葛城「助けて! シリアスちゃんが息してないの!」
どうもマリーたちでは長時間のシリアス空間が生み出せない……全員がけっこうイイ性格しているからだろうか
第三章:取り残される者と、嘲笑う者と、前を向く者
第12話:神獣 前篇
神獣の出現。
そして、神獣が放った一発の咆哮。
たったそれだけで、ラステーラは甚大な打撃を受け、その被害は町全体へと及んでいた。
町の南端は、完全に壊滅してしまった。もはや、ただ単純に家々を建て直すだけでは駄目だ。圧倒的な重量によって押し潰された大地にはヒビが入っており、大きな陥没を幾つも残している。しかもその数は、神獣が身動きするたびに数を増している。
馬車が通れるぐらいに整地を終えるまで、職人総出で頑張っても最低数十日はおおよそ必要となるだろう。場合によっては、三ケタ以上の日数が必要となるかもしれない。
倒壊した建物の瓦礫処理に加え、焼け落ちた家々の撤去。咆哮によって飛ばされた様々な飛来物の処理に、使い物にならなくなった設備の修理。もはやこの段階で、ラステーラの公的機関は半ば機能不全にまで陥っていた。
それに追い打ちをかけるように、町の中央にまで逃げていた住人たちへと襲い掛かった凄まじい突風。咆哮によって生み出された暴力と言っていいレベルの風は、大勢の住人たちに怪我を負わせる事態となった。
建物の陰に隠れていた人のおよそ五分の一は、突風に耐え切れず崩れてきた瓦礫に巻き込まれ、命を落とした。中には命辛々助かった者もいたが、悪夢とも思える恐慌状態が、住人たちからそれらに目を向ける余裕を奪う。
結果、迅速に救命処置をしていれば助かった者たちは、一人の例外も無く瓦礫の中で息を引き取った。南端とは別の場所、そこから流れてくる煙が、住人たちからさらに冷静さを奪っていたのも原因であった。
町の南端に生まれた霧の渦にいち早く気づき、本能的直観でその場に伏せた住人たちは軽傷で助かった。しかし、愚かにも好奇心にそそのかされて屋根の上から渦を見学しようと出ていた住人たちは、一人の例外も無くその身を空へと躍らせた。受け身など取れるはずも無く、あらゆる場所に衝撃の痕を残しながら、全身の骨をぐしゃぐしゃにして即死した。
目の前で談笑していた相手が次の瞬間、砕けた頭から脳髄を垂れ流しながら、虚ろな眼差しで横たわっている。今の今まで手を繋いでいた子供が、全身の関節を一つずつ増やして血反吐を吐いている。
突如眼前に訪れた地獄絵図に、住人たちは悲鳴をあげる。そして、「お、おい、アレを見ろ!」誰かの声に促されるがまま、悲しみに暮れる間もなく住人たちは町の南端へと目を向け……あまりに巨大な神獣の姿を見て、住人たちの目から……完全に平静が失われた。
「に、逃げろ!」
誰が最初に言ったのか分からない、その言葉。本人はほとんど無意識の内に叫んでいたのだろうが……恐怖と混乱で思考停止に陥っていた住人たちに、次の行動をインプットさせるには十分過ぎる言葉であった。
「ば、化け物がこっちに来るぞ!!!!」
「きゃぁぁあああーーーー!!!」
「お母さーん!! お父さーん!!」
悲鳴が、至る所から響いた。男も、女も、老人も、子供も、何ら関係はない。耳にするだけで不安に駆られてしまう程に感情が込められた悲鳴は、瞬く間に住人たちを町の北端へと走らせた。
誰しもが恐怖に顔を引き攣らせて町の北端へと逃げて行く中……マージィは人波を横切る様にして目的地へと急いでいた。走ることなど出来ない身体で、必死に身体を前に進めていた。
前も見ずに走ってくる人影を避けながらも、その足が指し示す方向はしっかりと定まっている。痛みに硬直する身体を誤魔化しながらも、その目は油断なくこちらへ向かってきている神獣を見据えていた。
(……やつが、おそらく俺たちが見た『山』の正体か……思っていた以上にデカいな。あれじゃあ、弓はおろか剣も役に立たねえ)
長年の狩猟者生活で培った経験が、冷静な判断をマージィに下す。『戦力外』という不名誉な称号をはっきりと己に下したマージィは、その事については悔しいとは思わなかった。
だが、怒りはあった。自らが生まれ育った町が、愛した妻と巡り合った町が、無残にも破壊されていくことが、悲しかった。今はもう顔すら思い出せない……生き別れた娘の故郷であるこの町から離れるつもりは、毛頭なかった。
例え、己の命が神獣の手によって散らされることになろうとも。
(とはいえ、ただ見ているだけ……っていうのは、性に合わねえんだよなあ。たとえまともに動けない身体だろうともよ……!)
