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五部
22話
「……ちゃん。……に……ちゃん、起きてよ……」

 何だか布団が重い。
 そして、遠くから声が聞こえる。
 それはとても優しげで、俺が長い間望んでいたセリフ……。

「お兄ちゃん、起きて! 遅刻しちゃうよ! ほら、早く早く!」

 お兄ちゃん。
 その甘美な言葉に、俺はふと目を開ける。

「おはようお兄ちゃん! さあ、今日も元気に魔王退治にいこっ!」
 布団越しに、年齢不詳の自称妹が俺の上に跨りながらそんな事を……。

「おらあああああっ!」
「お兄ちゃーん!」

 立ち上がりながら布団の端を掴み引っ張って、布団上のアクアごとベッドの上から放り出す。
 ベッドから転がり落ちたアクアには目を向けず、そのままかけ布団を被って再びベッドに横に。
 俺は布団から頭だけを出して、絨毯に転がるアクアをチラッと見た。

「……今日のはちょっとだけ良かった」
「やはりロリコンのカズマさんには、お兄ちゃんの効果はばつぐんのようね」
 アクアがそんな事を言いながら立ち上がる。

 ここの所、連日アクアがこんな感じだ。
 魔王退治に行かせようと、あの手この手を仕掛けてくる。

「ねえカズマ、そろそろ折れてもいい頃合だと思うの。みんなが何か問題起こすと、涙目になりながらも最後にはなんとかしてくれるのがカズマさんの良い所でしょ?」
「俺をなんでも叶えてくれる青だぬきと同列視してんのか? 本来なら、仮にも女神のお前の方こそ、最後にはなんとかしてくれるのが筋じゃないのか」

 そんな俺の皮肉にも、アクアはどこ吹く風といった表情でベッドの脇にぺたんと座った。
 そのまま絨毯の上に、膝を抱えて体育座りになると。

「私に出来る事って言ったら、水の浄化に、悪魔やアンデッド退治、後は蘇生ぐらいのものよ。女神なんて、それほど大層な存在でもありがたいもんでもないわよ」
「お、お前とうとう開き直りやがったな。女神なら、魔王ぐらい封印出来ないのかよ。邪悪を封じるとかも女神の仕事みたいなもんだろ」

 アクアが膝を抱えたまま、布団の下の俺の下半身の場所をじっと見る。

「今の私に出来るのは、その邪な存在を封印する事ぐらいね」
「や、止めろよ……、止めてください、仕方ないだろ朝なんだから。そ、そんな事より」

 俺は話を逸らすように、寝たままでアクアに顔だけ向ける。

「あと一人魔王の幹部が倒されれば、城の結界とやらはお前の力で確実に解除できるんだろ? だったら、それまで待とうぜ。魔王の娘だったか? どれだけ強いのか知らないけど、仮にも首都を攻めようってんだから、魔王の娘だって無傷で済むとは思えないぞ。首都ともなれば、チート持ち連中がウロウロしてるだろうしな。魔王の娘が返り討ちにあったら、国の偉い人に頼んで強い護衛付きで結界の解除に行く。国の強い人達が負けたら、その時はその時でまた考えよう」

 物凄く他力本願だが、俺に出来る事といったらこんなもんだ。
 運良くなんとかなってきた今までとは訳が違う。
 俺達は英雄でもないし勇者でもない。
 むしろ、そこらのちゃんとしたパーティーよりも駄目なグループだ。
 それこそ、今まで全滅しなかったのが不思議なレベルで……。

「…………幹部……。あと一人、魔王の幹部が……」

 アクアが、膝を抱えたままブツブツと呟いている。
 ……?

「おい、一体どうした……」
「そうよっ! 魔王の幹部があと一人! あと一人、魔王の幹部が倒されれば、確実に結界は解除出来るの! そうすれば、きっと誰かが魔王を始末してくれるかも! そうよ! そうだわ!」

 突然アクアが立ち上がり、そんな事を口走り……
 おい、まさか!

