裁判で国がどれほど負け続けていても、判決に合わせた政策にすることはできない。

 原爆症認定制度の見直しを話し合ってきた厚生労働省の有識者検討会がそういう最終報告をまとめた。

 認定基準が抽象的なのが裁判の敗因とみて、表現を明確化する代わりに、認定範囲を全体的に狭めることも提言している。

 改正を求めてきた被爆者が納得するはずがない。100人を超す原告団を結成し、裁判を続ける構えだ。「今後訴訟で争う必要がないように」と、話し合いを重視した09年の国との合意は風前のともしびである。

 根本的な誤りは、厚労省の基本認識にある。被爆者の病気を原爆症と認めるかについて役所と裁判所では考え方が違う、との立場は見当違いである。

 裁判所は認定制度や運用について、法に反していないかを審査する。国の敗訴が続いたのは、被爆者援護法をねじ曲げて運用していたからに過ぎない。

 それは考え方の違いではなく、行政が誠実に法を執行しているかどうかだ。検討会はこうした本質に踏み込まず、被爆者委員の反対も押し切って、行政に有利な結論に向かった。

 厚労省は16日に開く認定審査の専門家会議で、基準の見直し案を示す方針だ。しかし、検討会の方向性で問題が解決しないのは明らかである。

 被爆との関連が疑われる病気になった被爆者は、援護法の立法精神に基づいて原爆症と広く認めていくべきだ。

 そもそも、被爆者たちの要求は受け入れがたいものなのか。

 原爆症認定患者には月13万円余りの手当が支給される。厚労省は、基準緩和で受給者が増え、経費が膨らむと国民の理解が得られない、と主張する。

 ただ被爆者団体は、命にかかわらない病気では手当額を減らすことも提案している。きめ細かく設定していけば、十分に理解を得られるのではないか。

 原爆症認定をはじめとする被爆者援護制度は、放射線を理不尽に浴び、健康不安に終生おびえる人たちに対し、国が補償するという性格もある。

 放射線の健康への影響をどう考えるべきか。福島第一原発事故で被曝(ひばく)した周辺住民や原発作業員への今後の対策を考えるうえでも大事な先例となりうる。

 健康被害を訴える人たちを「被曝線量は少ないのでは」などと切り捨て、次々と裁判に走らせることが国民の望むところなのか。安倍首相には、敗訴、敗訴の現実と向き合い、政治的な決断をしてほしい。