友達が小説を書いたということで、小説をメールで送ってきました。なんかそれに触発されて小説を書いてみたくなったので、ばばっと書きました。載せます。たぶんすぐ恥ずかしくなって枕に顔をうずめつつ記事を消去するという技を遂行するであろうと思われます。
目が覚めた直後は、得たいの知れない高揚感に満たされていることが往々にしてあることは、自分以外の人間も同意してくれることであろうか?その瞬間だけは、この世界が冒険という冒険に満ち溢れた刺激的なものであるということ、乗り越えていくべき障壁を突破していく力が自分の全身を駆け巡っているということを疑おうなどということは、夢にも思わないことなのだ。他の人間たちもそうなんだろうか?彼らがそうであるかどうかで、俺がこの世界をどう捉え、どう応じていくべきかというのが左右されていくだろう。これは非常に重要な問題だ。
このような思考を展開するのに要する時間の十分の一もしないうちに、覚醒直後の変身時間は観念という重たいものに変質する。さあ始まってしまった、鉛を溶かしたような、重たくてねばねばしたこの世界。時刻は6時43分。シャワーを浴びて、朝ごはんを食べて、自転車で学校に行ったらちょうどホームルームが始まる、といった時刻だ。布団から出たくはないが、さっさと出ないと学校に遅刻してしまう。学校に遅刻、か。なんで学校に遅刻することを俺は恐れているのだろう?それで何か不都合があるんだろうか?冷静になって考えてみれば、ホームルームに遅れても、1時間目に間に合えばそれで授業には間に合うし、そしてホームルームに出ることによる自分へのメリットというのを具体的に挙げることはむしろ難しいもののはずであるから、つまりはホームルームに間に合うように行動する必然性を俺は持ち得ていないはずなのだ。けれど俺は布団から出る。なぜ俺は布団から出るのか?俺を布団から脱却させるもの、それは一体なんなのか?ここには間違いなく外部からの「力」が働いていることは間違いが無いだろう。「ホームルームに遅れてはいけない」この観念を内面化させているなんらかの「力」。だがこいつの正体を考えていては、学校に遅刻してしまう。ああ、また学校に遅刻することを恐れているのか。いかにそのような「力」に自分が支配されているかの証がこの思考の流れに現れている。だがそれは後回しにしよう。早くシャワーを浴びなくてはならないという現実の問題がある。ああ、こうやって俺は「現実の問題」に翻弄されながら、一体いつになったらこの鉛の沼から抜け出せるのか。うんざりする。そもそもいつまで抜け出したいと思っていられるだろうか?
リビングに行くと、母親が作った朝ごはんがテーブルの上に置かれている。ベーコンエッグと、チーズの乗ったトースト。彼女はあまり料理に気合を入れないタイプだ。そのことが、彼女が鉛の沼から抜け出そうとすることを諦めていることの明らかな表れであるのは、誰が見ても同意する事実というものであろう。それが良いことなのか悪いことなのか、その「良い」と「悪い」を決める基準をまず捉えなくてはならないが、その前に早く目の前の物質を体内に吸収しなければ学校に遅刻してしまう。また「力」に支配されていることを自覚させられてイライラしながら、それらを胃に流し込む。
食べ終わったらシャワーを浴びる。昨日の夜も風呂には入ったが、それでも頭だけは朝にもう一度洗わないと気が済まないたちなのだ。入念にお湯で頭を流し、優しい手つきで頭をシャンプーする。バスタオルで体を拭いて、ドライヤーで髪を乾かす。美容院で美容師さんに教わった乾かし方を意識して丁寧に乾かす。軽くワックスで整えて完成。自分の容姿を清潔にできるだけ美しくしようと努めるのは人間の義務だと俺は思う。例え学校で俺が空気のような存在だったとしても、この努力は間接的に俺を助けているはずだし、なによりそうすることで自分というものをしっかり保ち、この世界に立っていられるという実感を得ることができる。
シャワーにずいぶん時間をかけたので、自転車で2,30分かかる学校まで今から向かってようやくホームルームに間に合うという時間だ。イヤホンで音楽を聴きながら自転車を走らせる。周りには同じ高校に向かう生徒たちが、同じ方向を目指して黙々とペダルを漕いでいる。なんとも気持ちが悪い光景だ。けれどそのことにはペダルを漕いでいる彼らは気づいていないのだろう。気づいていないという言い方は語弊があって、これは俺の観念において気持ちが悪い光景なのであるが、やはり全員が同じ方向に向かっているというのは何か不気味なものを感じさせる。何を思って彼らはペダルを漕いでいるのか、それを知ることは、今朝の一瞬に生じた疑問と同じように、俺がこの世界をどう捉え、どう応じていくべきかというのを左右していくだろうが、しかしそれを知る術は俺にはない。それが、この鉛の沼から抜け出ることが難しいことの理由の一つであるのは、誰の目にも明白なことのはずだ。
そんなことを考えていたら、目の前に学校が見えてきた。