亜空の海への移住者たちは特に何事もなく、試験を終えた。
リミアへ出発する日も上手いこと延び延びになってくれて、面談まで先に済ませることができるのはラッキーだと思う。
向こうには向こうの都合もあるだろうけど、こちらにもその方が都合が良いなら事を荒立てる事もない。
そんな訳で僕は亜空の海に移住する、色んな意味での猛者たちと最終面談の日を迎えていた。
この前の時と違ってある程度勝手もわかっているから、余裕をもって相手を待てる。
試験の様子なんかも資料として事前に渡され、既に読んでいるから予習もばっちりだ。
「では、始めます」
横にいるのは今回もエマ。
彼女には本当にお世話になってる。
そうして、海の種族達との面談が始まった。
最初に来たのはサハギン。
彼らは頭部に河童の特徴を持つ半漁人である。
水陸どちらでも生活できるけど、生活のメインは海。
家もそっち。
資料を見る限り、実に穏やかに亜空の海で暮らしていた。
狩猟も採集も得意で、一部海の畜産みたいな事も試みていて……僕の印象としては海のハイランドオークといったイメージだ。
どの種族との軋轢はなく、是非移住したいという意思も示している。
更に建設予定の港湾都市との連携も肯定してくれていてこちらとしては断る理由も全くない優等生。
族長さんご夫婦との面談もスムーズに終わり、エマも終始ニコニコ。
何とも平和な面談のまま終わった。
ちなみに緑の鱗が男で鮮やかな赤い鱗が女。
男が戦士を担当し、部隊戦闘が得意、魔法も水に関わるものなら得意な方だとか。
戦闘スタイルならミスティオリザードに近い印象を持った。
なんにせよ、いい出だしだ。
「次は?」
「人魚ですね」
「……ここへはどうやって来たんだろ」
下半身魚全開なのに。
面談は陸地でやってる。
陸に上がれない種族は後にまとめていて、そっちは会場が別だ。
「何でも代償つきの薬で一時的に人型になれるそうです。なので私どもからの援助は今回は必要ないという事でした」
「なに、その悲しい御伽噺的な感じは」
声がー、とか体が泡にー、とか?
笑えないんだけど。
むしろこっちが海に行くからって感じだ。
「ええと、代償はランダムらしいですが大した事はないもののようで、一番重い代償で微熱だそうです」
「……確かに秘薬とは言ってないよね。何でか騙された気分がするけど」
それでも市販薬レベルかよ、と突っ込みたくなった。
「若様? 次の方々をお呼びしても?」
「あ、ああ。いいよ」
「ではお呼びします」
と、今日の第一印象はあまり良くなかった人魚だけど。
人格的には全く問題ない人たちだった。
というか、戦闘を嫌うあまり亜空からの誘いに乗った、という位の平和思考。
最近ヒューマンの漁場が増えてきた事で種族間の摩擦が生まれるのが嫌で、引越し先を考えていた所だったらしい。
魔法の使い手として優秀との報告があり、主に回復系統を扱うのみだがそれでも特筆に価する種族だとか。
あとは芸能を好み、本人達は歌が好き。
その関係でセイレーンやローレライともここで仲良くなっていた。
彼女達は薬を使うなどの手段で陸にも適応できるけど、本来の住まいは海。
種族で村を持ち、現状の延長で生活したいと希望があったけど、ソレは当然OK。
他種族との関わりは好意的に受け止めているし港湾都市への協力は約束してくれたから。
エマも一通り話をして、最後の僕からの確認の視線にも満足げに頷いた。
「近々我々を招待して歌を披露してくれるとは、嬉しいですね」
「そうだね。折角だから海辺で盛大にお祭りでもやろうか、ぱーっと」
「新たな同胞との出会いを祝して、ですか。素晴らしいお考えだと思います。早速企画しますね」
「よろしく」
と、エマとお祭りの話をした後に登場したのは……山。
マリンブルーの小山。
この面談会場は海辺に設営されている。
後々集会場にも使えるようにと、かなり大きな体育館のような建物だ。
ただ入り口は巨大。
開ける人のサイズに応じて扉が開く、エルドワ自慢のギミックが組み込まれている。
普通に僕らサイズの生き物が使っている限りだと大きな扉の騙し絵でもついているようにしか見えないけど、大きな生き物が押すとその扉が絵じゃない事がわかる。
一気に差し込んでくる光と、それを遮る影。
背後から光を受けて青く宝石みたいに輝く山の正体は甲羅。
会うのは初めてだけど……でかいねー。
エマを見ると彼女もぽけーっとそれを見ている。
最近はキリッとした表情が多かっただけにこれはレアだ。
青月。
巨大カメ。
というかガ○ラ。
何せ今も浮いている。
一歩ごとに足音が響き、振動で床がピンチなんてことにならないのは嬉しいけどさ。
ふわふわ浮いているのが不安になる巨大さだ。
むしろ良く入れた。
エルドワの設計能力って本当に変態じみていると確信した。
「はじめまして、王よ。青月、フアと申す」
共通語!
