加の日にログインしたりはしないわけで。 ところが、このとき、不意に滅・こぉるさんがぎをらむさんと直坂さんのコメントに気が付いてしまう。 「『OFFお疲れ様でした。』……じゃあ、私も何か書きます」そんなわけで、実際のコメントがコレ。 # kande-takuma 『今日はお疲れ様でした。私はまだ疲れています。』 疲れてるのは当然ですよ……だってまだ、オフ会継続中じゃないですか……。 つーか、かんでさんの名前、騙ってるしッ!! はてなにログインしたままだったんですね。 後に海燕さんが『かんでさんではありません(笑)。』と書いてる真相が、つまりコレです。 ◇ そして、暫くして今度はゴブリンさんが、「まいじゃーチャットが見たい」と言い出す。 となれば早速、今度は一路まいじゃーへ。ここのチャット人数は多いんですね。20人以上か。 この辺りで海燕さんが苦悩を見せ始める。いよいよ、欠席者を巻き込む問題行動が始まります。 「ウチのチャットは少ないのに、トンボさん処は……」 頭を抱える海燕さん。「あれですよ、海燕さんのサイトは話題の対象が広すぎるんですよ、 ほら、トンボさんはラノベ一色じゃないですか。だから、みんな話題に入りやすいのでは?」 正直にそう思ったので、このように私がフォローを入れると、すかさず滅・こぉるさんが、 滅「いや、トンボさんはね、『気配りの人』なんですよ」
◇ さて一方、まいじゃーチャットの方はというと、なぜか「サーバが攻撃を受けてる」との事で どうやら緊急の際の予備の場所へとトンボさんが誘導しておられます。なんか大変そうですが……。 滅「そうか。極楽トンボさん、最近、××問題で微妙な発言してましたからねぇ」 してないですって! もうダメです。滅・こぉるさんの面白トークが止まりません。 でも、これを好機と見たのか滅・こぉるさん、だんだん思いつきで色んな発言をし始めます。 滅「じゃあ、この機に乗じ、極楽トンボさんを騙って、海燕チャットの方に誘導しましょう」 それは、人としてどうかと……とか思うまもなく、笑顔で更なる指令が飛び交います。 滅「海燕さん、極楽トンボさんに『裏切り者め』って言って下さいよ」 海「それって、『悪役』というよりただの『悪人』なんじゃあ……」 で、結局どうなったかと言いますと……それはまいじゃーチャットの過去ログを見て下さい。 外からじゃ全然事情がわからなかったと思いますが、他の人を巻き込んだ件の、これが真相です。 でも、海燕さんがトンボさんのチャットを羨望のまなざしで見ていたことは紛れもない事実なわけで、 この後もずっと、海燕さんの人徳・人望アップ計画が秘かに密室内で協議されることになります。 ▼ついに海燕さんが、まいじゃーチャットに降臨! (画面は開発中のものです) そしてこの後、この日来られなかった御三家に関して、滅・こぉるさんと海燕さんで更なるお話が 展開していくのですが、この部分については海燕さん御本人が言及されるでしょうから、私は遠慮を。 でもこの件は確か、滅・こぉるさん自身が「サイトで書く」って仰ってたのですが……残念です。 ◇ さてさて、そんなわけで宴もたけなわ、ラスト付近ではPCでM@Dムービー鑑賞会が淡々と開かれ、 エロゲー談話に花が咲いてる辺りで、遂に私の方が力尽きました。ゲームの話題は私には難しいッス。 そんなこんなで、やっと5時前。カラオケボックスの時間も差し迫り、始発も動き始めた頃合いです。 なので、みんなそろそろ腰を上げますかという所で、この日最大級の衝撃的な事件が起こる。 海「極楽トンボさんの、コメントがあるッ!」 ↓ ↓ ↓ # tonbo 『オフ会お疲れ様でした。ううっ参加したかった…… (ちょうどそのころは仕事してました) うらぎりものなんかじゃないやい。』 ▼生まれて初めての屈辱!? 「人徳者だ!」「気配りの人だーー」(ざわざわ ざわざわ) 何も知らずに書かれた極楽トンボさんのコメントに、突如色めき立つ部屋の住人たち。 やっぱり自分はヒールでしかないのか、と放心する海燕さん。間違いなくこの日最も 盛り上がった瞬間でありました。全く自然にこれだけの返しをしてくるトンボさんに、 ほぼ全員が脱帽。そして、これだけの事をしでかしながら、全く何も察してはいないトンボさん。 いや、流石に「極楽トンボ」と名乗るだけのことはあるなぁ。