紅魔族の里に、甲高い音が鳴り響く。
それは、俺とめぐみんが布団の中でイチャついてた時には聞こえなかった音。
シルビアが部下を率いた状態で夜中攻めて来た時でも、こんな音は鳴らなかった。
それはカンカンと鳴り響く鐘の音。
つまりそれは、里中へと緊急事態を知らせる音なのだろう。
魔法が効かないシルビアに、魔法しか使えない紅魔族では歯が立たない。
最悪の場合、紅魔族の者が蹂躙されるのでは無いだろうか。
なんてこった、最悪だ。
あのキューブのお陰で俺は見逃して貰えた訳だが、あんな物、とっとと捨てておけば良かった。
これが原因で何かあったなら、俺はとても皆に顔向け出来ない。
俺が息も絶え絶えに、痛む首と脇腹を押さえながら里の入り口へと立つ。
……そこから見た光景は、毒に侵されながらも這いずるシルビアと、それを遠巻きにしながら様々な攻撃魔法を撃ち込む紅魔の人々の姿。
里の人達はシルビアに近づかれると距離を置き、そしてまた魔法を放つスタイルを取っている。
だがどの魔法も効果は薄く、シルビアにロクなダメージを与えられないでいた。
だがシルビアも、距離を置く里の人々には攻撃を加える事が出来ずに焦れている様だ。
毒にでも侵されていなければ、もう少し早く動けもしたのだろうが。
と、焦れたシルビアが、数人の紅魔族に向けて深く息を吹い。
激しい殺意と敵意を持った目で、その数名の集団に向け灼熱の炎を吹き出した。
キメラってからには何か特技の一つでもあるかとは思っていたが、オーソドックスながらも炎のブレスってのは地味にキツい攻撃だ。
燃え盛る業火が紅魔族を包み込もうとする寸前、その中の一人の紅魔族がすかさず唱える。
「『テレポート』!」
瞬間、その数名の足元に魔法陣が浮き上がり、炎にのまれる寸前でその紅魔族達は掻き消えた。
……炎のブレスを吐いたシルビアは、流石は魔王の幹部だとちょっとビビッたが、咄嗟にテレポートで回避していく紅魔族も大概だと思う。
テレポート係と攻撃係を混ぜ合わせ、詠唱を終えて待機しているテレポート係が、緊急時にはいつでも脱出可能な様にしているのだろう。
そんな中、攻撃を加えようとした瞬間に獲物に逃げられ、イライラしたシルビアが、紅魔族の一人の女性に目を付けたようだ。
他の者に魔法を叩き込まれながらも目もくれず、一番近くに居たその女性のみを真っ直ぐに追いかける。
どうやらシルビアは、一人一人仕留めていく戦法に切り替えたようだ。
それを遠巻きに見る一人の紅魔族の青年が悲痛に叫んだ。
「やっ、止めろシルビアーっ! 頼む! その人には手を出すなっ!」
その青年は、その女性の恋人なのだろうか。
悲痛にシルビアに向けて叫びを上げ、懇願する様に地に膝を付き、シルビアと対峙する女性の動向を見守っていた。
その声を聞きながら、シルビアが愉悦そうに口を歪め、
「はあ……はあ……、ご、ごめんなさいね……! あんた達も、アタシの部下達を皆殺しにしてくれたじゃないの……! そ、そのお返しよ……! 安心なさいな、その娘とあんたを取り込んで、アタシの中でずっと一緒にいさせてあげる! さあ、覚悟なさいなっ!」
ようやく煮え湯を飲まされ続けてきた紅魔族に、一矢報いる事が出来ると、嬉々としてその女性に迫る。
その紅魔の女性はニコッと笑い、悲痛な表情を浮かべる青年へと呼び掛けた。
「あなただけでも逃げ延びて……。あなたが逃げ切れる様に、せめて私の最後の力でシルビアへと仕掛けてみる……!」
おい止めろ!
俺の持ってきたキューブの所為で、ついに犠牲者が……!
嬉々として飛び掛かろうとするシルビアを、女性はキッと強い決意を秘めた表情で睨み返す。
「シルビア、これが私の最後の切り札よ……! その目で良く見ておきなさい……! そして……」
言いながら、女性は青年の方をチラリと見て、儚く笑った。
「お願い。……私の事は忘れて、あなただけでも幸せになってください」
おい、止めろ。
ちくしょう、止め…………!
