もひとつ。
私はスマートフォンはdocomoさんのやつ。携帯用音楽機器は、今はふつうのMP3。以前は初代i-pod nanoでした。
でも。この nanoさん。暴走すると「電池が切れるまでPCに繋げて復活させないと」電源が切れない!困ったさんでした。(持ち主、そっくり?)
「飛行機、ヤバいやんけ!」
それ以来。携帯用「なんとか」機器は、
最悪「電池をえぐり出して」止められる趣旨としております。
お仕事でPC使っておりませんので、こんな片寄った事を言える訳です。
これが。お仕事となると、そうも言って居られない!
NTTdocomoさんがi-phone 販売を決定。
MacさんもNTTdocomoへの供給を正式発表。
うちの旦那さんも私物でi-phoneを持ちました。最初は会社の貸与品で、「黙々と」遊んで・・・いや、勉強しておりました。
医療系、しかも「外科手術中に映像化」しておく必要性のあるドクターはMacintosh派が多いですね。
うちの旦那さんの右股関節の悪性腫瘍除去・及び・機能補完手術の映像や、レポートを、執刀医のA先生(実は、うちの旦那はん。ここの「研究センター」のスーパーコンピュータの設置工事の下請け業者として入っておりました。んで、国立がんセンター中央病院の整形外科の患者で「体幹部の機能温存手術」の第1号さんだったんですね。てな訳で「チーム編成!!」となり、後に書籍化される際の「モデル」さんになっとりやす。)
が「あ。旦那さんの手術の様子、見ますぅ?」と、レポートを書いていらっしゃるのにも関わらず、(お忙しいのにすみません!)見せて下さいました。
こちらもMacintosh派。上司で主人の担当ドクターは自分で「ボク、Mac中毒なの。」と「windows」の電子カルテのフリーズに「自分の患者」=「下請けコンピュータ屋」に「助けて!」(眼でウルウルと無言でヘルプを出す、可愛い先生なのだ!)・・・。多分、自分の電子カルテのフリーズを直した患者第1号でもあるだろう。
後にその患者もMacintoshをいじる事になるのだが。
うちの旦那さんは会社で「カスタマー対応」の為に日夜「遊んで」おっとっと。「学んで」おります。
嫁はんは「フリーズ起こして、人力で対応出来ないなんて嫌じゃ!」と、相変わらず「Android」使っております。
ひとまず。我が家の「ハンディ・フォン」事情でした・・・。
デパケンR200mgをお昼に丸々「抜かれた」私。
結論。「2週間、様子」を観られませんでした。
「背中の痛みが「アイスピック」どころか、「鈍器で殴られている」に変化。地上1メートルと立てない様に。
「ランドセン」も残り少し。
次の日(9月10日)、急遽外来診察を入れてもらいました。
「これだけ、もんどり打って苦しい、っていう云う話しは、僕の聴く限り無いんやけど・・・。」・・・。ほしたら、私が第1号ですなぁ!(威張ってどうする!)
Nドクターと話し合まして、「昼に100mgのデパケンRで対応。ランドセン0,5mgも頓服として併用可、としてもらいました。
処方箋薬局で薬をもらって、速攻、使用!!しかし・・・。
身体が。身体が・・・。すぐには対応しない。外来診察の人達の待ち合わせとして、自動販売機の前に椅子があります。
ソファーもあり、しばらく「ダウン」。
軽ワゴン車で夜明かし出来る位はスタンバイして来たのですが。
「身体がギシギシ言っている!!」
急遽、ホテルにて、お休みです。
食事を購入して来て。えらく遠い駐車場に車を停めて。食事して「おやすみなさい!」でした・・・。
今のところ、100mgとランドセンと休養を取りつつ、生活出来ておりますが。
もうすぐ「月からの使者」がやって来る予定です。
今までに無い「不正出血」が7月の入院の頃から、始まったのです。
看護師さん達(病室に二人いらっしゃいました。)と「そろそろ、ですかね?」
「そろそろ、来てもおかしくはないですねぇ。」
「不正出血に排卵痛、ですか。女性なら避けられないお話ですもんねぇ。(←精神科の話しと直結しているので男性ドクター、真顔である。)しかし。排卵痛って、そんなに痛いん?」
「私の場合は、ですけどね。」「若い時から?」「高校1年の時にはもう痛みがありましたね。」「旦那さん、知ってんの?」「高校で、のた打回っているのを見ていますね。」「ふ〜ん。産婦人科で診てもらった?」「はい。24歳の時に。特段、排卵については異常はなかったですね。もう、海亀みたいに、ヒ〜ヒ〜言っているんですけどね。」
自虐的ギャグは止めなさいっっ!」
いや、事実なんだけどなぁ〜。
でも、「プレ更年期到来?」らしいので、産婦人科には行く予定ではおります。・・・
1番最初の担当ドクター、kドクター。
実は今の病院の前は「保健所の公衆衛生医師」をされていたらしい。
愚痴ぐらいは聴いてくれるかしら?