「ちょっと出掛けてくるわ!」
「おいこら待て! ちょっと待て!」
 アクアは、静止も聞かずに俺の部屋から飛び出して行った。








 朝っぱらから屋敷を飛び出して行ったアクアを追い、俺は目的の場所にやって来た。
 悔しいがあいつの方が足が早い。
 基本ステータスの差ってやつだ。

「ウィズはどこよ! 隠してないで出しなさいよー!」
「話を聞かないヤツめ! サボり店主は留守であると言っておろうが! 目を離すとロクな物を仕入れてこないポンコツ店主を我輩も探して……、こっ、こらっ! いい加減仮面から手を離すがいい!」

 案の定、ウィズの店から騒がしい声が聞こえる。
 どうやらウィズは留守の様だ。
 俺が店に入ると、そこではアクアがバニルの仮面に手をかけて、それを引き剥がそうと暴れていた。
 バニルは激しく抵抗しながら、店に入ってきた俺を見る。

「ぐううういらっしゃいませ! 飼い主よ、この狂犬女神をなんとかするがいい!」
「飼い主にするなよはた迷惑な。ウィズは留守か。と言うか、話が出来ないから止めてやれ」

 俺の言葉にアクアが渋々仮面から手を離す。

「ちょっとへんてこ悪魔。あんたの力が詐欺じゃないなら、ウィズが今どこに居るのかぐらい見通してみなさいよ」
「フン、たわけ。全知全能を謳いながら何の役にも立たぬ神々。その詐欺のような誇大広告と、この我輩の力を一緒にするな。だが我輩とて万能ではない。我輩に匹敵する程の力を持つ相手ともなると見通し辛くなるのだ。あのポンコツ店主は、商才は無いが力だけはあるのでな」

「偉そうな事言ってるけど、つまり分かんないって事ね。あんたって、肝心な時になるとあんまり役に立たないわね」
「……よかろう、久しぶりに我輩の本気を見せてくれる。表に出るがいい、今日こそ忌々しい神との決着を付けてくれるわ」

 こいつらは、本当に仲悪いなあ……。
 と、店の入口に立っていた俺は背後に気配を感じた。
 振り向くと、そこにいたのは……。

「あっ、カズマさんにアクア様、いらっしゃいませ! 丁度いい所にいらっしゃいました。実は、面白い物を仕入れて来まして……!」

 そう言いながら、ウィズは幸せそうな笑顔を浮かべ、抱えていた紙袋を俺に見せた。
 それを見てバニルが固まる。
 アクアが早速興味を抱いたのか、ウィズに近寄り紙袋の中を覗き込んでいた。
 バニルが動かなくなったので、代わりにウィズに尋ねてみる。

「えっと……。何買ってきたんだ?」
「よくぞ聞いてくれました!」
 ウィズが嬉々として、俺に紙袋の中身を取り出して見せた。
 そこにあったのは……。

「……てるてる坊主?」

「てるてる坊主って何ですか? これは、天候制御が可能な強力な魔道具なんです。これを軒先に吊るしておくだけで強制的に天候を晴れにできるんですよ! 天候制御の魔法というものは、通常は長い儀式と希少な触媒をたくさん使ってようやく行うものなんです。それが、これを吊るすだけ! どうです? 凄くないですか? 凄いですよね!」

 それは凄い。
 確かに凄いとは思うのだが。

「……で、それって何か欠点とかは無いのか? 例えば、使用すると十年ぐらい雨が降らなくなるとか……。膨大な魔力を使うとか……」
「副作用なんてありませんよ? 私だって、バニルさんにしょっちゅう怒られ、勉強しました! 使用するには、ある程度魔力のある人が手ずから魔力を込めて軒先に吊るす事。あとは、使える時期が限定されているぐらいで、デメリットと言うものがありません! どうです? とても良い買い物だと思いませんか?」

 固まっていたバニルが、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
 バニルは、ウィズが自慢気に見せびらかしていた、てるてる坊主みたいな物をヒョイとつまみ上げ。

「で、この道具を使える時期というのはどの時期なのだ?」
「今です! 夏限定の商品ですよ! せっかく買ってきたのにすぐ使えないなんて、そんなドジは踏みませんよ? バニルさんも心配性ですね」