これだけの幻獣から共通語が出ると凄く新鮮だな。
エマは僕を王と呼ぶ青月の言葉で我に返ったのか、表情を引き締めて彼と向かい合った。
「はじめまして、フアさん。深澄真です、こちらは部下のエマです」
「広大な海を生んだのがかように小さき人の子とは、真に世界は広い。して、この豊かな海に我はこの後も在れるのだろうか?」
「勿論ですよ。ここで伺いたいのは、大体の住所と、居住する意思があるかどうかの確認です。後は多少のルールをお伝えするだけですから」
「ありがたい。青月は海と交わり子を残す。我はどうも、女神の“世界”の海とは相性が良くなかったようで、悩んでおった。この海と上手く暮らせるかはまだわからぬが居心地は非常に良い」
青月はここを女神の世界のどこかじゃなくて、違う場所だと認識しているようだった。
海と交わるというのも言葉通りの意味で、彼らは繁殖に相手を必要としない。
彼の説明によると本当に海と子を成すんだとか。
男性人格でありながら彼は自らが卵を産む事に何の違和感も持っておらず、性別というのに曖昧な種族かもしれないと思った。
……なんでだろうな、ルトの時と違って彼に敬意を持てるのは。
あれだな、標的が生々しくないからだろうな多分。
そして彼はただ一人での移住希望者。
今回亜空に移住を求める種族で単身でそれを希望するのは二種族だけだったからその一つという事になる。
どちらもそれで困らないのもあるんだけど、さびしくないんだろうかと思っていた。
青月としては、海と在るのに寂しいなんて事はないんだそうだ。
とにかく泰然とした種族だ。
もちろん、問題らしいものは何もなかったので合格。
もしも子を成す事が出来たなら産卵を見ていて欲しいと去り際に頼まれたけど……。
繁殖の時期を聞くと五百年から千年に一度だとか。
……立ち会える気がしない。
物凄い幸運が必要なレベルだ。
その時は是非、と答えておいたものの可能性は低いだろうと思う。
「まさに、山でした」
「だね」
「夜、月明かりで淡く輝く甲羅から青月と呼ばれるようになったようですが昼間に見ても美しい姿でした」
「うん。住所は不定だったけど念話には反応してくれると言っていたから、用事がある時は近場にいる種族か僕が動くようにするよ」
「当面は明らかになっている資源などを見かけたら報告してもらうようにお願いしようと思います」
「いいんじゃないかな。気ままに泳いだり浮いたりしてる彼だけに、思いがけないものを見たりするかもしれないしね」
巨大なんだけど実にのんびりとした雰囲気だった。
カメという生き物に僕が持っているイメージも影響しているかもしれないけど。
エマみたいに最初圧倒されたりもなかったし。
「次もお一人での移住希望者ですね」
「あ、彼女か。確か……スキュラだっけ」
「ええ。彼女には少し問題もありますので、これからの面談で見定めて下さいませ」
「了解」
「ではお呼びします」
エマの言葉からしばらく。
僕と同じくらいの年齢の女の子が一人入ってきた。
スキュラ。
女神の世界の海でもそんなに数がいない種族らしい。
ヒューマンに対して非常に好戦的で、その為にわざわざ船を襲ったり、遠洋の島で静かに住んでいくのも可能なのにヒューマンの町の傍まで引っ越してきたりもする始末。
数が少ないのに船乗りの間では海に存在する最強の魔物として認識されている。
そもそもこの亜空に来る理由が薄い種族でもあるんだけど、なぜか一人だけここにいる娘がいると。
「はじめまして亜空の王。私はスキュラのレヴィと申します」
優雅に一礼するスキュラ。
この世界にセーラー服なんてあるんだなあ。
はじめて着てる人見たわ。
女子高生見てる気分になる。
「はじめましてレヴィさん。僕は深澄真です。こちらはエマ、僕の部下です」
エマが若干硬い表情で礼をする。
「真様、私はここが最終面談だと聞いています。つまり今日までの私は合格レベルだったという事ですね?」
「ええ」
「ありがとうございます。歯ごたえのある相手ばかりで私も楽しかったです」
スキュラの報告には戦闘の情報ばかりが載っていた。
同じ移住希望者との、じゃない。
彼女は亜空の海に住む、強そうな生き物に自分から挑みかかっていたそうだ。
そして、その対象は時に陸の生物にもなっている。
かなり好戦的な性格をしているのは確かだ。
「いくつか、私からも質問をしたいのですがよろしいですか、レヴィさん?」
「もちろんですエマさん。何でもお聞き下さい」
「貴女方スキュラはヒューマンを好んで襲いますね。しかしここにはヒューマンなどいません、真様がそうと言えない事もありませんが。ならばそもそもの移住の目的はなんなのでしょう?」
……僕は何枠でしょうか、エマさん。
「スキュラという種族全体について言えば、前者の問いはハイです。そして種族の殆どの者のにとって後者の答えは何もありません。だから私以外の者は誰もこの場にいないのです。私は変わり者のスキュラなのですよ」
「……率直に聞きますが、真様に対しての敵意、及び悪意は?」
少し遠まわしな、言葉遊びを楽しむようなレヴィさんの言い分に、エマが直線の質問をぶつける。
心配性な彼女らしくもある。
「まったくありません」
「それは、貴女が変わり者だから?」
エマの皮肉めいた口ぶりに、レヴィは悪意のない満面の笑みで頷いた。
「その通りです。私、ヒューマンじゃ全然楽しくないんです」
「楽しくない?」
「そう。あいつら大抵が弱いのばかりで。なのに私の周りは何匹ヒューマンを狩ったかと競おうとする者ばかり。それも女神の目を盗んで上手くやるとか、姑息でつまらないんです」
「……」
「……折角、こんなに強い身体に生まれてきたのに、ねえ?」
レヴィさんとエマの会話は続く。
「つまり貴女が亜空に来たいのは、そこに強者がいるから?」
「はい! ここは素晴らしい所です! 見たことのない相手もいるし、いつか挑みたかった海王の強者も何人か見ました。貴女方ハイランドオークもミスティオリザードも、あのアルケーも!」
興奮気味にレヴィさんは亜空の戦力面を自分の主観で説明していく。
何ともまあ、凄い。
だけどその言葉から伝わる彼女の思考に、僕はふとある事に気付いた。
「あー、レヴィさん。割り込んで悪いんだけど、そうなるとレヴィさんは……敵意や悪意はまったくないけど僕とも戦いたいとか思っている、ってこと?」
「……今はまだ。ですがいずれは手合わせをお願いしたいと思っています。まずは亜空ランキングという強者が力を磨くシステムに参加したいと考えています」
亜空ランキングは巴主導で始まった亜空内の模擬戦システムみたいなものだ。
当然陸の種族だけで構成されているし、これまでの種族からはその名前すら出てこなかったんだけど……レヴィさんは既にそれを知っていて更に参加しようとしている。
「亜空ランキング……ですか。しかしあれは海の種族の方々の事はまるで考慮されていないルールですので……」
「私は一向に構いません。ルールの変更を求める気もありません」
「生活の場を陸と考えているんですか?」
「ん、それは……海には海でしか味わえない戦いもありますからどちらと決める事をしたくないです」