せめて、一発ぐらいはお返ししてやらねば気が済まない。マージィの心はその一心で燃え上がっていた。
……しかし、神獣の存在はあまりに強大過ぎた。この世の終わりかと思ってしまうような光景を前に、既に昔からの付き合いがある仲間たちは家族と共に町の北端へ逃げ出している。
それを、侮蔑しようとは思わない。実際、己にも家族が居たら同じ行動を取っていただろうし、お前も俺たちと来いと言ってくれた仲間たちの言葉だけで、マージィには十分であったからだ。
(やつはまっすぐここへ……町の中央へと向かってきている。それでそのまま引き返してくれればいいが、あの様子だと……おそらく、やつは町をまっすぐ横断するだろう)
そうなれば、今度こそ町は壊滅してしまう。町の復興だとか、そんな生易しい話で済みはしない。文字通り地図から『ラステーラ』が消え、『ラステーラ跡』という名称に変わりかねない……というか、そうなる。
それが嫌なマージィは、北端に逃げずに残ることにした。さすがに自分から神獣へ近づこうとは思わなかったが、少しでも突破口を……アレの情報を発見出来れば、後に繋ぐことが出来る。『軍』へと、情報を引き渡すことが出来れば……。
(冷静になれ……焦った時こそ試されるのが狩猟者としての素質だ。焦りは禁物……必要なのは、ここぞという時に張れる度胸。ベテランの技量ってやつを見せてやるよ……!)
あちこちから聞こえてくる悲鳴と泣き声に鬱陶しさを覚えながらも、マージィは一人思考を巡らせ始める。その横を、一目で即死していると分かる子供を抱き抱えた男が、「お願いだ、誰か息子を助けてくれ! 息子に治癒術を……頼む! 誰か、息子が息をしていないんだ!」真っ青な顔で通り過ぎて行ったが……マージィは、目もくれなかった。
痛みに乱れた息を整えながら、ゆっくりと思考を重ねていたマージィは、まず、現時点で確認出来た二つの情報を整理した。
まず分かっている事の一つ。それは、神獣の動きそのものは非常に鈍く、馬に乗れば単騎でも逃げ切れるぐらいにトロいということだ。立ち並ぶ障害物を物ともせずに直進する巨体は確かに脅威だが、言い換えれば俊敏な動作は出来ないというわけだ……移動に関しては、の話だが。
次に分かっていることは、熱に強いということ。高熱が満ちている一帯に手足を乗せても、全く反応らしい反応を見せていない。単純にそういった場所を避けて手足を置いているのかもしれないが、迷いの無い手足の動きを見る限りではそうなのだろう。
そこまで考えて、次にマージィは疑問を己に問いかけた。
(やつはまっすぐこっちに向かってきている……だが、なぜだ?)
逃げ回る人間に興味を示したから……いや、違う。あの巨体から考えれば、人間など蟻に等しい大きさだ。玩具にするにはあまりにか弱すぎるし、ここはアレの縄張りでは無い。
見慣れない蟻の群れを前にして横断するぐらいなら、まずは真っ先に縄張りへと戻るか、あるいは外敵とみなして攻撃を仕掛けてくるはずだ。先ほどやつが天に放った咆哮を、今度はこちらに向けて放つはずだ。
しかし、やつにそのような動きは見られない。狩猟者の視点から見れば、やつの行動はひどく奇妙に映った。
そこまで考えて、ハッと、マージィは目を見開いた。
(まさか、やつの目的は……)
トカゲが蟻に興味を抱く、その意味は……人間を、食べようと思っているから?
ゾクッと背筋に震えが走った。脳裏を過った憶測が、折れた腕の痛みを忘れさせる。ともすれば失禁しそうな程の恐怖に……ゴクリと、マージィは唾を呑み込んだ。
(やべえぞ……やべえことになった! こうしちゃいられねえぞ!)
