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はじめに…イエス・キリストの使途であったトマスやバルトロマイやアダイなどの弟子たちは、最初に東方のアッシリア方面に伝道しに行きました。
こうして西暦40年〜60年頃には、既にアッシリア地域を始めとする中東やコーカサス地方に福音がかなり広まっていました。
このとき、これらの地域には元々から散ったユダヤ人も多く住んでいましたから、キリストの弟子たちは、彼らユダヤ人の中にもユダヤ教から、彼ら弟子たちの言う原始キリスト教への改宗者を得ていったことでしょう。
ローマ帝国内で弾圧されていたキリスト教が、厳格なユダヤ教義を取り除いた異邦人伝道用の内容と聖母信仰をクローズアップされた形でヨーロッパで認められる遥か以前に、アッシリア方面を布教基盤とした「東方キリスト教」は、ユダヤ教の教義内容を色濃く残していました。
日本にやって来た秦氏は、東方キリスト教徒でしたので、彼ら秦氏が信じていた東方キリスト教(景教)は、カバーラ由来の『生命の樹』から派生した「三位一体」の教えなど、非常にユダヤ教的だと感じるのはそのためです。
要するに、東方キリスト教は、異邦人を対象とした宣教から発展したカトリックなどと異なり、カッバーラの奥義である『生命の樹』から派生した「三位一体」などのユダヤ教義を豊かに保存しました。
原始キリスト教がアッシリア地域に広まったとき、中央アジア地域にはあちこちにキリスト教国が誕生しました。秦氏の祖国の1つである――『クンユエ(弓月)=現アルマトイを含むカザフスタン南部・バルハシ湖より南、キルギスタンの近くから新彊ウィグル自治区の一部までの地域』がありました。
クンユエ(弓月)もアッシリア地域から遠くないところに生まれたキリスト教国だったのです。当時のローマ帝国の国内では、西暦313年に信教の自由が許されるまで、激しい迫害がキリスト教徒に襲い掛かっていました。
ところがローマ帝国の東にある中近東のアッシリア地域においては、既に西暦300年以前に多くの国々がキリスト教国となっていたのです。そして彼らは更に東へダイナミックに伝道を開始しました。
彼らは西暦70年のエルサレム滅亡以前に、既に福音をインドや中国にまでもたらしていました。キリスト教が既に1世紀にはインドに広まりつつあったことにより、キリスト教はインドの地にある他の宗教にまで影響を及ぼしました。
例えば1世紀〜2世紀頃に成立したとされる古代インドの叙事詩『バガバッド・ギーター』には、「聖書のヨハネの福音書」からの借用とみられるものがたくさんあります。
他にも、アジアに広まり始めたキリスト教は、様々な形で各地の宗教や文化にも影響を与えていきました。西暦300年頃までにはシルクロード沿いの東方地域の大部分に、原始キリスト教が浸透していたのです。
本題に入ります。では、一体全体、原始キリスト教と今日の正統派と呼ばれるカトリックやプロテスタントや正教などのヨーロッパ地域で発展したキリスト教とは何が違うのでしょうか。
重要なのは、キリスト教の基盤であるユダヤ教なのです。アンティオキア教団から派生した異邦人対象の宣教活動において、主としてヨーロッパ地域に宣教されたときに、ユダヤ人が持つ厳格な風俗習慣は強制されませんでした。
もし、強制されていたならば、これほどまでに世界的宗教にはなっていなかったかもしれません。ユダヤの枠組みを超えることで、キリスト教は世界的に発展していったわけですが、それと同時に原始キリスト教が持っていたユダヤの神秘思想も失われていきました。
これがユダヤ教の神秘主義思想であった「カバーラ」です。カバーラを知らないキリスト教徒は、イエスの言葉の解釈をめぐって新たな神学的構築をする必要に迫られている。
カバーラという根幹がなくなったとき、解釈は各人各様の思考や思想や人生観と環境によって何通りにも発生してしまいました。
それが多くの宗派を生み出し、ひいては統一した正当教義を制定しなければならない状況になり何度も宗教会議が開かれた。
こうした流れの中で、「絶対神は唯一である」というテーゼと、イエスが明かしたとされる「御父・御子・聖霊」に旧約聖書と新約聖書との整合性をつけるために「三位一体」という教義が成立しました。
かくして1度成立した正当教義に異を唱える者たちは、片っ端から異端の烙印を押されてしまった。その状況は現在でも続いているように思います。そして、カバーラという視点から見た場合、イエスの教えはどうだったのか…。
先ず基本となるのが森羅万象の全てを象徴しているとされる「生命の樹」です。これは図形で示す場合、3本柱に11個の球体セフィロトとそれらを結ぶ22本のラインで構成される。
「絶対神は唯一」という「神は1人」という表現を使いましたが、神を数える単位は何でしょうか。それは「柱」なのです。この3本柱は、そのまま3人の神…即ち「御父・御子・聖霊」という絶対3神を象徴しています。
「生命の樹」の3つの柱〜真ん中に立つ「均衡の柱」、向かって右の「慈悲の柱」、左の「峻厳の柱〜それに神道にも3柱の神は登場します。これらは3神を認めてはじめて理解できるのです。カパーラにおいては「柱」は神の象徴なのです。
しかし注意しなくてはならないのは、絶対神です。一般のキリスト教正統教義では、御父なる唯一の絶対神はヤハウェであると考えられています。でも最新の聖書研究によって、その教義が誤りであることがわかってきました。
画期的な学説を発表したのは、イギリスの権威ある「旧約聖書学会」の会長で、自身もメソジスト派の牧師であるマーガレット・バーガー教授は、現在の最古の「旧約聖書」の写本である「死海文書」の内容と、現在に世界中に流布されている「旧約聖書」の内容が異なることに注目しました。
