- >>37511
>>37510
何時も思うのですが、フェイクから正式に出されていないのに
どうして そういった情報をあなたは存じていらっしゃるのか?
その情報は 何時 誰の情報によって入手したものなのでしょうか?
取材方法を開示してください。
- 1.本行寺でまたまた信者が大量離反
信者の移籍騒ぎに揺れる東京・本行寺(墨田区)で、新たに多くの信者が寺を
離れたという。一説には数百人が他の寺に移った模様だ。
本行寺では、昨年暮れに赴任した住職の村上節道が、折伏目標を達成したことに
するため、いい加減な成果稼ぎを信者に強要。嫌気がさした700人超が寺を去り
、本山・総二坊等に所属替えをしたが、その余波はいまだに収まっていないようだ。
もっとも、村上への同情の声も無いではない。ある信者いわく「宗務院は『信者を
倍増せよ』『50%増せよ』と簡単に言うが、小さなお寺ではできることが、
大寺院では困難なこともある。結果的に大寺院は水増し成果を報告せざるをえなく
なる。『上』はもっと現実を知るべきだ」と。
本行寺の混乱の大本をたどれば、結局は日如執行部の無能、無責任ぶりに行き
着くということだ。
- 2.隠居したがる坊主たち
隠居を希望する末寺住職が増えている。彼らは折伏や登山の過酷な締め付けに
心身共に疲れ果てているのだという。
坊主の死亡が相次いでいる。長野・妙相寺の住職で折伏推進委員を務めていた
石岡雄哲は、持病を抱えるなか、全国各地に派遣され、宿泊先のホテルの部屋で
変わり果てた姿で発見された(享年57歳)。
心臓に持病があった東京・妙声寺の數(かず)井(い)慈(じ)鑑(かん)も、折伏・
登山ノルマに追い立てられて体調を崩し、帰らぬ人となった(同77歳)。
千葉布教区支院長で清涼寺住職だった野村慈尊も病死した(同69歳)。
このような現実を目の当たりにすればするほど、住職たちは「死ぬ前に隠居し
たい」と考えるようだ。しかし、辞めたくても、先立つものがなければ辞められ
ないのが現実。蓄えの無い者は、体を壊しながらも住職を続けるしかないのだ。
3.1月の予定
1日(水) 新年勤行会(本山・末寺。寺によっては2・3日の開催も)
2日(木) 初登山会(3日まで)
12日(日) 御講(末寺)
- 大河さんや、はた京阪さん、またこちらを御覧の皆さんにも一考していただき
たく思い、以下ご両人の掲示版に投稿した内容を転載します。
相手が批判する事を指して「あなたは修羅だ」と断じるだけなら
ちよさんや大野さん、うるとらまんさんが「批判をするなんて酷い人」と
おなじように判断をしているだけではないでしょうか。
相手の土俵に降りてはいけませんよ。
若鷹の掲示版で指摘させていただいたのは、そういう事です。
批判の相手がどれだけ自分をバカにしていたとしても、そこは
問題の中心にすえてはいけないと思います。
ちょうど、2013/12/6付けの聖教新聞に
「なぜ迷惑行為はなくならないのか」という興味深いコラムが掲載されて
いました。
相手が不快と思えば「迷惑」といえます。
またその迷惑行為を批判された反論が、
「ルールで決められていない」とか「みんながやっているから」というのは
自分さえ良ければいいという行為でしかありません。
---
※相手を慮(おもんぱか)らないというのは、自分が正しいという思い込みに
縛られ、いろいろな事を考えていない状態です。
結局のところ「迷惑とは、考えないことである」というのはこれまでの研究
を通じての結論です。
迷惑行為をする側にとっても、される側にとっても鍵になるのは
「よく考える」事です。
(以上引用)
---
金城学院大学の准教授さんの指摘は「なるほど」とおもえますし、
これは意見の違う人とのコミュニケーションである「対話」のミソでも
あると考えます。
理解しようとにじりよっているにも関わらず迷惑行為をやめようとしない人
には、相手の羞恥心に訴える必要があるそうです。
