俺とセレナは、人気のない空き地で屈み込んでいた。
まるで、コンビニ前にたむろするアッチ系の人達の様に。
バニルに有り金巻き上げられたセレナに連れられ、ここに来た訳だが。
セレナが俺に、人差し指と中指を、パクパクと閉じたり開いたりして見せた。
?
その意味が分からずにいると、セレナがイライラと言ってくる。
「煙草だよ。煙草無いか煙草。お前、あれだけ悪名高いんだから煙草ぐらい持ってんだろ? 一本くれよ。この街に来て猫かぶってた所為で、ずっと吸ってないんだよ」
「い、いや、持ってないっス」
この世界の煙草って言うと、どんな煙草だ?
紙巻き煙草は流石に無いんじゃないのか。
と言うか、この女チンピラかよ。
何となくこの手の人種には敬語になってしまう。
同じチンピラのダスト相手だと平気なのになぜだろう。
俺の返事を聞いたセレナは、下を向きながらイライラと頭を掻いた。
既に今までの清楚なイメージなど欠片も無い。
やがてセレナは深々と溜息を吐いく。
「今更誤魔化してもしょうがねえな。……あたしは魔王軍幹部、謀略と諜報を担っているセレスディナ。傀儡と復讐を司る邪神、レジーナを崇拝するダークプリーストだ」
「自分のとこの神様を邪神って言っちゃうんスね。宗教関係の人達は、自分の所の神様こそが絶対であり、他は邪教であるとか言うのかと思ってました」
その俺の言葉に、セレナがフッと顔を上げる。
その目は先ほどまでとはうって変わって、暗く、冷たい、人形の様な無表情になっていた。
見た目は美人なだけに、急にそんな顔をされるとかなり怖い。
……あれっ、さっきはウィズやバニルがいたから安心しきっていたが。
よく考えると俺、現在ロクな装備も無い状態で魔王の幹部と二人きり?
おいちょっとヤバくないかこれ。
「まあ、あたしん所の神様は自ら邪神を名乗ってるから。傀儡と復讐を司るんだぜ? 邪神以外の何だってんだよ」
そう言いながら、目を細めて張り付いた様な笑顔を浮かべた。
傀儡を司る神に仕えるだけあり、正体を知った今となっては、その笑みがまるで人形が浮かべる作り笑いの様に映る。
何と言うか、本性を知ってしまうとその笑顔が怖い。
穏やかなセリフの時なら似合うその笑顔が、粗野なセリフには全く似合わなかった。
「……傀儡って。ひょっとして、ターンアンデッドが効かなかった墓場のゾンビも……」
「おう。あたしあたし。ありゃゾンビじゃなくて、あたしの傀儡だ。大変だったよ、夜中に墓から一体一体、死体引きずり出してな。ありゃ、邪神の力で操られた唯の死体だからな。他のプリーストが手も足も出ない所をあたしが退治する。……あの手は、街の冒険者からてっとり早く信頼を得る時によく使うんだよ」
こいつ、ロクでもねえ。
流石は魔王の幹部なのか。
「……それじゃさっき話してた、美少女が呪いで魔王に云々とかってのは……」
「ああ? あんなもん本気で信じてたのかよ? 魔王の敵になりそうな、実力のある冒険者にはとりあえずあの話をしておくんだよ。人間ってのは楽な方へ行くもんさ。危険を冒して魔王退治なんて頑張らなくても、やがて時が経てば少女に掛かった呪いは解け、魔王は居なくなって平和になりますよって吹き込んどけば、大概の奴はそれで大人しくしてくれる。誰だって自分の身は可愛いからな。危険を冒す必要のない言い訳を与えてやれば、大概の奴は楽な方に行っちまうもんだ」
情に訴えたりとか、やり方が汚い。
魔王の正体が元美少女とか事前に言われてたら、いざ魔王と対峙した時に躊躇する奴もいるだろうし。
流石謀略担当の魔王の幹部、狡い手を使う。俺の感動を返して欲しい。
「でも、何で俺にはそこまであっさりバラすんだ? バニルとウィズのお陰で正体は見破ったが、俺にそんな手の内明かす様な事をするのがちょっと」
俺の疑問に、セレナは全く笑みを絶やさないまま言った。
「なに、これ以上嘘を重ねて苦しくなるより、本当の事を話して取引しようと思ってな。……ここ最近の大体のお前の言動や行動を見させて貰ったが、魔王がお前を危険視する理由がサッパリ分からねえ。……お前、働きたくないだけの唯のニートだろ」
「その通りです」
セレナの言葉に即答する。
「お前、人類の為に命を掛けて、魔王退治をしたいとは思わないだろ?」
「もちろんです」
俺は更に即答する。
「……お前、自分の知らない所で、見知らぬ赤の他人が魔王軍に苦しめられていると聞いて、どう思う?」
「ふーんとしか」
