かこさん、ありがとうございます。
精神医療に関する声は「薬漬け」に異論を唱えるものが多いような気がします。
私はペンネーム廃人さんのケースに似ているのです。
今日は仲間としてペンネーム廃人さんにお声をかけさせてください。
かこさんがせっかくこのような場を提供してくださったのだから、共有できる部分があったら共有しませんか?
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廃人さん、今までずっと胸のうちに押さえ込んできた怒りや屈辱感、やりきれない気持ちをどこかで聞いてもらいませんか? 精神科でなかったら、権利を侵害されたら訴えることができるでしょう? たまたまこころの病にかかったというだけで我慢していなければならない、嘲笑や非難の目を向けられるというのはひどすぎますね。
一生この怒りを抱えながら生きていくのはとても難しいことです。かといって訴訟を起こしても無駄・・・
だったらせめて、誰か受け入れてくれる人、聴いてくれる人を探しませんか?
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私のケースについて少しお話させてください。
私は小学校1年生から4年生まで、アルコール依存の父から激しい暴力を受け、小学校4年のとき寝たきりの状態で病院に保護されました。今だったら「児童虐待」で引き離されるでしょう。 けれど、小児科の医師が父と友だちだったこと、私の両親が必死に隠そうとしたこと、当時は虐待に関して「家族で処理する」という風潮があったこと、などが理由で公にされることはありませんでした。からだが回復するまで半年間、病院から学校へ通い、からだが元気になったらすぐもとの環境へ戻されました。 私が虐待を受けたのは父からだけではないのです。家庭の食卓には私の席がありませんでした。小学校4年生から高校を卒業するまで、恐怖と緊張の中で、父とは会話が全く無いまま、怒りに満ちたあの環境ですごしたのです。
最初から私は要らない子だったのです、医学部へ行った姉が拒食症になったとき、私の母は足がぱんぱんに腫れた姉の荷物を持って試験に同伴しました。この姉に対してはお弁当も毎日作っていたし、父は一度も暴力を振るったことはありません。
私が短期間拒食になったとき、母はT医師に連絡をとり「すべてお任せします」とお願いしました。高カロリー輸液を願い出たのも母なのです。 それからずっと何かあるごとに母はT医師に連絡して入院の手続きを取りました。最後の入院のときはひどいものです。もう20年も私に会っていないT医師が、母からの依頼を受けて私を無理やり入院させようとしたのです。母の電話の依頼だけで、ですよ。考えられますか?
精神保健福祉法が施行される以前のことだったので、権利を主張できないのが悲しいところですが、親と精神科医が結びつくことによって一生を踏み潰してしまうこともできるということがよくわかりました。
母は一度目の入院のときに使った「医療保護入院の同意書」をコピーして持ち歩いておりました。2回目の入院のときも、その後、私がストレスで具合が悪くなったときも、いつもそのコピーを使って入院を依頼していたのです。
精神科医療では珍しいことではありません。親が虐待の一環として精神科病院を使うことだってできたのです。
信じてもらえないかもしれませんがそういう過去があったということ、私はどうしても話したかった。
そして、この親からの暴力は今でも続いている、一生続くのだということ
受け入れたくないけど事実なのです。
家庭も精神科医療の現場も閉ざされた世界・・・閉ざされた世界では何でも起こりうるということです。
廃人さんもできるだけお声を聞かせてくださいね。 わかってもらえなくても、どうか聞かせてくださいね。少なくとも私はしっかり受け止めますからね。
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