私は現在の精神科でカウンセリングを受けている。
うつ病での入院はトータル3回。
現在の病院で2回している。
費用は決して安い病院ではない。
でも。一部ドクターを除いて、院長先生や看護師さん。カウンセラーさん。作業療法士さん。薬剤師さんに事務スタッフさん。デイケアスタッフさんに、出入り業者のバスの運転手さんに掃除のおばさん。
病院スタッフが「ノンビリ」していて。精神科にあるまじき「穏やかな空気」なのだ。
1つ目の病院は、担当ドクターと、カウンセラーさんの「カウンセリング結果内容」どころか「連絡事項」すら。
「傲慢院長」=「担当ドクター」はカウンセラーさんから「聴こうって云うつもりが、さらさら無いんじゃないの?」って様子。
色々有りすぎて病院を替えようとして。「紹介状」を「やっと!!」書かせて(のっけ「紹介状」は書かないと、のたまいやがった!)激怒して、猛抗議して紹介状を書かせた次第。・・・。
今のカウンセラーさんと担当ドクターは大変連携プレーを重要視している。
ただし。・・・
自分でも辛かった「過去」が「現在の私自身を痛めつけている」・・・これが私自身の「問題の核」のひとつ、らしい。
身体に痛みが出たり、声が「出ない」原因は、「子供時代の児童虐待」を、キッチリ清算出来ていなかった(まあ、そんな専門家が居るなんて知らなきゃ、通うきっかけすら無い訳だが。)のと、
「主人の怒鳴りつけ方」が虐待していた
「継母」とリンクしたのではないか・・・。その様な可能性が出て来た。
カウンセリングが終わって間もなく。
酷い疲れや目眩、過呼吸に襲われ、自分のワゴン車に飛び込んだ。
とん服を服用して一眠りすれば、落ち着くと思ったのだ。
勢い、帰宅の時間も遅くなる。
主人にメールして、病院で一眠り。2時間経っていた。とりあえず駐車スペースから、近くのコンビニエンスストアへ移動。
店員さんに声を掛けようとしたら。
声が出ない。とりあえず筆談。薬用の水を購入。移動。
短い時間しか走行出来ないのだ。
とにかく、左腕にゲジゲジが走り、頭痛がする。
別のコンビニエンスストアに飛び込んで、トイレに行き、夕食を購入。定時の服薬。また睡眠。2時間位。
少し走行。「しまむら」のトイレを借りて、気分転換でも・・・。出来ない。
コンビニエンスストアや夜遅くまで営業している店舗まで走行して一眠り。走行して一眠り。
帰宅したが、どしゃ降りだし、だるい。しばらく、車で寝ていた。
声が出たのは、日曜日の朝だった。
夢を見た。中学校時代に虐められていた男子(どういう訳か、女子に虐められる事がなかったのと、ヤンキーに頼られていた・・・。変な状況だった。)
を、TVドラマ「ハングマン」ばりに
仕返ししていく夢だった。
壁に蹴りを入れ「ざまあみろ!」の声で久し振りの発声、となった。
今回の声の出ない状態は結構長めだった。やはり、「元凶」部分に触れたのがきっかけだったのかも知れない。
子供時代「から」だから、大人になっても更に積み重なっていく。
私の父親のスキルス性胃がんで他界した。54歳だった。私は30歳になってすぐ、だった。
ついでに言えば彼(主人)に3月にプロポーズ。家を建てる予定もあり、4月末に結納代わりの食事会。結婚式は、新築の家に親族と友人を呼び、東京の有名な「専門店」の「ケータリング部」に来て貰い、天ぷらを揚げてくれる「おじさん」まで手配、とここまでは良かった。
浮かれていたんだろうな、あたし。
父親が内科に行った。「腹水が溜まっている状態」。入院。腹水から「面構えの悪い」←専門家用語で「物凄く質の悪い」と云う意味だそうで。細胞がわんさと出ている。転移もしまくっている。でも。「元凶」が判らない。余命半年。
スキルス性胃がん。もし、想像して頂くとすれば。「胃袋にこぶ」が出来たのとは違い、「胃の壁の中にメロンの網目の様にビッチリ!!と、がん細胞が巣くった感じ」である。
バリウム飲もうが胃カメラ飲もうが見つけ難い「スキルス」・・・戦闘機なんてあるが、発見し辛い事、この上なくて「元凶」が発覚して時点では、手遅れになる。
主人の「骨盤の悪性腫瘍」より「質が悪い」と国立がんセンターの超有名ドクターに言われた程、と言えば「面構えの悪さ」凄まじきものだ。
私は「腹をくくって」看病した。孤独な闘いだった。妹は「見舞いは来るが看病はしなかった」。親戚から「お高いサプリメント」。今の姑には、「変な宗教の御百度」。「変な呪文」を唱えながら、「痛い父の腹をさする」。親切心から来ているから、断りも出来ず「辛い」とこぼしていた。
父は「やはり」半年で他界した。
「終わった」。父の辛いのも。
私の看病も。号泣した途端だった。
「しっかりしなさい!!」
何を?どうやって?