小指で耳をほじりながら、俺はもちろん即答を……。
「…………」
即答する俺を、セレナが無表情な真顔になって見つめていた。
……無表情なのだが、何だか蔑まれている様な気がする。
ハッキリ言うが、裕福な日本に住んでいた時も、アフリカで飢えた人々がどうのと聞いても、特にどうしようなんて思わなかった。
多分、日本に住んでいた時に俺が一億円持っていたとしても、恵まれない子供達に寄付しようなんて思わなかっただろう。
だが、俺は別に鬼畜ではなく、普通の人だと思う。
……思う。
……思……。
「……あの、俺だけじゃなくて大概の人が同じ反応すると思うんで、その顔止めてくれませんかね」
「えっ、あ、ああすまない。似た様な質問に同じ返答をした奴は今までにも居たけど、ここまで何の迷いも躊躇もなく即答した奴は初めてで……」
表情は変わらないものの、ちょっと慌てた様子のセレナ。
「……あたしは魔王から、二人も幹部が姿を消したこの街、そして、紅魔の里といいこの街といい、ちょくちょく色んな所で名前が出てくるお前を調べるよう言われた訳だが……。調べた結果、この街での中心人物がお前だって事は分かった。そして、お前の性格もな」
セレナは、一拍置いて笑顔を浮かべた。
「……そこで。取引しよう」
「ほう」
セレナは地面に腰を落としたまま、淡々と説明を始めた。
「現在、戦況は魔王側が優勢なのさ。ちょっと前まではどこからともなく、今まで名前も聞いた事がない、常識を無視した強い奴が、何の前触れもなく突然現れたりしたんだ。その度に、あたし達は泣かされてきたんだがね。……それが、去年の夏が終わった辺りからかね? 勇者気取りの変わった名前の連中。その連中の新手が、パッタリと現れなくなったのさ」
常識を無視した変わった名前の勇者気取りの連中ってのは、恐らく俺みたいに日本から送られてきた奴等の事だろう。
それがパッタリと現れなくなったと。
去年の夏の終わりと言うと、俺とアクアがここに来た辺りからか?
………………あっ。
「……? どうした? 勝手に納得した様な顔しやがって。……ど、どうした、急にオロオロしだして? ……まあいい。それで、お前さんに取引を持ち掛けたいのさ」
新手のチート持ちがパッタリと来なくなった理由について、これ以上無いぐらいに心当たりのある俺は、何とか平静を装いつつ。
「ど、どんな取引?」
ついカッとなって勢いだけでアクアを連れて来た事を今更ながらに後悔しつつ、誤魔化す様にセレナに尋ねた。
セレナは、そんな俺の態度には興味は無いのか、
「……お前さ。魔王軍に入れよ」
そんな事を、まるでクラブか何かの勧誘でもするかの様な気楽さで……。
「……………………は?」
こいつ今なんつった。
「は? じゃねーよ。魔王軍に入れって言ったんだ。……分かるよ。お前はこっち寄りの人間だ」
おいふざけんな。
「見損なって貰っちゃ困るぞ。確かに俺はあんたが調べた通り、世間では鬼畜だのロクデナシだのニートだのロリコンだのと言われちゃいるが」
「いや、最後のロリコンってのは知らなかった」
セレナの言葉は無視し、俺は立ち上がって拳を握った。
「確かに俺は、人よりも多少はダメな所はあるかも知れない。金ならあるんだし、残る余生はいかがわしい店で一生分の予約をして、俺に好意を寄せてくれる仲間にチヤホヤされ、甘やかされながらヌルい人生を送りたい。たまに無駄な浪費をしてみたり、金に物を言わせて意味もなくギルドの酒場を一日貸切り、皆を困らせてみたい」
「……あたしの予想以上にダメ人間だったよあんた」
俺は握った拳を振り上げると熱く語った。
「でも俺にだって、小さな良心と正義の心はあるもんだ。知らない所で知らない誰かが困っていてもそれは知ったこっちゃない。だが、目の前で誰かが助けを求めていたら、それを無視するほどのクズでもない。……俺の強力な力が欲しいと言うお前らの気持ちは分かる。分かるがしかし、俺は世話になった人達と敵対するつもりはない!」
「……いや、別にお前の力が欲しいとまでは言ってないんだけど……」
…………。
「なんだよ、俺の力を恐れて仲間に引き込もうとかそんなんじゃないのか?」
「違うよ。あたしは、あんたは放っておいてもいいと思うんだがね。でも、さっき言ったろ? 変わった名前の連中は急に現れなくなったって」
セレナが立ち上がり、俺にズイと顔を寄せた。
「この、変な名の連中はな。どうも、神々が遣わした者じゃないのかって話があるんだ」
その通りです。