こんな距離では何も出来ない、せめて弓でもあれば狙撃が…………っ!
「良い覚悟だわ! アタシは魔王軍幹部が一人、シルビアよ! あなたの最後の切り札を見せてご覧なさい! さあ、どんな魔法でも受け止めてあげ…………!」
「『テレポート』」
シルビアが何かを叫ぶ中。
女性の足元に魔法陣が浮き上がり、その姿が掻き消えた。
……………………。
消えた女性はそのテレポート先にこの里の入り口を登録していたらしい。
里の入り口、つまりは呆然と言葉も無く立ち尽くす俺の隣に、その女性は忽然と現れた。
それを見て、今まで悲痛な表情を浮かべていた青年は、何事も無かったかの様に真顔に戻り、膝を払いながら立ち上がり。
俺の隣に現れた女性も、何事も無かったかの様に平然とシルビアを眺めている。
盛り上がっていた所を突然標的に逃げられて、シルビアが少し寂しそうに、困った様にこちらを見た。
正確には、俺の隣のその女性。
「…………あの、恋人の所に行かなくてもいいんですか?」
俺が思わずその女性に尋ねると、キョトンとした表情を浮かべながら。
「……恋人? ……ああ、彼は唯のご近所さんよ」
そんな事を言いながら、女性は、先ほどの青年に会釈した。
それを見て、青年が愛想笑いを浮かべながら会釈を返す。
ただ単に、その場の雰囲気とノリに合わせただけらしい。
………………もう、ここの連中はシルビアに滅ぼされたらいいのに。
「カ、カズマさん、こんな所に……! シルビアに攫われたって聞いて、慌てて探しに来たんですよ! 無事で良かった……! ダクネスさんやアクアさんも、里の外へカズマさんを探しに行きましたから……。里で鳴らされている緊急警報を聞いて、その内帰って来ると思いますよ!」
里を進むシルビアの後を、付かず離れず追いかける俺に突然声を掛けて来たのは、戦闘態勢を終えたゆんゆん。
荒い息を吐いている所から、よほど必死に探してくれていたらしい。
感謝を述べるとゆんゆんが照れたような笑顔を見せる。
ダクネスとアクアにも、後で礼を…………。
「あれっ、そういやめぐみんはどこだ?」
俺は肝心のめぐみんの姿を探す。
その俺の言葉に、ゆんゆんがその表情に影を落とした。
更には段々泣きそうな顔に……。
「お、おいどうした。めぐみんに何かあったのかよ」
それを見て慌てた俺は、ゆんゆんの肩を掴んで問い正す。
「……わ、私……。めぐみんに、酷い事を……」
ゆんゆんがそんな事を言って、ほろりと涙をこぼした。
ちょっ、泣かれると困ります!
俺は慌てて、ゆんゆんを人目の付かない建物の影に連れて行く。
何処かへと進撃するシルビアは、里の連中に色々とちょっかいを掛けられてかなりイライラした様子ながらも、ジワリジワリと里の中を進んでいた。
シルビアが向かう先はアクアの所だろうか。
解毒が出来るアクアを取り込む魂胆なのだろうが、肝心のアクアは里の外に俺を探しに出ていると聞く。
シルビアが俺の毒で弱っていくのを遠巻きに見守りながら、後は時間を稼いでいれば勝てるだろう。
紅魔の人達は、既に魔法が効かない事を念頭に置いて戦っている。
俺がまだ誰にも告げていないにも関わらず、シルビアが毒を食らって弱っている事すら見抜いている様子だった。
そう言えば、この連中を見ているとあまりそうは思えないのだが、紅魔族は魔力の他にも、知力が高いんだったか。
シルビアは、ある紅魔族の名乗りを受けたり、または、別の紅魔族の、我が切り札を食らえ宣言を受けて身構えたりと、様々な嫌がらせを受けていた。
俺は建物の影に引っ張りこんだゆんゆんから、めぐみんと何があったのか事情を聞く。
