特定秘密保護法で守られる秘密と報道との関係をどう考えるべきか。自民党の石破幹事長が発言を続けている。

 石破氏の趣旨は、特定秘密の報道で国の安全を損ねていいのかということだ。だが、石破氏が例に挙げた暗号のような機密を明らかにすることが、国民の知る権利にこたえることだと考える報道機関はあるまい。

 そうした考えにくい例での説明は、この法の本質から国民の目をそらすことになる。

 おととい、日本記者クラブで石破氏はこう語った。

 「報道することによってわが国の安全が危機にひんすることであれば、何らかの方法で抑制されることになるだろう」

 報ずれば処罰されると示唆することで、記者らを牽制(けんせい)する狙いがあったのは明らかだ。

 ただ、石破氏は会見の後、「報道した当事者は全く処罰の対象にならない」と訂正。報道についても「抑制は求めない」と言い直した。

 ところが、きのうのラジオ番組では「国の安全に大きな影響があるとわかっているのに、報道の自由として報道する。処罰の対象とならない。でも大勢の人が死にました、となればどうなるのか」と話した。

 石破氏や安倍首相は、秘密指定されるのは情報衛星の画像や暗号、兵器の性能など、厳選された情報だと強調する。

 一方で懸念されているのは、この法ではそうした防衛機密にとどまらず、政府に都合の悪い情報がひそかに秘密指定され、永遠に覆い隠されてしまうおそれがあるということだ。

 格好の例が、71年にニューヨーク・タイムズ紙がスクープした米国防総省の秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」だ。

 米政府のベトナム介入の経緯をまとめたこの文書について、当時のニクソン政権は掲載差し止めを訴えた。しかし、米連邦最高裁は報道する意義を認め、これを却下した。

 日本記者クラブで石破氏は、こうした報道も罰せられるのかとの質問に、「最終的には司法の判断だ。内容によるのではないか」と言葉を濁した。

 拙速審議で成立した特定秘密保護法には、あいまいな点がたくさん残っている。国民に知らされるべき文書も秘密指定されかねない点、取材や情報収集のやり方次第では記者や市民も処罰されうる点などだ。

 石破氏の発言の曲折は、法があいまいな何よりの証拠だ。

 石破氏にお願いしたい。報道の危うさを叫ぶより、まずは国会で法の不備を改めてほしい。