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第一章 第二節 艦魂の少女



                進歩のない者は決して勝たない

                負けて目覚める事が最上の道だ

               日本は進歩という事を軽んじ過ぎた

         私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れてきた

         敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか

                今目覚めずしていつ救われるか

                 俺達はその先導になるのだ

                 日本の新生に先駆けて散る

                   まさに本望じゃないか


                                〜〜《戦艦大和ノ最期》より抜粋〜〜





 開戦以来日本は連戦連勝し、破竹の勢いで中部太平洋や南方資源地帯を次々に占領していった。
 その頃、戦艦『大和』はくれの軍港に停泊していた。各地から次々に優秀な人材が集まり、『大和』に乗艦する。そんな中、一人の若い少年兵が実習生として『大和』に乗艦した。
「これが戦艦『大和』かぁ」
 そう言って嬉しそうに甲板から艦橋を見上げて優しげな笑みを浮かべる、まだ幼さを少し残した少し小柄な少年。
 彼の名は長谷川はせがわ翔輝しょうき訓練航海少尉。歳はまだ十七歳。この呉で育ったが、目の前で『大和』が建造されていた事はついこの前知ったばかりだ。
 当時、大和型戦艦の建造は軍機というトップシークレットだった。超弩級艦を建造する為に海軍上層部は一九二九年三月、『大和』建造に当時の金額で一億三七八〇万二〇〇〇円を予定としていた。これは当時の国家予算の約三パーセントにもなった。しかし、予算請求額からだいたいの艦の規模はわかってしまうから、同年六月に大蔵省に予算請求した時は一億四四〇万五〇〇〇円となっていた。大幅に減ったが、海軍は実際には建造しない架空の駆逐艦三隻と潜水艦一隻を建造する事にして、後にこの中から『大和』の予算を捻出ねんしゅつした。
 『敵を欺くには、まず味方から』、まさにそれだった。なにせ『大和』の世界最大最強の主砲――四六cm砲でさえ九四式四〇cm砲と呼称されていたほどだ。だから建造もまわりの民間人にバレないようにこっそり行い、進水式も周囲に煙を上げて視界不良にした中で息を殺して行われた。世界最大最強戦艦にしてはあまりにも寂しい進水式だったようだ。
 余談だが、今『大和』を作るとすると、現在の物価にして二六三二億二二二六万七一〇〇円になる。これは現在の国家予算の約〇・三パーセントに当たる。ちなみに、今現在海上自衛隊が装備している中で最も戦闘力の高い艦船のイージス艦二隻分に相当したりする。
 ともかく、そんな極秘で誕生した『大和』も今では日本海軍軍人の誇りと言える艦になった。
 そんな『大和』に乗った翔輝は実習生ながらすでに少尉だった。彼は海軍学校の航海科を上位で卒業した期待の大きい軍人なのだ。見た目はそうは見えないが。
「――という訳で、『大和』の中は非常に入り組んでいる。まさに迷路だ。ついこの前行われた艦内特定部屋捜索大会では実に十五人の者が迷子になりって捜索をしたが、その捜索隊の者の中からも五人の迷子が出たという驚異的というか、かなり残念な結果を残している」
 数人の士官候補生の中にいた翔輝は先程から『大和』艦内を案内してくれている上官の話を聞いていた。計二〇人の迷子が出るとは、やはり『大和』は艦もでかけりゃそういう事でもでかいと改めて感心した。
「まぁ、俺からは以上だ。これから自由時間にするが・・・迷うなよ?」
 上官はニヤニヤしながら言う。周りも微笑しながら敬礼し、翔輝も敬礼した。
 これでやっと『大和』の中を自由に動き回れるようになった。同僚達は一人一人別方向に行き、翔輝も歩き出した。
「これが世界一の艦か、すごいなー」
 翔輝は溢れる好奇心を抑えきれず、走り出した。
 自分が世界一の艦に乗る。まさに夢のようだった。
 ふと、上官が『迷うなよ』と言っていた事を思い出した。しかし、迷う訳ないと思った。
 ・・・十数分後、それは最悪な形となって訪れた。