(以下、大河さん、はた京阪さんのブログへの投稿コメント転載)
/////
ご指摘拝見しました。
共依存の関係は、集団外の人間に向けることができる批判を内には
絶対向けない事で成立します。
ちよさんは大野さんのコメント表示を容認するだけでなく、自らの
気持ちを代弁してくれたことのみに感謝をしているので、大野さんの
主張はそのままちよさんの意見ともいえます。
大野さんは、ちよさんを批判する人を「酷い人」だと賛同しているから
こそあのコメントが書けたのであり、ちよさんは大野さんの
批判にたいして無条件の賞賛を送ったのですから、聞くまでもないと思います(笑)
決めつけはよくないとお叱りを受けるかもしれませんが、
相手側もその時だけの状況証拠だけで「決めつけ」ているのですから、
こちらもある程度アタリをつけても問題ないでしょう。
もし、「そうではない」というのなら、ちよさんにも大野さんにも反論の機会
は保障されていますし、時間はいくらでもあるのですから。
大河さんも、相手の批判的な発言内容にも「一理ある」ところに注目して
主張を組み立てると、冷静な反論ができると思います。
- (発行=13.12.12)
日如「昔は謗法厳誡はなかった」
軍部に媚び、戦争に協力した日蓮正宗 ②
「伊勢神宮への陛下の御親拝に恐懼感激」
日蓮正宗は昔も今も謗法容認の邪宗門である。昭和六十三年の御書系年委員会の
席上、早瀬日如(義寛)が永栄義親に向かって「なあ、謗法厳誡なんて言ったって
、昔は関係なかったよな。子供の頃は皆で浅間祭りに行っていたよな。
創価学会が出来てから謗法厳誡になったんだ」と語りかけていた。
これは改革同盟の山口雄在氏の証言である。
日如は謗法に慣れ親しんでいるから大石寺の総代が伊勢神宮を本宗とする曽我
神社の氏子総代と兼務していても、また大願寺時代には講中の幹部が身延派の
寺院に通って塔婆供養をしても、禅寺に墓を建てた日顕と同様、平気でいられる
のである。
この「謗法厳誡なんてなかった」との日如の言葉通り、宗門七百年の歴史は謗法
に塗れていたことは周知の事実だが、特に、戦時中の日蓮正宗は国家神道一色に
染まっていた感があった。
これまで本紙では御観念文の改変、御書の刊行禁止、要文の削除、本地垂迹説の
不使用、伊勢神宮遙拝などの院達、更に神札甘受などに関して再三、述べてきた。
そこで、本号では「日蓮正宗報国団」について記すことにする。
報国団とは国民を戦争に駆り立てるための組織である。昭和十七年十一月十九日
に大政翼賛会の宗教報国組織の一翼を担うため「日蓮正宗報国団」を結成し、
総裁には管長の鈴木日恭が就任した。
報国団本部を日蓮正宗宗務院に置き、各宗務支院には分団を置いた。
同団の規則には「本團は肇国(ちょうこく)の聖意を体し擧宗一致時難克服、
挺身皆労以て宗教報国の完遂を期す」と、その目的を記している。
また、構成員は「本宗の全僧侶檀信徒を以て組織し本宗の僧侶檀信徒たるものは
必ず本團に入團するものとす」となっていた。
主な活動としては献金並びに軍機献納資金、僧侶・檀信徒に対する米英撃滅
のための錬成、報国勤労作業などであった。
靖国神社への戦死者の祭祀を評価
宗務支院毎に報国団の分団が結成された。昭和十八年一月十五日に結成された
名古屋の「第七分団結成式並報國法要」での日恭の祈願文を抜粋して紹介する。
「本日を卜して報國法要を嚴修す 抑ゝ(そもそも)今次大東亞戦役は皇國の
興廢を堵せる振古未曾有の大戰にして東亞に於ける米英の禍根を除去し大東亞
隣邦の共存共榮を遂げんとする實に邦家自衛の止むなきに出づる所なり」
(大日蓮より)
日恭の祈願文では戦争の正当性を述べたあと、驚くべき文面が続いている。
「畏くも 聖上陛下には昨冬十二月十二日伊勢神宮に御親拜と拜承し奉る、是れ
赤子たる我等國民の齋しく恐懼感激する所なり」
ちょうど、七十一年前のきょう十二月十二日、陛下の「伊勢神宮への御親拜」