むやみに励まし続けた家族。
気が付いたら。
「前向きに生きろ」と言われていた。
私はドンドン精神的に病んでいった。
土台、読書好きだった。
五木寛之さんの「大河の一滴」。
浜辺裕一さん(都立墨東病院救命救急センター部長)の「救急センターからの
手紙」他、シリーズ全部。
最近は、佐々涼子さんの「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」。
作者も年齢もバラバラ。何で読みたくなったのかな?
共通点は「人間は、現実として前向きからでは立ち直れない事」を形態を変えて記している事だった。
五木寛之さんは宗教面から。浜辺裕一さんは「医師として死を、脳死の家族を、」
病状などを家族などに「これでもか!」と静かに、或いは激しく、首根っこ捕まえてでも見せたり説明したり。スタッフの苦悩とともに。佐々涼子さんは「エアハース・インターナショナル社」を取材して、世界中を飛び回って「エンバーミング」にあたるスタッフと、依頼家族の悲しみを、現場を、空気を「活字化している」。「エアハース・インターナショナル社」のスタッフは、「家族を励まさない」。「泣いていいんですよ」。キッチリ「悲しんで」そこからでないと、家族が「本当の意味での」前向きに「なれない」。その重役を背負って仕事をされている。
「前向きな人」って簡単に世の中では云う。「うそくさい」気持ちがして、ずっと、居心地が悪かった。
本当の、前向きって。
後ろ向きから、やっと「翻る」ところから、なんだと、私は思い続けていたい。
我が家は夫婦とも障害者です。
私は、てんかんとうつ病で「精神障害者3級」。主人は「疾病による1股関節機能全廃」って事で「身体障害者4級」。右の骨盤に悪性腫瘍が原因。松葉杖生活です。
乙武さんより、「ものすごく」障害が軽いです。生まれもってのものでもないし。自分で車の運転も出来るし。
100kgの車椅子も要らない。
私は薬を飲んで、それでも体調が優れない日はお布団に居れば良い。
主人は家でPCとにらめっこ。電話もガンガン掛かってくる。週に2回位は松葉杖を使って車と電車で通勤。
乙武さんって、「スタッフ」さんが居るんですね。
うち?いないです。重たい荷物は私が担ぎ上げます。私自身が食事も2日とれない頃になって、始めて主人は「自分の分だけ」食事を作りだした。元気な日は私達の分は私が作る。
うつ病の「内容」って、個人差が激しいんだけど。理解しようって気は主人は全然無い。「不服そうに」自分の分だけ作る。「何か食べられそう?」聞かれた事無いなぁ。
自殺未遂をした時、「戸籍(離婚してから)抜いてから死んで。面倒だから。」姑さんも同意していたよ。
案外。夫婦ってこんなもんよ。
自分の分は自分で。人様に頼まないと、と想定される時は、どんなに小さな事でも準備をしておく。主人は飛行機会社に「障害者の申請」を出してある。体内に、チタンの金具が「これでもか〜!」
って埋めてある。素っ裸でも♪キンコン〜。歩くのも早くない。松葉杖の場所も必要だし。だから「格安飛行機会社は諦めました」。(会社の出張での話。)
私自身は。過呼吸や左腕の痺れ、電車酔いに、果ては「声が出ない状態」がある。
自分で処置出来るうちは、メールで「帰宅が遅くなります」と送信。薬を飲んで防寒対策グッズを取り出して。、コンビニの方々に手帳にて「筆談」でお願いして、駐車する。お水、食品はコンビニで購入。おトイレも筆談でお願いする。
最後は「本当に助かりました。有り難うございます。」。御礼申し上げずに居られない。心底有り難うございます、だから。・・・。ビジネスホテルに予約して駆け込む事もありました。風邪ひいてホテルで寝込むとか・・・。
自分が助けを求められれば、出来る限りする。苦しいのはお互い様。耳目なんて気にならない。(利用する事すらある)。AEDの操作とか、まさにこの典型例ですよね。
「半ば人の為。半ば自分の為。」少林寺剣法の言葉だそうで。
100kgの車椅子。「放置して置いても構いません」って、仰るけれど。
盗難にあったら?破壊されていたら?