……もちろん口には出さないが。
「そして、今までポコポコ湧いて出たその連中が、お前を最後にピタリと出現しなくなった。まるで神々が、お前一人で十分だとでも言うようにな? 魔王の奴は、お前の事をお伽話によく出てくる様な、伝説のなんたらとかそんな類の奴だと思ってるぞ」
何その勘違い。
俺がアクアを連れて来た所為でチート組がこの世界に来れなくなったのに合わせ、魔王の幹部討伐とかに俺の名前がチョコチョコ出る。
なるほど、これは誰でも俺を警戒する。
なんて嫌な勘違いだ。
「俺はモンスターに囲まれて生きていけるほど強靭な精神力は持ってないんだよ。……魔王さんに伝えておいてくれ。俺はそんな大層な奴じゃないって。毎回、たまたま居合わせてただけだって。貧弱な最弱職の冒険者なんで、俺を注視するのはマジ怖いんで止めてくれませんかって、そう伝えておいてくれよ」
そんな俺の言葉に、セレナはにこりと作った様な笑顔を浮かべた。
「だろうな。実際のあんたを見て確信したよ。あんたを仲間に引込めだとか言っているのは、魔王の奴一人だしな。まあ、魔王の奴も気にし過ぎだと思うんだがねえ。……でも良いのか? こっちに付いておいた方がお得だと思うぜ。戦況はこっちが有利だし、……ああ、そうそう。お前童貞だろ。こっちに来れば欲望の赴くままに爛れた性生活が送れるぞ。ちなみに、魔族はスタイルの良い美女が多いからな」
「…………い、行かない。以前の俺なら心を動かされた所だろうが、今の俺はモテ期到来中なんだ。そ、そんな甘言には踊らされない」
「……なんでそんなにソワソワしてるんだよ。……まあいいさ。魔王の奴には、あんたは取るに足りない小物だって説明しといてやるよ。これで、もうあんたが魔王に目を付けられる事は無くなるだろうさ。……その代わり。あんたの仲間にも、あたしの正体はバラさない事。そして、この街であたしがする事に手出しはするなよ? そして、ウィズやバニルとどんな関係なのかは知らないが、あの二人……。特にウィズには、あたしが何かやろうとしてるだなどとチクるなよ? ……それが、取引の条件だ」
セレナはそう言い残し。
先ほどまで地べたに座っていた尻の部分を手で払うと、俺を残したまま、悠然と立ち去ろうと……。
「……あっ。……悪いんだがよ……。…………ちょっと金貸してくれないか……?」
俺は無言で、先ほど同僚に、有り金を巻き上げられた魔王の幹部に金を貸してやった。
「……貸し一つな」
「…………ぐっ……」
しかし、魔王の幹部とは。
まあでも、これで俺の安全は保たれた。
モンスターと戦う冒険者としてこれでいいのかと思わないでもないが、そもそも俺一人が抗ったってどうにもならない。
今までの魔王の幹部討伐にしろ、関わっているとは言っても正直俺は何もしてない。
ベルディアに関しては、頭をスティールしたのはクリスだし。
バニルに関してはめぐみんが爆裂魔法をぶっ放しただけだ。
シルビアに到っては、むしろ俺が持ってきた魔道具でパワーアップする事態を引き起こした。
どれもこれも、結果として上手くいっただけで、俺はほとんど何もしていない。
俺が真正面から魔王の幹部なんぞと戦ったなら、まあ間違いなく瞬殺されるだろう。
そんな弱っちい俺が、魔王の注視を解けたのは有難い。
「ただいまー。帰ったぞー」
俺は、そんな事をボンヤリと考えながら屋敷のドアを開けると……。
「ふあああああ! ふわああああああ!!」
「ほらほら、もういい加減泣き止んでください。そろそろカズマが……、あっ、カズマ! お帰りなさい、丁度良い所に……」
俺は中に入らず、そっと玄関のドアを閉めた。
それが再びバンと開く。
「こらっ! そっと閉めるな、大変だったんだぞ!」
閉めたドアを開け放ったダクネスの言葉に、俺は嫌な予感がしつつも一応尋ねた。
「……で、今度は何をやらかしたんだよ?」
広間のソファーで裸足になり、体操座りをして泣くアクアは嗚咽が止まらず会話にならない。
代わりに、めぐみんが溜息を吐きながら。
「……どうも、ギルドで暴れたか何かして、冒険者や職員達にギルドから締め出された様で……。何をしたのかは知りませんが、アクアはしばらく、出入り禁止措置を受けた様です……」
……あの後、本当にギルドの酒を水に変えたのか。
「私とめぐみんがあの女の調査を終えて屋敷に帰ると、何かの請求書を握りしめてアクアが泣きじゃくっていた」
水に変えた酒代を請求されたのか。
……調査?