に「恐懼感激」していると述べていた。これだから日恭が伊勢神宮遙拝の院達
を出したのも頷ける。
更に、このあとも「英靈の祭祀に其の周到鄭重を極む。爲めに士気愈々
(いよいよ)軒昂たり」と靖国神社に戦死した人を奉祀することを称えていたのだ。
- (発行=13.12.12)
日如「昔は謗法厳誡はなかった」
軍部に媚び、戦争に協力した日蓮正宗 ②
「伊勢神宮への陛下の御親拝に恐懼感激」
日蓮正宗は昔も今も謗法容認の邪宗門である。昭和六十三年の御書系年委員会の
席上、早瀬日如(義寛)が永栄義親に向かって「なあ、謗法厳誡なんて言ったって
、昔は関係なかったよな。子供の頃は皆で浅間祭りに行っていたよな。
創価学会が出来てから謗法厳誡になったんだ」と語りかけていた。
これは改革同盟の山口雄在氏の証言である。
日如は謗法に慣れ親しんでいるから大石寺の総代が伊勢神宮を本宗とする曽我
神社の氏子総代と兼務していても、また大願寺時代には講中の幹部が身延派の
寺院に通って塔婆供養をしても、禅寺に墓を建てた日顕と同様、平気でいられる
のである。
この「謗法厳誡なんてなかった」との日如の言葉通り、宗門七百年の歴史は謗法
に塗れていたことは周知の事実だが、特に、戦時中の日蓮正宗は国家神道一色に
染まっていた感があった。
これまで本紙では御観念文の改変、御書の刊行禁止、要文の削除、本地垂迹説の
不使用、伊勢神宮遙拝などの院達、更に神札甘受などに関して再三、述べてきた。
そこで、本号では「日蓮正宗報国団」について記すことにする。
報国団とは国民を戦争に駆り立てるための組織である。昭和十七年十一月十九日
に大政翼賛会の宗教報国組織の一翼を担うため「日蓮正宗報国団」を結成し、
総裁には管長の鈴木日恭が就任した。
報国団本部を日蓮正宗宗務院に置き、各宗務支院には分団を置いた。
同団の規則には「本團は肇国(ちょうこく)の聖意を体し擧宗一致時難克服、
挺身皆労以て宗教報国の完遂を期す」と、その目的を記している。
また、構成員は「本宗の全僧侶檀信徒を以て組織し本宗の僧侶檀信徒たるものは
必ず本團に入團するものとす」となっていた。
主な活動としては献金並びに軍機献納資金、僧侶・檀信徒に対する米英撃滅
のための錬成、報国勤労作業などであった。
靖国神社への戦死者の祭祀を評価
宗務支院毎に報国団の分団が結成された。昭和十八年一月十五日に結成された
名古屋の「第七分団結成式並報國法要」での日恭の祈願文を抜粋して紹介する。
「本日を卜して報國法要を嚴修す 抑ゝ(そもそも)今次大東亞戦役は皇國の
興廢を堵せる振古未曾有の大戰にして東亞に於ける米英の禍根を除去し大東亞
隣邦の共存共榮を遂げんとする實に邦家自衛の止むなきに出づる所なり」
(大日蓮より)
日恭の祈願文では戦争の正当性を述べたあと、驚くべき文面が続いている。
「畏くも 聖上陛下には昨冬十二月十二日伊勢神宮に御親拜と拜承し奉る、是れ
赤子たる我等國民の齋しく恐懼感激する所なり」
ちょうど、七十一年前のきょう十二月十二日、陛下の「伊勢神宮への御親拜」
に「恐懼感激」していると述べていた。これだから日恭が伊勢神宮遙拝の院達
を出したのも頷ける。
更に、このあとも「英靈の祭祀に其の周到鄭重を極む。爲めに士気愈々
(いよいよ)軒昂たり」と靖国神社に戦死した人を奉祀することを称えていたのだ。
- 教えていただいて沖浦さんの掲示版を拝見しましたら
富士宮ボーイ掲示板の多重ハンドルアラシについて「太ちゃん」さんが
私に心配りをされていました。
掲示版ごしですが、感謝いたします。
『不適切な表現』と出た場合はIPで跳ねられているのではありません。
かくいう私も何度かこの表示がでた覚えがあります。
なにが、太ちゃんさんの投稿で不適切とひっかっかった理由は私には
わかりかねますが、ある掲示版のリンクである可能性もあります。
ところでネットから距離をおくはずだったのではありませんでしたか?