戦い基準きました。
この人、多分亜空で結構気が合う人いるな。
見境がない訳じゃない戦い好きか。
……断定は出来ないけど。
「巨大鮫とかウニ、甲殻類にウツボ。随分戦っているようだけど、何で僕とは今はまだ、なんですか?」
確認の意味も込めてもう一回割り込んで聞いてみる。
海での戦闘記録は自己申告も多いけど勝利、敗北含めて結構な数が出ている。
特に相手を選んでいるようにも見えない。
中には命からがら逃走、って相手もいる。
何故かその後も三度ほど挑んでいるけど。
「……全然イメージが湧かないんですよ、真様と戦う。かといってつまらない感じもしない。こういう時は大抵私から見てどうしようもない相手って事が多いんです、経験的に言って。なので、今はまだ、です。ちなみに巴様と澪様と識様も同じ感覚です」
「なるほど。ここで生活するにはそれなりにルールってものもありますけど、それを受け入れる事を含めて移住したいと見て良いんですね?」
一応、大丈夫そうに見える。
最終確認に移ることにした。
「はい。貨幣とかわからない事もおいおい勉強しますので、始めはご迷惑をおかけするかもしれませんが是非ここに住ませて欲しいです」
貨幣か。
巴がこっちも無茶をやったからなあ。
まあ。
それは今はいいや。
レヴィさんも適応してくれるって言ってるんだし。
「では、レヴィさんの移住を認めます。これからよろしく」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げたレヴィさんが、元気良く頭を上げて回れ右。
帰っていく。
ヒューマンの耳何個ゲットだぜーとか言ってる同族の人たちだとぬるいって事なのかな、彼女の場合。
強敵さえいればいい、って言うなら亜空は楽園かもしれない。
「あ」
そんな事を考えているとレヴィさんが立ち止まった。
仕草といい、女子高生に見える、ほんとに。
いや、見えた。
その時までは。
「でも、どっかと戦争とかになったら必ず呼んで欲しいです。だって……そこなら幾ら殺しても問題はありませんもんね? では、失礼しまーす!」
振り返って笑うレヴィさんの表情は、口調と内容とのギャップもあいまって背筋がぞくっとした。
スキュラは種族として深くヒューマンを憎悪していると資料にはある。
その理由までは書かれていないけど。
実はヒューマンであるかどうかも問わず、殺すのも大好きなバトルジャンキーというのも……やっぱり異端児なんだなと思った。
「野心が戦いに向いているだけ、という意味では安全な子ではありますが……大丈夫ですか若様?」
「まだまだランキングに参加しても中堅から出てこないだろうし、問題ないんじゃないかな」
「ああいう子は、環境が整うと化けると思いますが……強化といいますか凶化といいますか、それとも狂化といいましょうか」
何故か全部にあてはまる漢字がわかった。
殺しにならないように、亜空ランキングはきっちりシステムが出来ているからそこは安心できる。
時々……識とかにガス抜きしてもらえば大丈夫さ。
……僕は、身体を変異させて魔術を叫びながら襲い掛かってくる女子高生の相手なんて精神的に御免だけど。
「ええっと、お次の方は……」
次はセイレーンだった。
上半身は人の女性、下半身は鳥。
僕は背中に翼が生えているんだと思っていたけど、目の前にいるセイレーンは腕が翼だった。
鳥成分強めの種族だ。
海というか海辺の砂浜と岩礁なんかをメインの生活域にしていて、亜空では少し沖にある切り立った断崖の島がお気に入りだとか。
別に住んでもらって問題はないので許可した。
彼女達も人魚同様に平和主義な種族で、歌好きも似ている。
女性しかいない種族で、そこはゴルゴンに似ていた。
この試験期間中に彼女たちの種族の事情を知るいくつかの種族との話し合いがなされ、問題にはなっていないようなので僕が関わる事はない。
ライム辺りも一安心だろう。
何かの間違いで襲われても、経験豊富なライムなら多分ばっちこい、ってなるんじゃないかな、うん。
ローレライに楽器を担当してもらって、人魚とセイレーンで歌を披露する計画についても話してくれたから、流れでエマと話したお祭りの事を伝えると飛び回らんばかりに歓声をあげて喜んでいた。
ノリのいい種族なんだな。
踊りは海王の皆さんが担当してくれているんです、と言われた時は個人的にあれだったけどさ。
次の面談であるローレライのことをくれぐれもお願いします、と頭を下げて退室した。
仲良きは素晴らしき事かな、だね。
「賑やかな方々でしたね」
「エマが怒り出さなくて良かったよ」
かつての妖精の惨事を思い出してからかう。
「あれは! あまりに礼を逸していたからです。事実、今の彼らにはそれなりの振る舞いが出来ているのですよ? つまり、やれる可能性があるのにやらなかったという事で、私が怒ったのはそこなのです!」
……。
僕も大概他人の事を言える身でもないけどさ。
サーカスのライオンが火の輪をくぐれるからって、野生のライオンにそれをやれっていうようなものなんじゃないかなと思ってみたり。
「なにか?」
「いや、なんでも」
「では、次のローレライの方をお呼びしますよ?」
「はい」
ローレライか。
魔族の亜種らしいんだけどさ。
はっきり言って彼らについては僕から質問する事も殆どない。
……だってサリが気合入れて仕事しまくったおかげで、もう僕が質問しようかと思っていた事なんて全部資料にあるから。
最近どうですか、ぼちぼちです、じゃよろしくお願いします、失礼します。
そんな感じで問題ないとさえ思う。
巴達と違って事前の資料を完璧に整える子なんだろう、サリは。
つまり僕に何かしらの経験をさせようと仕込みをしない子だと言える。
至れりつくせりの資料を手にしたローレライとの面談はまさに世間話。
資料の内容を確認したり、あとはサリの話をしたり。
サリはローレライから頼りにされているようで、彼女の方も親しみを感じているのか親身になって関わりを持っている。
何度か彼らの村で外泊している様子からもそれは伝わってきた。
「ああ、そう言えば。皆さんは楽器の演奏が得意だとか」
エマがお祭りの話題の前振りなのか、彼らの特技の一つに触れた。
「はい。私達は楽器の作成、演奏ともに得意としています。亜空にはまだ触れたことのない素材も沢山あり今から楽しみでなりません」
「私たちも皆さんの演奏が聞けるのを楽しみにしています」
「他の種族の方と合同で近いうちに披露できるかと思います。楽しんでもらえるよう今は皆で練習に励んでおります」
楽器の演奏も結構な特殊能力だと、そっちが駄目な僕なんかは思う。
ローレライの場合、戦闘でも旋律を活用して魔術と組み合わせたりするようだから楽器の演奏に長ける事はそのまま彼らの戦闘能力にも繋がるんだろうけど。
ん?
だけどさ。
演奏が得意って事はそれに合わせて踊ったりも出来るんじゃないの?
「あの、演奏が得意という事ですが、もしかしたら舞踊もお得意なんじゃありませんか?」
思い切って聞いてみた。
「はい。歌唱はあまり用いませんが舞踊は村での行事では必ず組み合わせています」
おお!
だったら今度のお祭りでもそれをやってもらえば!
