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庭係の侍女
作者:菜ツ希
具体的な描写はなるべく避けていますが、本文中に虫に関する話題が出てきます。名前を見るのもダメ!!という方は閲覧を控えた方が良いかもしれません。(申し訳有りません…)

「虫を恐れぬ侍女というのは君か」


 良く晴れた暖かな日の午後、その男は侍女の前に何の前触れもなく現れた。

 詰襟の縁に金糸で細かな刺繍が施された、一瞬黒と見紛うような濃紺の服。それは、この国の騎士団に所属していることを示す衣装だ。
 自分に声を掛けた男の顔をちらと見て、何をやっているのだろう、この人は、と内心で嘆息する。
 膝を折り、頭を垂れて、
「―――…お勤め、お疲れ様です」
 少し考えてから無難な労いの言葉を返すと、
「……畏まった挨拶は良い。それより、質問の答えを」
 些か鼻白んだようなようにそう言って、男は顔を上げるよう促した。

 顔を上げろ。この男は、本気でそんなことを言っているのだろうか。

 自分の記憶と常識を試している?

 そんな疑いを抱きつつ、いえ、と侍女は頭を垂れたまま首を横に振る。
「目上の方にそのような態度、非礼に当たります」
「……確かに、騎士は侍女より位は上だが……俺が良いと言ってるんだ」
 顔を上げろと繰り返し言われ、侍女は小さく息を吐き、諦めたように顔を上げた。
「――それで、質問の答えは?」
 楽しげに訪ねてくる男の目は、まるで珍しい動物を発見したように輝いている。

 まあ、ある意味珍獣なのかもしれないけれど。

 漏れそうになる溜め息を喉奥で噛み殺して、侍女は「はい」と頷いた。
「おそらく、私のことかと」
「本当に、虫が怖くないのか?」
「はい」
 無論、刺したり噛んだりするような毒虫などは、別の意味で恐ろしいとは思うが。
「証拠は?」
「証拠……と、言われましても」
 何をどうしろと、と困惑気味に首を傾げた侍女に、男は満面の笑みで黒っぽい何かを投げ付けた。
 エプロンドレスの胸元に貼り付いたそれに目をやり、侍女は「ああ」と短く声を上げる。
「カミキリムシですね。この辺りでも時々見掛けます」
 しかし、女性に向かって虫を投げ付けるなんて、この男、何を考えているんだ。子供か。
 呆れつつ、胸元にしがみ付いている虫を右手の人差指と親指で摘まむ。離せと抗議するようにキイキイと鳴く虫を、侍女は傍らの虫籠に放り込んだ。
「……何だい、その虫籠は」
「この虫は花や木を食べますので」
 侍女は、虫を恐れぬという理由から、後宮の中庭の庭係を女官長から命じられていた。虫に恨みはないが、庭の花や木に害を為すのならこうして排除しなければならない。それが、務めだ。
「……殺すのか」
「さあ、そこまでは」
 どこか非難がましい口調で言った男に、侍女は苦笑混じりに返す。
「集めた虫は、城の庭師の老人に渡しております」
 渡した後のことまでは知らない。多分、男が言ったように集めた虫は殺されているのだろうが――侍女は、その辺りのことはあまり考えないことにしていた。
「そうか……殺されるのなら、捕まえてくるんじゃなかったな」
 少し後悔しているのだろうか。徒に、侍女の噂の真偽を確かめる為だけに、虫を捕らえて来たことを。
「お言葉ですが…――どちらにせよ、城内で捕まえたのならば、いずれ庭師の誰かに捕らえられていたのではないかと思いますが」
「ああ……そうかもしれないな」
 侍女の言葉に男は少し気まずそうに笑って、しかし、と言葉を続けた。
「驚いたな。本当に、虫が怖くないんだな」
「はい。……納得して頂けましたでしょうか」
「ああ。試したのは悪かった。その――虫を投げ付けたのも」
 一応、女性に虫を投げ付けるのは問題行動だ、という常識は持ち合わせていたらしい。ばつの悪そうな顔で詫びた男に、侍女はただ曖昧な笑みを返した。
 と、遠くから風に乗って侍女を呼ぶ声が聞こえてくる。
 あの声は、自分の仕えている主の声だ。
「申し訳有りません、主が呼んでおりますので……」
 行かなければ、と告げると、男も慌てたように「あ、ああ」と頷く。
「俺も、馬の様子を見に行く途中だったんだ」
 じゃあこれで、と軽く片手を上げ、踵を返し。数歩進んだところでぴたりと足を止めると、
「――また来ても良いかい? 仕事の邪魔はしないし、もう虫を投げ付けたりもしないから」
 男は振り返り、侍女に問い掛ける。
 これは―――何と、答えたものか。
 一瞬答えを迷ってから、侍女はとりあえず「はい」と返す。その答えに男は嬉しそうに笑って、それじゃあまた、とその場を立ち去った。





「―――ああ、いたいた。庭係のお仕事中だったのね」

 探したわ、と声を掛けながら早足に近付いてきた主に、侍女は申し訳なさそうに「すみません」と詫びる。
「良いのよ、ちょうど散歩にもなったから。――ね、それより、今誰かと一緒にいなかった?」
 小さく首を傾げ、主は周囲を見渡す。つられるように侍女も辺りを見渡したが、そこにあの男の姿はもう無かった。
「……『虫を恐れぬ侍女』の噂を聞いて、その真偽を確かめに来たと」
「あら」
 すっかり有名人ね、と鈴を転がすような声で可愛らしく笑う主に、侍女は苦笑する。
「そのうち、その噂で良い人と出会えるかもしれないわよ。訪ねて来たのが素敵な男性だったら、捕まえたらどう?」
 虫を捕まえるみたいに、と、主は悪戯っぽく言う。
 虫を恐れぬ女。そんな噂が結んでくれる縁なんて、何だか碌でもない縁のような気もするが。
「さしあたって、今日の人はどんな人だったの? 男性だったんでしょう?」
「ええ、まあ……」
 確かに、男性だった。男性だった、けれども。
「……今日の人は無いですね」



 ―――だって、騎士団の衣装に身を包んだ、あの男は。



 この国を統べる、国王陛下だったのだから。



「まあ。好みのタイプじゃなかったの?」
 問いにただ曖昧に笑った侍女の反応を、肯定の意味と受け取ったのだろう。主は、「そう、残念ね」と細い肩を竦めた。


後々長編にて連載予定です。(現在連載中の作品を完結させてからですが…!)
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