「……私……。カズマさんが攫われた時の状況を聞いて、めぐみんに言っちゃったんです……。めぐみんが上級魔法を使えていたなら、シルビアがめぐみんの家に襲撃してきた時、カズマさんと一緒に撃退出来たかも知れないのに、って……。めぐみんが、爆裂魔法なんかに拘らず、空間転移魔法とか、ちゃんとしたスキルを取っていればカズマさんを攫われたりもしなかったのに……って……! どうしよう、私、めぐみんに酷い事言っちゃった……」
言って、ゆんゆんがポロポロと涙をこぼして泣き出した。
あれだ。
上辺だけじゃないちゃんとした友人だからこそ、そんな事が言えるのだろう。
ゆんゆんとしては、めぐみんに一端のアークウィザードになって欲しいというのも、あるのかも知れない。
何にせよ、俺が死んだ時にもめぐみんはゆんゆんに、上級魔法をちゃんと使えていたならと随分と叱られたみたいだし。
それで今もそんな事を言われたなら、きっとヘコんでいる事だろう。
ゆんゆんが、メソメソしながらも。
「……で、でも……。私、めぐみんには上級魔法を覚えて欲しいんです。カズマさん、知ってますか? 上級属性魔法は、普通の魔法使いには習得自体が難しいスキル。でも、紅魔族の魔法使いなら、スキルポイントがあれば誰でも取れる。……めぐみんは今、ここ最近の急成長で、上級魔法を習得できるポイントが貯まっているんです。……それを使えば爆裂魔法のスキルレベルも上げれるのに、それを使っていないんです。……きっと、本人も悩んでいるんです」
泣き顔のまま、そんな事を言いながら顔を上げた。
「……だ、だから……。めぐみんは、私のただ一人の友達だけど……。き、嫌われても、仕方ないけど……!」
言いたい事がうまく出てこないのか、ゆんゆんが言葉に詰まる。
だが、もうそれ以上は言わせる必要は無い。
「一緒に行こうか。めぐみんの所に」
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一人の紅魔族の男がシルビアの前に立ち塞がる。
その男は、悲しげに、寂しげに、ただシルビアを見つめていた。
「……なあに? グ、グブッ……。掛かって来ないのなら、向こうに行って欲しいのだけど」
苦しそうに喘ぐシルビアに、男が言った。
「……俺さ……。あんたの事、嫌いじゃなかったよ。何度も何度も紅魔の里に攻めてきて。……そして、何度撃退されても挫けず、諦めず。……俺、最初はあんたの事を、笑ってたんだ。なんて諦めの悪い奴だろう、って。でも、その内に諦めないあんたの姿を見る度に、段々興味が湧いてきてさ」
男のその独白に、シルビアが足を止め。
他の紅魔族が固唾を飲んで見守る中、シルビアは荒い息で耳を傾けた。
そんな中、その男の独白は続く。
「俺さ……。やがて、いつしかあんたが来るのを楽しみに待ってる自分に気が付いたんだ。何度襲撃に来ても、あっさり撃退され、毎度半泣きで帰って行くあんたをさ。…………思えば、俺はあんたの事が好きだったのかもなあ…………」
男に、シルビアは俯きながら、そう……。とだけ呟いた。
「……でも、アタシとあなたは魔王の幹部と紅魔族。本来、決して結ばれてはいけない敵同士よ。……良かったわ、あなたみたいな男が居て。こんな事になっていなかったなら、あなたと付き合うのも悪くなかったわねえ……」
言いながら、シルビアがその男に向けて顔を上げた。
それに、男が儚く笑いかけ。
「随分と変わり果てた姿になったなあ。……せめて俺の手で……。今、楽にしてやるさ」
言ってシルビアに対して不敵に笑い、身構えた。
それにシルビアが、男を抱きしめるかの様に手を広げ、そのまま男に叫びながら飛びかかった!
