クズノハ商会の代表がリミア王国を訪れる。
これは、小さなニュースだ。
外国に本拠を置く商会がわざわざリミアに挨拶に来る事は多少珍しさを伴うものの、多くの騎士や貴族にとってあまり気にするに値しない程度の出来事、の筈だった。
彼らは単なる商人のご機嫌取り、と受け取ったし当の商会代表も半分そんな気持ちでいた。
リミアで商いをする商人達は事前にクズノハ商会の意向をロッツガルドの商人ギルドから聞きだしており、貴族達以上に無関心な者が多かった。
クズノハ商会にリミア進出の意図は当面なく、今回のリミア行きはあくまでリミア王家から望まれたもの、大きな商談についてもクズノハ商会側は用意をしていない、と。
動きといえば、ごく一部の情報に敏感な者が、彼らの滞在中にクズノハ商会との繋がりを作れないものかと考えているくらいだ。
しかしながら。
ごく少数の者にとって、今回の件は大きな意味を持っている。
リミア側では、ヨシュア王子と勇者響。そして貴族のホープレイズ家。
リミア王もクズノハ商会と代表のライドウにはそれなりの興味を抱いている。
クズノハ商会では、ライドウの従者、澪が何かを胸に秘めていた。
彼らにとって、どちらも思惑を持っての対面になるのは既に明白。
そして、当日を迎えた。
ライドウ、澪、ライムの三人がリミアに発つ朝は快晴。
学園の管理する転移陣の前ではライドウらを見送るクズノハ商会の面々が集まっていた。
リミアの国境までは転移での移動が用意されていて、そこからは馬車の旅が彼らを待っている。
「若。くれぐれもお気をつけて」
「うん。何とか頑張るよ巴。亜空にも顔出せないからそっちの事は任せる」
「はい」
「若様、学園の事は私がやっておきますので選定はよろしくお願い致します。念話はいつでも反応できるように待機しておりますので相談事があれば遠慮なさらずに」
「何度か頼るかも。ありがとう識」
頷きながらも、識の様子には少し躊躇いがあった。
何か付け加えたい事がありそうな様子だったが、彼は結局口にはしなかった。
「お店は私どもにお任せ下さい」
「客転がしもばっちり慣れた。スキル“魔性の店員”を獲得したから泥船に乗った気分でお出かけあそばれ」
「アクアとエリスも頼りにしてるよ」
「なお、お土産がバナナになると泥船が大船にな――」
「じゃあ、行ってきます」
エリスの発言を遮って、というか彼女の発言に取り合わず、ライドウは澪とライムを従えて転移陣のある建物に入っていった。
「スルーとは……なんという上級スキル。まさか若が習得しているとは思わなかった」
「リミアにバナナはないでしょう、エリス?」
「……それに比べてなんという予想通りの突っ込み。アクアはレベルが低い。なんでやねんから出直す必要がある」
見送りに来ていた森鬼二人が馴染みの口喧嘩を始める。
止める者はいない。
「識、何やら思うところがありそうな顔をしとるのう」
「……いえ」
「若も澪もおらんし、ちとお前に聞きたい事がある。顔を貸せ」
アクアとエリスに開店に間に合うように戻れと伝えると、巴は識を連れて場所を移動する。
静かで人の気配もない、学園の使われていない区画の一つに。
「ここならよかろう。ここ数日、どうにもお前らしくない様子が続いておるようじゃな、識? 先ほどの見送りの時も、若に何か言いたげであったぞ」
「……そう、でしょうか。確かに忙しくはありますがいつも通りだと思っておりますが」
「自覚もありそうじゃがな? それに、若が澪を連れてリミアに行く事もあまりに簡単に賛成に回っておるし」
「あれは、その、澪殿に色々と諭されまして……」
「物理的にか?」
「……いえ、あ、ご、ご想像にお任せしますが」
「儂としてはな。澪と少しやりあったのもあって、お前の考えが少し気になっておる」
「私の考え?」
識が巴の言葉に疑問を返す。
そもそも彼は巴と澪が摩擦を起こした事も初耳だった。
「若をどう思っておるか、いや違うか。若にどうなっていって欲しいのか、じゃな」
「若様に……」
「お前の様子がおかしい元凶も案外それが起因しているのではないか? どうも、ロッツガルドの生徒に入れ込みすぎておるようじゃからな、お前は」
「!! そのような事は、ありませんよ」
識の様子は明らかに動揺していて、そうです、と言っているようなものだった。
「特にお前がアベリアとかいう娘に対してやった事は、原因次第ではあまり笑えんのじゃが?」
「何故それを!」