ってなオチで、オフ会は無事終了。 ◇ 最後には、店を出て心斎橋の駅へと向かい、皆さんがなんば方面へ向かうのを見送った後、 私は反対の梅田方面への電車に乗り込み、帰宅の途についたのでありました。そんな感じです。 今から思うと、海燕さんや石野さんとはカラオケとか以外で殆ど会話できてなかったのですが、 まぁ、あの大人数ですから仕方ない面はありますね。今回は残念ですが、またの機会を待とう。 それにしても、意外というかやはりというか、滅・こぉるさんは想像した通りの思索の人であり また饒舌かつ話し上手な人であったのが驚きでした。完全にファンになりましたよ。思い返せば この日一番 話相手をしてもらったのもこの方だったような気がします。その次が、ぎをらむさんかな。 実は遠慮してあまり書きませんでしたが、欠席された極楽トンボさん・白翁さん・草三井さんは 結構話題になったりもしました。「あの、女の子がひたすら納豆こねる話が、好きで好きで」とか 「草三井さんを角川か電撃の編集者として送り込んで、我々に情報を流してもらおう」なんてのも。 実際私もすっごくお会いしたかったんですけど、ラノパ等で忙しいから、まぁ仕方ないですよね。 また、余裕があるときにでも、どこかでオフ会の機会を持ってもらえればいいなぁ。そんな感じで。 てなわけで、異様に長くなりましたが、私のオフ会レポはコレにて終了。日・月に関しては 海燕さんか石野さんが書かれるでしょうし、暫くはその内容を楽しみにしたいと思います。 進井さん・リッパーさんを交えてのその後のオフ会の様子とか、今からちょっと興味津々です。 |
・モノグラフの自由帳 | (3/21) |
・日刊海燕 | (3/22) |
・永世 | (3/23) |
・たそがれSpringPoint | (3/23) |
・まいじゃー推進委員会! | (3/24) |
・悲喜劇名詞 | (3/24) |
■最近の読了本■ 日日日 「私の優しくない先輩」 (碧天舎)
きちんとツボを押さえてはいるけれど、それゆえ何だか既視感にまみれていて、 全編どっかで読んだことある様な、遠い昔を思い出させる作品。……褒めてないな。 「ちーちゃん」を先に読んだ身としては、もっと物語面での訴求力に期待をしてたのに、 いざこうしてこっちを読んでみたら、ストーリー自体は少し凡庸だったと思います。 でも、よく考えたら私は恋愛小説自体が好みじゃないんだからそれも仕方ないか。 当初は好きな男の子がいるのも、不意にその子の意外な一面を見たりするのも、 仲の良い娘から突然相談を持ちかけられるのも、なんだか嫌なヤツなんだけど ちょっと気になる先輩が別にいたりするのも、更にはいささか唐突なラストシーンも、 全部ぜーんぶ、魅力を感じられないのはナゼ? 私がもう思春期から遠く離れた場所に 行き着いてしまったから? いや違うはず。正直、そうではないと思いたいんですけど。 多分、本当に楽しむべき所は、ちょっとした事で揺れ動く少女の感情の起伏なのであって、 繊細なんだか剛胆なんだかよく判らない病弱少女の乙女心や恋愛心理なんでしょうね。 でも、ここまで脳内「いちご100%」な女の子は困りものだと思うだけどなぁ。 しかし、文章自体は独特のリズムがあって小気味よく読めると思います。通常なかなか 「過疎化がめきめき進行中」(P.5)みたいに面白い表現とか、考えつかないよね。ただ、 その反面、「思んばかって」(P.33)の様な明らかな間違い(正しくは「慮る」)もある点、 やっぱり若い人だよなぁと安心したりもしました。というか、これは校正の問題だからさ。 結局、ストーリーメインな作品ではなくて、描写を見るべき作品なんでしょう。 現役男子高校生の作者が、女子高生の心理をトレースして一人称で最後まで書ききった その苦悩の欠片を味わう作品。そういう意味では、やや倒錯的な楽しみ方もできそう。 や、作者に関するバイアスを取り除けば、良くも悪くも「ふつーの恋愛小説」ですよ。 文庫ならまだしも1300円出して買うのは高いような気がする、そんな感じの作品。 (評価) 物語:C 人物:B+ 描写:B+ 総合:B- |
■最近の視聴作■ 「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG 13」