今年年初は確かにひどかった。1月ひと月で自然の青空が戻ったのが4、5日しかなかったと記憶する。今でも印象深いのは、公明党の山口さんが習主席と会見した日(1月25日)が大晴天だったことだ。とても気持ちよかった。
そして先週から、上海を典型として南方の汚染がひどいと聞く。出張から戻った同僚が「20メートル先の視界がきかなった」と話していた。市内交通どころか、飛行機の離着陸にも支障があり、どうやって帰ろうかと一時思案にくれたとも。
分野が全然違うが、今朝ネットで読んだ報道は大きな慰めとなった。中国国営通信社のを邦訳したもので、訳者(邦人の模様)の主観的表現が含まれているにせよ、いい話しだと素直に読まれ、実は当たり前のことだとも感じた。
女性の研究者が5年の日本滞在中に出産した時の体験――人々の心配り、支援を受けて、日本に対する好印象が更に深まった。そして、それを聞いた彼女の友人が、それまでの排斥から「敬意」までを抱くようになったと言う話しだ。
少し辛口に言って、そのような話しは多い。が、相手に伝えて心の琴線をはじき、考えを改めさせるほどの話しは、そう多くない。仏法的に言うとさしづめ五十展転。伝えることが先決。同時に心を揺さぶる力を、こちらからどう送るか。力とは歓喜、感動だ。
先日、読んでもいない本の講評をした(当板№37297)。中国にいる日本人の体験談集だが、緊急時、非常時のもので、平時で考えられないこと。今回の主人公は、戦時下や動乱期でない平時での体験。状況の違いはとても大きいと思う。
大変な中、誰かの助けで九死に一生を得たのも尊いが、何気ない日常での触れ合い、それがいがみ合いであったとしても、その方が聞き手の現実的な共感を生むんじゃなかろうか。危機的状況を生きるバーチャル体験の提供よりもだ。
実際、我々の日常は艱難辛苦で満ち満ちている。外来の突発時より内在の恒常的な苦悩の方が悩ましい。これも一つの真情。日本社会で何の変哲もないことが、主人公の心を打ち、聞き手の心を動かしたのには、相応のわけが必ずある。
世界を震撼させるPM2.5にも原因は必ずある。とろこが素人の私に分からないし、方策もない。しかし、不要で有害な「心のPM2.5」については、しっかりした方策がある。しかも、とても有効だ。勿論、これは個人の問題に過ぎないが。
互いの隣国に対する「心のPM2.5」は現実を反映している。原因が分かっているのに簡単に除去出来ない。また局所から大局へとどんどん拡散し、互いの嫌悪感として定着しつつある。調査や分析結果でなく、追体験の押し売りでもなく、本当の方策を講じねばならない時が迫っている。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- また菊川さんが近況報告としてブログを更新しています。
曰く、
※精神的にも疲れが溜まっていましたが、随分、リラックスしてほぐれて
きました。
出社時間も多少、早くなりました。
このように、ブログにかけていた時間の枠が、生活全体に広がって、
ものすごくリッチになっているのです。
(近況報告2 より)
ブログを更新する事、コメンターの応答に手間取った事で精神的にも肉体的にも
ストレスだったという事ですね。
「ブログにかけていた時間」というよりも、菊川さんは意識していないでしょう
けれど「ブログにかけさせられた時間」と言えます。
公開コミュ系のブログを設立される場合、おそらくブログ主は
「自分本位で発言ができて、自分を好む人が集まってきてくれるだろう」という
漠然とした予想してしまうでしょう。
ところが違います。
より専門的な分野や趣味の話しともなると、その内容によっては
読者から批判を受けたり要望をうけたりします。
読者の反応を期待してブログコミュをつくっているがために
読者の反応を見て記事やコメントを書かねばならす自分本位の発言という
ものがどんどんできなくなってきます。