「…………お客様、ちょっと来るがいい」
 満面の笑みを浮かべるウィズを残し、バニルが俺の肩を掴んで店の隅へ。

「……先に言っておくけど、買わないからな」
「そう言うな、このガラク……素晴らしい商品からは、たしかに強力な魔力を感じる。その性能には嘘偽りはないであろう」

 性能は本物なのだろう。
 ウィズが商品を仕入れる際は、商品の魔力の大きさで物を仕入れると聞いた。
 だが、一つだけ疑問がある。

「……夏に入ってから、ずっと雨なんて降った記憶が無いんだけど。夏って、ここら辺りって雨は振るのか?」
「……二十年ほど前の夏、一日だけ小雨が降ったな」
「買わない」

 突き放す俺にバニルが仮面を寄せてきた。

「そう言うな、この世界は広い。夏場、雨に困らされている地域があるやも知れん。そういう所へ持っていけば、きっと重宝される事間違いなしだ。今なら、夜中に笑うバニル人形もおまけに付けてやろう」
「買わない」
「更には、店主に内緒で開発している時期主力商品、等身大お色気店主抱きまくらも付けてやる」
「買わな……。……おい、詳しく」

 俺とバニルが、店の隅っこでそんな話をしていると。

「あの……? どうしたんですか、アクア様?」
 ウィズの、そんな不思議そうな声が聞こえてきた。








「ウィズ……。思えば、あなたと出会ってそろそろ一年近くが経とうとしているわ。皮肉な物ね……。私は女神であなたはリッチー。本来ならば、決して相容れない間柄なのに!」
「もうそんなに経つんですね。……あ、魔道具と一緒にクッキー買ってきたんです。アクア様も食べますか?」
「頂くわ。……そうじゃないの。ねえウィズ。私達、慣れ合いが過ぎたようね。本来ならば、出会ったその日に浄化するのが私の仕事。そう、神とアンデッド。絶対に相容れない間柄なのだから……!」

 アクアが、ウィズから貰ったクッキーをポリポリかじり、そんな事を言い出した。
 その不穏な空気に、バニルがツカツカと歩いて行き、ウィズとアクアの間に立つ。
 まさかアクアも、本気じゃないとは思うのだが。
 バニルが、ウィズを庇うように立ち塞がりながら、口元を不敵に歪めた。

「なんだ? 暴力女神め。今の貴様からは物騒な気配が出ておるぞ。何があったかは知らぬが、この店で暴れる気ならば莫大な修繕費用を吹っかけてくれる。それを覚悟の上で掛かって来い」

 言って、バニルはクイクイと右手の人差指を動かしながら挑発する。
 だが、アクアはそんなバニルを意に介さずに。

「ウィズ……。分かって頂戴、あなたを倒さないと、世界の平和が守れないの! 友人であるあなたを倒すのは私だって心苦しいわ! でも分かってウィズ! 私だって天界に帰りたいの! お願い、私の為に土に還って!」

 アクアが、芝居掛かった大袈裟なセリフを吐きながら、ウィズに対して身構えた。
 ウィズはといえば、怯えるでもなくキョトンとしている。
 やがて、首を傾げると。

「……私が成仏すると、アクア様が天界に帰る事が出来るんですか?」
 そんな事を、なんでもなさ気に。

「そうよ! 残念ねウィズ! 今回は事情が事情なだけに、見逃してあげる事が出来ないの! 恨むなら恨んで頂戴、でも、私は女神として……!」

「いいですよ」

「女神として…………! ………………。……いいの? ていうか、ダメよウィズ、そんなに生きる事を簡単に諦めちゃ。命を何だと思ってるの? 罰が当たるわよ?」

 ウィズを倒すだの言ってるお前が言うなとか、リッチーのウィズに命があるのか、とか。
 ツッコミ所が多すぎるアクアの言葉に、ウィズが未だキョトンとした素の表情のまま。

「私が成仏すると、アクア様が天界に帰れるんですよね? よく分かりませんが、何か事情があるのでしょう? もう長い付き合いです。私は知ってますよ、アクア様の事。本当はとても慈悲深くて優しい方だって。そのアクア様が、私を浄化すると言うのなら従います」