「偶然見かけたあの娘自身が、頭の中を桃色一色にして垂れ流しておった。実に幸せそうじゃったが、内容が看過できんものじゃったからな。まさかお前が出てくるとは思わんかったが」
「……」
「思えば、儂らに共通している若への望みというのは殆ど無いのかもしれぬ。女神と協力してこの世界をヒューマンの楽園にして欲しい、ではないのは確かじゃが。若に対して反意はなくても、儂ら同士では時に反発する事もあって当然かもしれんと思えてきておる」
「馬鹿な。我々は支配の契約に基づいた若様の従者。主人に逆らう行為など出来ようはずが」
「お前が自分の言葉を若の言葉としてあの娘に伝えたのも、取り様によっては若への裏切りでしかない。絶対などはないし、若に逆らわず、だが儂ら同士は反発するというのは十分にありえる事じゃろ?」
「! 私は! 若様に逆らったりなど! あれは、あの娘と若様を思っての事で」
「じゃが、あの言い様。アベリアは確実に若に悪い印象を持ったのではないか?」
確かに識は、アベリアへの酷評をライドウの言葉として彼女に伝えた。
その時彼はアベリアを宥める立場を取った。
それはライドウへの裏切りにも映る行為だ。
「巴殿、それは違います。あの時までに、私は既にあの娘に対し十分な評価を与えてしまっていました。言ってみれば自信を与えた役目が私だった。だから、あの時だけ私が悪者になるというのは、若様が講義の方針を決めた時のお言葉に背く事になります」
「だがあれはそもそも若の言葉ではないだろう? 偽りを言ったのは事実じゃ。これは、変わらぬぞ?」
「若様がアベリアに対して言った評価は。あの時のアベリアにはあまりにも残酷すぎました。偽ったのは事実ですが、教えを受ける者にとって、酷評以上に辛いものがあるのです。それで私は、私自身が彼女の欠点を分析した時の結論を若様の言葉として彼女に伝えることにしました」
「……若はあの娘をどう評した」
「普通、だそうです。大分深く聞いて、動ける博士、だとか、よく喋ってるよね、とか。とにかく、あまり興味が無く印象もなかったんだそうです」
「……」
「あの方は、他の生徒についても幾つかの特性を記号のようにあてはめて把握はされていますが、根本的には学生に対して技術を伝授する相手、以上の興味や感情を抱かれません。若様は彼らと年齢も近く、確かに最初に線引きはしないと、と言っておられましたがじきにそれも曖昧になるだろうと私は思っていました。しかし、そんな事には全くならなかった」
識は話し出した。
学生の評価や、就職について真と話をした時から彼の中である程度形になっていた想いを。
「かといって若様と弓の師の方のような師弟らしき関係にもならず、ただ職務としての講師を貫いています。私は若様とジン、アベリア達がそこまでは至れずとも、いずれは友人のような師弟関係位にはなってくれるのではと思って……いやそれを、いつからか望んでいました」
「師弟関係、か」
「わかりますか、巴殿。講師を慕い教えを真摯に乞う者にとって、何が一番辛いか。それは、酷評などではないのですよ。……無関心です。興味をもたれず、講師から同じ顔のその他大勢の一人として一括で処理される。これに尽きます。少なくとも私はそう、思っています」
「それはリッチとなる前はヒューマンで、研究の道にいたお前だからわかること、か? ちと入れ込み過ぎのように思えるがのう」
「わかりません。しかし、再び人の身を得て学び舎に長くいた事で、私が生徒に愛着を感じてしまっているのは……事実です」
「やれやれ、誤算じゃったのう……。これではあべこべではないか」
「……巴殿?」
「で、お前はこれまで悪役をやってきた若にとって“らしい”やり方で酷評してみせ、若がアベリアに関心をもち、またきちんと実力を分析していると、あの娘にそう思わせたかったと」
「……はい」
巴の言葉に識は頷く。
識としては巴が口にした、あべこべ、という言葉が気になってはいたが、ひとまず彼女の言葉を肯定する事にした。
「そして心の奥底では、あの娘が現状でウチに入ればまず死ぬだろうという見込みがあり、またそれを回避してやりたいというお前の気持ちがあると」
「いえそれは違います」
「違わんよ。困った男じゃな、それには気付いてないとは」
「?」
「そもそもな、若はアベリアに興味なぞないんじゃからあの娘が働きたいならお前の傍でもどこでも雇って置いてやれば本来それで終いじゃろう、この件は?」