というわけで、正真正銘コレが最後の攻殻S.A.C。つっても、3rdシリーズ始まったら一体 どうするんだって声も聞こえてきそうだけど。でも、私の中では完全に結末を迎えてるので無問題。 その理由は観れば判るよ。流石に今回ばかりは、かつての1stから2ndへの流れみたいにスムーズな シリーズの移行は不可能でしょうし。あぁ、もう彼らには会えないのかと思うと寂しくて仕方ないです。 そんなわけで、テーブル上の色調もほのかに桜色にしてみました。でも意外と綺麗なのでビックリ。 攻殻終焉の喪に服す意味で変えてみたんだけど、いっそのこと、今後もこの色を使っていこうか。 ◇ 難民問題を扱った 2ndシリーズは、笑い男事件の 1stシリーズに比べると やはり色調も暗く、内容も難解さを増していたと思う。登場する人物の思惑も 複雑に錯綜し、確かにどれも一筋縄では行かないものばかりだった。ただ、 だからといって、この作品が前作よりも劣っているという事はないと私は思う。 むしろ、政治的な思惑、経済格差の矛盾、外交面での軋轢といったマクロな視点が クローズアップされた分、スケールは増大しサスペンス性も向上していたのではないか。 例えば以前から引き続き現れる「stand alone complex」と呼ばれる事件や情況などは、 1stシリーズに於いて既に徹底して検討された内容であるにも関わらず、より一層敷衍され 昇華された形で描き出されていた。これはテーマとしての物語中での役割に於いても勿論 そうだったし、また、それのみならず哲学的思想を背景にした象徴的役割としてもそうだ。 一度語りつくされたテーマを、より先鋭化させた形で再び登場させたスタッフの心意気は それだけでも十分評価に値するというのに、ましてや前作以上の形態で登場させているのだから その評価も格別のものであるべきだろう。だが、当然好みの問題は残るので強くは言うまい。 思うに、1stの方が好まれる理由のひとつには、単純な意味での「わかりやすさ」があると思う。 電脳硬化症の特効薬である村井ワクチンの不認可を巡る問題から厚生省内部の闇を暴こうとした アオイ君。彼の行動は、非常に青臭くい行為だと思える反面、大いに共感を覚える面もあるのだ。 そして、その後に迎えることになる、厚生省側の麻取と公安9課の対立や、幹事長と関係の深い 海自の「海坊主」との決戦。いざ振り返ってみると、実は物語は極めて明快な一本道だと気が付く。 共感しやすい魅力的なキャラクター。段階を追って順次発展していく物語展開。そして周到に 用意されたクライマックスと、その後のカタルシス。だって25話なんて、みんな泣いただろ? コレに比べると、2ndシリーズは少々分が悪いのも当然か。大体、物語構造からして違いすぎる。 実は2ndでは最終話に至るまで、公安9課は常にゴーダの掌の上で踊らされ続けているのだから。 そして、この情況は最終話半ばの核攻撃の時点までずっと継続する。しかも、それを打破できた 要因にしても、結局は「不確定要素」に起因したわけで、今イチスッキリしない面が多分にある。 あの「リアリティを演出しすぎたゆえの失敗」ですらゴーダの計画通りであったと知った時は 腹立たしいほどの完璧さに逆に応援したくなるほどだった。裏をかくつもりで出島の内部へと 持ち込んだプルトニウムといい、それを奪取する名目で潜入した陸自との衝突もそうだけど、 計画最後の追いつめられた末に難民の自爆(という嘘)なんて筋書きまで全てにそつがなく 鮮やかで、今思い返しても溜息が出る。普通に観てたら、これ相当ストレス貯まる展開ですな。 しかも、ラストも当然、お定まりのシュールな演出だったわけだし尚更なんだけど。 話が逸れた。話題を元に戻すと、まず今シリーズで複雑だった点はドコかという事なんだけど、 それはひとことで言えば、敵対する対立構造が明確でない面にあるのだと思う。内調は9課と同様 内務省直属の機関である点、全てを仕組んだのがゴーダだと察しても証拠がないため手が出せず 取っ掛かりとして結局クゼを追うという流れ、などいくつか分かり難くもあったのではなかろうか。 ましてや、そのクゼにしても当初は「個別の11人」であり、テロリストとして登場する身なので、 とことん入り組んでいるように思えてしまう。