「迷った・・・」
 どこだかわからない鉄の廊下でうずくまる。階段を使ってないから、ここが中甲板だという事はわかる。しかし、右へ左へと行っているうちに完全に迷ってしまった。
「えっと、うーん」
 こんな時はやはりマニュアルだ。頭の中に入ってるマニュアルを開いて、その中から目的の部分を検索する。
 ――検索結果、自艦内で迷うのは言語道断。帝国海軍軍人としての恥だ。
「・・・そっか、そんな事学校で教わったな」
 思い出に浸るが、それは最悪の形だった。仕方なく、翔輝は自分で決断する事にした。
「まぁ、まずは上って甲板に出よう」
 それが最善の策だった。それに、甲板に上がるだけなら階段を上るだけでいい。一番簡単で、一番効果的な策だった。
 そう決めて歩き出すと、すぐに階段を見つけた。それを上って上甲板に移る。ここでようやく十数分ぶりに人に会った。ちょっと涙が・・・
「ちょっと」
 翔輝は目の前の兵に尋ねる。
「甲板に出るにはどうすればいい?」
「はっ、甲板ならここを真っ直ぐ行って兵員室を右に曲がった所にある階段を上ってください」
「ありがとう」
 翔輝が敬礼すると兵も答礼した。相手は自分より年上だが、翔輝の方が階級は上である。答礼して翔輝は兵の言うとおりに歩く。一直線なので兵員室は簡単に見つかった。その奥を右に曲がり、階段を発見。それを上り、扉を開ける。
 次の瞬間、そこは冷たすぎる風が吹き猛っていた。おまけに雪まで降っている。大降りというわけでもないが、とにかく瀬戸内には珍しい雪まで降っていたのである。『大和』に乗った時、曇っていたが雪は降っていなかった。最悪である。
 甲板は真っ白に染め上げられ、見たところ兵は誰一人いない。寒いからだろうか?
 呉は日本の中では南に位置するとはいえ、十二月の冬の季節が、寒くないはずがなかった。地元出身だからよくわかる。
「さ、寒い・・・」
 身体を小刻みに震わせ、口から白い息を漏らす。
「さ、さっさと中に戻ろう・・・」
 よく考えてみれば、別に今でなくとも良かったのだ。自由時間の終わりにでもくれば良かったじゃないか。
 翔輝は自己嫌悪に陥った。
 扉を開けようとした瞬間、翔輝は三番副砲の右側で海の向こうを見続けるる一人の少女を見た。
「だ、誰?」
 それは見たことのない少女だった。というか、そもそも戦艦に女性がいること自体おかしい。
(げ、幻覚・・・かな?)
 軍艦に、それも戦争が始まって忙しい今日の軍艦に、民間人の、それも少女が乗っている訳がない。
 だが、翔輝は少女の異様さに気がついた。
 少女は見た目十三、四歳くらいだろうか。端整な顔立ちをしたその少女は黒く長い髪を海風になびかせ、その黒い瞳で海の向こうを見詰めている。

