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慰安婦癒えぬ傷痕 「日本政府は私たちが死ぬのを待っている」 2人、道内巡る

(12/15 11:41、12/15 13:22 更新)

「あなたたちは、かわいい自慢の子だ」。朝鮮学校でイ・オクソンさん(右)とカン・イルチュルさんは励ました

「あなたたちは、かわいい自慢の子だ」。朝鮮学校でイ・オクソンさん(右)とカン・イルチュルさんは励ました

 今秋、老いた2人の韓国人元日本軍慰安婦が道内を旅した。安倍晋三首相(59)が、慰安婦を強制的に連行した証拠はない、と言う国で、つえを突き、車いすに乗って、謝罪と補償、教科書への史実掲載を訴え続けた。戦後68年、心と体に刻まれた傷から今も血が流れる。

 9月12日、札幌市中央区の西本願寺札幌別院。2人のハルモニ(韓国語でおばあさん)、イ・オクソンさん(86)とカン・イルチュルさん(85)は、遺骨で満杯の骨つぼに酒やスルメを供えた。別院は2002年「戦前の朝鮮人強制連行・強制労働の犠牲者を預かっている」とし、供養を続けている。

 日韓両政府は、遺骨返還を協議しているが、発掘、身元確認はなかなか進まない。「日本人は政府を変えようとしているのか?」

 イさんに問われ、調査を進めてきた市民団体の共同代表、蔡鴻哲(チェホンチョル)さん(苫小牧市)がうなずくと、イさんは言った。「政府なんか変えてもだめだ。人間の良心を変えないと」

 2人は、韓国広州市で元日本軍慰安婦が共同生活するナヌムの家に住む。札幌市民などでつくる実行委員会の招きで9月12〜16日、小樽、登別などを回った。

 慰安婦問題も日韓和解はほど遠い。宮沢喜一、村山富市政権などは、謝罪をしたり、一部だが民間基金を元手に償い金を払ったりした。一方、安倍首相は第1次安倍政権の07年「官憲による強制を裏付ける資料はなかった」と閣議決定した。最高裁も慰安婦たちの賠償請求を04年「憲法は、施行前の戦争中の被害には適用されない」と退けた。

         ◆

 ハルモニがいかに追い詰められているか、思い知らされたのは15日、札幌で開かれた交流会だ。イさんが約50人を前に、半生を語り始めた。

 「15歳の時、二人の男が現れ、私を殴ってトラックに放り込んだ。日本軍の飛行場で力仕事をさせられた。兵士に殴られ『帰してくれ』と頼むと、連れて行かれたのが慰安所だった」

 「日本の着物や草履の入った風呂敷を渡された。『代金は働いて返せ。金をたくさん作るには軍人の相手をたくさんするんだ』と」

 「たくさんの兵士から性暴力を受けた。ショックで多くの少女が脱走して山に入り川に入り、死んだ。ジャングルの中で30人、集団殺害された。14歳の少女が40人の相手をさせられた後、死んだ」

 突然、通訳の女性が顔を覆った。北海道出身。ナヌムの家のボランティアだ。おえつしながら声を振り絞った。「ハルモニは今、少女たちがどれだけ、どんなに残虐に殺されたか、細かく説明しています。通訳は勘弁してください」。重い、沈黙の時が続いた。

 カンさんの話す番が来た。こう始めた。「ここの皆さんに罪はありません。政府の責任です。皆さんの上の上の代がしたことです」「二度と戦争が起きないよう、問題を解決しなければいけない」

         ◆

 2人の違いは、予想外だった。本当は同じなのか。通訳が後で話してくれた。

 「日本には、慰安婦は金目当て、うそつき、と言う人がいる。何とか信じてもらいたくて、イさんは過去の体験をどんどん詳しく語るようになった。訳せないほどつらい話を。カンさんは、反発や恐怖をかわないよう、過去より、現在、未来を語るようになった」

 ハルモニたちの環境は近年、苛烈だ。ナヌムの家には、日本から攻撃の文書や映像DVDが送りつけられる。パソコンを破壊するウイルス入りのメールも届く。ハルモニが来日して講演をすると、男たちが罵声を浴びせ、つけ回す。今回の旅も、安全には気を使った。

 2人の笑顔をみられたのは札幌市清田区の北海道朝鮮初中高級学校を訪ねたときだ。朝鮮学校は、安倍政権になって高校授業料無償化の対象外と決まった。「制服で登校したいけれど、差別が怖い」と生徒たちは悲しむ。カンさんは励ました。「あなたたちと同じころ、ひどい目に遭ったが、頑張って生きて今日、会えた。困ったことがあったら手紙を寄こしなさい。私が日本政府に言ってあげる」。イさんは丸い背がしゃんと伸びた。「勉強をいっぱいし、平和な国を作るのよ」

 白老のアイヌ民族博物館も訪ねた。「日本人は昔、自分が1番と思って他民族を差別した。今は他民族も発展した。韓国で人間は高級な塊、と言う。粗末にしてはいけない」(カンさん)

 旅の終わり。老体に5日間の移動は、やはりこたえたのか。イさんは漏らした。「日本政府の回答を待ってもらちが明かないから来た。でも、つえを突くのも話をするのも限界。日本政府は私たちが死ぬのを待っている」

 最後に、イさんに聞いた。「日本人は憎いですか?」

「はい」

 即答だった。通訳を介さない、日本語の。

 実は、日本語を分かっていたと知った。殴られないよう、生き抜くよう、15歳の少女が必死で覚えたと知った。そして86歳のイさんから日本語を引き出してしまった自分の問いの、あまりの罪の深さを知った。(徃住嘉文)

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