「あの女って、セレナの事か? ここの所、お前とめぐみんが朝から出掛けてたのはそんな理由か」
ダクネスに水を向けると、ダクネスは嬉々として言ってきた。
「そうだ! おい、聞けカズマ! あの女はおかしいぞ! あれだけの量のアンデッドを退治出来る腕だ、さぞかし名のあるプリーストだろうと、私のツテで名うての商人達に聞いて回ってみたのだが……。セレナなんて名のプリーストは、どこの街でも噂にもなった事が無いのだとか」
そのダクネスに続き、めぐみんが、アクアの頭を撫でてやりながら。
「……しかもギルド職員によりますと、あの女は未だに報酬を一度も受け取ってはいないのだとか。唯の一度も報酬を受け取らないと言うのは、幾ら人の良いプリーストと言っても限度があります。報酬の受け取りには冒険者カードの提示が必要になります。……よもや、冒険者カードを見せられない理由でもあるのかと」
……こいつらも、普段はおかしな事ばかり言い出すクセにこんな時だけは鋭いなあ。
「その有能さを、もっと普段から生かしてくれればいいのに……。……それはそれとして、あれだ。あいつの事は調べるな、話は付いたから。あいつはもう、俺には近付いては来ないし仲間に入れろとも言わないから」
そんな俺の言葉に。
めぐみんとダクネスは、キョトンとした顔を見合わせていた。
翌日。
「お前と二人きりで出掛けるのは何だか新鮮だな。しかし、一体ギルドに何の用だ? ここの酒場で食事でもするつもりか?」
俺は、ダクネスを引き連れてギルドへとやって来ていた。
めぐみんには、未だ屋敷でいじけているアクアのお守りを任せている。
それにイザって時には、街中ではめぐみんの魔法は使えない。
という訳で、ダクネスに付いてきて貰ったのだが……。
「……お前何なのその格好」
ダクネスが鎧も着ずに、珍しくお嬢様風の服装をしている。
動き易いタイトスカートなどではなく、白のワンピースに白手袋などを付けている。
手には武器も持たずに白い日傘なんて持っていた。
「……何なのと言われても、私を誘ったのはお前だろうに。どうせこの街の連中には、私の実家の事は既にバレているからな。もう開き直ることにした」
ダクネスが、少しだけ恥ずかしそうに俯きながら言ってくる。
……まあいいか。
多分いきなり戦闘にはならないだろうし。
そう、俺はセレナの行動を監視に来ていた。
魔王の幹部と取引した事が正義感の強いダクネスにバレると、色々と面倒くさそうなので内緒にしてある。
同じく、魔王の幹部だと知ったら嬉々として喧嘩を売りに行きそうなので、アクアにも内緒に。
めぐみんは、まあ良く分からないがなんとなく内緒にしていた。
セレナに正体をバラすなと口止めされた事もあるが、それよりも、皆に知られると何かやらかしそうな気がする。
身の安全の確保の為に、魔王の手先と取引。
我ながら最低だとは思うが、これでセレナまでもがこの街で討伐されたとあっては、いよいよ魔王の注目を浴びてしまう。
自分だけの保身じゃない。
場合によってはこの街自体が魔王に危険視される事になるだろう。
セレナは言った。
この街でやる事には、手出しするなよ、と。
俺はその一言が気になり、何となく監視に来たのだが……。
「レジーナ神の名は誰も聞いた事がないでしょうが、必ず皆様にご利益がありますよ。レジーナ様のお力は本物です。様々な願いが叶いますよ?」
「本当ですか! 私にも……、私にも彼氏とか出来ますか!? 馬小屋で寝るのが当たり前なので、冒険者以外の男性に告っても、馬臭いのはちょっと……って言われるんです!」
「叶います、叶いますとも。意中の男性の髪を持って来ると良いですよ。レジーナ様のお力で、両想いになれるおまじないをかけてあげます」
「セレナさん、俺にも! 俺にもぜひ、そのおまじないを!」
「おい、順番守れよ! こっちが先だ!」
……何の騒ぎだこれは。
ギルドの中央では、すっかりセレナがギルドの顔となっていた。
色んな冒険者の相談を受けたりしながら、ずっと笑みを絶やさない。
「さあ、どんな悩み、どんな相談にもお応え致しますよ。それが、プリーストとしての務めですから……」
