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解決済みのQ&A

神仏分離令が出されたのはなぜですか? 家康を祀るために長い間、 政府が神仏習合...

namiechannloveさん

神仏分離令が出されたのはなぜですか?

家康を祀るために長い間、
政府が神仏習合すすめてたのに
明治政府が突然きらったのはなぜですか?

補足
皆様のご意見がたくさんあり過ぎて
どの視点から見てBAを選べばよいか迷ってしまいました(><

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  • 質問日時:
    2010/11/18 00:13:53
  • 解決日時:
    2010/11/27 08:28:51
  • 閲覧数:
    7,759
    回答数:
    7

ベストアンサーに選ばれた回答

scaranpellaさん

下の方々の書いていることはことごとくまちがっていますね。
なんで知りもしないことに回答を書くのでしょう。

まず、神仏習合は家康を神として祀るためにはじまったわけではなく、奈良時代からはじまっていることです。
これが平安時代になると「本地垂迹説」という理論までつけられて、以後、明治元年までのおよそ1000年間は神仏が習合されていたのです。つまり、カミとホトケは同居するのがふつうだったのです。

さて、江戸時代に国学という学問が発展します。
国学とは、本来は日本の古典文学を研究する学問でした。本居宣長の古事記研究などは、現在の学問レベルでも通用するほどのすぐれた研究でした。国学者たちは、古事記や万葉集の研究を通じて、古代日本人の心象風景などに思いをはせていました。

この本居宣長の研究に感激し、「夢で宣長先生に弟子入りを許された」と本居宣長の弟子を自称した(詐称した)平田篤胤という人物がいます。
平田篤胤はオカルトな人物でしたが、そのいっぽうで学識も豊かで人格的吸引力も強烈でした。かれの周囲には「信者」というかんじの弟子が集まります。
平田は、日本のオリジナルなものは仏教伝来によって破壊されたと考えました。日本人の霊性も、仏教という異国の宗教によって穢され、歪められたと考えます。そして、神仏習合も仏教によって神道が穢された状態であるとして、神道を仏教伝来以前の姿に戻すべしとして「復古神道」を唱えます。
それまでは古典文学研究にすぎなかった国学という学問を、平田はある種の宗教に変えていったのです。

この時期、日本の近海には外国船がしばしば出没するようになり、日本人は外国にたいする脅威を感じ始めていました。
そんな背景もあって、平田の唱えた排他的・排外的な国学は、かなりの信奉者を生みました。とくに神社の神主には熱烈に支持されたのです。

幕末の尊皇攘夷運動の思想的背景は、この平田国学にあります。「勤王の志士」たちは、みな排他的・排外的な平田国学の影響下にあって、外国はけがらわしい、獣のように穢れた異国人が、神国日本の地を踏み荒らすなどあってはならないと考え、開国に反対し、攘夷の実行を幕府に迫ったのでした。
この平田国学に影響をうけた尊皇攘夷運動が、やがて討幕運動になり、幕府が倒れて明治維新が成立したわけです。

かつて外国など穢らわしいと考えていた勤王の志士たちも、じっさいに自分たちが政権を担ってみれば、攘夷などできるわけがないことを思い知り、明治政府は近代化・西洋化政策をとっていきます。
収まりがつかないのは、かつて志士たちを思想的に「指導」した国学者たちでした。

こうした国学者たちも、維新の功労者にはちがいありません。ですから、明治政府は、国学者たちをじっさいの政治とはあまり関係のない神祇官として政府に登用しました。神祇官とは、宗教政策を担当する部署です。

神祇官となり、一定の権力を得たこの国学者たちが、平田篤胤が唱えていた「復古神道」、つまり神道を仏教伝来以前の姿にもどす、ということを実践したのが「神仏分離令」です。
これによって、無数の文化財が破壊されました。まさに日本史上最悪の文化破壊となったわけです。

靖国神社を建てたのも、この平田国学を信奉する連中でした。権力を得た国学者たちが、自分たちの権益の拡大のために、神道の国教化を推し進めたのです。

外国を穢らわしいものとみなして敬意をはらわず、根拠もなく日本は神の国だからすぐれているとする民族主義的な思想の原点は、平田篤胤の国学にあるのです。
現在も横行するネトウヨの原点も、平田篤胤の国学にあるのです。そして、この思想が神仏分離令という日本史上最悪の愚法・悪法を生み出したということです。

  • 回答日時:2010/11/18 10:41:08

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ベストアンサー以外の回答

(6件中1〜5件)

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isao_kun_59さん

神仏習合は奈良時代、仏教が伝わった頃、神道派と仏教派の戦争がありましたが、どちらも大切にしましょうと、お互いを思いやる心から、始まっています。家康にこだわるのは、よろしくありません。