「でしたら今度の演奏披露の際、それも見てみたいですね」
「いや。舞踊は何と海王の皆様が担当して下さるんです。彼らの超一流の舞踊の見られる機会はそれほど多くないですし、その場で演奏できる事など滅多にない事。本職である楽器の演奏に集中したいと考えております」
……マグロとタラバのキモ竜宮城が回避できない。
超一流って位だから期待していいんだろうか。
僕の中で海王はもう、摩訶不思議そのものなんだけど。
歌と演奏に対して踊りが完全にオチ担当になってるんだけど。
コントじゃないんだからオチはなくていいのに。
「そう、ですか。わかりました。楽しみにしています」
「はい。それで我々は今後もこの地に住まわせてもらえますか?」
「ええ。皆さんには港湾都市の主役になって欲しいとも思っています」
「ありがとうございます!」
陸よりの種族でもあるしね。
「今後もサリ殿と協力して皆さんの一員として奮起してまいります」
「サリには今後も皆さんと関わってもらうと思いますが、彼女には今回移住する種族のフォローをお願いする予定です。なのでこれまで程には頻繁に連絡が取れないかもしれませんが、そこはご了承ください」
「出世ですか、喜ばしいことです」
「やり甲斐がある、と本人からも聞いていますし優秀ですから。第一、このエマに街二つ任せてしまうとなると、彼女が倒れてしまいます」
「若様!」
「こうして怒る余力があるくらいでいて欲しいと思いますので。サリには頑張ってもらう気でいます。皆さんも協力してあげてください」
僕へのご機嫌取りでやり甲斐があると言ったようでもなかったから、サリにはこのまま海方面で頑張ってもらうことにした。
エマにあんまり無理させるのもなんだしね。
信用や実績で言えばエマに任せたいと思っていたのも事実だけど、激務を考えると難しいのはわかる。
涼しく伝えてはいるけど、実際の所手が足りないから、というのも事実。
言わなくてもいい事だってわかるから、触れないけどね。
「魔族と袂を分かった我らが、こんな豊かな場所で生活できるとは。……ふぅ、本当に、世の中とは何が起こるのかわからぬものですね」
「そうですね。魔族は今領土を増し勢いもまたかつてない程ではありますが、あちらは戦争を抱えています。皆さんはここで平和に街づくりを始める。本当に、わからないものです」
「これから、よろしくお願い致します若様」
「こちらこそ」
感無量なのか、涙を浮かべてローレライは帰っていった。
あの厳しい大地での生活に見切りをつけて海に希望を求めたローレライはそこでも決して豊かとはいえない生活をしていたらしい。
不遇に不遇を重ねた彼らだけに亜空の海は楽園に見えているんだろうな。
喜んでくれるなら、僕も嬉しい。
「魔族の亜種、ローレライか」
「厳しい環境で生きてきた方々だけあって、忍耐強く堅実な皆様ですね」
亜種ってのは、ここでは僕らでいえば人種の違いみたいなレベルらしい。
つまり白人か黒人か黄色人種か、みたいなレベルの違いでしかない。
遺伝子とかで見ればそれなりに違うのかもしれないけど、見た目では正直亜種って言われるほど違うのか、と首を傾げるくらいだ。
「魔王と共にヒューマンと女神に挑む魔族と、流れ流れて亜空に来たローレライ。どっちが幸せなんだろうね」
「それは、何を幸せとするかによって答えが変わる問いですよ」
「エマは彼らや魔族にしこりはないの?」
エマは淡々と答えるけど、僕は少し気になっていた。
ハイランドオークは魔族の策で危機に瀕した事があるから。
全員がそれを知っている訳じゃないけど、彼女は知っている。
「ローレライには何も思うものはありません。魔族は……多少はありますが、それでもそのおかげで若様と会えたのも事実。若様ではないですが終わりよければ全てよしと思うようになってきました」
「そう。そっか」
「では次をお呼びします」
「わかった」
次は……来た。
来ました。
海王!
三人だ。
いや、三匹?
どっちでもいいや。
マグロととげとげしいカニ、多分タラバクラブとかいう奴。
それに、もう一人が……クジラ。
クジラなんだけど……小さいぞ、おい。
出オチか?
クジラで身長二メートルくらいってそりゃあ小さいだろう?
「はじめまして、海王の皆様。僕が深澄真です。こちらはハイランドオークのエマ、僕の部下です」
これまでは後手で挨拶していたけど、これまでの種族とは色々と違ったから僕から気合を入れて挨拶した。
すると、向かって左と右にいたマグロとカニが膝を突いて頭を下げた。
騎士がやりそうな仕草で。
そこから一歩、真ん中にいたミニクジラが前に出て優雅に一礼した。
クジラに手足が生えたクジラマンなのに気品を感じたよ。
凄いな、おい。
「はじめまして、亜空の王、真様」
そこまで言うとクジラは一歩下がった。
「飛脚として流通など担当しておりますマグロ族の都名と申します。よろしくお願い致します、真様」
マグロでツナ。
早速名前でぼけてきた。
「強力として土木、建築、力仕事を主に担当しておりますタラバクラブ族の花咲と申します。よろしくお願いします、真様」
タラバって言ったじゃん!
ハナサキガニって何だよ!
どっちなんだよ!
「そして私が長で臥煙として皆の生活を守りますクジラ族セル鯨と申します。本日はお目通りが叶いこの上ない喜びを感じております」
せる、げい。
女神……お前何を創造してるんだよ。
いや、あの女神が創造したにしてはあまりにも造形がひど……個性的過ぎる。
元からいた古代の種族なのかもしれない。
そうなると上位竜クラスの歴史があることになるけど。
そういえば海を管理しているような上位竜っていないよね……まさか彼らが名前のように海の守護者って訳じゃないよね、違うよね。
「臥煙、ですか。あの、失礼ですが僕の知識だと臥煙とは火消しで、ならずも……イメージもあまり良くない言葉なのですが?」
大体職が臥煙っておかしいだろ?
お前海にいるじゃん?
火事ないじゃん?