 ――何だ、この子は・・・?――

 幻覚にしてはやけに鮮明に、翔輝の目には写っていた。
 翔輝はその少女が、なにか無視してはならない存在のような感覚を受けた。
「君、そこで何をしてるんだ?」
 咄嗟とっさに思い付いた言葉を繋ぐ。
 少女はそれに気付き、振り返った。そして、何かに驚いたような表情で翔輝をしげしげと見つめていた。改めて見ても、少女は美少女だった。
「どうしたの?」
「・・・」
 翔輝が首を傾げながら問うが、少女は黙っている。だが、やがてその桜色の唇を動かし、口を開いた。
「長谷川翔輝航海少尉・・・ですか?」
 少女は太刀を腰から抜き取ると、タンッと床につき、両手を添えた。
 少女の姿を見て翔輝派驚く。
 少女は日本海軍の士官服という出で立ちをしていた。階級章は付いているが、日本海軍のものとは少し違い、階級は不明だった。そもそもこんな少女が軍服を着ている事が不思議だった。
「・・・どうして、僕の名を?」
 少し間を置いて、少女は答えた。
「――ずっと、見ていましたから」
「え?」
 翔輝は全くわからない。見ていた? どこで?
 翔輝が必死に記憶と格闘していると、少女は今さらながら何かに驚いたのか、目を大きく見開いて翔輝を見る。
「長谷川少尉には、私が見えるんですか?」
 心底不思議そうに聞かれた。
 だが、翔輝には問いの意味が全くわからなかった。
「・・・どういう事?」
「少尉」
 少女は翔輝の疑問に答えず、凛とした声で自分の階級を呼んだ。
「ん?」
「私、さっきからここにいるんですが」
「うん」
「雪、積もってます?」
 少々間が必要だったが、翔輝は自分の肩や頭に雪が積もっているかどうか聞いたのだろうと解釈した。
「君には、積もってないね」
「でも少尉には積もってますね」
 あぁ、そうだよ。さっきから寒くてたまらないんです。
 だったらとっとと中に入ればよいものだが、寒さよりもこの少女の事の方が気になったのだ。
「君は、幽霊か何かなの?」
 戦争が激しくなってきている戦乱の時代。さすがにまだ本土は攻撃の対象になっていない。というか、軍服を着た少女なんて普通はいない。
「霊・・・とは、ちょっと違うと思います」
 うーん、と少し考えこんで、少女はそう結論した。
 その時、翔輝は小さなくしゃみを連発した。
「大丈夫ですか?」
 少女は笑ってそう優しく言った。
「ごめん、ちょっと雪風に当たり過ぎたみたい、僕は艦内に戻るよ。君はどうする?」
「私はまだここにいます。お気づかいありがとうございます」
「お礼を言われるような事は言ってないよ。じゃあね」
 翔輝は来た時の扉を開けると、室内に入ってすぐ扉を閉めた。
 少女はその光景に微笑をたたえると、また向き直って海の向こうを見つめた。

「うー寒い、寒い・・・寒いよぉ・・・」
 バカな事をやっていたなぁと自分でも思う。あんな所に少女がいる訳がないじゃないか。だいたい、自分は幻覚を見ていたか何かに決まっているのだ。
 とりあえずこれからどうするか決めようとして兵員室に入った時、数人の兵が翔輝を見て慌てて駆け寄って来た。
「どうされたんですか!?」
 真っ先に口を開いたのはその班の班長らしき男だった。口ぶりからして、かなり驚いているようだ。
 まぁ、士官が軍帽と肩に雪を積もらせて兵員室に入ってきたら誰でも驚く。
「えっと、ちょっと甲板に登ってまして」
「マジっすか! この寒空の下を」
 兵のひとりが驚きながら訊く。
「うん、ちょっと外が見たくなりまして。そしたら雪が降ってまして、すごく寒かったんですよ。でも艦上からの雪は格別でした」
 さすがに、甲板で見知らぬ少女と話していたなどとは言えない。
「あぁー、そうかもしれませんね。・・・しかし、呉でも雪が拝めるとは思ってもみませんでした」
 水兵の青年が苦笑しながら言った。その言葉に皆が確かにと言いたげにうなずいた。なんとかごまかせそうだ。翔輝はほっと胸をなで下ろした。
「それじゃ、さっきの続きといきますか」
 班長はそう言い、立ち去ろうとする。今度は翔輝が聞き返す番だった。
「何の続きですか?」
 翔輝の疑問に副班長が答えた。
「少尉は、艦船に人格が宿る、という伝説を聞いた事がありますか?」

 翔輝は、走っていた。
 甲板を辞退してから彼はただ一途に、先程抜けてきたばかりの極寒地獄、最上甲板へ。
 バタンッ!
 力強く開け放たれた扉の向こう側に先ほどと寸分かわらぬ少女が、立っていた。
 彼女は不思議そうな顔で翔輝の方に振り返った。
「君は・・・」

