苦楽をともにしてきた老妻が死んで、葬式もすんだ。隣家の奥さんが通りかかって「お寂しゅうなりましたなあ」。「一人になると急に日が長(なご)うなりますわい」。つぶやく夫の向こうに瀬戸内の海――。変哲もないシーンながら、映画「東京物語」のラストは何回見ても胸にしみ入る▼監督の小津安二郎は「映画ってのは、あと味の勝負だと僕は思ってますよ」と後に語っている。その術に心ふるわせたファンは多かろう。世界的な巨匠の、きょうは誕生日にして命日。生誕から110年、没して50年にあたる▼作品の多くは、家族や人のつながりを「無常の相」としてとらえる。古き良きものが崩れていく現実が淡々と示される。作詞家の故・阿久悠さんは小津映画を見ながら、家の間取り図を描いたことがあったそうだ▼そこでは家族それぞれが、他の家族を見るともなく目の端に入れながら暮らしている。盆栽をいじる父、料理をする母、本を読む妹、グローブに油を塗る弟――。「絆」という語をあまり叫ばずにすんだ時代かもしれない▼いま、「孤」という字が社会にのさばる。むろん家族にも地域にも煩わしさや重荷はある。それを嫌って、つながりを断ち切る方向にアクセルを踏みすぎて来なかったか。功と罪を、古い映画は問うているかのようだ▼「おれは豆腐屋だから豆腐しか作らない」と言って作風を変えなかった。今ならどんな映画を撮るだろう。その墓は鎌倉の円覚寺にあって、「無」の一文字が刻まれている。