臥煙って言ったら江戸の町火消し。
と言えば聞こえは悪くないけどさ、僕の知ってる限りだと実質火事の時に家を壊しまくるのが仕事みたいな連中で普段はヤ○ザだ。
海王って何とか一家ってノリなのか、もしかして。
「お詳しいですね。確かに我らの間でも臥煙とは火消しを意味する言葉でその、普段のイメージは良くありません。しかし驚きました。飛脚や強力についても事前にご存知だったようですし、その上臥煙の事まで。学者のように博識な方なのですね」
めっちゃ紳士的な自称臥煙のセルゲイさん。
この人だけ完全に音読みなんだけど、多分気にしたら負けだ。
それにゲイだけだったら呼ぶのに困るからセル分だけ得したと思えばいい。
そうしよう。
学者とか言って持ち上げるけど、飛脚とか強力、それに臥煙なんて日本人ならそれほどの知識でもないからなあ。江戸時代の職でいうなら取っ替えべえとかなら博識の内に入るかもしれないけどさ。
僕は普通より少し詳しい程度じゃないかな。
「セル鯨様はその名の意味合いを知って、それでも自ら臥煙を名乗られているのです」
ツナからフォロー入った。
「セル鯨様ほどに高潔な方は他におりません」
ハナサキからも入った。
こいつの正体ももう気にしない方が良いだろう。
正直、ハナサキガニなんて名前しか知らない。
脚は肉的な意味で旅番組で見たけど生態とか種としてタラバガニとどう違うかなんて全くわからないし。
「何か事情がおありですか」
見た目と構成はともかく、海王はどの種族からも評判が良く、その上に僕らにも非常に協力的だ。
サリのみだけじゃなく巴や澪、識からの評価も良い。
資料からは問題は読み取れない品行方正な種族だったりする。
その種族に何か事情があるならここで聞いておきたい。
「真様にはお話しするつもりで参りました。我ら海王の恥にもなる事ですが、聞いていただけますか」
「もちろんです。亜空に住むとなれば家族のようなものですから。その事情も含めて受け入れなくてはと思っています」
「海王は世界の海を統べる海の守護者とも言える存在。様々な外見の者がおりますが、誰も優れた能力を持ち、古来から海の治安を守らんとして参りました」
「海の守護者……」
嘘ー。
「守護者などと偉そうな事を申しましても種族である以上、何度かの摩擦や内乱はあり、勢力を分けて他種族を巻き込んだ戦争に突入した事もございます。これらはヒューマンの歴史に記される事のないものではありますが、海も陸から見るように何事もない平穏のまま過ごしてきたわけではありません」
「はあ」
海は海で大戦争も経験しているって事か。
「今はそのような事もなく平和な世を過ごしておりますが、一つ問題が持ち上がりました。王の息子である私は実は双子でして生き写しの兄がいるのです」
「という事は王位はお兄様が継がれる?」
「いえ、既に継ぎました。私には王位を争う気がなく兄を盛りたてていく所存でしたので障害もなく順調に王位は兄に移動しました」
何も問題ないじゃん。
「種族を割っての争いなど馬鹿げていますし、私は軍の将軍としてこの身を海王に捧げていければよかったのですが、なまじ私の方が兄よりも個体の能力で勝る部分が多かったのと、軍のトップという地位が良くなかったのでしょう。徐々に私と兄の間に悪い空気が生まれ始めました」
……ドロドロしてきたー。
ギャグみたいなのに、どうしてこんなにシリアスな話題になるんだ海王って。
「つまり、王様になるべき能力は貴方の方が高かったのに、お兄さんが王になったのが気に入らない人がいたと」
「私と兄の間に王としての資質で差などありません。あくまで武力や魔力の面などで私が上だっただけなのです。ですが、真様が言われたような者がいたのは事実です」
この分だと、多分知識とか成績とかもこっちのが上だったな、きっと。
ついでに人望も、だったりして。
「兄は私が軍を好きに出来るのが危険だと思うようになり、自分の派閥を固め、王の権力の中に軍を取り込めるようにしようとしました。海王は権力の集中を避けるためにいくつかの意図的な分権を行っていまして、普段の兄はその事にも十分な理解を示していたのですが」
「海王って凄く進んだ政治をしていたんですね」
分権って言葉、この世界で前にいつ聞いたっけ?
集権ならいくらでも聞くんだけど。
どっちが優れているかじゃなくて権力について色んな考え方が存在するのが凄いよ。
僕もこっちにきてようやく三権分立とか中央と地方の権利とか、呪文みたいな言葉の意味が理解できるようになったしさ。
それまではただの暗記項目でしたよ。
「ありがとうございます。そうして、私も後に禍根が残りそうな王への過剰な集権は阻止しつつ兄との関係修復に努めたのですが、遂に恐れていた内乱を避けられない状況になってしまいました。自分の無能を、恥じるばかりです」
「内乱ですか」
「避ける方法は、もう一つも残っていないかのようでした。しかし光はありました。私が海王から追放されることです。兄は、恐らく宣戦布告のつもりでその言葉を私に突きつけたのでしょうが、それは私にとっては本当に救いでした。私は追放を受け入れ、臥煙を名乗るようになり海を放浪する身になったのです」
セル鯨立身伝の第何章か知らないけど終わったっぽい感じだ。
「ええと、そこから方々を回って各地の海王さんと生活するに至った、ということですか?」
「いえ。追放された私を国から戦士や民衆が追ってきてくれたのです。しかし兄からは追っ手がかかり、何とか最小限の戦いで切り抜けて隠れ里をつくり生活していた所、亜空から声を掛けて頂きました」
「それは、また、凄いタイミングでしたね」
本当に。
「私たちは、この奇跡を心から感謝しております。今後はこの海を故郷とし、そこに生きる皆と手を取り合って真様にお仕えする、そう決心しております」
目力が凄い。
セルゲイ、流石に今聞いたような荒波にもまれてきただけの事はある。
というか。
こんなしっかりした人でも、一回勢いがついた政争って止められないものなんだな。
怖い。
「海王の皆さんは他の種族からの評判も良いですし、何の問題もありません。ですからここに住んでもらって構いませんよ。こちらのルールについても事前に了解を頂いていますし。そちらからは何かありますか?」
「ありがとうございます。こちらからは真に図々しいと思いますが二つほど望みがございます。一つは亜空ランキングなる強者の集いに我らも参加したく、便宜をお願いしたいという事。もう一つは先ほどの話にも関わるのですが、もしも兄の率いる海王と問題になるような場合我々は戦いには参加できない、というものです」
参加できない、か。
妥当な線か。
戦ってくれるな、と言いだしてもおかしくないとも思うし。
「では海王の皆さんはもし外から彼らが侵略してきた時は、戦わないと仰るのですか?」
エマが反論した。
もしも、にしてもあまりにもない話だけど。
「もし、万が一。そのような事になった時には我らは、自決します。それが何の償いにもならぬ事は承知ですが、それでも戦えぬ事、他の種族の方に迷惑をかける事。どれも……耐え難い。それだけは、耐えられぬのです」
「駄目だ。自決は駄目。そこは別の手を考えてください」
「真様……しかし」
「申し訳ありません、私がついおかしな想定で話をしてしまいました。この件は海王の皆さんへの若様からの宿題という事で」
エマが話の流れを切る。
答えとして返ってきたのが彼女の予想と大きく違っていたからかもしれない。
「エマ殿。これは我らが全員で議論をし――」
「セル鯨殿。どうか、聞き分けて下さい。でないと、その可能性をゼロにする事を考える方が、ここには数名いらっしゃいますから」
エマの目が真剣だ。
可能性をゼロって。
「ゼロ……っ! まさか」
「ご想像にお任せします。自決だなんて若様も私たちも皆さんに望む事ではありませんから。もう一度、よく議論なさってください」
「わかりました。では、私達はこれで失礼を。若様、エマ殿。今後ともよろしくお願い致します」
「こちらこそ」
ゼロねえ。
ああ、なるほど。
兄の方の海王を皆殺しにすればその可能性はなくなるのか。
元々亜空に攻め込むなんて可能性は低いだろうけど、ゼロにするってならそれか。
帰っていくセル鯨さんの背を見ていて、忘れていたある事を思い出す。
「あ、そうだ。セルゲイさん!」
「なんでしょうか、若様」
早くも若様と呼ぶセルゲイ。
「追放されたから臥煙って、何かしっくり来ないんですが。だって海で火消しの仕事なんてないでしょうし」
「ああ、それですか。私は元々、軍につく前から火山の処理をしていましたから」
「火山?」
海で?