「しかし、それではアベリアが無駄に死ぬだけの結果に。……若様はおそらく、アベリアの為に特別に手立てを考えたりは……なさいません」
「じゃろうな。じゃが無駄に死んで何が悪い? たかが身の程知らずの女が一人死ぬだけの事じゃろ?」
「な……」
「と、ロッツガルドに来た時のお前なら答えられた。そこが儂の誤算じゃよ。まったく……。今お前が儂の言葉に反感を持ったのは、生徒全員か、それともその娘だけかは知らぬが、お前がその命を大切に思っておるからじゃろうが」
「……っ!? 私が、そこまであの子達を……」
衝撃を受けた表情で識が呻くように呟いた。
随分と弱弱しい声で。
「やれやれ、ウチの男はどいつもこいつも肝心な所では揃って間抜けじゃな。総じて鈍感な若の方が一貫しとる分マシに思えるわ」
巴は心底呆れたように呟いた。
「全て図星とは恐れ入る。となれば先ほどの若への態度は、大方学生の事をあっさりお前に丸投げした事への恨み言でも言いたかったか?」
「若様に恨み言など! ……ですが、確かに。ジン達に一言位はないかと思いはしました。あの子達はまっすぐ若様と私の講義についてきます。となれば、こちらもまた誠意を――」
識の言葉が近付いてきた巴に阻まれる。
「識よ」
「っ、なんでしょうか」
「儂があべこべと言うたのを覚えておるか」
「は、はい」
「儂はな。若がお前の様になった時、お前に若を行き過ぎぬようにフォローしてもらいたいと思い、お前のロッツガルドへの同行に賛成した」
「若様が、私のように……」
「そうじゃ。お前なら、万が一にも“そう”はならぬと、踏んでおったからじゃ。見事に外してくれたがな」
顔と顔が触れそうな距離で巴が掠れるような小さな声で識に話しかける。
小さな声量だが、静かな迫力を纏った声だった。
「だから、あべこべ、ですか。私が入れ込み、若様が変わらぬままだったから」
「そうじゃ」
「しかし、何故私ならと」
「……それはボケ過ぎというものじゃな識。お前が若の従者になる前、何をしてきたのか覚えておらんわけではあるまい? 人の身を得ても過去は消えぬぞ? 思いだせんか? リッチのお前が、世界中で誰に何をやってきたのか」
「っ!!」
「ヒューマンに、亜人に、獣に。お前の研究の為だけにどれだけの命を奪った? 結局願った成果も実らぬまま終わった犠牲者達は、どれだけおる?」
巴の言う通りだった。
そして、その時の知識が識にアベリアへの最終手段にも通じている。
真にはデータが足りない、などと言ったが識はヒューマンをそれなりに弄った経験がある。もし本当に力が足りずアベリアが目標に至らなかったなら識はその知識で彼女をあくまで安全に強化する気でいた。
その元になった部分を忘れるのは、確かにおかしな事だった。
「う……」
「過去、お前が学び舎の様な場所におったとして、ロッツガルド学園に似た雰囲気があり、素直で飲み込みも良い生徒がいて、お前の大昔の何かが表に出てきたのかもしれん。じゃが、間を忘れて無かった事にするのは到底無理というものじゃよ」
「それは、忘れてなどおりませんが」
「なら全てを言わずとも儂がどうしてお前にその役目を期待したかはわかるじゃろう? その手は何色じゃ? よしよしと教え子の頭を撫でてやれる手かの?」
「……」
言われて目線を落とし、両の手を見る識。
巴の言わんとしている事は十分にわかっていた。
「……ふう。まあ、ここで澪なら綺麗ですけど何か? と無邪気に聞いてくるが、お前ではそうもいくまい」
「確かに……少し浮かれていた事は事実です。愛着を感じる、などという以上に私は学生に入れ込んでいるようです」
巴は距離を取り、それまでの責めるような雰囲気を消した。
澪を引き合いに出して識の緊張を解かせた。
「これから聞こうと思っておったお前の若への望みも大体読めた。お前は、若の“ヒューマン差別”を解消したいと考えておるんじゃな」
「……はい。巴殿もそれにお気づきでしたか」
識は巴の言葉を肯定する。
差別。
あまり真には似つかわしくない言葉だ。
「まあ、な。若は亜人を差別しないと公言しとるしその言葉は有言実行なんじゃが。ほぼ全てのヒューマンに対しては差別しとるからな。直接の原因は以前亜空で暴れた馬鹿がそうなんじゃろうが……それより前の付き合いのレンブラントなどには頼ったりもしておるしのう」
