先日、日本全国のニートからなる「NEET(ニート)株式会社」というモノが出来、12月10日に設立記者会見を開いたという。正直な処、第一印象でこのニート株式会社に感じるのは「気持ち悪さ」しかない。日本中のニート達が集まってその全員が取締役に就任した、ということらしい。搾取・被搾取の上下関係を造らないためだとか。(中略)
ともあれ、このニート会社に感じる気持ち悪さというのは、同社の設立理念を謳ったこの部分。
「ぬるくて気だるい、成熟し閉塞した日本の社会を少しでも面白くしていくには、現状に違和感を抱きはみ出してしまったアブノーマルでマニアックな少数派が、新しいビジネスやワークスタイルを実験的に模索していくことが必要」(マイナビニュースより引用)
彼らの言いたいことは分かる。しかし、彼らが最も勘違いしているのは、”成熟し閉塞した日本の社会”というのが自分たちの外側の、ここではない、どこか遠くに存在するもので、自分たちはその中に包摂されていない存在であるか、若しくはその”成熟し閉塞した日本の社会”の犠牲者こそが自分達である、という隠しきれないニュアンスが含まれていることだ。これこそがニート株式会社が抱える最大の矛盾であり自己欺瞞だ。
何故なら、”成熟し閉塞した日本の社会”が産み出したものこそが彼らニートであり、”成熟し閉塞した日本の社会”の分身こそが彼らそのものだからである。成熟社会とか閉塞社会と、ニートは不可分ではない。彼らは戦後空間という日本のある種の成熟が産み落とした申し子そのものだからである。
ここまでの意見に関してはほぼ100%同意である。おおよそ、現代におけるニートの存在というものは、
>現状に違和感を抱きはみ出してしまったアブノーマルでマニアックな少数派
ではなく、むしろある種の現代におけるニヒリズムの象徴的な一形態である。孤独な群衆つまり、バラバラに分断された個人の寄せ集めである社会集団において、仕事には社会参加にも意義を見いだせなくなって、社会参加から撤退した人間ではあっても、なお彼らは現代社会の病理を象徴する存在であって、吐き出されたどころか非常に強力にそこに埋め込まれている存在で有り続けています。無論、ビジネス社会の文化にどっぷり浸かっている人間にとってもそこからの脱却が極めて困難ではありますが、ニートに関して言えば、自立の手段を持ち得ないという意味では、ビジネス社会の文化にどっぷり浸かって「エイエイオー!!」とやっている人間以上に現代社会の抱えるある種の業から逃れ難く組み込まれていると言ってよいのではないでしょうか
さらに言えば、彼らは現代社会の中に自分たちが深く組み込まれているということを意識すら出来ていないという時点で、まったくもって救いがたいように思えます。現代社会の抱える閉塞感や違和感から少しでも逃れたい、距離を置きたいと願う全ての人にとって、まず重要なことは、自分自身がその現代社会の持つ価値観やそこから生じる病理にどっぷりと骨の髄まで浸かりきっているのだという謙虚な自覚と、では、その価値観や病理がどのような構造を持っているのかということを冷静に見極めるだけの知性であると思います。その意味では、最初から自分たちは、何か現代社会の外からその閉塞した社会の違和感を眺めているなどと思っている彼らは、まずもって最初の段階でつまずいているように思えるのです。
<全員取締役>雇われたらニートではなくなってしまうので、雇用された従業員は一人もいない。
<全員平等>全員が平等に株主で、搾取する第三者はいない。
<本名を知らない>本名は知らせず、これまでの自分は忘れて、お互いにハンドルネームで呼び合う。
<楽しむ>すぐに儲(もう)かるか分からないことも、楽しければやる。あくまでニートらしく!
最初の段階で、自分たちが現代社会の枠外に超越した存在であるかのようなナイーブすぎる錯覚を抱いているからこそ、それが抱える本質的な問題を一切考慮に入れることなく、ひたすら安直な発想でもって、近代の枠外に超越的に存在する価値を生み出せるような、なんとも言い難い傲慢な幻想を抱いているわけです。
もっとも、その意味では、私は古谷さんが述べている
戦後レジュームの脱却を、戦後体制その物である自民党が声高に叫ぶのと同じかそれ以上に馬鹿げていて滑稽である。
という意見には必ずしも同意しません。例えば、「自民党の一極体制から新しい体制へと改革を行うのだ!!と息巻いていた民主党が、あれだけの惨状を見せたことからもわかるように、はっきり言って、現代の政党はどれを見たところで、自民であろうが、民主であろうが、みんなであろうが、維新であろうが、すべて戦後レジームの体制にどっぷり浸かり切り、その体制の枠内で僅かな差異を強調しては「私たちは、今までになかったこんなにユニークな政党であり、新しい政治体制を築き上げていくのです!!」と宣言しているに等しい存在です。
そうであるならば、いっそのこと、自分たちが戦後レジームの中にどっぷりと浸かりこんでいるのだということを深く自覚した上でそれを乗り越えようとする政党の方が、まだしも多少は希望を持ちうるのではないかと私にはそのように思えます。
そういった意味では、この文章の最後の
彼らは、自らが成熟した戦後日本の病理の一部であり、そこと癒着していることを自覚するところから始められてはどうか。
という意見に関しては、ほとんど100%同意をします。
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アンチ資本主義のエセ保守は何でも批判ばかり(いい加減にポスト戦後レジームとやらの像を示してくれませんかねえ)