「さあいらっしゃいな! 見せてちょうだい、このアタシにあなたの想いを! その力を! せめて、最後にあなたの名前」
「『テレポート』」
シルビアが、抱きしめる体勢で飛び掛かるも、男はアッサリと姿を消した。
いきなり標的に消えられて、両手を広げて飛び掛かったシルビアが顔面から地に落ちる。
そのまましばらく地面に顔を付けた体勢のまま、何かに耐える様にしばらくジッと動かない。
やがてムクリと起き上がると、小さな声で呟いた。
「…………アタシ、あんた達紅魔族って大っ嫌いよ」
…………気持ちは分かる。
そんなシルビアは、毒に侵された重い体を引きずりながら、もはやちまちまと挑発的に魔法を放つ紅魔族には見向きもせず。
里の外れ、ロクに家も建っていない場所。
そこには小屋の屋根ぐらいの高さの岩が突っ立っており、それ以外には一つを除き、特に目立つものは見られない。
そんな場所に、その背の高い岩以外にもう一つ、そこにぽつんと佇むのは、一件のこじんまりとしたボロ家だった。
…………そう、シルビアはめぐみんの実家へと向かっていた。
あれか、瀕死の体を何とかしようと、プリーストのアクアが居そうなめぐみんの実家へと向かっていたのか。
そんなシルビアの前に、再び一人の紅魔族の男が立ち塞がった。
そして、物憂げな表情で……。
「……俺、あんたの事、嫌いじゃなかっ……おわあっ!? あ、熱いじゃないか、人の決めセリフを聞かないのはマナー違反だぞシルビア!」
シルビアに何かを言い掛けた男は、炎のブレスを吹きかけられて慌ててその場から飛び退いた。
「もうあんた達と付き合ってはいられないわ! ……はあ……はあ……! フ、ウフフフフッ! ここね、あの娘の家は……!」
……俺はその言葉にドキッとする。
こいつは、毒の治療を行わないと時期に死ぬ。
麻痺や昏睡ほどには即効性は無いが、それでも治療手段が無ければ致命傷となり得る危険な状態異常。
なので、こいつの最優先の目的はアクアを探して治療する事。
ずっと、勝手にそう思い込んでいたのだが。
確かにシルビアは、めぐみんを取り込んでやるだのと言っていたが、強靭な防御力を手にした今となってはそんな事にはあまり意味は無い。
ただの私怨や嫌がらせ…………?
そんな俺の考えを見透かしたかの様に。
シルビアは、自分を追っていた俺の姿は、先ほどからずっと視界の隅には映っていたのだろう。
家の前に這いずると、シルビアは俺の方をチラリと一瞥し。
「……あのアークプリーストは只者じゃあないみたいね。先に、お仲間のお嬢ちゃんを取り込ませて貰うわ。そうすれば、あのプリーストに攻撃を受けるどころか、場合によっては取り込んだお嬢ちゃんを助ける為に、毒の治療をしてくれるかも知れないでしょう? 毒を治療しないと、あなたのお仲間も一緒に死ぬとか言っちゃって」
その言葉にブワッと体に鳥肌が立つ。
そして、隣に居るゆんゆんに。
「めぐみんは!? おい、めぐみんは今何処に居る!?」
何となくは分かってはいるものの、否定してくれという思いで尋ねるが、
「い、家の中……。ままま、まだ家の中で、こめっこちゃんを守ってると思います…………! ゆいゆいさんとひょいざぶろーさんはアクアさんやダクネスさん達と里の外に……! どどど、どうしたら…………っ!」
そんな予想通りの事を、ゆんゆんは激しく動揺しながら言ってきた。
今のシルビアは、動き自体はあまり速くはないものの、それでも万が一捕まったならそこで終わりな存在だ。
狭い家の中に侵入されてはそこにはもう逃げ場は無い。
「ゆんゆん頼む! お願いだ、なんとかシルビアの注意を引けないか!」
俺はすがる思いでゆんゆんへ頼み込む。
そんないきなりの言葉に、ゆんゆんが慌てて首を振り。
「そそそ、そんなっ! む、無理です無理です! この里の他の人達でも、もうシルビアの注意を逸らせない状態なのに、里でも特に目立たない私なんて…………っ!」
そんな、自信の無さそうな表情で、それでもめぐみんは心配なのか辛そうに言ってくる。
日頃人に注目もされないゆんゆんには、それは酷な頼みなのかも知れない。
しかし……。
もう他に頼れる奴は居ない状況。
これを言うのはとても卑怯で、あまり言いたくは無かったが。
ゆんゆんにとって、今、一番力になりそうなセリフを言った。
「……頼むよゆんゆん。……俺達、もう友達だろ? 頼みを聞いてくれないか。……ゆんゆんの親友を助けてくれよ」
友達の居ないゆんゆんに、卑怯なセリフだとは分かっている。
それでも……。
ゆんゆんは、しばらく俯いたままブルッと身を震わせた。
そして……。
「……やります。と、友達の頼みなら仕方ないし……。……それに、親友を助けるためだから……!」
目に強い決意を秘めて、ゆんゆんがバッと立ち上がった。