 そんな、突拍子もない事を言い出したウィズに、今度はバニルが慌てだした。
「何を言うかウィズ! 貴様、我輩との約束を忘れたのか!? 悪魔との契約を破ろうとは良い度胸だ! 貴様が成仏してしまっては我輩のダンジョンを誰が造る! これまで店で働いてきたのは、全てはその為なのだぞ!」

 バニルの言葉に、ウィズが一瞬驚きにこりと微笑む。

「バニルさん、初めて名前で呼んでくれましたね。約束を守れなくてごめんなさい……。その、長い眠りについてますが、一人だけリッチーの知り合いが居ます。その方を紹介するので、どうか、それで……」

 その言葉に、バニルがギリッと歯を食い縛る。
 そして、未だ納得がいっていない様で、アクアとウィズの間から退こうとはしなかった。

 ウィズは、立ち塞がるバニル越しにアクアに向き直り、両手を前に組んで微笑むと。

「本来なら、出会ったあの時に浄化されているのが当然なのに。今まで、一年近くも見逃してくれてありがとうございました、アクア様。お陰で、こうしてバニルさんとお店を経営したり、いろんな方と知り合えたり。随分永く生きてきましたが、この一年が人生の中で一番楽しかったです。本当ですよ? ですから、感謝こそしても恨みなんかしませんから」

「…………」

 バニルが、そのウィズの言葉を聞いて無言のままスッと退いた。
 未だ歯を食い縛っている所を見ると、納得はいっていないがウィズの意志を尊重させるつもりの様だ。

 アクアは…………。
「う……うう…………」
 予想外のウィズの言葉に、泣きそうな顔で後退っている。

 そんなアクアを見て、ウィズが苦笑した。
「アクア様、私はいずれ誰かに浄化される存在ですから。でなければ、永遠に生き続ける存在です。そして、いつか誰かに浄化されると言うのなら、私はアクア様に浄化されたいです。それで、お世話になったアクア様のお役に立てるのなら。それに…………」

 ウィズが、嘘偽りのない優しい表情で、アクアを安心させようとするかの様に。

「私は、アクア様の事が好きですから」
 そう言って、微笑んだ。

 何となくアクアを見る俺とバニル。
 そして、ちょっとだけ困った様な、心配気な表情でアクアを見るウィズ。
 そんな、皆の視線に耐え切れなくなったのか……。

「う……うう……、わ、わああああああーっ!」

 良心の呵責に苛まれたアクアが、店を飛び出して行った。








 ……この街で一番優しくて一番真っ当な人物がリッチーと言うのは、俺達は人としてどうなのかと悩みつつ、俺は屋敷に戻るとアクアを探した。
 屋敷には、一階の広間のソファーでダクネスとめぐみんがボードゲームをしている。

「なあ、アクアが帰って来なかったか?」
「アクアですか? 先ほど凄い勢いで帰ってきて、自分の部屋に閉じ籠もりましたよ。朝食が出来てると言っても部屋から出てきませんし。朝っぱらから、何かあったんです?」

 めぐみんの言葉に、うーむと唸る。
 どうしようか。
 しばらく放っておくべきか。
 ……いや。

「ちょっとな。……アクアの分の食事をくれ。ちょっと部屋まで持って行ってくるわ」
 俺はめぐみんから食事を貰うと、アクアの部屋へと向かっていった。


「おーい、お前、気持ちは分かるけども先に帰るなよー。めぐみんが食事作ってくれたぞ、ここ開けろよ」
「…………ほっといて。今、私は少しだけ女神としての自信を無くしているの」
 ……少しだけなのか。

 俺は、ドア越しにもう一度アクアに呼びかける。
「なあ……。もう、魔王退治なんて考えなくてもいいんじゃないのか? そこまでして天界に帰る必要ってあるのか?」
「…………」

 何だかんだ言いながら、アクアもウィズの事を嫌っていた訳ではないはずだ。
 ウィズが陽の下で煙を出していると、心配しながら水をかけてやったり。
 ウィズに因縁つけたり、バニルとの喧嘩に巻き込んで浄化しかけたりだのと、それなりに大変な目にも遭わせてはきたが。
 それでもまあ、相反する存在ながらも二人の仲は悪くなかった。