ゴーダとクゼには共に信念があり迷いが見られないのも 皮肉な話で、逆に9課の方が悩みを見せる構図になってしまう為、陰鬱さも倍増したのではないか。 もっとも、あれこれ考える人の目には今作の方が絶対魅力的に映ると思うし、実際私もそうだった。 少なくとも、深いところまで見通した良く練られた作品であるのは誰の目にも明らかだろうと思う。 例えば難民問題を扱った事からして先見の明がある。日本には宗教上の制約がない分、国内で一番 危機的状況に陥る面があるとすれば、それはやはり経済格差なのだろうとは予測がつくし、また、 中国や米国との外交いかんによっては冷静状態にも似た緊張関係が生まれることも想像に難くない。 この点、作中では日本が世界で唯一の放射能除去技術を有した国家であるという設定に基づき、 親中の総理と米寄りの官房長官の対立が出てくる。核の脅威から免れた日本は、前世紀の安保の 屈辱をはらす意味でも自国に有利な関係で安保締結を希望する方向に向かう選択肢もあるのだ。 でも、そこはやはり米との協調路線を捨てきれず、逆に核攻撃を平気で行う米と結びつくことで 経済発展を維持しようと模索する考えも逆に出てくるというわけだね。よく考えてあるよな。 これらのバックボーンがあってこそ、初めて最終話で再登場してきた人物の顔を見て、 驚くことができるわけだ。予測の範囲内とは言え、あの結末は私には予想外だったなぁ。 あのゴーダですら、という思いはどうにもやるせなく、彼がちょっと可哀想に思えてきた。 もし、3rdシリーズがあるとすれば、それはやはり国家間での外交問題を採り入れた内容に なるのではないのかというのが私の推理ですが、まぁそれは製作が決定して後の話ですな。 そんなわけで、具体的な内容に殆ど触れずにあれこれ書いたけど、結局何が言いたいのか といういいますと、「この作品は一番面白いアニメーションだ」というそれだけの事ですよ。 確かに、日本ではジブリの方が人気も知名度も使ってる色の数も多いんだろうけど、それでも 内容だけで見れば、ハッキリ云って大人と子供ぐらいの差異があります。ありすぎます。 一度この作品を見てしまうと、中途半端なハリウッド映画とかも もう観れないです。 我々はもっと、この作品を自国語で楽しむことができることを喜びべきではないかね。 |
■最近の読了本■ P・G・ウッドハウス 「比類なきジーヴス」 (国書刊行会)
日本のオタク界では、執事といえばセバスチャン、と相場が決まっているようですが、 本場英国では、有能な執事の代表はこの「ジーヴス」だとのコンセンサスがあるんだとか。 BBCでドラマ化もされ、作品もホームズと並ぶ人気があるとの事なので、国民的キャラクター として向こうでは非常に親しまれている模様です。実際、今読んでるP.マクドナルドの小説中にも、 執事の例としてジーヴスの名が出てますし。そもそも、P.G.ウッドハウスの小説自体が、喜劇世界で シェークスピア的な位置づけにあるということ自体が驚きですがね。ユーモア小説でありながら 教養として読まれている側面もあるってのは、日本じゃまず考えられないですよねー。 物語は至ってシンプル。マヌケだけれどお人好しな若者バーティーが、恋多き友人のビンゴや 腕白な双子のクロードとユースタスに引っ掻き回され、困り果てた末に執事のジーヴスに泣きつく というそれだけの話。有能なジーヴスは、自分が表だって解決に乗り出すこともあれば、水面下で 主人に知られぬよう策謀を巡らせていたりもして、一部マンネリでありながらも確実に毎回楽しめる。 突出したキャラクターの魅力もさることながら、恋愛や賭け事にまつわる人間の素朴な行動や言動で クスリと笑わせるユーモアのセンスがまた絶妙で、笑劇の手本となるのも十分納得できますよ。
こういう会話、大好き。展開される物語なども滑稽を通り越してもはや馬鹿馬鹿しい話も多く、 何か対象に対する悪意がない分、読後も素直な笑いだけが残って非常に爽快感があります。 大体、どの牧師の説教時間が一番長いかを賭ける「説教大ハンデ」とか、発想が面白すぎる。 どうも最近、日本ではテレビにしてもマンガにしても誰かや何かを皮肉ったネタやパロディばかりが ギャグやお笑いに於いて主流になりつつありますが、こういう純粋な人間行動の組み合わせだけで 笑いを生み出す作品の方が圧倒的に愉快だし、また時代を超えて楽しめる要素があると思います。 少なくとも、笑いの古典として親しまれるにはそれだけの理由があるってことですよ。