このことは、ソロモン第1神殿におけるユダヤ教と紀元前8世紀頃のヒゼキア王による宗教改革後のユダヤ教では、根本的に教義が大きく異なることを発見されました。
これは、むしろ、紀元1世紀の段階で、イエス・キリストが述べ伝えたとされ弟子たちが信じた「原始キリスト教」は、このソロモン第1神殿におけるユダヤ教の教義に即したものであることを、マーガレット・バーガー教授は学術的に証明されました。
これは具体的にいえば、絶対神ヤハウェの扱いについてでありますが、このヤハウェはイスラエル人の民族的守護神であると同時に、数多くいる守護天使の1人だった。いわゆる守護天使の長というべき存在で、その上には「至高なるなる絶対神」…即ち「エル・エルヨーン」が存在したという。
要するに、紀元前8世紀頃の古代ユダヤ教では、絶対神という位置付けとして、ヤハウェは第2位の神だったのである。
後世に、第2位ヤハウェを第1位エル・エルヨーンと同一視する教義にしてしまったことで、この重要な教義が忘れ去られてしまい、混乱したユダヤ教徒たちはヨーロッパのヘレニズム文化の思想に影響されて、2元論のグノーシス主義を生み出した。
一般にグノーシスはヘレニズム文化に影響された原始キリスト教だとされているが、そのルーツはソロモン第1神殿における古代ユダヤ教にあるとバーガー教授は強く断言しています。
また、グノーシスでは「ソフィア(知恵)」を重要視し、ソフィアをヘブル語で「コクマー」ともいう。コクマーは「旧約聖書」の中で女性的に描かれ、グノーシスでは女神として象徴されている。
バーガー教授によれば、これは絶対神ヤハウェの女性的側面であり、キリスト教でいう聖霊に相当する絶対神であるといっている。日本では知られていないがバーガー教授の学説は神学論争となっています。
このバーガー教授の学説は、『カバーラの根本教義』と一致していることが多いのです。これは、本来の御父なる絶対神とは、エル・エルヨーン或いはエロヒムと呼ばれる存在であり、御子なる絶対神はヤハウェにして受肉したイエス・キリストということになる。
そして絶対神の女性的側面のソフィア…聖霊を含めた絶対3神をカバーラの生命の樹に対応させるとこのようになります。
「均衡の柱」…御父とは「エロヒム=エル・エルヨーン」のことであり、イエスの父である
「慈悲の柱」…御子とは「イエス・キリスト=ヤハウェ」のことである
「峻厳の柱」…聖霊とは御父「エロヒム」の遣わした聖霊、ルーハ=コクマー=ソフィアである
イエス・キリストがヤハウェと同一神であることを決して認めない現代のキリスト教は、残念ながら間違ってしまったといえるだろう。キリスト教は中世期における教会の大衆支配にも利用されてきた。
そもそも、イエスがヤハウェであるということはイエス自身が述べているのですから…。
「はっきり言っておく、アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」(ヨハネによる福音書・第8章58節)
「神はモーセに『私はある。私はあるという者だ』と言われ」(出エジプト記・第3章14節)
ヤハウェとはヘブル語の意味で「私はある者」或いは「ありて在る者」なのです。今日まで残っている「新約聖書」の原典はギリシャ語で書かれていたため、日本語に翻訳されるとピンと来ないが、ヘブル語なら、イエス・キリスト自らがヤハウェだと名乗っているときことになります。
バーガー教授によれば、福音書の幾つかや「ヨハネの黙示録」の原典は明らかにヘブル語で書かれていた痕跡があるのだということです。
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興味深いお話ありがとうございます。
ところで、イスラエルに「私のほかに、ほかの神々があってはならない」と言ったのはヤハウェと出エジプト記には記録されていますが、「エル・エルヨーン」はその時点で無視されるべき存在となってしまったのでしょうか?
2009/9/4(金) 午後 10:41 [ Luce ]
こんにちは、Luce様。コメントいただき有難うございました。そうですね、仰るとおり無視されたのかもしれませんが、旧約聖書にも「エル・エルヨーン」名がヤハウェの異名として用いられています…ということは、紀元前8世紀頃のヒゼキア王によって、ユダヤ教の偶像崇拝化を絶やすための宗教改革後に、同一視というか大衆にわかりやすくするためにヤハウェに統一してしまったのだと思います。ヤハウェの名はイスラエルの民族的の守護神でもありますので、一緒にしたほうが布教しやすかったのかもしれません。
宗教改革に限らず改革というのは、どんな時代でも大衆にわかりやすく受け入れてもらうため、教義というか規制などを緩和するものですから。
2009/9/5(土) 午後 7:17 [ hideチーフ ]
つまり、聖書では同一視された記述になっているので、そうではない、聖書から離れた話として、「エル・エルヨーン」と「ヤハウェ」と「聖霊」との三位一体、と言っているということですね?
2009/9/5(土) 午後 7:27 [ Luce ]
こんにちは、Luce様。コメントいただき有難うございました。今のところは、「エル・エルヨーン」「ヤハウェ」「聖霊」が、カバーラにおける三位一体の象徴だと思います。
私の個人的考えでは「三位一体」というより、どれが偉いのではなく「三体同位」という異次元でもある神界での1つのグループを形成してことを表現しているのではないかとも考えています。
2009/9/6(日) 午後 6:22 [ hideチーフ ]