 俺はもう一度呼び掛けた。
「……天界に帰っちゃったら、もうウィズには会えなくなるって分かってるのか?」

 もちろん、俺達とも。

 ……いや、エリス様は正体を隠してたまに地上に遊びに来ていると言っていたが。
 でも、アクアの場合はどうなんだろうか。
 アクアは日本を担当する女神だ。
 そんなアクアが、この世界にホイホイやって来れるのだろうか。


 返事もなく、静まり返るドアの前。
 俺はアクアに呼び掛けた。

「…………めぐみんが作ってくれた食事持ってきたけど。食わないなら下に持って行くぞ?」
「……ご飯はそこに置いといて」

 飯は食うのか。




「アクアは一体どうしたんです? いつもは一番先に食卓に着くのに。お腹でも痛いんですか?」
 広間に戻ると、めぐみんがそんな事を聞いてくる。
 めぐみんとゲームで相対するダクネスが、腕を組みながら困った顔で唸っている様子を見るに、ゲームはめぐみん優勢な様だ。

「気にするな。一応持っていった朝飯は食べるみたいだし。昼頃になれば、腹が減ったら降りてくるだろ」

 俺はそう言ったが、結局アクアは、夜になっても部屋から出ては来なかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 眠れない。

 時刻は深夜を回っただろうか。
 虫の声すらあまり聞こえない、静かな夜だ。
 今朝みたいな騒ぎは特に珍しい事でもない。
 アクアが騒いで暴れて、人に迷惑を掛けて、そして最後には泣いて帰る。
 いつもの事で、いつもの通り。

 それなのに、何だか今日はやけに気になる。

 ……ウィズの事だ。

 ウィズにもう会えなくなっても良いのかと聞いて、ドアの向こうで黙り込んだアクア。
 ……本当は、ウィズをダシにするんじゃなく、もっと踏み込んだ事を聞きたかった。

 俺達と離ればなれになっても良いのかよ、と。

 …………。
 ……………………。

「ああああああああああああ!」

 布団の上で転がり回った。
 なに恥ずかしい事を考えてるんだろう。
 枕に顔を埋めて悶絶する。

 いやいや、本当はこう聞きたかった訳だ。
 もう長い付き合いなのに、俺達を置いて帰るのか、と。
 この面子での生活に慣れた以上、今更アクアが抜ける生活と言うのもちょっと想像がつかない。

 アクアが帰る。
 居なくなる。
 そうなったならどうなる?

 めぐみんとダクネスとの三人暮らし。
 二人には好きだと告られていたりする。
 そんな二人との三人暮らし。
 大金と屋敷を持って、もうアクアが駄々こねたり問題起こしたりする事も無く……。


 …………あれっ。
 俺は何を悩んでいたんだっけ。
 別に悪くない生活な気がしてきた。

 ……いやいや。

 これを聞いたら流石にアクアが泣くな。
 というか、あいつが居ないと何と言うか退屈しそうだ。

 そう、問題は起こらなくなるだろうが、毎日暇を持て余しそうだ。
 でも、アクアはどう思っているんだろうか。
 と言うか、そもそもなぜ俺はアクアの事でこんな時間まで眠れなくならなきゃいけないのか。

 イライラしてきた。
 うん、モヤモヤしてきた。

「…………」

 俺は布団を跳ね除けて立ち上がる。
 こんな時間だが、あのバカを起こして問い詰めてやろう。
 そして、こんこんと説教してやろう。
 魔王を倒す事へのリスクだの、それで得られるメリットの少なさだのを。

 俺は部屋を出ると、出来るだけ音を立てずに移動する。
 多分寝ているとは思うのだが、こんな時間にめぐみんやダクネスに見つかって、アクアへの夜這いだと思われると大変困る。
 俺はコソコソとアクアの部屋へと…………。