「はい。常に心を開かず明確な線を引き、その上で言動を観察している様子です。ロッツガルドでも、“ヒューマンだから”事態を傍観している場面は何度かありました。そこが魔将のロナにはプラス評価になっていた部分もありました」
「無意識にやっとることじゃから厄介じゃな。確かにそこは儂も軽減してもらえればと思う所じゃ」
「やはり、無意識ですか。普段差別という言葉自体に否定的ですからね、若様は」
「そういう教育を受けられたんじゃよ。肌の色をはじめ、自分と違う特徴を持っている、または欠けている者に対しそれだけで見る目を変えるのは悪い事だとな」
「優しい教えですな」
「うむ。じゃが、ヒューマンへの若のそれは難しい。女神の件もあるし、そもそもこの世界ではヒューマンは能力も立場も恵まれておる。他の亜人の立場になればヒューマンは多少痛い目を見ても、という意見も少なからずあるからのう。今の若に普通に説いても上辺でしかわかってもらえぬじゃろうな」
「確かにヒューマン差別など、この世界では聞いた事のない言葉ですからね」
「その点では、不安もあるが響に多少の期待をしておる。同じ日本人じゃし、あの娘なら若の意思を上手く変化させてくれる可能性があるからの。……まあ、余計な真似も確実にするじゃろうから澪に、いやライムに上手い事防波堤をやってもらう必要もあるんじゃが……」
「私からみても賭けに近い劇薬ですよ、あの娘は」
「博打は承知の上。じゃが儂も、儂のやってきた事が若にとって本当に良かったのか悪かったのか。正直悩んでおる」
「……私などと違って、巴殿は少なくとも若様の為に動いてこられました。私の見ている限り、肉親のようにあの方を見守っておられます」
識は本心を口にする。
愛する男に尽くす、とは違った形の愛情を巴は真に向けていると、識はそう思っていたからだ。
年の離れた兄や姉のような親愛。
その巴が悩んでいると口にした事が識を驚かせていた。
「しかし、若はこの世界に来てから確実に、これまで平和に過ごされていたあの方とは違う方向に進みだしている。環境が違うと言ってしまえばそれまでかもしれん。だが、もっと良い方法があったのではないか、儂のしてきた事は実は若の目を塞いできただけではないかと不安で仕方ないのよ」
「ここは、誰も殺さず傷つけず、問題を起こさずに生きていける世界ではありません。若様が新しい世界と常識に触れて何かしら変わるのは、どのみち不可避だったのでは。当然、誰の責任でもないかと」
「若は、頑張っておられる。大きな世界は見上げるだけのものと思っていた方なのに、無理矢理押し上げられたその舞台で何とか安住の地を求めようとしておられる。元々大海の如きその世界を泳ぎきれる力のある方ではないのに、だ」
「……」
「識よ、儂は若に心安らかに、そして命の限り儂らとの繋がりを捨てずにいてもらいたい。例えいつかその時が来ても、見捨てられたくないのだ」
「その時?」
「じゃが澪は違う。あやつは若の決断ならあらゆる選択を受け入れる。あやつだけは、儂ともお前とも根本的に違う。若の従者という意味で誰とも同じ立場であり、その望みという面で誰とも違う立場におる」
「巴殿……」
「魔族の国で若は創造を果たされた。確実に一歩、若は女神と対峙し、そしてその先を決断される時に近付いた」
「その時とは、別れの時になるかもしれない時ですか」
「勇者に比べ、明らかに若は元の世界への執着が強い。可能性はあるんじゃ。亜空でも若はあまり支配者としての強権を用いようとせん。つまり執着などはないのだろうかと考え始めるとキリがない。日本と儂らと。どちらが若にとって――」
「ならば探しましょう」
巴の言葉を今度は識が遮る。
「探す? 聞くではなく、か?」
「そうです。若様の望みは聞くまでもなく簡単にわかりますし」
「なに?」
「難しく考えすぎなのですよ、巴殿は。若様なら確実に亜空とも行き来できて、なおかつ我々とも今まで通りのまま元の世界に帰りたいというでしょうから」
「……お前、馬鹿か? その手段が見つからぬから、若の究極の選択がどうなるか不安と戦いながら考えておるのに」
「もっと力を入れて、ですよ。ルト殿とか亜空に元からいる存在とか。それに異世界の神からもたらされる恵みもまだ残っているじゃありませんか。この際、世界転移の一件については恥も外聞も捨ててあらゆる勢力から情報を集めればよいではありませんか」
「なりふり構わず、か」