「……あ、あの……! 私、この街でなかなか友達が出来なくて……! 親友と一緒にこの街に戻って来たんですけれど、その親友も最近忙しそうで……。と、友達が……! 一緒に晩ご飯を食べてくれる様な、友達が欲しいんです! もう、一人でご飯を食べるのが寂しくて……!」
「それは偉大なるレジーナ様のお力でも、どうしようも……」
「…………そ、そうですか……。すいません……」
それは、本来プリーストとはこう有るべきだとでも言う様なセレナの姿。
一部の娘を除き、ほとんどの冒険者達の悩みを次々と解決している。
「おいカズマ、どういう事だ。ひょっとして、私を誘ってギルドに来たのはあの女を……」
ダクネスが、クイクイと俺の袖を引きながら、不安そうな表情で……。
「? そうだよ、セレナの監視に来たんだよ。あいつが何するつもりかが気になってな」
「お、お前……っ! 昨日はあの女とは話が付いたと! 私達に、もうあの女の事を調べるなと言ったのはお前じゃないか! せっかく……! せっかくこんな格好までしてきたのに……」
ダクネスが、俯きながら段々声のトーンを落としていく。
…………。
「……お前、デートかなんかの誘いだと思ってたの?」
「! ち、違……! ちちちち、違……!」
ダクネスが、分かり易く頬を染めて慌てふためく中。
俺に気付いたセレナが、立ち上がると共に、俺に対してこっちに来いとばかりに手招きした。
セレナはそのまま、酒場の隅へと移動する。
そこに歩いて行く俺に気が付き、他の冒険者達も気を利かせてくれたのか、俺とセレナの傍から離れ、二人きりの状態にしてくれた。
セレナは、目を細めて張り付いた様な笑顔を浮かべ。
「よお。あたしの事は誰にも話してないだろうな? 言っておくが、これはお前らの為でもあるからな。あたしは戦闘が得意なタイプじゃない。だが、一応は魔王の幹部だ。邪神レジーナの力は傀儡と復讐。あたしの命が絶たれると、あたしを殺した相手はおろか、その周囲にとびきり強力な呪いが振りかかる。まあ、この街の住人の半数ぐらいは呪いに掛かるんじゃないのか?」
そんな事をサラッと言った。
それを聞いた俺の顔が引きつるのを、セレナは表情は変えないままで、面白そうに眺め。
「呪いの種類は様々で、体に障害が残るもの、石化や死なんて凶悪な物まで揃ってる。正体がお前以外の奴にバレたら、あたしも戦わない訳にはいかない。その際には多くの被害が出るだろうな? それらをよく考えて、しっかりあたしの秘密を守るんだな」
この女は、なぜ俺にのみペラペラと秘密を喋ってくるんだろう。
……自分が死んだら呪いが掛かるとか、ハッタリじゃないのか?
先にそう言っておけば、誰からも殺されないだろうと。
そんな俺の考えが顔に出たのか、セレナがスッと手を差し出した。
「ダガーか何かで刺してみろ。ああ、軽めにしておいた方がいいからな?」
……?
「何のつもりだよ。公衆の面前でそんな事出来るか、アクア相手じゃあるまいし」
俺は言いながら、ダガーの代わりにテーブルに備え付けてある爪楊枝でセレナの手を軽く突いて……。
「ッ!?」
爪楊枝でセレナの右手を突いた瞬間、俺は自分の右手に小さな痛みを感じた。
見れば、俺の右手の甲の部分に小さく血が滲んできている。
そしてそこには、セレナの右手の甲と同じ様な傷が。
セレナは笑みを浮かべたまま言ってきた。
「……と、言う訳だ」
「……この街は俺の安住の地なんだよ。俺、敵対しないからさ。一体何するつもりなのか知らないが、この街で変な事企まないで、とっとと魔王の城に帰ってくれないか?」
そんな俺の言葉に、セレナは無言で笑みを浮かべるだけだった。
俺はセレナの下を離れ、ダクネスが待っていたテーブルへ。
「ダクネス、待たせた……」
「お嬢様! ララティーナお嬢様、なんだよコレ! なあ、このヒラヒラした格好は何なんだよお嬢様! 可愛いじゃねえか!」
「ララティーナちゃん、ヒラヒラが可愛い! ねえ、顔隠してないで私にもちゃんと見せてよ!」
「おいお嬢様、何赤くなってんの? ホラ、顔隠してないで見せてみろよ!」
普段と違った格好のダクネスは、椅子に座ったまま耳まで赤くなった顔を両手で覆い隠し、フルフルと肩を震わせていた。
普段顔を合わせる常連の冒険者達に囲まれて、ここぞとばかりに思い切り冷やかされている。
「こらっ、ウチのお嬢様をいじめんな! 見世物じゃないぞ、しっし!」