 …………アクアがいた。





 アクアの部屋へと向かう途中。
 屋敷の二階、正面玄関の上の部分がバルコニーになっているのだが、アクアはバルコニーに出て、座っていた。

 今夜は満月。

 アクアは、いつもの淡い水色の羽衣を身に纏い、体育座りの体勢でぼーっと月を見上げていた。
 何と言うか、叩き起こすつもりでこうして来た訳なのだが……。

 何も言わず、ただ月を見上げるアクアは、その見てくれだけは確かに女神だった。

 そう言えば、俺が日本で死んで初めてこいつに会った時。
 一目見ただけで女神だと理解できた。
 その姿は、本当に美しくて……。

 俺は思った。

 コイツ、普段から喋らなきゃいいのに。

 俺が少し離れた所からアクアを見ていると、アクアもこちらに気付いた様だ。
「……? どうしたの? そんな所で。寝られないの?」

 アクアの言葉に、俺はバツが悪そうに頭を掻きながらバルコニーへ出る。
 覗き見してたなんて言えないし、何て言おうか。
 見惚れてたなんて絶対に言えない。
 言えば間違いなく調子に乗る。

 だから、思っていたのとは全く関係ない事を。
「……まあ、ちょっと昼寝し過ぎて。……お前こそ何してんだよ。蚊に食われるぞ」
 アクアはこちらに背を向けたまま、相変わらず自堕落でダメ人間なカズマさんねーとか言いながら、ぼーっと月を見上げ続ける。

 …………。

「食い気しかないお前が月なんて眺めてどうしたんだよ。天界って月にあるの? お前らってかぐや姫かなんかなの?」
「違うわよ。綺麗だから見てるだけよ。あんた、前々から思ってたけど、私を何だと思ってるの? 私だって美しいものを愛でる時もあるわよ。どう? 月を見上げる女神って絵になるでしょ?」

 確かに絵になる。
 絵になるし、正直ちょっと見惚れてしまった。
 もちろん口になんて出さないが。

「……なあ。お前、そんなに天界に帰りたいのか? ここに来て、何だかんだでそろそろ一年だろ。色んな連中と知り合ったし、そいつらと会えなくなったら寂しいとか思わないのか?」
「………………」

 アクアはそれには応えず、俺に背を向けて相変わらず月を見上げ続けている。

 やがて、独白の様にぽつりと言った。

「まだ一年しか経ってないのよねー。不思議なものだわ。天界では、天使の子達や他の神々と、もっと永い時を過ごしたものだけど。ここでの暮らしって、毎日が、なんて言うか波瀾万丈よね」

 波瀾万丈な生活を送る羽目になっているのは、大体がお前の所為だ。
 喉から出かかったが、そこは堪えておく。
 代わりに、俺は……。

「天界でもっと永い時を過ごしたって、お前やっぱりババ……」
「それ以上何か言うつもりなら、あんたの下半身に人の力じゃ永久に解けない封印を施してやるからね」

 俺は生まれて初めて心底アクアに恐怖した。

 アクアは、独白じみた言葉を続ける。

「天界って所はね。特に変わらない毎日が続くだけなのよ。ずーっと変わらないの。正直言って、つまらないわね。……まあその分、変わらないって事は辛い思いもしない訳なんですけど」

 辛い思い。
 先日の、セレナとの戦いの時の、冒険者達の手の平返しの事だろうか。
 俺が何も言えずにいると、アクアがなおも続けた。

「あれから、街の色んな人に謝られたんですけど。なんて言うのか、もう私は気にしてないんだけどね?」

 嘘つけ。
 めぐみんから、あの件ではアクアが結構凹んでいたと聞いた。

 と、アクアが、月を見上げながら小さな声で呟いた。
 その横顔は、別に寂しそうではなく、悲しそうでもない。
 ただ、元いた自分の居場所を遠くから見上げている、まるで迷い子の様な、そんな、ぼーっとした表情で。

「……帰りたいな…………」

 それは、俺に向けたものじゃなく。
 催促している訳でも、駄々をこねる訳でもない、ほんの小さなアクアの呟き。


 アクアがどれぐらいの間天界に居たのか、俺は知らない。
 向こうではどんな知り合いがいて、どんな友人がいて。
 アクアが、天界でどんな暮らしを送っていたのかは、俺は知らない。
 ……コイツを無理やり連れてきたのは俺な訳で、本人が望むのなら、俺が帰してやるべきだろうか。