痛む腕など、構っていられなくなった。息を止めてしまう程に鋭い痛みを堪え、額に浮かぶ脂汗をそのままに、マージィは再び歩き出した。
早く、あそこに行かなければならない。その思いで手足を動かすが、竜人から受けたダメージは体の奥深くにこびり付いている。先ほどの突風によるダメージもあってか、マージィの身体は舌打ちしたくなるほどに言うことを聞いてくれなかった。
「――え、マージィさん!?」
そんな時であった。マージィの耳に、聞き慣れた男の声が飛び込んできたのは。
ぜえぜえと息を荒げながら先を急いでいたマージィは、名前を呼ばれて顔を上げた。見れば、通りの向こうから泥だらけの菊池が駆け寄ってくるのが見えた。
「こんな場所で何をしているんですか!? 早く逃げないと、ここも危険です! さあ、僕に捕まって!」
「――っ、い、いや、待て! そっちに行くな! 俺はあそこに行かなきゃならねえんだ!」
「何を馬鹿な事を、死ぬ気ですか!?」
有無を言わさず折れていない方の腕を取られる。体のあちこちから響く痛みに息を呑みつつも、マージィは菊池の腕を振り払った。
当然、怒気を露わにする菊池であったが、焦燥感を隠そうともしないマージィの姿に菊池は、んん、と怒りを押し留めた。付き合いが長いのは、菊池も同じなのだ。
「……何をする気ですか?」
「へへへ、話が早くて助かるぜ」
何かを言わずとも肩を貸してくれる菊池に、マージィは心からの笑みを浮かべた。「奥さんのところに行かなくていいのかい?」と尋ねると「妻とはここに来る前に話しをして、北に逃げる様に言いました」という返事が返ってきた。
だったら好都合だ。そう思ってにんまりと笑みを浮かべるマージィに、菊池は訝しげに眉をひそめる。けれども、マージィは何も言わずに「それじゃあ、出発するとしよう」前方を指差した。
「どこへ行こうって言うんですか?」
「そんなの、決まっているだろ……『りゅらん亭』だよ」
ニヤリと、マージィは笑みを浮かべた。
今にも倒壊しそうになっている建物から、もはや瓦礫となっている小山の上へ。町を我が物顔で横断している神獣に油断なく注意を向けながらも、マリーは空から空へと町の中を跳び回っていた。
黒煙が舞っていた南端の、少し西側。先ほどの咆哮によってかき消される前までは一面火の海と化していたそこは、未だにむせ返るような熱気が残照のように立ちのぼっていた。
キョロキョロと、視線が上へ、下へ、交互に向けられる。少しばかりの焦燥感が見え隠れするその瞳が、ある地点で止まった。
「――いた!」
石造建築の多さから、比較的火の手から逃れていた瓦礫だらけの一角。集合住宅の面影を残した建物の傍にいた探し人の姿に、マリーは一蹴りでそこへと跳んだ。
「イシュタリア! ナタリア! 無事か!?」
マリーの声に、地べたに座り込んでいたナタリアが顔を上げて……ハッと表情が明るくなる。すとん、と二人の前に着地したマリーは、地面に横たわっているイシュタリアの姿を見て息を呑んだ。
血だまりの中に横たわる、ひき肉状態の人間。イシュタリアの姿を一言で表すのであれば、その言葉が一番しっくり来るだろう。
胴体に食い込んだ石つぶては大きく、いくつかはマリーの拳よりも大きい。全身の至る所から出血しているが、特に右半身が酷い。右腕に至っては、本来あるべきはずの部分から先が千切れて無くなっていた。
「おい、イシュタリア。生きているのか?」
声を掛けると、イシュタリアの左目が、ぎょろりと動いた。辛うじて無傷であった左顔面が、笑みの形を作る。しかし、残りの半分はヤスリに掛けられたかのように爛れているせいで、むしろ不気味さすら感じる笑みであった。
「イシュタリアが、私たちを魔法術で守ってくれたのよ。でも、そのせいで……ごめんなさい、マリー……私、何も出来なかった」