「ええ。幸いクズノハ商会には薬売りが沢山いますし、レンブラント商会による鮮度の高い情報も、それから魔族からの知識も期待できます。諦めるには早い手かと」
「……ふむ。考えてみれば、女神などよりもずっと大きな障害。若の望みなど簡単、か。お前の言う通りじゃな識」
「それに女神側の情報も多少古いものであれば手に入りますし」
「ほう?」
悪い笑みを浮かべた識に巴が興味を示す。
「少し前に向こうに通じた牛と鳥と面識を持ちまして。それに所在がローレルとはっきりわかっているのも一匹いますからねえ、ククク」
「……なるほどのう。若のおらぬ間、やる事は山積みか。ふふふ」
廃墟で交わされた悪巧み。
巴は久々に晴れやかに笑った。
「ところで、澪殿はあの巫女への対抗策をどう考えているんでしょうね。我々でもこう、と決めたやり方は見つけられなかったのに」
「さてな。あやつの事じゃから何か奇天烈な手でもあるんじゃろうよ。普段は使わぬ頭を活用しておったようじゃからな」
◇◆◇◆◇◆◇◆
ライム=ラテは頭を抱えていた。
昨日宿泊したホープレイズ領での居心地の悪さが原因、ではない。
その夜に忍び込んできた間違いなく超一流の暗殺者達、でもない。
確かに、ホープレイズ領は宿泊には距離的におかしい場所だったし、領主は王都でクズノハ商会を出迎える為不在だとか、宿泊する意味がわからないような条件だった。
住民からの視線には主に感情を隠せない子供からこちらを呪い殺すようなものも多くあり、大人からもぞっとする目で笑いかけられたりもした。
気の休まるところでは決してなかった。
真は、まだ辛いんだろうね領主の次男が学園であんな事になったから、と言いながらもそれで自分が恨まれるとは思っていないようでお構いなし。
澪はと言えば、暗殺者を皆殺しにして何故かニコニコしている始末。
通常の精神なら大分参る所だが、ライムもクズノハ商会の一員。
予想はしていた事だし、酒の一杯も飲めば綺麗に流せてしまう事だ。
では、どうしてそんな彼が頭を抱えるのか。
理由は簡単だ。
悲鳴と軽い何かが倒れる音、だった。
未だ復興途中の王都に到着した馬車は、そのまま門をくぐり王都の通りを進んだ。
住民たちの視線も関心のある者と無い者に分かれ、前者からの視線はそれなりに好意的だった。
ここまではいい。
問題は、城の近くで馬車が止まった後。
ライムは事前に何度も確認したのだ。
澪に。
巫女の目への対策は万全ですか、と。
そしてそれは旦那にもしてあるんですね、と。
自信満々に彼女は頷いた。
それどころか、私が完全に対策したから若様は魔力体だけ隠蔽するいつもの状態で大丈夫ですわ、とまで言ってのけたのだ。
何故か一抹の不安は残ったが、それでも巴と双璧を成すクズノハの最強角の一人が言う事。
ライムは己の不安を飲み込んだ。
そして。
ライムがまず最初に降りて出迎えの人数やラインナップを確認して一歩前に出たその次。
澪が優雅に馬車から降りた。
化粧を施した和装の彼女は多くの人の目を引き、勇者響に似た、だがどこか異なるタイプの美女にため息が漏れた。
たった一人を除いては。
巫女チヤだ。
彼女だけは澪を、見惚れるでも再会を喜ぶでもなく、口元に手を当てて悲鳴を抑え、両目をこれ以上ない程に見開いてガタガタと小刻みに震えていた。
ライムは思った。
やべえ、と。
対策が失敗したのかと澪を見ると、澪は嬉しそうにチヤの様子を見つめていた。
やばいっす、巴姐さん。
ライムは心からそう思った。
一瞬、後に続くライドウを止めようかとも思ったがそうもいかない。
結局、最後にライドウが降り立った。
唯一、出迎えの人達に緊張した様子で。
三人で一番緊張していたのはライドウだっただろうと、ライムは確信している。
どこか所在なげな彼を見ていたチヤは数秒怪訝な表情をした後。
全力で甲高い悲鳴を張り上げ、取り乱し、そして失神した。
ライドウはそのチヤの様子に仰け反って焦っている。
そして周囲が騒然とする中、ライムは頭を抱えたのだ。
さも嬉しそうに赤い唇を歪ませる澪の表情を見て、追加で胃がキリキリと絞られていく感覚に襲われる。
(何の罰ゲームだ、こりゃ。まさかローレルの件か? そりゃあねえっすよ姐さん……)
これから始まるリミアでのハード確定の日々に、ライムは天を仰いで右手で額を抑えるのだった。
クズノハ商会ご一行、リミア王都にご到着。
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