 でもなあ、魔王かあ…………。

 ……なんて声を掛けてやるべきか。

「……あれだ、少しだけ。少しだけ、魔王退治を前向きに考えてやるからさ。……て言っても、俺が直に倒しに行くんじゃないからな? 例えば、ウィズの店で爆発系のポーションを大量に買ってきてさ、めぐみんは怒るかもだけど、それで大量の爆発物を作って。で、魔王の城周辺にテレポートで送ってもらったりとかさ。あ、そうだ。お前知ってるか? ゆんゆんが、とうとうテレポートを使えるようになったんだぞ。今の所、紅魔の里とこの街しか登録してないそうだから、最後のテレポート登録先を魔王の城の近くにして貰ってさ……」

 若干早口になる、俺のそんな言葉に。

「……プークスクス! あれだけ抵抗してたカズマが、とうとう折れ始めたんですけど! ほら、やっぱりカズマさんは、最後にはなんとかしてくれるじゃない。……でも、まあいいわ。ただでさえ弱っちいカズマが今のレベルで魔王の攻撃を食らったら、下手したら体も残らないかもしれないしね」

 こ、この野郎。
 コイツはいつもいつも、一言多い。

 俺はバルコニーから廊下に出ると、アクアの背中に向け、
「俺が弱っちいのは、チートの代わりにお前を貰ったからだからな。俺が弱いって事は、お前が役に立ってないって事な訳で、その言葉はお前自身にも帰って来ると知れよ。分かってんの、駄女神様?」
「ねえ、封印かけてあげるからちょっとこっちにいらっしゃいな」
「ごめんなさい」

 これ以上ここに居ると、気まぐれでほんとに封印を掛けられかねない。
 未だバルコニーから動こうとしないアクアに、早く寝ろよとだけ告げて、俺は自分の部屋へ帰ろうと……。

 そんな、帰ろうとする俺に、アクアがこちらを向くこと無く膝を抱えたままの姿勢で。
 未だ月から視線を離さずに言ってきた。

「カズマさん、カズマさん」

 俺はその場で足を止めると、
「……? 何だよ」
 未だこちらに背を向けたままのアクアを見る。

「……カズマは、この世界に送られて良かった? 後悔はしてないですか?」

 アクアは、そんな事を聞いてきた。

 俺は日本に居た頃は先の見えないニートだった訳で、それが今では一財産を築き上げ、家まで持って、しかも美女と美少女に好かれると言う快挙を成し遂げた。
 感謝こそしても、今となっては後悔なんてある訳がない。

「後悔なんてしてないさ。ここに来れて良かったよ」

 俺のその言葉を聞いたアクアは、心底安心した様に、ほう、と小さく息を吐く。

「なら、良かったわ。……お休みなさい。……月を眺める私が美しかったからって、邪な想いを抱いて今から変な事しちゃダメよ? 罰が当たるからね?」
「それは無い」

 俺の即答にアクアが、即答されるとそれはそれで腹が立つんですけど、やっぱりちょっと封印を……などと、物騒な事をブツブツ言い出し。
 俺はそれを聞きながら、慌てて自分の部屋へと逃げ込んだ。




 自分の部屋のベッドで寝転がりながら、俺は物思いに耽る。

 ……魔王かあ……。

 流石に無理だよなあ。
 何か、簡単に倒せるいい手があれば。
 ……いやいや、やっぱり無理があるだろ。
 でも、ゆっくり考えれば良い考えの一つや二つは…………。


 そこまで考えて、俺はふと気が付いた。

 何で本気で魔王退治なんて考えているんだ、と。
 バカな考えを振り払うように目を閉じて、そのまま寝に入る。
 心地良い睡魔に身を任せながら、俺はぼんやりと考えた。




 今まではそれほど思わなかったけど。




 …………魔王と渡り合えるぐらいの、チートが欲しい…………。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「おい、カズマ! カズマ、起きろ! 起きないか!」