ポロポロと大粒の涙を零すナタリアの頭を、マリーはそっと撫でた。そうしてふと、そういえばナタリアの頭をちゃんと撫でるのはこれが初めてだなあ……とマリーは金髪に指を絡めながら思った。
「ナタリア……泣いているところ悪いが、サララはどうした? お前たちと一緒に行動していたんじゃないのか?」
「サララは、槍がどっかに飛ばされたって言って、探しに行ったわよ。サララからは『そいつはその程度で死ぬ女じゃないから大丈夫』って言われたけど……」
「……そうか。ナタリアが守ってくれたんだな……ありがとう。よく一人で頑張ったな」
(槍を飛ばされたか……そりゃあ、血相を変えるだろうなあ。素手でもある程度戦えるけど、サララは槍が有ってこそだからなあ……見つかればいいんだが……)
そんなことを考えながら、マリーはひたすらナタリアの頭を撫でる。そのおかげか、ひきつけを起こしたように出ていた泣き声が、少しずつ治まりつつあるようであった。
何だかんだ言っても、ナタリアはイシュタリアと行動を共にすることが多い。また、ナタリアを一番気にかけているのは他でも無い、イシュタリアだ。
今までイシュタリアが怪我を負うところは何度か見ているはずだが、ここまで負傷したイシュタリアを見るのは初めてだろう。それにショックを覚えるのはある意味当然のことなのだろうが、それにしても涙まで流すとは……。
ナタリアにも、人間と同じように悲しみの涙を流すことが出来る。ダンジョン生まれのモンスターであることを今更ながらに思い出したマリーは、ぽんぽん、とナタリアの頭を叩いた。
「お前に怪我が無かったんだ。このまま力尽きたとしても、こいつはそれで本望だろうよ」
「――冗談でも、そんなこと言わないで!」
涙で濡れた頬を真っ赤にしたナタリアに怒鳴られた。マリーなりのジョークは通じなかったようだ。
「次変なこと言ったら、二度と自力で立てなくなるまでケツ穴犯すわよ! たとえこの命失うことになろうとも、そのケツ穴粉々にしてやるから!」
「マジでごめんなさい! それだけは! どうかそれだけは勘弁してください!」
人がせっかく慰めてやろうとしているのに……という感情が顔に出ていたのだろう。ナタリアの口から発せられた恐ろしい言葉に、マリーは迷うことなくその場に土下座した。
マリーが本気で抵抗すれば、手も足も出せないままに終わってしまうのは、ナタリアとて分かっている。しかし、ナタリアの目……そこに宿る紅蓮の怒りを見て、マリーは素直に謝罪することを選択した。全てはトラウマのせいである。
「……こんな状態で今にも死にそうな私の横で、しょうもないじゃれ合いをする二人……なんじゃろうな、これは……笑うところなのかのう……」
ベキベキと砕けた肉体を治癒させていたイシュタリアが、苦笑と共に身体を起こした。イシュタリアの言うことは、もっともであった。
「――イシュタリア! 怪我は大丈夫なの!?」
「だから何度も大丈夫じゃと合図を送ったじゃろ。全く、サララの嬢ちゃんは私の意図を汲んで槍を拾いに行ったというのに……心配してくれること自体は悪い気はせぬのじゃが、心配し過ぎもいかんのじゃ」
喜ぶナタリアに笑みを向けたイシュタリアは、よっこいしょ、と年寄りくさい掛け声と共に立ち上がった。ポタポタと滴り落ちる血液と共に肉体から押し出された石つぶてが、ぽちゃん、と血だまりの中に落ちた。
何度見ても、馬鹿げているとしか思えない再生能力だ。既に削られた顔面は完全に元に戻っており、失った右腕も手首の辺りまで再生を終えているようで、ぐむぐむと断面から肉が盛り上がっているのが見えた。
「あとどれぐらいで治りそうだい?」
「数十秒と言ったところなのじゃ。お主の方は、特に怪我らしい怪我をしていないようじゃな」
「なに、適当に拳を振るっていたら助かっただけの話さ」
謙遜でも無く、事実である。マリーですら、あの突風に反応出来たのはほとんど偶然に等しい。無傷に済んだのも、『ファイバー』のおかげであった。
――マリー!