グスン。
私は姉である。2歳年下の妹がいる。
私夫婦には子供は出来なかった。妹は娘が2人。
妹の方が結婚も早く、義弟は私より年上。我が家の実家より「離れた」所に嫁いだ。とはいえ、飛行機だの船だの使う距離ではない。
私が嫁ぐ頃。父の「スキルス性胃がん」が発覚。治療法も無く、半年の命であった。
妹は「お見舞い」には来た。「看病」は、父が他界する前の、ほんの数日であった。
母は早くに他界している。「看病」も「手続き」もそばに居る私の仕事だった。私の主人も病院の近くだったので、「看病」をしてくれた。
最末期は「朝も昼も夜も無く」なり、泊まり込みが1週間も続くと「私もフラフラ」だった。まともな神経で居られなくなる。
父が息を引き取った。看病疲れで緊張の糸がぷっつり切れた。
葬儀社の手配は「夜中に妹が」、「伯父・伯母」に「アドバイスを受けつつ」行った。
「はるちゃんは偉いね〜!子供が居るのにお葬式の手配をして」。
孫のいない伯父・伯母の家に数日「幼児」を連れて来た。もう、伯母のおもちゃ同然だ。
・・・。身体を後に壊してまでも「看病」した私を、妹は「絶好のストレス解消のゴミ箱」と扱い始めた。
手始めに「子供を使って」伯父・伯母のご機嫌取り。主人の母がぷっつり切れた。「攻撃対象」を我が家と定め、必要な連絡は寄越さず、「法的実務」をこちらにさせる。
数年後。実家を取り壊し。全て私持ち。
土地が売れた。こちらに一切戻らず、書類は全て郵便。売買益の半分を請求して来た。
勿論、「取り壊し費用も半分」なのだが、それを免除する様に「怒鳴り立てて電話を掛けて」来た。
問答無用で「取り壊し費用明細報告書」を「証明郵便」で叩きつける。
姉と妹のケンカは「軍鶏(しゃも)より酷い。」
私は自分の遺言書に「一番最初に」妹の処遇について書き記した。
弁護士になった仕事場の先輩が「そいつぁ〜、どんなもんだい?!」と咎められたが。
私は実効性を持たせるつもりだ。
今朝の「デパケンR切れ頭痛」は激痛もいいとこであった。お下劣な話になってしまうが「誰か私の代わりにお小水して!!><;」って思う。(通院して、仲間に話すと、案外「解る!!」と言われたりする。)
そこに。
重ねて襲って来た!!
「海亀状態だぁ!!><;」
・・・。排卵痛が昔からヒドいのだ。
下腹部に水を溜めているような、痛み。
いっそ「海亀の様に泣きながら(実際は泣いている訳では無いそうだが。)排卵出来れば、痛みが治まるのが早いのではないか?」と真面目に思う。
24歳の頃「子供を産めば治まるよ!」
とデリカシーの無いおじいさんドクターに言われたものだが。
結論から言えば。出産は諦めざるを得なかった。
29歳(30歳になる2週間前!)に入籍。31歳で、てんかんになって、すぐ多剤服用になった。デパケンRの使用もあり「子供さんは諦めて下さい。」と言われた。
35歳で主人が骨盤の悪性腫瘍となり、抗がん剤治療。骨盤を左右留める為に
恥骨の代わりにチタンのプレートで固定。主人まで「子供さんは諦めて下さい」と言われた。
現在の精神科の、1回目の入院で「てんかん波」検出。再び「子供さんは諦めて下さい。」
・・・。先生。41歳(当時)に言ってもだなぁ・・・。ご本人、大真面目に仰っておられるからなぁ。笑いを必死に堪える。(私より若い男性ドクターだから
大真面目さが、かえって気の毒になる。)・・・。40歳超えのてんかん抱えての出産は・・・。さすがにリスクが。・・
かといって,24歳のおじいさんドクターと比べちゃいけない「真摯な対応」だし。
で、42歳で「更年期障害?」と疑いつつ「お腹痛いぃ〜!」と。
排卵して痛いのかしら?する前に痛いのかしら?