「頼むゆんゆん、俺は裏から、壊れた壁から中に入ってめぐみん達を連れ出して来る!」
俺は叫ぶと同時、シルビアが侵入しようとしている玄関とは逆方向、家の裏側へと駈け出した。
チラリと見るとシルビアが、律儀に玄関から、その閉じたドアに手を掛けて、それをベキベキと引き裂いている。
それを遠巻きに見ながら、紅魔族の人々がシルビアに魔法を放つのを躊躇していた。
あのボロ家を壊してしまうのをためらっているのだろう。
ああ……。家を直す金なんて無さそうだし、ひょいざぶろーさんとか、みんな路頭に迷うんじゃあないだろうか……。
俺が裏口へと回りこもうとしていると。
突然、背後から声が聞こえる。
「『ストーンバインド』!」
ゆんゆんの声と同時に、シルビアがそのムカデ状の足元を土に取られた。
そのままメキメキと鈍い音を立てながら、シルビアが下半身を、そしてそのまま上半身をも土に拘束されていく。
シルビアを固めていく土は、すぐに固まり石化していく。
それをシルビアは気にもしないで、フンと力を込めただけでその拘束を解き放つ。
それを横目にしながら、俺は家の裏へと回り込んだ。
「めぐみん! おい、どこに…………っ!」
めぐみんは、すぐに見つかった。
きっとシルビアが玄関を破壊しているのだろう、バキバキという不快な音が狭い家に響く中。
めぐみんは、俺と一緒に居た部屋の真ん中に膝を抱え、膝の部分にその顔を埋めていた。
その隣にはこめっこがぺたんと座り、突然現れた俺をマジマジと見ながら、そんなめぐみんに寄り添っている。
俺の言葉と玄関の破壊音にハッと顔を上げためぐみんと、俺はそのまま目が合った。
目元が赤いのは、ひょっとしてゆんゆんに言われた事で泣いていたからだろうか。
「おい、シルビアがお前を狙ってる! 外に出るぞ、着いて来い!」
俺はシルビアに攫われた時からずっと裸足のままでいたわけだが。
泥で汚れた足のままでも、もう構わずに部屋に上がる。
俺が、侵入してきたシルビアが恐らく現れるであろう、この部屋のドア側を警戒する中。
めぐみんは戸惑った表情ながらも、片手でこめっこの手を握り、もう片方の手で自分の杖を握り締めた。
……と、家の破壊音が止んでいるのに気付く。
シルビアが、もう家の中に侵入したのだろうか?
敵感知スキルで辺りを警戒するも、家の中には居ない感じだが……。
…………と、めぐみんとこめっこを連れて外に出て、俺はシルビアがなぜ家に入って来ないのかを理解した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ゆんゆん……」
「ゆんゆんが……!」
「族長の娘のゆんゆんが……っ!」
紅魔族の人々がざわめき、遠巻きに見守る中。
険しい表情のシルビアと、そしてゆんゆんが対峙していた。
それも、ゆんゆんは家から少し離れた、切り立った高い岩の上に、マントを風にたなびかせて立っている。
そんなゆんゆんを、紅魔族の人々が固唾を飲んで見守っていた。
それは、常日頃の彼女へ向けていた、異端な者を見る目ではなく。
そう、それはまるで、憧れのヒーローでも見るかの様な目で紅魔族の人々はゆんゆんを……。
「自分の立派な名前の、名乗りすらも恥ずかしがる変わり者のゆんゆんが、一体どういう風の吹き回しだ……?」
一体どういう事だと、めぐみん達を引き連れながらコソコソと見ていると。
シルビアが、ゆんゆんを前にして嘲笑うかの様にジリジリと距離を詰めていた。
もう紅魔族には目もくれないと思っていたのに、どういう事だろう。
そんな疑問は、次のシルビアの言葉と、ゆんゆんがシルビアの前に突き出した物を見て解消された。
「……確かにあなたの冒険者カードのスキル欄には、空間転移魔法は記されてはいないわね。……いいの? あなた、自分がテレポートで逃げられない事を教えちゃって」
俺が居なかった間の二人の会話の流れは分からないが、予想はつく。
ゆんゆんは、シルビアの注意を惹くために、自分がテレポートで逃げられない事を明かしたのだろう。
今まで散々紅魔族の連中にからかわれたシルビアは、寸前でテレポートで逃げられる事に、よほどウンザリしていたのだろう。
それが今、目の前にはテレポートが使えないと自ら教えるゆんゆんを見付けたのだ。
しかもゆんゆんは高い岩の上に登り、すぐさま逃げられるとも思えない場所に居る。
飛び降りる事は出来ても、そのまますぐ駈け出したとしても、遠巻きに見ている仲間の元へ行く頃には、シルビアには追い付かれるだろう。
いくら注意を逸らしてくれとは言っても、命がけでやれなんて言ってない。
無事、家からめぐみんを連れ出した俺は、ゆんゆんに呼びかけようと……。
して、めぐみんに袖を引っ張られた。
……?