私がお店側の人だったら、そちらも心配するのがサービスだと思うから。オロオロしながら「盗難とか大丈夫ですか?雨で壊れません?」「カバーで覆ってガードして・・・。」「お客様のお体の延長ですもの。蔑ろに出来ません!」とかテンパりそうな気がする。
眼鏡が顔の一部だったり。松葉杖が自分の脚代わりだったり。メモとかあれば修羅場を乗り切ったり出来る様に。
乙武さんの手足の延長なのだから。
自分もぞんざいに扱われたくない。
他人もぞんざいにしたくない。
それをしてしまうのが人間だけど。
ひとこと。
「大丈夫ですか?」の下準備と「有り難うございます」の言葉があったなら、こんなにヒートアップしなかったと思う。
私は「人生」途中にして障害者になったり、障害者の配偶者になった。
当事者にならないと解らない事だらけ。諦めばかりでなく、「リアルな提案者」として、社会に参加してもよろしくて? と思います。
最近。ボサ〜っとコンビニエンスストアに入った。
千葉県警察のポスター。内容は忘れた。剣道着を来ているじゃないですか!
「級も段も無しで、ご趣味の服装で
やんすかね?」
「千葉県警察の剣道の猛者が気の毒ですわ〜!」
千葉県の広報課に聴いてみました。
「千葉県警察の振り込め詐欺対策ポスターですね…。」
オイオイオイ!県知事!!「振り込め詐欺対策ポスター」ご出演で「ご趣味の剣道着」〜?それ、千葉県警察の方々の志気が下がるっつうの!
だったらさ〜!柔道着で出てきんしゃいな!出身高校の方針で柔道初段は、ちゃんととらされているんですから。
今からでもいいから。剣道の級から、真面目にとりましょうよ。
千葉県警察の道場に行けば「警衛」して貰えるし。猛者もゴロゴロ!あら、素敵!!
どない?
バッタバッタ!! 忙しい生活をしております。体力が欲しい。気力が欲しい。「コピーロボット」が欲しい、オバサンです。(歳が判りますね〜!)
年齢バレバレついでに。
昨日。コンディショナーを購入して来ました
あの!!「ティモテ」が生まれ変わって再登場しておりました〜!
お若い方は、解らないよね!
「ゆうつべ」で見てね〜!
お店の人も、ひと盛り上がりしたそうです。
実は、「夕方になると寂しい」発作(っていうのか?でも。本人は猛烈辛いのよ。夕食すら食べられない時も有ります。)で、眠ってしまいました。
「ティモテ♪」しようかな。
お姑さんのお引越準備だの、通院だの、うつ病でknockdownしておりました。最初に(植物の種類にもよりますが)春、しっかり肥料を与えて、後は、雑草をまめに抜き、観察。適切な水やりが必要になります。
今の悩み事は「トマトの支柱の建て方」と、「お姑さんが持って行く樹木類の後の穴をどうするか」「お姑さんの庭に移植する苺と分葱(ワケギ)、ローズマリーの管理」です。意外と支柱の建て方って奥が深い模様。
あと、トマトは「本来横に這う植物」なのだそうで・・・。どうするか、呻吟しております。
ジャガ芋の畝にジャガ芋の葉っぱが一連に並び始めました〜!オォ〜♪
ハーブ類は、レモンバームとスペアミントが元気、元気!。^^v
ローズマリーが少し元気がない鉢が有り、鉢は替えて、元気な苗を育てようか、どうしようか。
近々、化粧品を作って、喜びを「肌で感じよう」と、無水アルコールをスタンバイさせております。
てんかん患者なので、ローズマリーは控える・・・のが定説ですが。「精油」に於いてのお話し。圧縮されておりますから。無難なハーブと混合すれば、ローズマリー率(なんの率だ?)が下がりますし。香りも複雑になるのでは?と楽しみにしております。
最初、「本当に出来んの〜!」と疑いまくりの主人も、好物のジャガ芋の生育状況に、喜んでおります。
失敗もありました。
スナップエンドウを苗で購入(種で直植えの方が良いそうです。)。定植して、「踏んづけてしまう」有り得ん大ドジも・・・。この子はダメでした。
種からスタート。初めての試みです。
この畝は、伯母さんがわざとなのか?
ゆずの木を剪定して、この畝に埋め込んだので、苦労しました。「撒きびし」が地中に埋設されているようなもんです。
必死に取り除き、やっとこの畝に土を盛る事が出来ました。
「ゆず」の「撒きびし」と、転がっていた竹を「灰」にして、これは葱の肥料分です。
葱の畝はもっと土や肥料を与えて、高くする、とともに、風よけの「あんどん」も必要です。
「分葱」も根っこから分けないと。
黙々たる作業満載ですが、楽しい時間です。^^v