いずれにしても、痛みがないのが一番なのだが。
低用量ビルも使用出来ないらしく、結局「ロキソニン」を泣く泣く使用するのであった・・・。
受診。アレルギー検査結果は「かもがや」・「ぶた草」(←父親からの遺伝。父親と同じ耳鼻科・内科・・・旦那さんが内科。奥さんが耳鼻科。ここの母ちゃん、怖いのよ。f^^;家の父親が子供の様にビビっていた。)「あら〜♪お父さんと同じアレルゲンね。良かったわね〜!お父さんの子供って証明されて!!」そんなDNA証明、嬉しかないわ!!これが高校2年の話し。主人と出会ったのが高校1年。
現在の精神科の「一番目のドクター」に、「花粉症の薬、入れるんですか!」とブスッと言われたが「旦那の次に付き合いが長いんです。」とブスッと返事したら、やっとこさ花粉症の薬を入れてくれた。
アメリカ連続ドラマで「海兵隊の捜査当局を主人公にした」のに元気、ハマっていて、パンクルックの研究官女史の決まり文句が「DNAはウソ、つかないよ〜♪」なのだが。うん…。とりあえずウソついてない模様。
「食事の前にデパケンRが切れるのが判るんです。頭痛、と云うのか。頭が痺れるんですね。これで、逆に薬の飲み忘れが無かったんですよ。目覚まし時計より早く起きしてくれますから。」
「嫌な目覚まし時計やなぁ。^^;」現在、4人目の担当ドクターである。
「てんかんって、不適切な脳の電気信号やろ。生活において問題無ければ、断薬しても大丈夫やと思うで。」
「でも・・・。スパイク(不適切な脳の電気信号)は、2度、検出されてます。確定診断された時と、現在の病院の1回目の入院で。・・・k先生は、「抗てんかん薬を使っても、スパイクが出たから。ん〜。これを止めるのは「人道上、問題あり、と、仰っておられました。」「でも・・・。さっき、頭が痛い、って言うてたてしょう。
これ、中毒かも知れん。」
・・・。確かに、前出のkドクター、薬を増やす事に於いてはとにかく慎重で、「断薬無くとも増薬」・・・デパケンR200mgの増薬に於いて、決して首を立てに降らなかった。腕組みして「う〜ん」と考える時間の非常に長いこと!(記憶に有る限り、こんなに悩んだドクターって言うのは、kドクターが最長であった。)
現在の結果から云うと。kドクターの長い呻吟は正解であった。
昼ご飯の後の薬がアレルギーの薬だけになった。蕁麻疹で点滴の出番になったからだ。
200mgだけ。1回分抜いて1週間ちょいとだけなのに。
「のたうち廻る」と云うか。「へたばる」と云うか。
ここのところの猛暑、更年期障害に生理がおいでなすったから、さあ大変。××;
昼ご飯が食べられない。目眩。体温調整が更に下手になり。
挙げ句。朝・夕方の「痺れ頭痛」が増幅された。
「そのうち、慣れて来るから。」・・・。これ、増薬されていたらどうなっていた事やら!!