俺はダクネスを囲んでいた冒険者達を追い散らしながら、セレナが一体何を企んでいるのかを考えていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「セレナ様のお言葉が聞けるそうだぞ! 急げ!」
「おいこっちだ、急がないとセレナ様の御尊顔が見れなくなるぞ!」
あれから数日。
アクアの、ギルドへの出入り禁止措置が解けたのだが。
街の様子は何だかおかしな事になっていた。
「こっち、こっち! セレナ様のお話が始まるわ! 早く早く!」
「ね、ねえ待ってよー! どうしたの? 皆おかしいよ、セレナ様セレナ様って……。唯のプリーストでしょー?」
そこかしこで聞こえるのはセレナ様と言うその名前。
あの魔王の幹部は、あっという間にこの街の聖女として崇められていた。
「……何ですか? 何なんですか? この私が屋敷に封印されていた間に、一体この街に何があったの?」
「封印とか何カッコイイ言い方してんだ引き篭もり。お前が謹慎してる間に、あの女はこの街の顔になったんだよ」
久しぶりに屋敷から出て、街の様子に驚くアクアに言ってやる。
「……本当に胡散臭い女です。まあ、私はカズマが関わるなと言うなら何もしませんし言いませんが」
めぐみんが、俺とアクアの後を付いてきながらポツリと言った。
「……まあ、あの女の行い自体は褒められる物だしな。……何だか気に食わないが。私も、カズマが言うなら大人しくしていよう。何だかんだで、お前の忠告はいつだって的を射ている。私はもう、お前の言葉を無視して勝手な事はしない」
それに続いてダクネスまでもがそんな事を。
……なんだろう、ちょっと胸が痛い。
俺が魔王の幹部と取引して黙認していると知ったら、二人はどう思うだろうか。
蔑まれるだろうか。
ぶん殴られるだろうか。
でも、我が身可愛いさもあるが、こいつらの身の安全の事もあるのだ。
特に、アクアが女神だなんて知られれば、まず魔王が放っておくはずが無いと思う。
そう、関わらないのが一番だ。
俺は三人を連れて、ギルドへと……。
「セレナ様! セレナ様!」
「セレナ様、どうか、どうか私の願いを!」
「はいはい、押さないで押さないで。どうか皆様順番に……! レジーナ様は幾らでもあなた方の願いを叶えて下さいます、もちろん対価など要りません、さあ、どうぞ」
「ああっ、セレナ様!」
……その道中、セレナが多くの冒険者に囲まれていた。
それはあたかも、アイドルか何かが熱心なファンに取り囲まれている様な。
それを見たアクアが、コソコソと俺の背中に隠れる。
どうもここ最近言い負かされていたのが効いているのか、セレナに苦手意識を持っているらしい。
セレナは俺と視線が合うと、こちらに小さな会釈をした。
そんな中。
「セレナ様ー! すいません、討伐の最中にコイツが怪我しまして……! かなりの重傷で……! どうか助けては貰えませんか!?」
街の入り口の方から冒険者が現れた。
二人の冒険者が、即席のタンカで重傷と思しき冒険者を運んでいる。
それはかなりの重傷なのか、傷を負った冒険者は視線も虚ろで荒い息を吐いていた。
そして、聞き取れるか聞き取れないかぐらいの、微かな声でボソボソと。
「……クア……、アクア……の……姉ちゃん……の……所……」
その微かな声は、俺だけでなくアクアにもちゃんと聞こえたらしい。
「私なら、ここにいるわよー! 任せなさいな、そんな傷一瞬で完治させてあげるわ!」
アクアは頼りにされた事が嬉しかったのか、嬉々としてその重傷者に駆け寄ろうと……。
して、セレナの取り巻きの連中に遮られた。
「あっ、ちょっと何よ! あんた達邪魔よ! ゴッドブローで総入れ歯にされたいの!? その人を癒さないと……」
アクアが憤る中、セレナが重傷者の傍に屈み込む。
そして……。
「『ヒール』! 『ヒール』! 『ヒール』ッ!」
セレナが何度も何度もヒールを掛け、重傷者の傷が塞がっていく。
やがて傷を負っていた重傷者は、虚ろだった目に光を取り戻し始めた。
「……あ、ああ……。ありがとうございますセレナ様……!」
先ほどまで、治療にアクアを指名していたその冒険者は、ハラハラと涙を溢しながら……。
…………?
