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2009-12-17

すごいロジック、あるいは可能性の話

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091217/p1

  hokusyu あたまがわるい その 直 前 に 陵辱ゲームも規制されるべきだとは思わないって書いてるじゃねーかw。個別性が問題なのであって一般論で話しても意味がないってか不誠実だっていう意味だよ。

馬鹿なの? ほんとに東大?w 個別性の議論次第では表現の自由がないことを認めるって言ってるんじゃねえかよ。だいたいお前が個人的にどう思ってるかなんて関係ないんだ。決めるのお前じゃないんだから。表現の自由の例外でありうるけど僕は規制しないほうがいいと思うニャー、そんなただの「感想」がなんの役に立つんだよ。表現の自由を認めないってことは、つまり法規制を可能にするってことなんだよ。現に規制論者がいるところでそういうことを認めたら、それは単に規制論じゃねえかよ。

このとおり、Apemanがあげたお二人の文章は、単に彼らが表現規制論者であるという証拠になっていますね。

こ れ は ひ ど い。

Aという主張は可能であるということをAを主張する者がいる情況の中で認めたら、それはAを主張しているのと同義である。

 冷静さを失って筆が滑ったのかもしれないが、↑のような超論理を使う人と今までやり合ってきたのかと思うとぞっとするわ。

 人間は人を殺すことができる、ということに同意するならば、人を殺したがってる奴らは現にいるのだから、それは人殺しに同意したことになる、ってことになる。

 「決めるのお前じゃない」という話をするのならば、たとえばぼくが「表現の自由は一ミリも侵害することは不可能である」という立場を仮に取ったとしても、それが規制か反規制かの議論に及ぼす影響は皆無なはずである。ところが、ぼくが「表現の自由の尊重は例外もありうる」ということを認めた瞬間、あたかもそれは法規制派に何かお墨付きを与えたことになり、ぼくが法規制に賛成するかどうかに関わりなく、ぼくは法規制に賛成していることになるのである。*1

な ん だ そ り ゃ !

 それはそれとして、「決めるのお前じゃない」という話をするなら、いくら一エロゲ製作者であるところの高橋直樹さんが「表現の自由」について研鑽をつんで「表現の自由」は一ミリもまかりならんというイデオロギーに対して確信を深めたところで、「決めるのお前じゃない」んだから、つまり国会議員のほとんどはリバタリアンでも何でもないので、それはただの「感想」にすぎない、ということになってしまう。

 法律は、内容に関わりなく、手続き的に正当であれば法律となる。内容は違憲立法審査で判断されうるが、それを判断するのは裁判官であって、リバタリアンでもなければ業界関係者でもない。この限りにおいて、「表現規制」が可能か不可能かといえば可能であるという回答を出すしかない。日本が核武装することの是非に関係なく、日本が核武装しうるかどうかでいえばしうる。日本には核ミサイルを製造する技術があるし、憲法は改正の手続きが定められている。むしろ、そうしたことが可能であるからこそ、個人の「感想」が重要なのだ。

 そもそも、「表現規制」がヤバいなんてことは、別段法に明るい者じゃなくても直観的に分かることである。いわゆる規制派というのは、「表現の自由」の問題に無知だから規制派になるのではない。

 自民党の規制派は?彼らはそもそも「表現の自由」なんて歯牙にもかけないだろう。

 では、民主党の規制派は?ひょっとすると、彼らは「表現規制」は筋が悪いとは思ってるかもしれないね。

 じゃあ何で彼らは規制に賛成するのだろう?

 というのを考えてみようという話を(「表現の自由」がテーマかどうかに関係なく)このブログではずっとしてきている。

 あるいは、「可能性」の中から生まれる「自由」、あるいは「責任」について、の話といえるかもしれない。

*1:もちろん、「Aが可能である」という言明を行うことが、「Aを行う」ということをパフォーマティヴに意味する場合もある。しかし、それらの多くは、それこそその人物がAを行使する決定権者である場合がほとんどであって、少なくとも今回の事例はそれにあたらないと言ってよいだろう。

apesnotmonkeysapesnotmonkeys 2009/12/17 23:26 まあ(今以上の)所得の再配分について語っただけで「階級闘争史観」だのと言われるご時世ですから、自称リバタリアンに「自由の敵」認定されてしまうのもしかたないのでしょう。

hokusyuhokusyu 2009/12/18 02:02 そう考えると「飛躍だ」「理解できない」「恐ろしい」って言ってれば良かったんですかね。
まあ言われなれているので気にも留めませんでしたが。

SIVAPRODSIVAPROD 2009/12/19 04:56 法によるエロゲ規制は権力者側からの表現抑圧への一里塚になるぞ!っていう主張は実によくわかるのですが、法的規制でない社会による”表現の自由の線引き”っていうのはこれまでもこの国の社会でずっと行われてきたことですよね。たとえば一昔前ならたとえば障害者や肉体労働者などへの侮蔑表現など平気で市場に溢れてたのは古い小説やエッセイを読んでみたりするまでもなく誰しもご存知のことです。でそれらの表現も法規制されて見かけなくなって来たわけではなくそれらの言論に対する被抑圧者の異議を受けて社会全体が”自由”の抑制(あるいは”権利”の放棄と言えるかもですが。)をしてきたのですよね。もちろん時としてその抑制がいびつなものになって新たな抑制を産んだりするのはメディアの自主規制などを見てもわかるのですが、ともあれ我々の社会はそうやって進んできたはずです。なんつか、ベタにいうと「俺らちょっと遠慮しようぜ」なカタチで。

なのになのに。なんでポルノ表現になると表現の自由はアプリオリな権利だ!みたいなこと言い出すやつが出てくるのかさっぱりわかりません。なんだよ全ての個人にAKを! って。アナーキズムにカブれた中学生じゃあるまいし。権力者につけ込まれるのが嫌なら「女たちが嫌がってるんだから俺らちょっと遠慮しようぜ」って手もあるとおもうんですけど。Takahashiさんなんかはゾーニングを強化すべきとお考えのようですが。

SIVAPRODSIVAPROD 2009/12/19 05:17 蛇足ですがあまりに腹が立ったので。
女性に対する性犯罪は白人が黒人に振るう暴力と構造が同じであるという主張に対しての反論でしょうか、KKKのメンバーが主役の映画が今も名作とされてるじゃないか。(意)”って書いてる人がいましたが(つまり規制されてないじゃないかって言いたいのでしょうが)もっと”表現”というものに対して真剣に向きあって欲しいです。

hokusyuhokusyu 2009/12/19 12:09 規制されて困る人と困らない人、あるいは規制されないで困る人と困らない人、が非対称であるかぎり、やっぱり一般論として「規制しないのは前提として」となかなか言えない部分があるんですよね。
ぼくが規制反対なのは、やっぱり規制されたら困るけど規制されなくてもそれほど困ってるわけではない、という部分が大きいのではないかといわれるとまあそうかなとも思いますし。
在特会の暴力を間近で見てしまうと、あー、構造的差別の問題は何も解決しないかもしれないけど表現規制があればとりあえず(緊急避難として)こいつらの暴力に晒されているひとたちは安心できるんだな、という誘惑はみんなかられていると思います。
そこで「表現規制には反対だけど・・・」という「だけど・・・」の部分が追加されているわけで、それがApemanさんのいう。「法規制しないとして、どうするか?」の話だと思います。
それが明確な利害対立の問題である以上、法と倫理を区別しろってことにはならなくて、むしろ法と倫理が「表現の自由」という掛け金によって接続させられている、ともいえるわけであって。

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