気がつけば、本来の自由さはなくなり、読者におもねった内容に片寄って来ます。
ネットで「自分自身が思ったことを言いたい」という目的はコミュニケーション
によって、かなりゆがめられてしまう場合も充分ありえるワケです。
当然集団になれば、細かいところでいろんな意見をもっておられる方が
いても不思議ではありません。
でも、そんな風になっていてもブログ主はコミュ内の「和」をたもとうと
評判のよい気の抜けた記事を書き続けたり、よせられたコメントの返答時間を
割き、「和」を乱しかねない批判的な意見を封殺するために、マメに自分の
ブログをチェックし、ちょっとした批判イベントを講じてみたりして「自由な表現」
よりも「コミュニティの延命」に時間的精神的労力をかけて
しまうのです。
とても暇な人ならいざしらず、仕事や家庭、学会活動を真面目にこなして
いる人であれば自分の趣味に使える時間など限られてきます。
よほど要領の良い人であれば、時間を決めて価値的につかう事ができるでしょうが、
ブログコミュ重視の方であればあるほど、家庭や学会活動へのとりくみがおろそか
になりがちです。
なぜかというと、限られた時間である場合
人間は自分により近しいコミュニティを優先するものだからです。
極端な話ですが、想像してみてください。
もし、学会員さんが自分が不治の病気になって余命が少なくなった事を知った時
に、家族、仕事、趣味、学会活動に使う時間の配分をどのようにしますか?
病気の方、健常者にかぎらず、一日は24時間しかありません。
その枠の中で現実社会を生きているのは皆さんも同じです。
おそらくは、自分にとって大切だと思えるコミュニティ順に時間を配分するでしょう。
だとするなら、リアルと関係の薄いネットでのコミュニケーション
(ある意味趣味のジャンル)で時間を割けば、どこかに足らない時間の
しわ寄せがいくのは当然のことです。
菊川さんの場合、複数あるブログの一つを更新しなくなっただけで
出社時間が早くなり、生活に余裕がでてきたそうです。
つまり、菊川さんにとってブログコミュの為に割いた時間は、生活や仕事に
負担をかけていたという事です。
ブログを始めて五年もの間、この時間を勤行や学会活動、自己研鑽に当てる事
は考えつかなかったのでしょうか。
とすれば菊川さんの「信心」に対する優先度がわかろうというものです。
菊川さんはどうやら、ネットでの自分に対する反応(評価)が少なくなる事を
恐れているようです。
- (発行=13.12.08)
「今の日顕宗に布教の資格なし!」
軍部に媚び、戦争に協力した日蓮正宗 ①
時の法主が日米開戦を「感激に堪エス」と
今から七十二年前の昭和十六年(一九四一年)十二月八日、日米は不幸にして
戦争に突入、両国の国内要因に加えて複雑な国際情勢が絡み合って勃発した。
この日米開戦の日に当たり、日蓮正宗の戦争協力について改めて考えてみたい。
日蓮正宗が戦争に協力した実例としては①開戦の日に時の法主・六十二世の鈴木
日恭(写真㊦)が戦争を奨励する「訓諭」を発した②軍事献金を出して海軍大臣
から「感謝状」を受けた③新年の御開扉などで必勝祈念の国祷会も行なった
④信徒の戦死を「本宗宗徒の面目を全す」と賛美していた⑤「日蓮正宗報国団」
を結成して大政翼賛運動に参加した⑥御虫払会、御大会の二大法要も戦意発揚の
場にした、等が挙げられる。
また、御観念文を改変したのをはじめ、御書の刊行禁止、要文の削除、本地垂迹説
の不使用、伊勢神宮遙拝の院達までも出し、神札を受容して時の権力に屈した
のである。
先日、これを知ったアメリカの友人が「日蓮正宗は私達に法を説く資格なし」と
語っていたが、宗門の戦争協力の史実を、もっと広く知らせていく必要がある。
日恭が開戦の日に「宗内一般」に対して発した「訓諭」(左に掲載)の冒頭で
「本日米國及英國ニ對シ畏クモ宣戦ノ 大詔煥發アラセラレ洵ニ恐懼感激ニ堪エス」