主人のバーティーは愚鈍で怠慢な男だけど単なる馬鹿ではないのは確かで、この辺は ドラえもんののび太君みたいな関係とは若干異なる点なのかも。バーティーの場合は大抵、 女に惚れっぽいビンゴが頼ってくるところから厄介事に巻き込まれ初めるのが常で、いちいち その相手をするのがいけないんだけど、この辺のお人好しなキャラ性も読者に愛されるポイント なんでしょうね。勉強になります。かたや、ジーヴスの方も完全に主人に忠実かというと実は 案外そうでもなくて、ファッションやスタイルに対しては保守的であるがゆえにバーティーの 服装に関して一家言持ってたりするトコがまた楽しい。紫の靴下とか青いスパッツとか主人が 着用してると無愛想になって相談に乗らなかったりするのが、たまらなく面白いです。 ウッドハウスの小説は今後も「ジーヴス」ものが国書から2冊出るほか、文藝春秋からも いくつか選集が出る予定なんだとか。なんと今回の「比類なきジーヴス」も実は文藝春秋から シリーズ第1弾として別に刊行されるらしく(お互い、企画の存在に気づかなかったらしい) ウッドハウスを読みたいと思っていた読者にとっては全く嬉しい悲鳴であるでしょう。今年は おそらく一年を通してウッドハウス・イヤーになるのではないでしょうかね。思えば、彼の本は その殆どが戦前に刊行されたものばかりで、現在非常に入手困難ですし、これを機に是非とも 新たな読者を獲得しつつ盛り上がりを見せてくれればなぁと思うことしきりであります。 (評価) 物語:A- 人物:A 描写:A- 総合:A- |
■最近の読了本■ エドモンド・ハミルトン 「反対進化」 (創元SF文庫)
河出版「フェッセンデンの宇宙」から約1年。中村融の手で新たに編纂された日本独自の ハミルトン短編集が遂に発売。表題作ほか一部再録も含んだ初収録・初紹介満載の全10編です。 しかも今回は、彼の作品から「幻想怪奇」を除いた純粋な「SF傑作集」であり、姉妹編のもう一冊も 後日刊行予定とのこと。どちらかというとそちらの方が面白そうでありますが……それはさておき。 本書は、スペオペから始まるハミルトン本来の姿を順次追いかけた、実に貴重な一冊なのだ。 しかし、中村融の編むアンソロジーはいっつも、作品的な面白さとは全然別個のところで 書誌自体の価値を高めようとする魂胆が見えますよね。河出の奇想コレクションで喩えると、 ビッスンの短編集(「ふたりジャネット」)はそれが巧くいった好例なんですけど、ハミルトンは むしろ逆だったのではないかな(「フェッセンデンの宇宙」)。確かに、一冊の本でその作家の 作風やテーマ性が一望できるような本作りをするというのは、非常に理想的ではありますが、 書誌的な価値=面白さってのは流石に無理な話で、それらはやはり別個のものではないかと……。 結論から云ってしまえば、今回の出来も想像していたよりは良くなかったような気がします。 ハミルトン短編集は依然、早川版>河出版>本書(青心社は未読につき保留)って感じかな。 ◇ ヒーローによる異世界救出として「スター・キング」を彷彿とさせる中篇「アンタレスの星のもとに」や 脳移植を繰り返し数千年間も復讐の旅を続ける"俺の屍"を越えまくる迷作「ウリオスの復讐」など 娯楽に特化したバカSF風味な作品もあれば、科学の進歩と人間世界の関係を懐疑的に描いた諸作 もあり、色んな味が楽しめる一冊であることは間違いない。ただ、情感を語る作風を期待して読むと 残念ながら失敗するような気も致します。というか、それって私のことなんだけれどさぁ。 個人的に好きな作品は、「審判のあとで」「プロ」「反対進化」の3つかな。スペオペや冒険譚 とかって私は苦手だし、つい読んでて設定面にツッコミどころがあったりすると笑っちゃうのです。 身体を乗り捨てて世界中を逃げ続ける男女を追いかけたりつっても、そんなの絶対ムリだって! 誰かから有力な情報を得て……なんて部分があると、むしろそこを詳しく聞きたくなります。 