彼方から掛けられた声にマリーが振り返ると、遠くの方からサララがこちらへ駆け寄って来ているのが見えた。片手に持っている『粛清の槍』を見ると、無事に見つけられたようだ。
「さて、残るはあと一人だが……っと、来たようだな」
キョロキョロと辺りを見回していたマリーの視線が、彼方からこちらへ向かってくる小粒の影を捕らえる。影はぐんぐんと大きくなっていくと思ったら、マリーたちの前にゆっくりと降り立った……ドラコであった。
「……良かった、生きていたようだな」
心底安堵した様子で、ドラコはため息を吐いた。「マリー、大丈夫だった?」遅れて駆け付けたサララも加わり、ようやくマリーたち全員の無事が確認出来た。にわかに流れる穏やかな空気に、何とも気が抜けそうだ。
しかし、そうも言っていられる状況では無い。こうしている間にも、神獣の足音が地響きという形で伝わってくる。我が物顔でラステーラを破壊していっている神獣へと、マリーたちは自然と顔を向けた。
「さて、と。それで、アレが何か見当は付いているかい?」
何とはなしに呟いたマリーのその一言に、全員の空気がガラリと切り替わった。薄々誰もが分かっていたマリーの質問に答えたのは、ドラコであった。
「アレは神竜様より人間を滅ぼす為にと与えられた神の獣……『神獣』だ。本来であれば、神獣は我らが村の近く、森の奥深くにて成長を続けている……はずだったのだが、何かしらの手段を用いてこちらにやってきたようだ」
「ようだ……って、ずいぶんと自信なさげな言い方だな、おい」
「私が村に居た時には、そんなことを出来る者はいなかったし、神獣にそんな力があるなんて分からなかったのだ。おそらくは神獣の力によるものか、神竜様が手を貸したのだろうが……すまぬ。それ以上は私にも分からぬ」
そう言うドラコの顔には、苦渋の色に満ちていた。実際、村に居た頃に神竜から与えられたモノは神獣だけで、それ以外は何も無かった。
村を出るまで結局は二度と神竜の姿を見たことが無かったし、とにかく食べて大きくなり続けるという印象が強かったせいもある。今ですら神獣をどうやってこの地に連れてきたのか、ドラコには皆目見当もつかないのが正直なところであった。
「おそらくは、魔法術による転移を行ったのじゃろうな。あの光の柱は解放された膨大な魔力による光華反応と見て、間違いないのじゃ。霧の渦が発生したのは、単純に余剰魔力が予期せぬ反応を示しただけじゃな」
ドラコの疑問に答えたのは、イシュタリアであった。カリカリと、完治した腕で髪にこびり付いた血痕を取り除きながら、圧巻のため息を吐いた。
「どうやったかは分からぬが、たいしたものじゃ。竜人とは、あれだけの魔法術を扱えるだけの技術があったのじゃな」
「いや、残念ながら我らにそんな技術は無いし、そもそも魔法術というものを知らぬ者ばかりだ。おそらくは、神竜様の力添えだろう」
「……神竜だか、神獣だか知らねえけどさ。結局のところ、アレだ……神獣には弱点ってやつは無いのかい?」
「私は知らぬ。しかし、神竜様曰く、無いとのことだ」
きっぱりと切り捨てたドラコに、マリーはやれやれと言わんばかりに苦笑した。そして、改めて神獣へと振り返る。既に神獣の身体は完全に『ラステーラ』の中に入っていた。
神獣が軽くその尾で地面を撫でるだけで、いくつもの建物が積み木のように崩れ落ちているのが見える。建物が邪魔をしてはっきりとは確認出来ないが……例え踏まれずに助かった建物も、あれでは軒並み瓦礫とされてしまうだろう。
「お前らはどうする? ギルド長にも言ったことだが、これはもう俺たちがどうにか出来る問題じゃねえ。戦って勝ってもこの様子じゃあ、報酬なんて出ないだろう……悪いが、俺は逃げるぜ」
「私は、マリーの意見に従う。私の命は、いつもマリーの傍にあるから」
真っ先に返事をしたのは、サララであった。とはいっても、それを意見と取るかは微妙なところだが……まあ、いつもの通りなので、マリーは何も言わなかった。
「私も、逃げるに一票なのじゃ。あれはもう個人でどうにかなる問題では無いからのう……この町のやつらには気の毒じゃが、仕方がないのじゃ」
