2010-03-17
ファッションロリコンの功罪
|電車男以降、ファッションオタク、ファッションロリコンが急速に勢力を拡大し、あちこちで大声でギャーギャー騒いでるのは、正直すごく目障りだった。本当はロリコンでもないくせに、『ロリコン』という属性が欲しいがために必死に「マインちゃんハァハァ」「ツルペタはぁはぁ」とか言ってる奴を見ると哀れみさえ感じたものだ。
俺ぐらいのレベルになればそういう偽ロリコンなんてすぐ判別できるし、ハァハァなんて言ってても、そいつが本当に欲情してるわけじゃないって分かるけど、まず一般人はそんなの判別できん。
ネットでも現実でもあちこちで「幼女で興奮する俺たちカッケーww見て見てww」ってどや顔で大行進してりゃ、そりゃ子どもを持つ親は恐怖すると思う。一般人だって恐怖するよ。
非実在青少年表現規制問題も、そういうファッションロリコンたちのドンチャン騒ぎが原因の一つになってると思う。
ファッション○○な人間はほんとはやく氏んでください。
ちなみにロリコンもオタクも一般的にキモいですよ、メリットあるんですか?
記事に思うところあったので一筆失礼いたします。
私もそれは強く感じます。
アイデンティティのためにあえて人と違ったものだったりマイノリティを自称する、そういう人は本当に増えました。
電車男なんかよりもずっと前に起こっていたことだったのかもしれませんが、オタク的な部分にまったく触れていない人までもがそういう選択肢を知ってしまったのは電車男が最初だったのかもしれませんね。
ファッションオタ、なんちゃってオタ、ライトオタ、色々な呼称がありますが「△△な人は○○をしてる」から「○○すれば△△になれる」と歪な伝わり方をして
後者のみが真であるかのような世情になって久しい気がしています。
コミケに行けばオタクになれると思って、コミケに行くのまでは良いとしても
そこに「コミケを本質的には軽蔑してる層の視線」を持ち込んでゲラゲラ騒いだり、晒し者のようにしたり、そういう
根本的な部分で何か違う…言うならば無趣味人間の暇つぶしとして「オタクである」ことが利用されているような感覚が拭えません。
人と違う俺カッケーがやりたいのなら、自己と対象の本質の部分で触れ合っていなければならないのだとも思うのですが
表層上のみで対象に触れる行為をオタクと呼称する世代がこれからメインになるのだなと思うと寂しいものがあります。