「ゆんゆんが……。ゆんゆんが何かしそうです! ここで邪魔しちゃいけませんよ! 大丈夫、岩の周りの踏まれた草を見るに、既に助けは入っています。ここはジッと見ていましょう!」
めぐみんが、ワクワクと何かを期待した様な表情で言ってくる。
助けが入っている?
いや、見た感じ誰もゆんゆんに近付こうとすらしていないんだが。
そんな、里の多くの紅魔族の注目を浴びるゆんゆんは、そびえ立つ高い岩の上が狭いからか、そのまま片足を鶴の様に上げてピタリとバランスを取り。
「我が名はゆんゆん! アークウィザードにして、上級属性魔法を操る者! そして……」
そこで遠目から、一瞬だけチラリと、俺の隣に立つめぐみんを見ると。
「私は、紅魔族随一の魔法の使い手! やがては紅魔族の長となる者!」
「ああっ!?」
そんなゆんゆんの堂々とした宣言に、めぐみんが愕然とした声を上げた。
紅魔族随一って所に引っかかったらしい。
ゆんゆんは、紅魔族の人々の注目を集めたまま。
そのまま、いつもの様にか細い声で恥ずかしがる事など一切なく、バサッとマントを翻し。
「魔王軍幹部、シルビア! 紅魔族族長の娘として……! あなたには、紅魔族の族長となる者にしか伝えられていない、封じられた禁呪をお見せしましょう!」
片手のワンドを高らかに上げて、空に向かって軽く何かを呟いた。
それは、きっと詠唱を終えていた雷系の魔法だったのだろう。
朝の明るい空にも関わらず、ハッキリと分かるほどの蒼い稲妻が、ゆんゆんを中心にして空に轟音と共に迸しる。
その様は、まるで、ヒーローが現れる時のエフェクトの様。
雷鳴轟き、背後に稲妻が迸る中。
そんな、決めポーズを取るゆんゆんを見ていた紅魔族の面々が、ハラハラと涙をこぼした。
えっ。
「……うっ……うう……っ…………!」
その泣き声に隣を見ると、めぐみんまでもが泣いている。
えっ。
何事かと俺が止まる中、突然紅魔族の人達が湧き上がった。
「ゆんゆん! ゆんゆんが! ゆんゆんが覚醒したぞ!」
「族長の娘ゆんゆんが、とうとう殻を破って目覚めたんだ!」
「カッコイイ! ゆんゆん、カッコイイ!」
「ゆんゆんが秘めたる力に目覚めたんだ!」
紅魔族の人達には、今のは飛び切りカッコイイ演出に映ったらしい。
今の一連の過程で、ぼっちだったゆんゆんは、どうやら里の住人達に本当の仲間だと認められたようだった。
そう、一人のマトモな少女がとうとう堕ちた瞬間である。
今はめぐみんを助けたい一心で、恥ずかしげもなくやっているのだろう。
だが後日、ふと我に返ってこれを思い出した時、あまりの黒歴史ぶりに彼女がうっかり死のうとしないか、目を光らせておく必要がある。
何かに吹っ切れた様なゆんゆんは、シルビアと対峙したまま動かない。
ゆんゆんは、一瞬だけ自分の傍の何もない空間をチラと見た。
「どうしたの? テレポートが使えないお嬢ちゃん。奥義だの隠し持った必殺技だの、口だけの紅魔族。その紅魔族の代表って事かしら? そんなあなたはその禁呪とやらを見せてくれるんでしょうねえ?」
焦れたシルビアが挑発するも、ゆんゆんは一歩も動かない。
それを見て、シルビアがズゾゾッとゆんゆんに向かって這いずり出した。
それを見ても、なおゆんゆんは動かない。
やがてシルビアが、溜める様に体を沈めると、そのムカデ姿の下半身で岩の上のゆんゆんに向けて飛び掛かった。
それよりも一瞬速くゆんゆんが岩から飛び降り、そのまま駆ける!