「……私も、イシュタリアの意見に賛成だわ。強いやつらと遊ぶのは好きだけど、あれは別格。殺されに行くようなものね」
イシュタリアとナタリアも、マリーの意見に賛同した。それも、当然であった。出来ることなら助けてやりたいという気持ちはあるが、一番大事なのは自分たちの命。それなりの時間をこの町で過ごしたが、マリーたちには帰りたい場所があるのだ。
自然と、マリーたちの視線が……ドラコへと向けられる。全員の視線を一身に受けたドラコは、それらから逃れる様に背を向けて……神獣を眼前に、しばし無言で佇んでいた。
長い、長い無言の時。俯くようにして思考の奥に入り込んでいたドラコは……ゆっくりと、顔をあげた。
「私は、アレを倒そうと思う」
……マリーたちは何も言わなかった。多分、そうなるだろうなあ……と思っていた部分が少しはあったからだ。
「勝算はあるのかい?」
「無い」
マリーから尋ねられたドラコは、はっきりと否定した。
「だが、やらねばならぬ」
「……死にたいのなら止めはしないが、罪滅ぼしのつもりなら止めとけ。碌な結果にはならんぞ」
「……それでも、だ。かつての仲間が仕出かした不始末だからな」
振り返ったドラコの目には……静かな決意が満ちていた。
「我ら竜人だけがその咎を背負うのであれば、それでいい。だが今回の件で、人間たちは亜人全体に対して恐怖を抱くようになる。それは徐々に怒りへと変わり……迫害へと駆り立てるだろう」
「そうなればお前たち竜人は、亜人側にも人間側にも居場所を無くす……ってことか?」
ドラコは、何も言わずに再び視線を神獣へと向けた。あえて語らないその態度が、ドラコの心を雄弁に物語っていた。
「……自ら村を捨て去ったとはいえ、村に住まう仲間たちの未来を案じた母の想いまで捨て去ってしまえば、母の無念を誰が晴らすというのか……賢者と称えられた母の娘として、私はやらねばならないのだ」
そう言うと、ドラコは歩き出した。その足は迷う素振りを見せず、まっすぐ神獣の方角へと向いていた。くにゃりと、尻尾がマリーたちへと振られた。
「マリー、サララ、イシュタリア、ナタリア……お前たちとの日々は、中々に楽しかったぞ。また会えたら、その時は……」
そこで言葉を止めたドラコであったが、その続きが出ることは無かった。立ち止まらない足取りによって、徐々に小さくなっていくドラコの後ろ姿を見つめていたマリーたちは……おもむろに顔を見合わせた。
「なあ、サララ」
「なに、マリー?」
「お前は、どこまで俺に付いてきてくれるんだ?」
「あなたの行く所なら、どこまでも」
「そうか……イシュタリアは?」
「……まあ、この町には色々とお世話になったからのう」
「ナタリアは?」
「一人ぼっちは嫌よ」
ふむ……マリーは腕を組んで首を傾げた。
「……前々から考えていたことだが、いいかげんブラッディ・マリーとかいう渾名を払拭させたいと俺は思っている」
「え、なんで? かっこいいのに……」
それを変えるなんてとんでもない。そう言いたげに不満顔を見せるサララの頭を、マリーは軽く叩いた。
「なんか殺し屋みたいで嫌なんだよ。だいたい、ブラッディなんて危ない渾名付けられたら、女の子にモテねえだろ」
「モテたところで、その小指サイズでは長く続かんと思うのう」
ヒュッとマリーの拳がブレる。鈍い音と共に膝を付いたイシュタリアを他所に、マリーがグッと『ファイバー』を装備し直した。
「それに、俺たちはまだ館の皆へのお土産を買っていねえんだ。土産が話だけじゃあ、さすがのあいつらからも不満が出るかも分からん」
というわけで、俺はちょっとあの化け物をぶっ殺してくるから。
あっけらかんと言い放ったマリーの言葉に反対する者は……結局、一人も出なかった。
「――あ、やっぱりこれ無理だ。どうあがいても倒せる相手じゃねえなあ、こりゃあ……」
とまあ、そんな具合で始まった戦いであったが……事前のシリアスな空気とは何だったのかと思える程に、マリーたちの間からある種の緊張感が無くなっていた。
それも、仕方が無い事であった。
なにせ、神獣はあまりに巨大で、マリーたちはあまりに小さい。神獣からすればマリーたちは己に近づいてくる蟻でしか無く、高々五匹の蟻が近くで騒いだところで、どうにかなるわけでも無い。