何だこれ。
魔法で傷を癒してもらう事なんて、冒険者にとって日常茶飯事だ。
だが、普通は傷を癒して貰っただけで、涙を零して様付けする事なんて無い。
アクアなんて、冒険者の蘇生まで行なっているのにこの有様だ。
もちろん感謝はすれど、彼らだって命懸けでモンスターと戦っている。
プリーストが傷を癒すのが仕事なら、彼らは傷を負い、プリースト達の盾になるのが仕事のはずだ。
その関係は、本来ならば対等なもの。
プリーストだけではモンスター退治なんて出来ないし、プリーストがいるかいないかで冒険者達の生存率は大きく変わる。
だから、セレナはプリーストとして普通に仕事をしただけだ。
もちろん、それに感謝するのは当たり前の事ではある。
あるのだが……。
と、傷があらかた塞がったその冒険者に、アクアが近付いて手をかざした。
見れば、傷が塞がったとはいえ未だあちこちに小さな傷が残っている。
セレナの力では、完治とまではいかなかったのだろう。
アクアがそれを癒そうと……。
ペシッ、と。
アクアのかざした手が払われた。
それも、重傷を負っていた冒険者自らの手によって。
「えっ……」
アクアが驚いた様に小さな声を上げる中。
「俺はセレナ様に癒して貰いたい。余計な事はせず、放っておいてくれ」
男は、アクアにキッパリとそう告げた。
アクアがとぼとぼと帰ってくる。
その寂しげな姿を見ながら、俺は何だか胸の辺りがモヤモヤしていた。
……違和感を感じる。
ダクネスとめぐみんは、複雑そうな表情でセレナとその取り巻きを眺めていた。
ニコニコと、張り付いた様なセレナの笑顔。
なぜこんな、弱い連中しかいない駆け出しの街で、魔王の幹部が何時までもこんな事をしているのか。
一体何を企んでいるのか。
もっと分かり易い悪事でも企んでいてくれれば対処のしようもあるのに。
もう取引なんぞ破棄してしまうか。
何だか、酷く胸の辺りがモヤモヤする。
セレナを取り囲む連中は、何だか操られているかの様に、狂信的にポッと出のプリーストに夢中になっている。
……唯の予想でしかないが、傀儡の力で操っているとか?
ああ畜生、胸の辺りがモヤモヤする!
でも、相手は魔王の命令でここを調べに来た幹部。
無事に帰って貰わないと、間違いなくここが狙われる。
ハッキリ言って、強面のチンピラに絡まれたってビビる俺だ。
それが、魔王に睨まれるだとか……!
……ポンと、肩を叩かれた。
「……カズマ。何を悩んでいるのかは知りませんが、私ならカズマの決めた事に従いますよ? どんな事になっても後悔しませんから」
肩を叩いたのは、胸のモヤモヤが益々加速する事を言うめぐみんだった。
「……私はもうお前の言う事を無視して勝手な事はしないと決めた。世間知らずな私とは違い、お前は色々と考えての事だろうから。……だから。……お前の好きにやればいい」
セレナの正体を知っている俺からすれば、もう煽っているとしか受け取れない、ダクネスの言葉。
相手は魔王の幹部だ。
倒されると周囲に呪いを振り撒くらしいが、ひょっとしたらアクアが何とか出来ないものか?
いやいや短絡的になるな、やってみてダメでしたじゃ済まされない、危険な賭けには出られない。
一応相手は人間だし、状態異常が効くかも知れない。
不意打ち食らわせて麻痺状態にでもして、簀巻きにしてダンジョンにでも捨てて来るか?
いや、邪神を崇拝する様な奴だ、どんな加護があるかも分かったもんじゃない。
ああもう、相談相手もいないしどうしたら!
約束破ってウィズやバニルに相談するか?
でも、それを知ったセレナが、街に呪いを振り撒いたら……!
そんな俺の葛藤を他所に、セレナが笑みを湛えたまま近付いて来た。
アクアがビクリとして俺の背後に回る。
取り巻きを引き連れたまま、セレナが俺の隣を通り過ぎようと……。
……通り過ぎ様にセレナはその足を止め。
俺だけに聞こえる小さな声で、俺の耳元で囁いた。
「取引は覚えているな? あたしの正体をバラすなよ? それをやったなら、お前の所為でこの街に災厄が降りかかると思いな。……しかしお前、苦しそうな顔をしているなあ。……ああ、お前には取引の他に金を貸してもらった借りがあったな。……正体を知っているバニルやウィズには頼らずに。そして誰にもあたしの正体をバラさず、お前一人だけがあたしの邪魔をするってのなら。……街に呪いも振り撒かず、堂々とお前の相手をしてやるよ。だが、お前はこっち寄りの人間だ。打算が出来る人間だ。そんな愚かな真似はしないって信じてるぜ?」
そのまま、セレナは笑顔を浮かべたままで通り過ぎた。
自然と拳を握り締める。
胸糞悪い。
俺は別に正義の味方でもないし、もちろん自分の身が一番可愛い。
それでも、何だかんだでこの街の連中にも愛着がある。
いや待て、よく考えろ、短絡的になるな。
ここで余計な事をすれば、場合によっちゃこの街自体がピンチになる。
いやでも、既にこの街は今ピンチなんじゃないのか?