「海にも海底火山というものがございます。陸の火山を同じように噴火もいたします。私は規模は小さかったのですが、以前にその噴火を一人で止めたことがありまして、それで以前は一番纏のセル鯨と、そう呼ばれておりました」
「海底火山。はぁ、そうなんですか。それで臥煙。わかりました」
「それでは」
深く頭を下げて三人は今度こそ退室した。
一番纏で今は臥煙ねえ。
海底火山の噴火が火事か、なるほどねえ。
「わ、若様?」
うんうん頷いているとエマが震える声で僕に声を掛けてきた。
「なに?」
「あの方、あんな小さな身で山の噴火を止めた、と仰いましたが?」
「……おお」
火山の噴火って小さいとか言っても相当だよ。
海底火山がどういうものか見たことはないけど、結構な偉業じゃないか。
「海の種族もまた底知れぬ実力者がいるのですね……皆に伝えなくては」
「名前で出オチしてからは真面目な人達だったしね。海王、恐るべしだ」
そんな訳で。
その後も何種族かの面談を行い。
最後の方は海にしかいられない種族もいたからこっちから出向いたりもして。
無事に全種族の移住が決まった。
亜空の人口も、まあ人口と言っていいのかわからないけどこれで二千を超えた。
うーん。
二千人以上から若様と認識されるのか。
時々現れる大家さんでいいんだけどなあ、僕としては。
◇◆◇◆◇◆◇◆
クズノハ商会二階応接室。
「識さん、ライドウ先生の反応はどうでした?」
真が海の種族と面談をしていたその時、識は四人の学生と会っていた。
ジン、アベリア、シフ、ユーノ。
今の時点で将来クズノハ商会に就職を望んでいる学生たちだ。
出されたお茶に口もつける余裕もないジンの緊張したその言葉に識は、いつも学生に向ける穏やかな表情のまま口を開いた。
「ジンについては給料はそんなに出せないんだけど、と中々肯定的でしたよ」
「!! 本当ですか!」
「ええ。ただ本当に大変な割りにお金はあまり出ない職場だと思いますよ、ここは」
「食べて寝られれば金なんてそれでいいです。クズノハ商会では従業員には必要に応じて武具の支給もあるんでしたよね?」
「必要と、その人の実力に応じて、ですよ」
「はい! よし、よし!!」
ジンは識からの言葉にこれまでにない程喜んでいた。
それだけクズノハ商会が彼にとって魅力的だとわかる光景だ。
そして食べ物と寝床、あとは武具さえ賄えるなら金などどうでもいい、という彼の価値観も覗ける光景だ。
「識さん、私たちはどうなんでしょう?」
シフが心配そうに識に尋ねる。
父親の繋がりがあるとは言え、ユーノが先の講義でライドウの意に沿わない事をしてしまった失態(と姉妹が考えている)もある。
決して安全パイではないと考えていた。
ユーノの表情も硬い。
「シフとユーノは……」
ゴクリと、息を呑む音が聞こえそうな数秒の間。
「お父上からもお願いされているし、ギルドの試験にも絶対に通ると言っている熱意もわかる。あまり危険な場所での勤務はさせられないだろうけど働いてもらうのは構わないんじゃないかと」
「っっ、ユーノ!」
「お姉ちゃん!」
抱き合うレンブラント姉妹。
受験に合格したかのような喜びようだ。
「ただし、二人についても給料は特別扱いできない、との事でした。これに納得できないなら……」
「そんな事、はじめから問題にしていません! 私、今はもっと自分の可能性を試したいんです。その為にはライドウ先生や識さんの傍にいられる場所が一番だって、そう思えているんです」
「お姉ちゃんの言う通りです! 私も、もっと、もっと自分を鍛えたい。いつか荒野にも出てみたいし、他のどこでもできない経験がクズノハ商会にはある気がします!」
これで四人の内三人が喜びに満ちた明るい表情になった。
残るは一人。
アベリアだけだ。
「識さん。私は、私について先生は何て言ってました?」
「ん。そうですね、ジン、シフ、ユーノ。少しの間、席を外してもらえますか?」
『!』
その言葉が意味するのを三人は一瞬で察した。
そして、アベリア自身も。
目を閉じて、少し俯いて。
一度大きく息を吐いたアベリアは、顔を上げた。
「識さん。そんな事をしなくても、いいです。ここで、皆の前で教えてください」
「いいのですか?」
「はい」
『……』
三人の沈黙。
その顔は、まるで結果を聞く前のように緊張していた。
他人事ではあるが、アベリアが彼らのパーティメンバーであり本当の意味で仲間の一人となっている証だった。
「アベリア。若様からみた貴女は特筆する能力もなく個人の能力としても既に頭打ち。現状のみを見るなら総合的には優秀だがここから先は他の生徒に追いつかれ追い抜かれていくのが目に見えている早熟タイプ」
「っ」
厳しい評価にアベリアが辛い表情になる。
「経験を積む事で今後も広く活躍できるだろう人材と言えるが……」
「……」
「クズノハ商会では必要ない」
「!!」
「以上です」
そんな、嘘、と周囲から言葉が漏れる。
とうのアベリアもはっきり必要ないと言われた事にショックを隠せない。
大きく見開いた目にうっすらとだが、涙を浮かべている。
気丈な彼女には珍しいことだ。
本当に、珍しいことだった。
「……っ」
識から目配せをされたジンが、その意図に気付いてシフをユーノを連れて部屋を出る。
静かに、扉が閉まった。
「やっぱり、先生にはばれちゃったんですね。私が、大した事ないって」
「……」
二人になった事を知ってか、アベリアは口を開いた。
アベリアが早熟なのも、今後大きく化ける可能性が低く経験を積む程度しか出来ないだろうというにも、真に露見した事ではない。
それは、識にだ。
そして彼女に痛烈な評価をし、商会に必要ないと断じたのも彼だ。真ではない。
しかし識はこの場でアベリアに、それらを真の言葉として伝えた。
四人と識の様子から、真から自分達のクズノハ商会への就職についての意見を聞き出してもらって教えてもらっていたのは容易にわかる事だ。
だが識が真の言葉を偽った理由は、不明だった。
「わかってました。他の子に比べて、私には私だけの何かがない。かといって万能タイプでもない。だから指揮能力を磨いてみたり、知識で役に立とうとしたり。工夫はしてみたんですけどね……」
「ええ、努力していましたね」
「識さん。私も商人ギルドの資格を取れば、まだ目はあります? 何か、何かが出来ればクズノハ商会に入れるってもの、ありませんか!」
「……シフとユーノですか」
「シフには魔術の合成に凄い才能があるし、ユーノはあのスーツに適合してます。でもあの二人と同じくらいまでなら私も、これからもっと努力して――」
「わかっているでしょう、アベリア。あの二人はレンブラント氏の娘です。若様はあの二人が貴女以下の実力しかなくても雇用しますよ」
「それってコネってやつですよね」
「そうです」
「ずるいですよ」
「そうですね」