と「恐れ多くも感激した」と述べていた。
また、日恭は「訓諭」の中で「幸ヒ帝國ハ御稜威ノ下忠勇無双ノ陸海軍アリ
既ニ戦端開始第一日ニ於テ驚嘆スヘキ戦果ヲ挙ケラル我等感謝ニ堪エス」とも賛嘆。
この「御稜威」とは神格を有する天皇陛下の威光という意味であり、「現人神」の
下にある陸海軍が開戦の第一日に多大な成果を挙げたことに「感謝」していた。
海軍機動部隊による真珠湾への奇襲攻撃の戦果を喜んでいたのである。
そして「本宗宗徒タルモノ須ク聖慮ヲ奉體シ 佛祖ノ遺訓ニ基キ平素鍛錬ノ
信行ヲ奮ヒ(中略)未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ 右訓諭ス」と結んで
いる。
「聖慮」、即ち「現人神」である天皇陛下の考えを戴いて「佛祖ノ遺訓」に基づい
て戦争に勝利するよう呼びかけた。
国をあげて戦争へ突入していった時代とはいえ、日蓮正宗の当時の法主の訓諭に
驚嘆するが、今もって一片の反省もない。こんな邪宗門には国内でも、海外に
向けても布教の資格など全くない。 (つづく)
(参照画像)
http://6239.teacup.com/574744/img/bbs/0000113.jpg
No.37495 あはは なりすましですね
投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-12-09 13:33:47
http://masacha-ag.hatenablog.com/
※一つには学会内部に属している者の意見・主張であるという点に
ご留意頂きたいと思います。
その上で、どちらかと言えば、同じく現在学会に所属している方を
主な対象(その中でも特に3世会員・新入会員の方々)として記事を
発信していきたいと考えています。
//////
先日話題に出した自称学会三世の青年部のブログの最新記事が
大石寺の御影堂落慶法要の折に参詣してみたら、大石寺はきれいだった
というお話でした。
しかも〆のセリフは、
※僕が拝見した限り、日蓮正宗の信徒の方は、意気揚々と総本山に
集い合い、笑顔も絶えません。また、口々に「今月も御戒壇様に
お目通り出来て幸せだ」と、会話も心弾むようです。大石寺の境内も
非常に綺麗です。このことからも、明らかに、創価学会側の流している
情報が虚偽・デマだということがわかります。
「富士大石寺なんて、荒れ放題なんでしょ」と、創価学会の情報を
鵜呑みにしている皆さん。
ちゃんと自分の目で確かめましょう。
http://masacha-ag.hatenablog.com/entry/2013/12/08/203832
おもわず笑いました。
これ、なんちゃって学会員のナリスマシだと思います。
>>37495
>>
>>おもわず笑いました。
>>これ、なんちゃって学会員のナリスマシだと思います。
>>
阿部日様
音楽談義、有難うございます。
マーラーですね。はい、了解致しました。
で、↑について、私が断言するのもなんですが(笑)、
いや、絶対に学会員じゃないですよ。。。o(*^▽^*)o~♪
言葉、用語遣いがメチャクチャ可笑しいですね。
「現・役・ヤ・ン・グ・男子部」なはず絶対にないこと、うけ合いです。
ア法華でも相当年季が入った世代でしょう。。。
しかも引用文献の古いこと、古いこと、的外れなこと。
個人的にちょっと気になるのが「新編」ですが、
新編・・・御書全集なんでしょうか、平成新編なんでしょうか?爆笑。。。
現役ヤング男子部員たらが「平成新編」なんか持ってるかぁ~?
平成新編のページを示して、学・会・三・世・に何を訴えたいのだぁ~?
なんでこんな単純なミス(致命的!)に気づかないのでしょう?
ま、そのような人なんでしょうね。。。
ホント、自分の目でしっかり確かめて、楽しませて頂きました。
百聞は一見に如かず。今日も本当に有難うございました。マグマグo(*^▽^*)o~♪