 その声で、直ぐに目が覚めた。
 眠りが浅かったのか直ぐに意識が覚醒する。
 ダクネスが俺を激しく揺り動かし、大声で呼びかけている様だ。
 …………。
 俺は再び目を閉じて、ダクネスを抱きしめると、そのままゴロンと寝返りを……。
「むにゃむにゃ、もう食べられないよ……」
「こっ、こらっ! お前起きているだろ! ああっ、ちょっ……! ちょ…………。……………………」

 ……抱きしめられるまま抵抗しなくなったダクネスに、ちょっとふざけてみただけなんだがどうしようと困っていると、

「……なにしてるんですか。……カズマを起こしてきて欲しいと言ったのですよ! 全く、ちょっと目を離すとすぐこの男を誘惑するんですから、朝っぱらからとんだ痴女ですね!」
「!? ちちち、ちがー! 私はまだ、何も……!」

 どうやらめぐみんも部屋に入ってきた様なので目を開ける。
 当然、抱きしめているダクネスと目があった。

「……また俺を襲いに来たのか!」
「ああっ! おっ、お前っ……!」

 濡れ衣を着せられ、泣きそうな顔ながらも頬を染めているダクネスから離れると、俺は伸びをしながら二人に尋ねた。

「なんだよ二人して。朝っぱらから騒がしいぞ」
「もう昼ですよ! そんな事より、大変なのです! これを見てください!」

 俺はベッドで上体だけを起こしたまま、めぐみんから手渡された物を見る。
 手紙だ。
 それを開いてみると、恐ろしく達筆な字が書かれていた。

『拝啓 すがすがしい初夏の季節となりました。皆さんいかがお過ごしですか?
 ダクネスは、タンスの角に足をぶつける遊びを程々に。
 めぐみんは、爆裂魔法を程々にしないと、やがて来るであろう温暖化現象の理由の一つに数えられると思います。
 カズマは、性欲を持て余しているのは分かるけれど、いい加減みんなの洗濯物を床に敷いて、その上を転がり回るのは止めてください』

 俺は、読んでいたそれをクシャッと丸め、部屋の隅に放り投げた。

「「ああっ!」」

 放り投げられた手紙をめぐみんが拾って持ってくる。
「気持ちは分かりますが、ちゃんと最後まで読んでください」
 その言葉に、仕方なく続きを読む。

『さて、今の世は魔王が蔓延る荒廃した世界です。そんな中、麗しくも美しい女神である所の、この私が魔王を放置しておく事ができるでしょうか? できませんとも。
 世界に散らばる敬虔なるアクシズ教徒。
 この私を信仰する、十億の信者達の想いに応え、この私は旅立ちます。
 そう、伝説となるために……』

 俺は手紙から顔を上げ、二人に尋ねる。
「……アクシズ教徒って、十億もいたのか?」
「……ん、世界中の信者を集めても、数百人がいい所じゃないか?」
 ダクネスの言葉に、俺は安心して再び手紙に目を向けた。

『という訳で、そんな崇高なる目的のために……!





 ちょっと、魔王退治に行ってきます』

 俺は思わず、ベッドの上で立ち上がった。
「あのバカ……ッ!」
 ダクネスが、慌てる俺の様子を見て。
「……アクアは、カズマ程ではないが、結構な額の金を持っていたはずだ。道中、腕の立つ冒険者でも雇う気なのかも知れないな……」
 そのダクネスの言葉を聞いて、俺はベッドから飛び降りる。

 直ぐさま後を追い掛けないと……!
 俺は二人の顔を見て……、


 ……二人の、困った様な微妙な表情に違和感を覚えた。
 そんな俺に、めぐみんが俺が持っている手紙の隅っこを指で差す。

 俺は釣られて視線をやると……。



 それは、よく注意して見ると微かに分かる、何かを書いて消した跡。
 おそらく、これを一度書いて、カッコ悪いので消したのだろう。





『……追伸。 探してください』


 ……探さないでください、じゃあないのか。











 ………………あのバカ。
ちょっとだけシリアス。
次回も多分ちょっとだけ。


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