何かを我慢するように畳み掛けるアベリアに識は淡々と答える。
「……っ、なんで、私は。私だけ」
「いいですよ、泣いても。アベリアは頑張りすぎます。努力も上を見るのも良い事ですが、それだけでは耐えられない事もあります。泣く事を、折れる事を学びなさい。貴女はそれを知らずに頑張りすぎていますよ」
想いを寄せる識の言葉で、とうとうアベリアは大声で泣き始めた。
識は泣けと言った通り、その行為を止めず、黙ってアベリアをただ抱き寄せた。
ライドウを感情のままに馬鹿呼ばわりしても咎めもせず、自分が責められても怒りもせず。
アベリアの感情の吐露が、彼女の本心ではあるが、全てではない事をわかっているからだった。
尊敬していても、マイナスの感情を併せて抱いてしまう相手はいる。
後者だけが噴き出したから尊敬は消える、というものではないのだから。
泣いて泣いて泣きまくったアベリアの勢いがおさまり、自分の重みを識に預けて静かになった頃。
「アベリア、聞いてください」
「……」
返事はない。
しかし識は構わず続ける。
「若様の判断ですが、正直に言って私も同感です」
「……っ」
真としてはアベリアへの興味が薄いだけで、もし彼女が懇願すれば雇っても構わないと言うだろう。
彼にはそういう所がある。
だから。
識はアベリアに対して自分の言葉を真の言葉に置き換えた。
「貴女は弱いです。クズノハ商会は過酷な仕事も多くあり、ジンや貴女は間違いなくいつかそこに放りこまれるでしょう」
「……」
「そこで、貴女は死にます。間違いなく」
「っ!」
「貴女にはもう化ける余地が少ない。これまで通りなら死ぬ可能性が確実なほどにあってもです。化けるしかありません、しかしもしもそれを望むならこれまでのスタイルを捨てなくてはいけなくなるかもしれない」
「……クズノハ商会には、安全な職場もあるって聞きました」
「ありますよ。ただ、そこにはジンも若様も……私もいませんが」
「!!」
「だから、アベリア。貴女は危険な仕事があってもこちらに来るでしょう。そして命を失う。だから、それが目に見えているから。私も、若様に賛成しました。貴女はここに来なくても良い職場は幾らでもありますし」
「条件が良い職場なんて、どうでもいいです。私が働きたいのはここだけですから」
ここだけ、と言って識を掴むアベリア。
識も、彼女の意図に気付いている。
そして安全な職場云々への返答で、アベリアもそれを知らされた。
「グリトニア帝国から具体的に誘われていますね? 押しも押されぬ大国じゃないですか」
「寒いところも女たらしの勇者も嫌いです」
「リミア王国からもその内に打診がきますよ?」
「本気で言っているんですか? 私はあそこの大貴族の子を殺した張本人ですよ? ミスラもイズモもダエナも。リミア王国にだけは絶対に行きません。余程の馬鹿か天才的に物事を良く解釈できる上に天運でも持っている奴なら話は別かもしれませんけど」
(もしくは全ての妨害を無意識に無効化できるなら、でしょうね。若様のように)
余程の馬鹿か……からのくだりで、識はアベリアからは見えないその表情に苦笑を浮かべた。
己の主の事を思い浮かべたからだ。
「ローレルにも伝手を用意できますが?」
「それはイズモにあげてください。あの子、自分で抱えてますけど家の事で結構悩んでいるから」
「考えておきましょう」
「識さん、私はクズノハ商会に入りたいです。それは、他の三人より多分駄目な理由です」
「……」
「でも、本気なんです。なんでもします。なんでも……。だから」
識は己の言葉を真の言葉に置き換えた。
普段の彼なら絶対にしない行為だ。
下手をすればアベリアが真に敵意を持つかもしれない行為なのだから。
敵意を持つ人物が真に害をなせるかどうかは別にして、彼に仕える身ならばやるべきことではない。
その理由は。
識自身、憎からず感じているからだ。
彼を慕うその生徒を。
死なせる位ならば遠ざけておこうと、思えるほどに。
アンデッドをこじらせたからか、同じ職場で自分が彼女を守るという程にはまだ意識していないが、単なる教え子や好きだと告白してくる数多の女性に対する意識とは確実に異なる。
「なんでも、ですか」
「はい」
「たとえ、人を辞めても?」
「え?」
アベリアが顔を上に上げて、識の表情を見る。
悲しそうではあるが、決意を問う、決して冗談ではない表情を。
「……努力して努力して、これ以上ないくらいきつい思いをして。それでも及ばない分がもしあった時には、人を辞めてでも補えますか?」
もう一度。
同じ顔の識が口にした。
識の目を見たアベリアは、直感する。
これは、最後のチャンスだと。
もとより、クズノハ商会にいなければ識は自分の事などいずれ忘れると彼女は感じていた。
その有象無象から抜け出したくてクズノハ商会に就職を望んだのだ。
告白同然の言葉を吐いたし、その返事はない。
それでも、これは想いを繋げる最後の機会だとアベリアは感じた。
「それで……傍にいられるなら。後悔はしません」
「……」
「私は――」
「確か、ライムが部下が欲しいと言っていました。紹介するにも諜報に関わる技や魔術、高い戦闘能力も必要ですから困っていたのですが……」
「やります!!」
「紹介するまでの猶予は、そうですね……貴女が卒業する頃ですか。言っておきますが、これまでのパーティ戦闘など遊びになりますよ? 学園で休憩して放課後に学ぶ、そんな生活になるかもしれません」
「構いません!!」
「成績も落とさず、バイトも続けて正式な従業員としての訓練も受けてもらいます」
「当然です!!」
「わかりました。環境は整えましょう。若様に認めてもらえるよう、死力を尽くしなさいアベリア」
最後に優しくアベリアの名を呼び、識は根負けしたように微笑んだ。
(元より、あの方はアベリアを雇う事に反対などされていない。こうは言ってもクズノハで雇う分にそれだけなら問題などない。私はアベリアをどうしたいのか。最悪、人外にしてでも使うというなら、どこまで見せ、どこまで関わる? いかんな、冷酷である自覚があった筈だというのに、元はヒューマンである所為かやはり巴殿や澪殿のように出来ぬ時がある。アベリアは偶然会っただけの野良猫の一匹に過ぎん。時に他人をかき回すが他愛ない存在。だというのに、私はそれを手放し難く感じているというのだろうか。未だ本性も見せておらぬ相手だぞ? 私は……)
内心では疑問を抱きながら。
それでも識はこの展開を望んでいた自分も感じて戸惑うのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「あら巴さん、どうしました? お台所に来るなんて珍しい」
「どうしました、じゃないわ。お前、何ぞ企んでおるじゃろ?」
澪が料理に勤しむ厨房に巴がふらりと現れた。
今は夕食の仕込みの最中。