「君は、艦魂だったんだね・・・」

 時の古今、洋の東西を問わず、船乗り達の間で語り継がれる一つの伝説があった。
 船はそれぞれに人格を持ち、その船の航海の安全を司っている、という昔からの噂話。
 そして、軍艦のそれは《艦魂》と呼ばれ、容姿は若い女性であるとされてきた。
 『軍艦は男性』とされる日本海軍であってもそれは同じで、軍艦の艦魂は女性である、とも。
 兵達は『大和』の艦魂はどういう女性か、というバカ話(当人達にはそれが実在するとは知る由もないが)をしていたのだ。
 少女はうなずいて肯定の意を示した後、
「一つ、聞いていいですか?」
「何?」
「・・・寒くないですか?」
「寒い」
 翔輝は素直に答えた。そんな間でも翔輝の軍帽や肩には雪が積もる。黒い第一種軍装は冷たい雪で白く染まっていく。
「寒いなら中に入ったらどうです?」
 少女はもっともな事を言う。しかし、その入れない原因は君だ。・・・と、心で思う。
「そういう君も入ったら?」
「私は寒くないので」
 そういう少女に翔輝は近寄った。少女は不思議そうな顔で翔輝を見詰める。
「うーん、こっからじゃ雪しか見えないな」
「そうですね」
「君は何を見てたの?」
 そう問うと、少女は小さく首を振る。
「いえ、この向こうで空母のみなさんが戦ってるんだなって」
「それって、機動部隊の艦魂の事?」
 少女はコクリとうなずいた。
 この時、日本機動部隊は別部隊が攻略に失敗したウェーク島に救援として機動部隊の中から空母『蒼龍』『飛龍』を援軍として送り、残りの四空母は内地への帰途についていた。
「へえ、機動部隊の子と仲が良いの?」
 翔輝が聞くと、少女は首を弱く横に振る。
「いえ、だってまだ会った事はないですし」
「あ、そっか」
 少女の言葉に翔輝は何かに気づいたかのようにうなずいた。『大和』が完成したのは真珠湾攻撃後なので会えないのが道理だ。
「でも、会ってはみたいんだろ?」
 翔輝が言うと、少女はコクリとうなずいた。
 風が吹き、雪が空を舞う。詩人ならここですばらしい俳句の一つや二つが書けるかもしれないが、翔輝は、
「へくしょぉぉぉんっ!」
 思いっきり大きなくしゃみをした。
「・・・中に、入りませんか?」
 こちらを見て優しく微笑む少女の言葉に、翔輝は「うん」と少女の意見を素直に聞いた。
 少女が翔輝の来た扉の前に立つと、扉が一人でに開いた。少女は振り返ると翔輝に優しく微笑む。
「さぁ、中に入りましょう」
「ちょっと待って」
 中に入ろうとした少女を翔輝が止めた。少女が不思議そうに振り返ると、そこに微笑む翔輝の姿があった。
「君、何て呼べばいいかな?」
「え?」
 少女は正直に驚いていた。翔輝は構わず続ける。
「君が『大和』の艦魂だという事はわかった。これは何かの縁かもしれない。だから名前を聞きたい。もっと君を知る為に」
 翔輝の言葉に、少女の瞳に動揺が起きる。それを隠す為か、少女はうつむいた。今までこんな風に会話をした事がないのだろうか。少女は少し戸惑い、うつむきながら小さな声で言った。
「・・・大和、と呼んで下さい。それが、私の名です」
 風が吹き、翔輝は軍帽を押さえる。そして、軍帽を押さえた格好で翔輝は微笑んだ。
「大和、か・・・。さすが、『大和』の艦魂だね。同じ名だ」
 翔輝は少女――大和に近づき、軍帽を取り上げる。軍帽の中からキラキラと輝く長い黒髪が靡く。翔輝はそんな大和の髪を、わしゃわしゃと掻き乱す。
「な、何をするんですか!?」
 大和は顔を真っ赤にして怒る。翔輝は微笑んだ。
「よろしくな。大和」
 翔輝が言うと、大和は顔が真っ赤なのは変わらないが、それは別の意味で赤くなった。
 大和は軍帽を被り直し、顔を真っ赤にしたまま微笑んだ。
「はい、長谷川少尉」
 『大和』の甲板が純白の雪で染め上げられ、雪は降り続ける。まだまだ冷たい風が『大和』を流れ、軍艦旗が静かに靡く。
 これが、翔輝と大和の、最初の出会いだった。
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