俺一人にしか正体を教えないって所が一番いやらしい。
畜生、なんで……!
なんで俺一人でこんなに悩まなきゃいけないのか……!
……と、拳を握って動かなくなった俺の右腕に、めぐみんがそっと手を置いた。
ジッとこちらを見つめたまま、何も言わない。
「……な、なんでしょう」
「………………」
俺が尋ねるも、めぐみんは無言で俺を見つめていた。
と、左腕にも何かが触れる感触が。
「…………お前まで何だよ」
「………………」
見れば、ダクネスが俺の左腕に手を置いている。
二人共、言いたい事があるなら言ってくれ。
……いや、長い付き合いだ、俺が何か隠している事ぐらいもう分かっているのだろう。
言えない事情がある事も、察してくれているのかも知れない。
……やってしまおうか。
今までは流されたり巻き込まれたりしただけだったが、今度は自分の意志で魔王の幹部に喧嘩を売る。
それを考えると腰が引ける。
最弱職の俺が、たった一人で魔王の幹部に喧嘩を売る。
……そんな大事に、一時の感情で流されていいものか。
でも、あと一つ。
あと一つ、吹っ切れる為のキッカケがあったなら。
…………と。
「…………何だよお前まで。お前は何か言ってくれよ」
俺は、服の背中の部分を掴んでくるアクアに言った。
こいつらは、三人とも無言で訴えてくるのは止めて欲し……。
「カズマさん。カズマさん」
アクアは二人とは違い、小さな声で言ってきた。
後ろを振り向くと、普段はテンション高く、落ち込むなんて言葉を知らないアクアが。
あの、物事を深く考えもせず、悩みとは無縁そうなアクアが。
先ほど、冒険者に手を払われたのがよほど堪えたのだろう。
珍しく落ち込んだ様子で、上目遣いで不安気に言ってきた。
「…………私、この街にいらないプリーストですか?」
………………。
「おい、離せ」
俺は、腕や服を掴む三人に静かに告げる。
「あ……」
アクアはよほど落ち込んでいるのか、ぶっきらぼうな俺の物言いにも文句も言わず、素直に服を手放した。
そのアクアに背を向けて。
「おい、支援魔法を頼む。筋力強化と、速度が早くなるやつな」
その言葉に、アクアは何も言わず、俺に素直に魔法を掛けた。
俺は既に三人を見ていない。
だから、三人が今どんな表情をしているのかも分からない。
「おいアクア」
「? なに?」
俺は去って行くセレナから視線を逸らさず、背中のアクアに。
「多分、今から俺、気を失うと思うから。そうしたら治療を頼む。後、ダクネスは気を失った俺を屋敷に持って行ってくれ。めぐみんは、セレナの取り巻き連中が騒ぐだろうから、それをなだめる役目を頼む」
「な、何? おいカズマ、一体何を言っている」
「ちょっ、カズマ、何をする気ですか?」
俺は三人に告げた後、その場に屈み、クラウチングスタートの姿勢を取る。
視線の先にはこちらに背を向け、悠然と去るセレナの姿。
「カズマさんカズマさん、何するの?」
そんなアクアの声を聞きながら。
「お、おいカズマ! 待て、いきなり何をする気だお前……! 私は好きにやればいいとは言ったが、怪しいと言うだけでまだ相手は犯罪行為をした訳ではないのだし、あまり手荒な事は……!」
支援魔法で強化された俺は、セレナに向かって猛然と駈け出した。
「カ、カズマ、何をする気かは知りませんが、何だかカッコイイですよ! 紅魔族的には大変ワクワクします!」
俺の名は佐藤和真。
真の男女平等の名の下に、女の顔面にドロップキックだって放てる男。
「めぐみん、煽るな! カズマ、ちょっ、待っ……!」
俺は仲間達の声を背中に受け、思い切り助走を付けたままセレナに向かって駆け寄ると……。
「今日はお互い寝るとしようぜ! お前の妨害に、明日から本気出すわ!」
声に驚き、振り向いたセレナの顔面に、俺は助走を付けたドロップキックを叩き込んだ。
重い話はこれでしばらくなしです。
あんまり重くなかったと言われても謝らない。
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