そんなゆんゆんを見て、今まで散々からかわれ、逃げられた為に怒りに目を血走らせたシルビアが。
「逃さないわよ、逃さないわよ、逃さな…………!?」
狂喜しながらゆんゆんを追い掛けようと、飛び乗った岩の上からゆんゆんを見て、シルビアがピタリと動きを止めた。
ゆんゆんが向かう先に、見えない何かを見付けた様に。
どうしたのかと見ていると、ゆんゆんが駆けた先、その何もない空間に、突如として二人の男が現れた。
その二人は見た事がある。
確か、自称魔王軍襲撃…………。
つまりは、ニートの二人だ。
光の屈折魔法で姿を消してここまで近づき、その術を解除したのだ。
片方の男についてはその名前も知っている。
靴屋のせがれのぶっころりー。
テレポート魔法の使い手だ。
ゆんゆんが注意を惹いている間、光の屈折魔法で、ゆんゆんにだけ姿が見える位置まで近づき、待機していたのだろう。
ゆんゆんがその二人の男の傍に駆け寄ると、それを見たシルビアが、慌てた様に片手を伸ばし…………!
「ちょ……! 待……!」
「『テレポート』!」
…………これは酷い。
シルビアが呆然と佇む中、ゆんゆんを含めた三人が、めぐみんの実家から遠く離れた店の前に姿を現す。
なるほど、あそこが靴屋か。
紅魔族が固唾を飲んでシルビアを見守る中。
シルビアが、岩の上に飛び乗った体勢でカタカタと震えだした。
怒ってるんだろうか。
「…………ウフフフッ、アーッハッハッ! どいつもこいつも、何が最強の魔法使い集団紅魔族よ! 唯の口だけの根性無し集団じゃないの! そんなあんた達紅魔族と関わる者も、みんな根性無しのヘタレだわ!」
シルビアが、怒りの為か、おかしさの為か。
ともかくも、その体を震わせながら岩の上で笑いを上げた。
それを聞いても、紅魔族の面々は特に気にする事もなく、誰一人として挑発には乗ろうとしない。
……先ほどの光の屈折魔法での救助と連携といい、こいつらは実は相当に頭が良いのだろう。
それをもっとマトモな方に使って欲しいが。
いや。
挑発に乗る奴が一人居た。
「おい。私もその紅魔族の一人な訳だが。その論調で行くと、私の仲間もヘタレとなる。訂正してもらおうか」
その、いつもどこに沸点があるのか分からない、意外に短気な魔法使いは、俺の隣からズイと出て、シルビアに対して握り締めた杖を向けた。
それを見て、シルビアが舌なめずりをして笑みを浮かべる。
「あらあら……。あなたを探していたのに、挑発に乗って肝心のあなたがノコノコ出るなんて。……そう言えば。ウヤムヤになっちゃったけれど、お嬢ちゃんとは決闘の約束をしていたかしら? そこのボウヤには逃げられちゃったから、決闘のご褒美は無しだけれど」
挑発的なシルビアの言葉に、めぐみんがポツリと言った。
「あなたには、まだ名前を名乗っていませんでしたね。めぐみんです。私が本当の、紅魔族随一の魔法使いです」
さっきのゆんゆんのセリフを気にしていたらしい。
いつもの派手な名乗りではなく、めぐみんは唯淡々と、静かに告げた。
それを聞いて、シルビアが不思議そうな顔をする。
「あなた、珍しい紅魔族ねえ……。あの変な名乗りをしないなんて。紅魔族なら、変なハッタリが大事でしょう? どうしちゃったのかしらお嬢ちゃん? あなたも口だけなんでしょう?」
からかう様なシルビアに、めぐみんは一切動じる事も無く、眉一つ動かさない。
そんな中。
「お姉ちゃんは凄いんだよ!」
それは、ジッと俺とめぐみんの傍に居たこめっこの声。
めぐみんは、そんなこめっこをチラリと見る。
そしてこめっこの手をそっと離し、俺を見た。
「すいません、ちょっと私の必殺魔法であいつ消し飛ばして来ますから、その間こめっこをお願いします」
「お、おい…………」
めぐみんはそんな事を言い残し、シルビアの方へと向き直る。
そんなめぐみんの言葉を聞いて、シルビアが。
「あらあら、出たわね必殺魔法! もう何度聞いた事やら! ええ、一体、何ポートなのかしらねえ! 期待しているわよお嬢ちゃん?」
そんなからかう様な事を言って来た。
そんな中、紅魔族の面々からはボソボソと声が聞こえる。