明治政府が、神仏分離を始めたのは、中央集権国家を作るためです。
江戸時代までは、庶民の生活はすべて、藩主(殿様)が中心です。
戦国時代も、自分の那の殿様の為に戦ったのです。

その庶民感情を、藩や那から、国家(日本)切り替えさせるために、神道を利用したのです。
天皇=神
日本は神の国であり、天皇そのものが神である。
その思想を、国民に植え付けることにより、天皇を中心とした、まとまりのあり過ぎる国が出来上がったのです。

人の思想や価値観が一つにまとまってしまうのは、あまり良いことではないようです。

  • 回答日時:2010/11/18 14:49:41

urizanecさん

神仏習合(神仏混淆)は家康を祀るために行ったことではありません。
奈良時代からあることです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88
江戸期は国学の発生とともに、むしろ神仏分離の動きが現れた時期です。

明治期の神仏分離はこれとは全く事情が異なっており、原因は憲法制定です。
維新直後から「一神教のバックボーンのない日本では憲法の概念が根付かないのではないか?」という強い懸念がありました。
キリスト教国教化という選択肢も真面目に検討されるくらいにです。
ようするに、国の最高権威として憲法があるわけですが、その正当性は何が担保するのか?って話なのです。
代替策として木戸孝允らが中心となり、国家神道が作られます。
頂点の天皇は神も同然の権威を付与され、欽定憲法として発布されました。

さて、ここで問題が出ます。
神道は仏教伝来直後から神仏混淆してきたため、仏教なんだか神道なんだかよく分からないものになってしまっていました。
一神教並の権威を持たせるにはある程度体系付ける必要が出たので、仏教と分離しなくてはいけません。
これが神仏分離令や詔書「大教宣布」。
あなたも回答者も勘違いしてますが、明治政府は仏教排斥を一切行っておりません。
(必要ないですから)
廃仏毀釈は民間の運動です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88
なんでそんなことになったのか、という一側面として。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken43.htm

  • 編集日時:2010/11/18 05:46:59
  • 回答日時:2010/11/18 05:37:46

mekuriya394さん

明治政府は徳川幕府が推進していた馬鹿げた政策を全て廃止しました。神仏分離令もその一貫に過ぎないことです。家康が神格化され祀られたこととは全然関係ありません。江戸時代、幕府の政策によって寺が一種の役所のように庶民を支配し、仏教が御用宗教になっていたのです。明治政府が日本を近代国家として生まれ変わらせるには日本人の意識改革が必要であった。その為に明治政府は矢継ぎ早に制度改革、意識改革を推進しました。神仏分離令もその一貫です。旧弊は改める。当然のことです。

【補足】
国学者が権力を握ったかのような駄法螺をぶちまけるクレージーな回答者がいるようだが、まったくそのような事実はありません。国家公務員に採用されただけの話です。公務員試験を通って役所に採用されたからといって権力を握ったなどと考える人物がいるなら頭がおかしくなったのではないかと思われるでしょう。
明治時代には血税反対一揆、解放令反対一揆、地租改正反対一揆、学制反対一揆などが起きましたが、神仏分離令だけは反対一揆などは全く起きていません。それどころか逆に廃仏毀釈といった民衆の暴走を招いてしまったのです。これを考えても徳川幕府の治世に仏教勢力がどれほど民衆の怨嗟の対象となっていたか分かるはずです。
古来の神仏習合を持ち出して、徳川幕府は関係ないなどと幕府擁護に躍起な回答者もいるようだが、これも大嘘です。江戸時代にお伊勢参りという民衆の自発的な神社参拝が流行しましたが清水寺参りなどはまったく起こりませんでした。
神仏分離令を悪法と決め付けるクレージーな回答者がいるようだが、神仏分離令によって神道も仏教もどちらも正常な姿を取り戻したのです。今日の日本に神社に仏像が無いのはおかしいなどいう論者は一人もいません。

  • 編集日時:2010/11/18 21:44:00
  • 回答日時:2010/11/18 03:34:04

tipo029さん

明治政府の敵であった徳川家の始祖が、権現という神仏習合神だったからです。
神と仏を分離して、天皇家を唯一神とすることで、維新の正当性をアピールしました。

  • ケータイからの投稿
  • 回答日時:2010/11/18 01:56:06

gom716さん

明治期に、天皇を現人神であるとの考えてを強化した為です。 日本は神様がいまします国としたのに、そこに仏様が入ってくると要素が薄まってしまいますから。

現人神(アラビトガミ)=生きながらの神様であり、実際に見る事の出来る神様

  • ケータイからの投稿
  • 回答日時:2010/11/18 01:47:00
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