2013年12月16日
続・批判屋に告ぐ
だからさ、何が潔いんですか?
9月からずーっと、粘着されて、他者の批判していたことを、潔いと言ってしまう神経。
普通に信じられませんよ。
アンチ某が粘着した期間、約1ヵ月。
さるお方が粘着した期間、約3ヵ月以上。
それを見てきて、潔いと言える神経が信じられない・・・。
ええ、潔かったですね。
私とのやりとりの時もね。
一言も言い訳もせず、すべての関連記事を削除されましたからね。
だから、感心した私も、謝罪と感謝のコメントを、ご本人の掲示板にしたじゃないですか。
ちゃんと、その時はそう(潔いですね! と)認めてるんですよ、称賛してるんですよ。
でもね、削除しても、本質は何も変わってなかったじゃないですか。
ただ、場所を変え、相手を変え、あるいは、終わったことをまた引き合いに出して、
ずっと批判してたんじゃないんですか?
そうした振舞いを見ても、潔いというのでしょうか?
3ヵ月も粘着されて、された私が「弱い」と、一言でかたづける無神経さに、
辟易しましたよ。
反発すれば火に油を注ぐだけ。
だから静観してたのもわからなかったんでしょうね。
それすらわからず、外野であり、第三者であろう方々が勝手に騒いでいただけでしょ。
そう、あなたがですよ。
まだ、そういうことに気づいていないのですか?
誰あろう、あなたが野次馬なんですよ。それも一番のね。
おわかりですか?
慈悲がどうの、そもそも、私がどんな気持ちで関連の記事を書いたかなんて、
私にしかわからないんですよ。
それを、自分勝手に推量して、分析評価して、慈悲だと言ってしまったのが・・・。
意味がわかりませんね。
そもそも、あなたの中に感じている慈悲と、わたしの中にある慈悲は違うわけです。
それを自分の物差しで測って、あーでもない、こーでもない。
いいや、それ以前に、第三者であるにもかかわらず、
どんだけ言いたいこと言ってきたか、気づいてるんですか?
アメリカが世界の警察なら、あのお方は、創価の警察か検事かなにかですか?
だからチェックしなければならなくなったとか、ちょっと恐ろしい感覚ですわ。
私が裁いてあげよう、そういうことですか?
誰もそんなこと、お願いしてませんよ。
それに、人を勝手に「弱い」と決めつける性根・・・。
言葉を失いましたよ。
そもそも、何を基準にして弱いと言ってるんだ?
自分との戦いの中で、自分に強いか弱いかなんて、本人にしかわかりえない。
それを勝手に、他人だとか、何かと比べて評価するとか、どんだけ上から目線なんだ・・・。
なんでしたっけ――
ブログを生きがいにしてしまった人がいる・・・でしたっけ。
なにが悪いんですか? そういう人がいちゃいけない?
あなたの価値観を押し付けなさるな。
例えば、しょこたんこと、中川翔子さん。
ブログにやりがいを感じて、一日に240回更新してたこともあるんですよ。
そういう人は駄目人間でクズで弱くて、見下される存在ですか?
そんなことはないでしょう。
人それぞれ、生きがいや、やりがいなんて違うんですよ。
自分の価値観を押し付けなさるな。
あとなんだっけなぁ?
なんかあったけど、呆れ果てて忘れましたよ。
ああ、思い出しましたよ。
言いたいことがあるなら、直接対話を勧めます。
人にはそう言っておいて、ご自分はブログを立てて、記事で他者批判をする。
言ってることと、やってること、ズレてませんか?
だから信用できなくなったんですよ。
だから、苦言を呈してきたんですよ。
言ってることとやってることが違う人。
私の中では、一番信用のおけない人種なんですよ。
直接メールをくださったこともあったが、
いざ、批判をするとなったら、記事にして晒し者にする感覚が恐ろしいですよ。
あああと、○○さん、イプシロンさんに伝えてくださいってさ・・・
大事なこと、本当に伝えたいことはさ、
普通本人に直接伝えませんか?
え、そういう私の感覚が変ですか?
そんなことないでしょう。
しょせん、誠意の問題でしょうね。
とにかくさぁ、
人のこととやかくいってる記事しかないブログとか、おかしいでしょ?
何してるの?
自分のしたことを語るのが普通の感覚ですよ。
人を批判している記事が、「希望の哲学」なんですかね?
そんな哲学は、いりません。
ほんと、苦しかった時代に激励してくれた、あのときのあの人はなんだったんでしょうねぇ。
言ってみれば、警察根性が見抜けなかった私が不甲斐ないってことですけどね。
そもそも、当事者でもないのに、何を偉そうに評価分析して批評批判してるんだ?
私なんかからすると、その神経が理解できない。
名指しで自分のことを批判や中傷されたなら、そういう振舞いも理解できるのだがね・・・。
そう、私はそうやって半ば名指しで(見る人が見れば特定できる)記事を書かれたんですよ。
わかってますか?