「企むだなんて。何の事でしょう?」
「人払いをして、お前にこう尋ねておる。惚けるな」
巴の言ったように、普段ならもっと多くの人数でやっているはずの仕込み作業だが、今日は澪以外誰もいない。
本当はいたのだが巴が少しずつ仕事を与えたりして退場させ、今は澪だけになっている。
「そう言われましても見当がつきませんもの」
「若のお供のことじゃよ」
軽快に動いていた包丁が止まる。
これまで巴を見ずに、気配だけで相手を特定して話をしていた澪が、ゆっくり振り返った。
「リミア王国には巴さんも識も行かせずに私だけがお供をする、その事についてですか?」
「そうじゃ。お前が行く事は、まあ必ずしも駄目とは言わん。が、リミアには面倒な勇者が一人おる。何を考えておるかは知らんが、儂も行く」
「お断りしますわ」
「何の権利があってそう口走るのか。企みともども聞かせて欲しいもんじゃの」
「響など、恐るるに足りません。巴さんこそ警戒しすぎじゃありません?」
「あの娘の戦闘能力だけを見るなら、お前の言う通りじゃ。じゃが、響の面倒な所はそこではない。あの直感と立ち回り、下手に若と関わらせるのはちと見過ごせぬよ」
「直感、というのがわかりませんわね。響が何を知ろうがそれがどうだと言うんです? ……大体、本当に鋭いなら私が出向くまでもなかったですのに」
後半、消え入るように独り言を呟く澪。
巴にはその部分は聞こえなかったようだ。
「奴が知る、のではない。思いついた奴が若に教えるかも知れぬことが厄介なのよ。可能性だけ見ればゼロとは言えぬ」
「巴さんはいつも放任の癖に、若様が何か貴女に都合の悪い事を知ろうとすると途端に過保護になりますわね」
「お前、儂をそんな目で見ておるのか!」
「だって事実じゃありませんか。貴女、若様にお話ししてない事沢山ありますわね? 私だってロッツガルドで生き返った雑魚を殺した件、貴女に口止めされています」
「……知るに早いこと、知らずとも良いことなどこの世には幾らでもあろう」
「この間知ったのですけど、若様が慕っている商人のレンブラント。あれだって若い時には随分な商人サマだったようじゃありません? 記憶を読む貴女が知っていないはずないのに、若様には何も教えて差し上げていない」
「お教えして……どうなる? 若が苦しまれるだけではないか。ならば受け止められるほどに成長された時、ふとお知らせする。その程度で良いとは思えぬか」
「私、巴さんのそういう見守るのが一番、って考え方には同意しかねます」
「ではどうしろと言いたいのじゃ」
「それを……リミアで見せますわ。でもそこには貴女がいては面倒なのです。少し、休んでいてください。他にお仕事なんていくらでもあるんですから」
「レンブラントの娘に、若にお渡ししたのと同型の武具を渡したのもお前の考え方の一つと見てよいのか? あれは若を随分と悩ませておったぞ?」
「そうです。お叱りはもう受けましたし許しても頂きました。これまで……私は巴さんのやる事には大体口を出してきませんでした。巴さんは私がやる事に口を挟むんですの? 私は若様を傷つけると、そう思っているんですか?」
澪の目が危うい光を放つ。
「違う。お前の若への思慕も忠義も知っておる。傷つけようなど毛程にも思っていまい。儂が案じているのは、お前の暴走じゃ。お前は若を想う余りに若以外を軽く見過ぎる。若がその他大勢を気にかける限り、儂らもまたその意に沿うべきじゃ。それは、お前にもわかろう?」
痛い所を、と巴は思った。
「ええ」
「じゃから、儂も同行してお前のフォローをすると言っておる」
「だから、やるんです」
言葉が噛み合っていない。
「なんじゃと?」
「気にかけておられるのは若様の方なんです。なのに、既に勝負はついた事にも気付かない馬鹿どもが、なんで若様のお心を次々に悩ませなければいけないんでしょう」
「……」
「だから少しだけ、若様がどういう方か、響を含めた馬鹿どもに気付かせてあげるだけですよ。ただそれだけ」
巴は、澪の言葉から説得は不可能だと諦めた。
そして、確かにここまで、澪も識も自分の言い分には概ね従ってくれていた事も彼女は知っている。
「……巫女の能力は知った上での事なんじゃな?」
魔術とは違う力で内なる何かを見透かす巫女チヤの能力について澪に確認する巴。
ライムからの報告で明らかになっていて、巴や識はその対策を考えていた所だった。
「もちろん。存じてますわ」
「その上で一人でご一緒すると、そう言い張るんじゃな?」
「今回は譲れません」
そう言って、包丁を巴に向ける。
冗談などという気配さえさせないまま。
「……わかった」
刀に手をかけるでもなく、巴は両手を挙げて降参の意を示した。
「意外と素直ですわね。もう少しゴネるかと思ってましたのに」
「いつもより仕込みに入る時間が早かったのは、“そうなる”のも見越しての事じゃったか」
「ええ、一戦交えても若様のお食事の時間はずらしたくありませんもの」
二人の間にまた包丁がまな板を叩く音が流れる。
当然、澪が仕込みに戻ったためだ。
「お前が若を傷つけたり苦しめたりを望まんのはわかっておる。じゃがな、それは儂も多分識も同じじゃ。誰もあの方が崩れたり壊れたりするのも見たいなどと思ってはおらん」
「ええ。そんな者は許しませんしね」
「今回は譲れんとお前は言ったが、儂もそれを使わせてもらうぞ澪」
「……え?」
「せめてライムを連れて行け。あれはあれで役に立つ。お前の邪魔は出来んし、向こうでの小間使いに丁度良いじゃろ」
「でも」
「こればかりは譲れん、じゃよ澪。若も男が一人おった方が気楽に旅を楽しめよう。お前の望み通り儂も識も行かんしな」
「若様が……」
「頼む」
「ふぅ、わかりました。ライムが一緒に来るのは認めますわ、でも巴さんと識は後ろからこっそり、も駄目ですからね」
「流石にそんな事はせんよ。それにリミアにいる間は向こうが何をしてくるかわからんし、若にも亜空との行き来は極力避けてもらうようにお願いしてある。完全にお前が好き勝手にやれるわい」
「信用しますわ」
「応」
「……倒れられる程のご無理をしてまで、世界の事を気にする必要なんて若様には無いんです。あっちにもこっちにも文句を言われてまで街を守ってやる必要だって。どいつもこいつも、鈍いにも程があります」
「……やりすぎるなよ、澪」
リミアに向かう前。
巴と澪の間にこんなやり取りがあったのを真は知らない。
巴は響を、というか響と真が長い時間を共に過ごす事で生まれるかもしれないイレギュラーを恐れ。
澪は真を取り巻く世界に憤り。
そして識は真が思っているよりも学生に入れ込んでいた。
従者の思惑に気付かぬまま。
真は澪とライムを供にしてリミア王国へ向かう。
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