人間の体内に葉緑素チックなものを打ち込んで植物と同じ時間軸を体験する話(「異境の大地」)も 冷静に考えるとおかしさ満載で、草が生えて枝が伸びるのとか一年や二年ではきかないと思うし クスリの効力がきれる頃には浦島太郎になってるんじゃないの? 面白いけど、ギャグっぽいぞ。 それゆえ、むしろ情感たっぷりにしっとりと書き上げた後半の作品の方が好ましく思えます。 「審判のあとで」は人類滅亡後、月面基地に取り残された男の物語ですけど、科学の発展と 地球の崩壊とを、諦念を交えて淡々と語られる様子に胸を打つし、一方、「プロ」においては 身を切られるような感情を時には激しく時には静かに激情混じりに描いてあって、それぞれ 心情吐露の手法に差異はあれど、ひとしなみの感動を受けたのは事実であります。
どうやらハミルトンという作家は、自分たちが属する人間側の世界と、境界を隔てて存在する 向こう側の世界とを同時に描こうとした作家だったように思える。つまり、我々がよって立つ 大地がここに厳然とあるように、異なる存在と異なる法則が支配する別異の世界がこの世には 必ずあるはずで、しかもそれらは我々の世界と地続きに存在するかもしれないという素朴な疑問だ。 ハミルトンは、その両者が衝突する境界線上の部分をまさに神の如く真上から見下ろす形で、静かに 見下ろしているのだ。あたかも自分で想像した小宇宙を眺めていたフェッセンデン博士のように。 ただ、ここで重要なのは、彼は人間側の方を絶対的に価値あるものとしては描写してない事だ。 むしろその場合、異世界の方へ向けて一定の畏敬や崇拝の念を込めた表現を好んで用いたりする。 勿論、その裏にあるのは科学に対する懐疑に他ならず、人間の存在に対する無価値的な視点や 単純にハッピーエンドでは終わらない物語展開も、全てその懐疑から派生していると私は思う。 本書で言うなら、ウラン生命体の誕生に関する短篇「超ウラン元素」がその典型で、他には 植物世界を描いた「異境の大地」もそれに近いものがある。ウラン生命体を敵だと明確に認識 しておきながら、一面ではそのことに疑問を抱くという思考回路など、いかにもハミルトン流だし、 人間とは異なる時間軸で動き続ける植物たちに注目する点なども彼の読者であるなら大いに納得できる。 また、逆に、異世界から人間世界に紛れ込んだ存在の苦悩や閉塞感をテーマに扱ったものもある。 河出の短編集に収録されたものを例に取ると、「風の子供」「帰ってきた男」「翼を持つ男」がそう。 更には、向こう側を垣間見た後こちら側に戻ってきた話の例が、「向こうはどんなところだい?」や 「太陽の炎」ということになる。本書では「反対進化」が該当するかな。真実を知ってしまった者が 普通の人間世界に戻っても、もはや元の生活には戻れないというニュアンスがどの作品にも強い。 もしかしたら「呪われた銀河」が例として一番判りやすいかもしれない。「反対進化」とこれを 読めば、ハミルトンが抱えていた人間に対する不信感は一目瞭然、誰の目にも明らかだろう。 ちょうどハミルトンがスペオペから脱却し始めた時期が、冷戦時での宇宙開発ラッシュだったり 核に対する滅亡の恐怖だったりという事情はあるかもしれない。だがいずれにせよ、常に彼の物語を 支配する、人間の存在や進歩に対する根源的部分での「懐疑心」自体は、あくまで彼固有のものだ。 そして異世界というのは、その中で別の可能性を模索した結果、偶然誕生した物なのかもしれない。 最終的には人間と相容れない世界であるがゆえに結局拒絶されるべき運命ではあるのだけれど、 そのジレンマから巻き起こる嘆きや悲しみこそが、彼の作品の中で「情感的」と言われる要素の 源泉であり、彼の作品を支える通奏低音となったのである。世界中に愛された長編とは異なり、 短篇群がどれも暗い色調で重めの展開ばかりを伴っているのは、そのせいであるのかもしれない。 異世界がたとえどんなに魅力的であったとしても、人間である我々と共存できる訳がないのだから。 ◇ そんなわけで、とりあえず本書は全体的にハミルトンを概観する端緒とはなったものの、 作品個別で判断するとやはり魅力に乏しいと言わざるを得ない。もっとも、彼の短篇群で 本命となるのは幻想怪奇の方だろうから、当面はそちらの短編集が刊行されるのを待ちたい。 (評価) 物語:B+ 人物:B 描写:B 総合:B+ |