「どうしたんだ、ひょいざぶろーの所の娘さんは。以前はもっとキレがあったろう」
「必殺魔法を使うなら、もっとタメないとな!」
「前振りが弱いよ、前振りが」
…………あれっ。
そう言えば、紅魔族の人達は、めぐみんが本当に必殺魔法を使える事は知らなかったんだっけ。
そんなシルビアの挑発や紅魔族の声を聞き。
「お、お姉ちゃんは、凄いんだよっ!」
こめっこが、ちょっと半泣きになりながら叫ぶ。
その声を聞きながら、めぐみんが一歩出る。
……アカン。
俺は今の配置に気が付いた。
シルビアを中心にすれば、この距離ならめぐみんが全力で放っても多分いける。
つまり、多分いけるという状態なら、こいつならやる距離だ。
長い付き合いだ、俺には分かる。
こんな状況でめぐみんが我慢なんてする訳がない。
こんな里の中にクレーターを作ってもいいものだろうか。
どうせシルビアは、もう逃げ回っていれば何とかなるのだ。
俺はめぐみんを止め…………、
ようとして。
そっと、その考えを諦めた。
めぐみんの目が爛々と赤く輝いている。
シルビアが、そんなめぐみんを面白そうに。
「お嬢ちゃん、もう時間稼ぎに付き合う気はないの。どうせあなたも、自分からは来ないんでしょう? アタシがそっちに向かえば逃げて、テレポートでも使うんでしょう?」
そんな事を挑発的に言って来た。
それを聞き、めぐみんは静かに告げる。
「……おい。私の仲間を馬鹿にした事、取り消してもらおうか。後、この男に新しいトラウマを植え付けたり、攫って行った事を謝ってもらおうか。……と言っても、今の私は謝ってもらっても気が済まないので、別にいい。……では参ります。私が全てを捧げてきた我が必殺魔法。その身に叩き込んでやりましょう」
めぐみんが、宣言して杖を振り上げた。
…………アカン。
俺はめぐみんの爆裂魔法の威力を知っている。
この位置は、本当にギリギリだ。
紅魔族の人達は面白そうに眺めているが、俺の見立てでは、彼らはギリギリで被害が出そうな距離にいる。
「おいお前ら、逃げろ! シルビアから早く離れろ! 出来るだけここから逃げるんだ!」
俺の叫びを聞き、紅魔族がおおっ、と声を上げ。
「流石はめぐみんのお連れさんだ! 外の人なのに盛り上げ方が分かっている!」
「やるなあ……。あの必死な顔、とても演技には見えないよ」
次々と、そんな呑気な事を…………!
「馬鹿っ! 本当に今から必殺魔法が飛ぶんだよ! 逃げろ! 早く逃げろ!」
俺の言葉に、紅魔族とシルビアが笑い出した。
こいつら……!
揃いも揃って冗談だと……!
俺は、もう知ったことかと諦めて、こめっこを片手でしっかりと抱き、めぐみんの隣に並んだ。
何だかんだで術者の近くが一番の安全地帯だ。
めぐみんが、そんな俺とこめっこの姿を見て、少しだけ口元を緩めた。
「太古の真名の名において、原初の力を解き放て……」
その一言を聞き、紅魔族の連中が一瞬で静まり返る。
それは俺が聞き慣れた、めぐみんの大好きな魔法。
流石に魔法のエキスパート、紅魔族の連中には分かった様だ。
めぐみんが冗談を言っている訳ではない事を。
紅魔族の面々が、引きつった顔でこぞってその場から逃げ出す中、シルビアは何が起きたのかが分からずに、辺りをキョロキョロと見回した。
何度も何度も聞いためぐみんのその魔法の詠唱。
長い付き合いだ、それが終わる時間も俺には大体分かっている。
どうやら、めぐみんから湧き上がる魔力の流れ、そして紅魔族の反応により、流石にシルビアも冗談ではないと気が付いた様だ。
今までの肩透かしで気が抜けていた為か、本気のめぐみんに若干引き気味になりながら。
「必殺魔法ですって? ……さっ……! 炸裂魔法でも、爆発魔法でも、どんな上位魔法でも撃ち込めるもんなら撃ってみなさい……っ!」
そんな虚勢の声を張り上げた。
残念。もうワンランク、上の魔法だ。
めぐみんが、紅い瞳をカッと見開き。
渾身の魔力を込めて、魔法を唱えた!
「『エクスプロージョン』ッッッ!」
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