kドクターが倒れた。それでドクター交代となったのだが。kドクターの事を「あの人、研究職出身で、臨床出身でないから。」と、患者には要らん情報を云うドクターが居た。「やかましい!同じ職場で働いてんのに、研究職出身も臨床出身もあるかい!協力したら良い話しじゃね〜か!完璧な人間なんて、いないっちゅうに!」
次のドクター交代の話しが出た際、即答でそのドクターを蹴った。
現在のドクターは、私が近所で倒れて居たので「救急車で搬送された為」、自動的にドクター交代になった次第。
拘束力を持つドクターである。kドクターには、本当に感謝している。若いが肝も座っているし。患者に結構「難易度の高い宿題」を出して来るが(どSとか言われてたな。この前。^^;)自分に課している「宿題」の方が「シビア」なのは、会話でよく解る事だった。ちとプライドが高いけど、「そのプライド、出し方、ちとボケてんで!」っていうタイプ。おばさんらには「笑い」とか「可愛らしい」とか「突っ込み所」なのだが、kドクターより若い人には、トンと人気がない。人間って、見方によるのね。
ナイーヴ故に、今は「少しづつ」、復職されている。
病気は平等で不平等。
ドン!と構えて腰据えて治して欲しい・・・。
生きている生物は必ず「死」を迎える。
老衰か。病か。事故・事件か。自殺か。・・・事故・事件、自殺と云うのは人間位なのか?敢えてここでは言及しない。
私のうつ具合は、「とある頃」「とある日」にグッっと重たくなる。
「とある頃」は「3月の氷雨の日」。「とある日」は「継母の自殺をした8月」と「父の胃がんで他界した11月」だ。「3月の氷雨の日」と云うのは、「父の相続人代表」として、「父が産まれた頃の戸籍の写しを取りに行ったのが3月の氷雨」に打たれつつ、東京の街を歩いていた記憶が「消えてくれない」のと、「うつ病にダイレクトに堪える環境」だからだ。
8月は「うつ病患者には、比較的過ごしやすい」のだが(朝の日光の力を、つくづく有り難い!と思う頃である。)・・・。「継母の自殺の第一発見者」として、小学生とは云え、「それなりに」果たすべき役割があったからだ。
私は、「長女」として、2人の「死」に立ち会う事になったのだが、「自然死」・・・ここには「病死」も含まれる・・・のと、「事故・事件死」・・・こちらは「警察」の介入が必ずある・・・のとでは、書類からなにから何まで違う。
「自然死」は「医師」の「死亡診断書」となる。同じ紙なのに「事件・事故死」は「警察」が介入して「死亡検案書」になる。「診断」に二重線が引かれるか?「検案」に二重線が引かれるか?それだけなのに、後々、家族に残された仕事は「こうも違うもんかね」と思う。
「継母の自殺=死亡検案書」には、さすがに小学生なので直接「自書」する事はなかったが、警察官が3回「内容を確認した」記憶は未だに消えない。3回、同じ答えをした。事実、それしか答えられないのだから。「自書」したのは父だろう。戸籍を見ると「死亡推定時刻」と書かれている。「自然死」の場合は、「医師が死亡時刻」としたものが戸籍に残る。
どちらの書類も、基本的には親族が書く。配偶者だったり、直系親族の「責任者」みたいな存在が「担当者」に呼ばれる。父の病死の時は、配偶者がいないので、直系親族の「長女」(我が家の場合は1番看病した人=私だった。)
として、ナースステーションで「死亡診断書」に署名・捺印をした。
・・・。ここから「責任者」としての「御指名」が始まる。
葬儀社が病院の霊安室に来て、霊柩車にて遺体の搬送となる。「死亡診断書に署名をした方が、ここに座って下さい。」と、座席が指定された。市の霊安室に数日、父の遺体を預けて頂いた。
「死亡診断書に署名した人。この椅子に座って、書類を書いて下さい。」。
荼毘に伏す時も同じであった。戸籍には「私」によって書類が提出された記載がある・・・。
藤 圭子さんの飛び降り自殺。
「葬儀・告別式は行わない」と報道があった。
ご近所や、関係各所に配慮しての選択でもあろうが。
ここで「最低限」行わないといけないのが「法律上の書類」の作成と、ご遺体の処置について、である。
誰が行う?藤 圭子さんは「独身者」で「直系親族」が居る・・・。宇多田ヒカルさんになる。どんなに悲しくても。書類が動かないと事態も動かせない。書類を動かすだけで「精一杯」だろう。
宇多田ヒカルさんが「ひとまず」心と身体を休ませるのが、最優先・・・であろう。
でも。記憶も記録も残る。
身体が悲鳴を上げる前に。
個人的には「専門家の治療」を必要とする・・・受けて欲しいなぁ…、と。
「8月の朝」の記憶に引きずられている、平凡な主婦であった。