しかもそのうえ、神獣の身体を覆っている鱗の強度が、マリーたちの予想をはるかに上回っていたのだ。ドラコの爪やサララの槍では歯が立たず、ナタリアやイシュタリアの攻撃でも表面を軽く削れたぐらいで、フルパワー状態のマリーですら鱗にヒビを入れるのが精いっぱい。
あまりに固すぎる鱗の前に、マリーたちですら頑張ろうという気持ちにすらならない。唯一ドラコだけが鼻息荒く攻撃を続けていたが、両手の爪全てが砕けた辺りでいくらやっても無駄だと諦めたようだ。ギリギリと苛立ちに歯軋りしながら、神獣を睨みつけるだけに始終している。
有効的な攻撃手段を発見できないまま、ほとんど廃墟と化した瓦礫だらけの中を、いくつもの影が駆け抜けて行く。その速さは人間のモノでは無く、馬よりもずっと速い。その正体は、言うまでも無くマリーたちであった。
既に神獣は町の中央付近にまで、その顎を届かせようとしていた。さすがに住人たちは全員町の北端へ逃げているのか、辺りに人影が全く見当たらない。すっかり見慣れた道を横目で見やりながら、マリーは改めて神獣を見上げた。
「しかし、近くで見るとやっぱりデカいぜ……鱗一枚が俺の胸よりでけえうえに鋼鉄並みに固いとか、もうこの時点でどうしようもねえだろ、これ」
油断なく『ファイバー』を構えながら、マリーは神獣を眺める。今の所、神獣の意識は北端へ逃げた住人たちに向けられているようで、マリーたちには気づいていないようだ……というよりも、気付いていて無視しているのかもしれない。
「……とりあえず殺すのは一旦諦めよう。まずは被害拡大を防ぐためにも動きだけは止めたいんだが、何か案はあるかい?」
早々と白旗を上げたマリーの提案に、一同は唸り声をあげた。
「……とりあえず、視力を奪ってみる?」
「いや、それは止めておくべきじゃな。下手なことをして機嫌を損ねられたら、シャレでは済まぬのじゃ」
肩に槍を乗せながら走り続けるサララに、同じく斧を肩に乗せたイシュタリアが息一つ乱すことなく走り続けながら、NOを突きつけた。
「下手にあの咆哮を使われたら、私らだけじゃなく、住人への被害が大きすぎるのじゃ。アレをこんな町のど真ん中で連発されたら、被害を受けていない場所まで被害を受けるのじゃ」
あの咆哮は、本当に厄介である。なにせ、現時点で完全に防ぐ方法が無いからだ。
「確かにアレを防ぐのは難しいわね……ん、風が……」
風が、ふわりと背後から浴びせられた。何気なく風のゆく方向に視線を向けたナタリアの目が……大きく見開かれた。
「ちょ、おま、嘘でしょ!?」
「な、なんじゃ急に?」
「イシュタリア、アレ見て、アレ!」
言われるがままマリーたちが神獣へと目を向けると、何やら神獣の鼻先に瓦礫が集まっているのが見えて……ギョッとイシュタリアの目が見開かれた。
それは、瓦礫や壊れた木造の家屋などが集まって形成された巨大な球体であった。
「嘘じゃろ!? 魔法術が使えうのかこやつは!」
イシュタリアの悲鳴に呼応するように、集まった瓦礫が塊となってどんどん大きくなっていく。見る見るうちに体積を増していくか塊を見やったイシュタリアは、神獣の見つめる先へ視線を向けて、息を呑んだ。
「うぬぬ、やつの狙いは住人たちの退路を塞ぐつもりじゃな!」
ラステーラの北端には、『東京』へと続く道がある。ラステーラを捨てる決意をした者はどんどんそこから町の外へ逃げて行っているが、まだ全員が逃げ出したわけではない。
生まれ育った故郷を惜しむ気持ち……それが、一部住人たちの足を鈍くさせている。その事を言われずとも察したマリーたちは、互いの顔を見合わせて……頷いた。
「――サララとナタリアは、あの塊の発射を少しでも遅らせろ!」
言われた二人は、すぐに行動を開始する。スタッ、と一蹴りで方向転換すると、崩れ落ちた瓦礫といまだ原型を留めている家々を飛び越えながら、神獣の方へと向かって行った。
その二人の後ろ姿を見送ったマリーは、背後に続いていたイシュタリアとドラコに「二人は俺に付いて来い!」命令すると、一気にその身を加速させた。
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