インターネットという公共の場所で、街宣車のラウドスピーカーで、
晒し者にされたんですよ。
まだわからないの?
はじめから、そう言ってきたじゃないですか。
内容が問題ではない、関係性の問題だとね。
でもね、これもまた自言相違してるんだけどね・・・。
私のブログのコメント欄で、「あきらかに嫌味な内容があった」とそう、
書いてましたからね。
もうさ、言ってること、滅茶苦茶なんですわ・・・・・・・・・・・・。
しかしそうであっても、その記事には、特別問題はなかったという感覚は理解できますよ。
でもね、私が不愉快に感じたのは関係性の部分なんですよ。
そこが理解できなければ、一生人間の心の機微なんてわかりはしないんではないですか?
記事を消せば済む。
まぁこれはとある方のいった通り、間違いですよ。
その記事を読んで抱いた、不愉快な記憶はさ、一生残る場合もありますからね。
魚拓があるとか、そういうことが問題じゃなくてさ、身口意の三業に焼き付いてしまう嫌な印象を生むという意味でね。
だから、いらぬ事を口走らないことが一番。
つまり、批判に意味はない。
ずっと、そう言ってきたんですよ。
わかります?
だから、自分のやっていることを語るべきだ。
そう言ってきたんですよ。
語ってくださいよ。
ご自分のしていることを。ご自分の体験を。
屁理屈ではなくてね。
いかにも正しそうな、自論ではなく、
みなが歓喜するのは、あなたの体験じゃないんですか?
あなただけにしか出来ない体験じゃないのですか?
百万の理論も、ひとつの事実には劣る。
そういうことなんじゃないんですか?
え? 私?
さんざん語ってきたんですよ。
生まれた時から、今までの全ての記憶を洗い出して、
自分の恥辱さえ全て曝け出してきたんですよ、私は。
少なくともね、ここまで自分を曝け出したブログ、私はいまだに出会ったことないんですよ。
ある時、友人がこう言ってくれましたよ。
君は「平成の太宰になれるんだよ」と。
意味、わかりますか?
恥の多い人生でした。
それの何が悪いんですか?
それでも生きてきたし、生きようとしたんですよ。
そして、その生き様を、自分自身を作品として残したんですよ。
だから、作り物の空想小説が廃れていく中で、
ん十年経っても読まれ続け、愛され続けているんですよ、太宰は。
自分自身を偽りなく語ったからなんですよ。
もちろん、そこにはフィィクションもありますけどね。
語ってみなさいよ、自分の体験を。
やってみなさいよ。それが、どれだけ勇気のいることか、知りもしないでさぁ。
9月からずーっと、粘着されて、他者の批判していたことを、潔いと言ってしまう神経。
普通に信じられませんよ。
アンチ某が粘着した期間、約1ヵ月。
さるお方が粘着した期間、約3ヵ月以上。
それを見てきて、潔いと言える神経が信じられない・・・。
ええ、潔かったですね。
私とのやりとりの時もね。
一言も言い訳もせず、すべての関連記事を削除されましたからね。
だから、感心した私も、謝罪と感謝のコメントを、ご本人の掲示板にしたじゃないですか。
ちゃんと、その時はそう(潔いですね! と)認めてるんですよ、称賛してるんですよ。
でもね、削除しても、本質は何も変わってなかったじゃないですか。
ただ、場所を変え、相手を変え、あるいは、終わったことをまた引き合いに出して、
ずっと批判してたんじゃないんですか?
そうした振舞いを見ても、潔いというのでしょうか?
3ヵ月も粘着されて、された私が「弱い」と、一言でかたづける無神経さに、
辟易しましたよ。
反発すれば火に油を注ぐだけ。
だから静観してたのもわからなかったんでしょうね。
それすらわからず、外野であり、第三者であろう方々が勝手に騒いでいただけでしょ。
そう、あなたがですよ。
まだ、そういうことに気づいていないのですか?
誰あろう、あなたが野次馬なんですよ。それも一番のね。
おわかりですか?
慈悲がどうの、そもそも、私がどんな気持ちで関連の記事を書いたかなんて、
私にしかわからないんですよ。
それを、自分勝手に推量して、分析評価して、慈悲だと言ってしまったのが・・・。
意味がわかりませんね。
そもそも、あなたの中に感じている慈悲と、わたしの中にある慈悲は違うわけです。
それを自分の物差しで測って、あーでもない、こーでもない。
いいや、それ以前に、第三者であるにもかかわらず、
どんだけ言いたいこと言ってきたか、気づいてるんですか?
アメリカが世界の警察なら、あのお方は、創価の警察か検事かなにかですか?
だからチェックしなければならなくなったとか、ちょっと恐ろしい感覚ですわ。
私が裁いてあげよう、そういうことですか?
誰もそんなこと、お願いしてませんよ。
それに、人を勝手に「弱い」と決めつける性根・・・。
言葉を失いましたよ。
そもそも、何を基準にして弱いと言ってるんだ?
