中国で日本語を勉強する学生たちの間で広く知られる第9回「中国人の日本語作文コンクール」(日本僑報社主催、朝日新聞など協賛)の表彰式が12日、北京の日本大使館であった。日中関係の対立が深刻化しているにもかかわらず、集まった応募作は、前年比約1割増となる2938本。最優秀賞(日本大使賞)には、百人一首を通じた国際交流の経験を書いた李敏さん(国際関係学院)の作文「カルタ・カンタービレ/百人一首ラブストーリー」が選ばれた。

 木寺昌人・駐中国大使は表彰式で「日本語を一生懸命に勉強してくれていることに感謝します。日中関係がどうなるか心配しているとも思いますが、関係をよくするために、みんなで頑張ります」とあいさつした。学生たちは舞台で順番に受賞作をスピーチ。李さんは作文に書いた百人一首の競技について「畳の上の格闘技」とも呼ばれていることなども日本語で説明し、集まった両国関係者の関心を集めていた。

 日本僑報社は3等賞までの受賞作計61本を、作文集「中国人の心を動かした『日本力』」として出版。受賞者などの詳細は、同社のサイト(http://duan.jp/item/163.html)まで。(北京)

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■主な受賞者は以下の通り(敬称略)

・最優秀賞(日本大使賞)

李敏(国際関係学院)

・1等賞

李渓源(中国医科大学)、趙思蒙(首都師範大学)、毛暁霞(南京大学金陵学院)、李佳南(華僑大学)、張佳茹(西安外国語大学)

・2等賞

李柚(中国医科大学)、沈泱(中山大学)、張偉(長春理工大学)、何金雍(長春理工大学)、葛憶秋(上海海洋大学)、王柯佳(大連東軟信息学院)、王雲花(江西財経大学)、李靈(上海師範大学天華学院)、王楷林(華南理工大学)、鄭曄高(仲●農業工程学院=●はりっしんべんに山の下に豆)、朱樹文(華東師範大学)、斉氷(河北工業大学)、厳芸楠(浙江農林大学)、熊芳(湘潭大学)、杜洋洋(大連大学日本言語文化学院)

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■最優秀賞受賞作文は以下の通り

 私は今、大学院の1年だ。大学3年生の時、大学院に進学することを決めた。第一志望校の受験について先輩に聞いてみた。古典の問題が出るという。しかも、その古文の試験問題は百人一首から出題されるとわかった。ショックだった。和歌が百首…あまりに多すぎると感じたからだ。しかし「憧れの大学院に入るためだ、覚えるしかない!」。大学3年の9月、この悲壮な決心が私と百人一首とのあまりにもロマンチックではない出会いだった。それからは毎日、百人一首との「胸ときめかない」1時間のデート、読んでは意味を調べて覚える地味な付き合いを続けた。

 最初、百人一首は「カミヨモキカズ」というような音でしかなかった。その和歌の一部が「神代も聞かず」と聞こえるようになり、そして、半年後はさらに「神様の世だったときですら、聞いたことがないほど」の美しい紅葉の風景を思い浮かべ、「カルタ・カンタービレ(=歌うように)」、まるで歌声のように耳に響くようになった。私は百人一首の世界の虜(とりこ)になっていた。

 さらに、百人一首と付き合って、百人一首の新たな一面を知ることができた。それは、競技かるただ。競技かるたは、日本の伝統的な遊びで「畳の上の格闘技」と言われている。百人一首の暗記力を競うものであるが、競技かるたとなると、それと同時に札をとる、瞬発力・精神力が必要とされる。「自分が今まで学んできた百人一首がこんなふうにも楽しめるんだ! すご~い! やってみたいなぁ!」と思ったのだ。

 でも、さすがに、練習所など、あるはずもなく、畳のある部屋なんか、夢でしかない。私はひとりぼっちで、床の上に蓆(むしろ)をひろげた。蓆は裏返して使うと、なんとなく、日本の畳の感じがするからだ。ルールをネットで調べながら、パソコンで読みを流し、一人で札をとる練習を続けていた。私には本来「好き」でありさえすれば、どんな困難があっても、やりぬけるという信念がある。

 今まで努力した甲斐があって、私は素晴らしいチャンスに恵まれ、中国代表として、百人一首国際かるた大会に出場し、蓆の上から、本物の畳の上に躍り出た。

 「和歌の世界」でしか見たことのない和装、袴(はかま)を身につけ、百人一首を読み上げる美しい声が耳に響き、目を閉じると、本物の畳の香りがした。夢みたいだった。そして、各国の選手たち皆と一緒に、一生の忘れられない思い出をたくさん作ったのだ。

 日本の方々からの至れり尽くせりのおもてなし。

 ずっと憧れていた名人やクイーン(カルタの上級者)からの経験談。

 小4のクィン君(米国選手)と対戦した時の、小学生だと思えないほどの真剣さ。年配の大口さん(タイ選手)と対戦した時の、札を取った瞬間、顔に浮かんでいる赤ちゃんのような笑顔。など、など…。

 心から百人一首を愛している方々とお会いし、話し、感動と感謝の気持ちがあふれていた日々だった。

 皆一人一人が、それぞれの国籍を持ちながら、今、かるたで心がつながり、気持ちが一つとなった。「言葉には国境はありますが、心の交流には国境はありません」。これはまさに、文化の力なのだ!

 かささぎネットでルールを調べていた時、北京にかるたのサークル「北京鵲橋(かささぎばし)かるた会」があると知り、その名を見た一瞬、心の琴線に触れられたような気がした。

 「かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける」。牽牛(けんぎゅう)と織姫がかささぎのおかげで、彼らのストーリーを続けてきたという美しい歌で、百人一首のなかでも、私が一番好きな和歌だ。私も、百人一首かるたを含む文化交流を通して、共通の興味を持っている友達をつくることによって、微力ながら、中日友好や世界友好のために、一羽の鵲となりたいのだ。今回の貴重な経験や、楽しい思い出、これら一つ一つを自分の宝物に、このお別れを新たな始まりとし、また会えることを信じて頑張っていきたいと思う!

 みんな、一緒にかるたやりませんか?