自分との戦いの中で、自分に強いか弱いかなんて、本人にしかわかりえない。
それを勝手に、他人だとか、何かと比べて評価するとか、どんだけ上から目線なんだ・・・。
なんでしたっけ――
ブログを生きがいにしてしまった人がいる・・・でしたっけ。
なにが悪いんですか? そういう人がいちゃいけない?
あなたの価値観を押し付けなさるな。
例えば、しょこたんこと、中川翔子さん。
ブログにやりがいを感じて、一日に240回更新してたこともあるんですよ。
そういう人は駄目人間でクズで弱くて、見下される存在ですか?
そんなことはないでしょう。
人それぞれ、生きがいや、やりがいなんて違うんですよ。
自分の価値観を押し付けなさるな。
あとなんだっけなぁ?
なんかあったけど、呆れ果てて忘れましたよ。
ああ、思い出しましたよ。
言いたいことがあるなら、直接対話を勧めます。
人にはそう言っておいて、ご自分はブログを立てて、記事で他者批判をする。
言ってることと、やってること、ズレてませんか?
だから信用できなくなったんですよ。
だから、苦言を呈してきたんですよ。
言ってることとやってることが違う人。
私の中では、一番信用のおけない人種なんですよ。
直接メールをくださったこともあったが、
いざ、批判をするとなったら、記事にして晒し者にする感覚が恐ろしいですよ。
あああと、○○さん、イプシロンさんに伝えてくださいってさ・・・
大事なこと、本当に伝えたいことはさ、
普通本人に直接伝えませんか?
え、そういう私の感覚が変ですか?
そんなことないでしょう。
しょせん、誠意の問題でしょうね。
とにかくさぁ、
人のこととやかくいってる記事しかないブログとか、おかしいでしょ?
何してるの?
自分のしたことを語るのが普通の感覚ですよ。
人を批判している記事が、「希望の哲学」なんですかね?
そんな哲学は、いりません。
ほんと、苦しかった時代に激励してくれた、あのときのあの人はなんだったんでしょうねぇ。
言ってみれば、警察根性が見抜けなかった私が不甲斐ないってことですけどね。
そもそも、当事者でもないのに、何を偉そうに評価分析して批評批判してるんだ?
私なんかからすると、その神経が理解できない。
名指しで自分のことを批判や中傷されたなら、そういう振舞いも理解できるのだがね・・・。
そう、私はそうやって半ば名指しで(見る人が見れば特定できる)記事を書かれたんですよ。
わかってますか?
インターネットという公共の場所で、街宣車のラウドスピーカーで、
晒し者にされたんですよ。
まだわからないの?
はじめから、そう言ってきたじゃないですか。
内容が問題ではない、関係性の問題だとね。
でもね、これもまた自言相違してるんだけどね・・・。
私のブログのコメント欄で、「あきらかに嫌味な内容があった」とそう、
書いてましたからね。
もうさ、言ってること、滅茶苦茶なんですわ・・・・・・・・・・・・。
しかしそうであっても、その記事には、特別問題はなかったという感覚は理解できますよ。
でもね、私が不愉快に感じたのは関係性の部分なんですよ。
そこが理解できなければ、一生人間の心の機微なんてわかりはしないんではないですか?
記事を消せば済む。
まぁこれはとある方のいった通り、間違いですよ。
その記事を読んで抱いた、不愉快な記憶はさ、一生残る場合もありますからね。
魚拓があるとか、そういうことが問題じゃなくてさ、身口意の三業に焼き付いてしまう嫌な印象を生むという意味でね。
だから、いらぬ事を口走らないことが一番。
つまり、批判に意味はない。
ずっと、そう言ってきたんですよ。
わかります?
だから、自分のやっていることを語るべきだ。
そう言ってきたんですよ。
語ってくださいよ。
ご自分のしていることを。ご自分の体験を。
屁理屈ではなくてね。
いかにも正しそうな、自論ではなく、
みなが歓喜するのは、あなたの体験じゃないんですか?
あなただけにしか出来ない体験じゃないのですか?
百万の理論も、ひとつの事実には劣る。
そういうことなんじゃないんですか?
え? 私?
さんざん語ってきたんですよ。
生まれた時から、今までの全ての記憶を洗い出して、
自分の恥辱さえ全て曝け出してきたんですよ、私は。
少なくともね、ここまで自分を曝け出したブログ、私はいまだに出会ったことないんですよ。
ある時、友人がこう言ってくれましたよ。
君は「平成の太宰になれるんだよ」と。
意味、わかりますか?
恥の多い人生でした。
それの何が悪いんですか?
それでも生きてきたし、生きようとしたんですよ。
そして、その生き様を、自分自身を作品として残したんですよ。
だから、作り物の空想小説が廃れていく中で、
ん十年経っても読まれ続け、愛され続けているんですよ、太宰は。
自分自身を偽りなく語ったからなんですよ。
もちろん、そこにはフィィクションもありますけどね。
語ってみなさいよ、自分の体験を。
やってみなさいよ。それが、どれだけ勇気のいることか、知りもしないでさぁ。