水の都アルカンレティア。
澄んだ湖に隣接するその大きな街は、街中の到る所に水路が張り巡らされている。
建物は青を基調とした色で統一され、その街並みは美しく、そして誰もが活気に満ち溢れた大きな街。
街の東には紅魔族の里へと続く街道があり、街の西には、悪名高い魔王領へと続く道。
紅魔族の里より魔王の城に近いこの街は、普通に考えればもっと魔王の脅威に晒されてもいい筈だ。
だが、この街は平穏だった。
一度だけ魔王の手先と戦闘になった事があったそうだが、それ以降、魔王の魔の字も見受けられないほどにこの街には近付いてこないらしい。
曰く。プリーストを数多く抱えるこの街は、魔王軍の者にとって戦い辛い相手だからだ。
曰く。この街は、水の女神、アクア様の加護に守られているからだ。
曰く。
「ようこそいらっしゃいましたアルカンレティアへ! 観光ですか? 入信ですか? 冒険ですか? 洗礼ですか? ああ、仕事を探しに来たならぜひアクシズ教団へ! 今なら、他の街でアクシズ教の素晴らしさを説くだけでお金が貰える仕事があります。その仕事に就きますと、もれなくアクシズ教徒を名乗れる特典が付いてくる! さあ、どうぞ!」
この街は大量のアクシズ教徒がいるから、それに関わりたくないからだ、と。
俺達は街に転送された途端に、いきなりアクシズ教徒とおぼしき集団に声を掛けられた。
どうしよう、いきなり勧誘されるとは予想外だ。
というか……。
「なんて美しく輝かしい青い髪! 地毛ですか? 羨ましい! 羨ましいです! その、アクア様みたいな青い羽衣も良くお似合いで!」
アクアが、一人の女性信者に熱烈な歓迎を受けていた。
……というか、これ、不味くないか。
もしいつもみたいに、私は実は女神なのでしたー!
とか言い出したら、例のごとく偽者扱いされたら、こいつ袋叩きにされないか。
めぐみんとダクネスは、既に勢いに押されて引き気味だ。
アクアだけは、一人の女性信者にやたらと容姿を称えられながら、満更でも無さそうな表情で目を輝かせながら街を見ていた。
俺はそんなアクアに近付くと、その耳元に囁いた。
「おい、ここで水の女神だとか名乗るなよ。絶対にえらい事になるからな。極力名前も名乗るな、偽名を使え」
「分かってるわよカズマ、私だってバカじゃないわ。それより、早く街に行きましょうよ! ここは水の街なのよ! 水の女神としてテンション上がるわ!」
そわそわしているアクアを放っておく訳にもいかず、俺達を歓迎してくれた信者に頭を下げ、
「すいません、ウチにはもうアクシズ教徒がいるもので。今は街の観光とかに来ているので、また……」
そう言って立ち去ろうとする俺達に、満面の笑みでアクシズ教徒達が手を振った。
「そうでしたか! さようなら同士、あなた方に良き日であらん事を!」
正確には、ウチにいるのは教徒じゃなく、信仰されている女神な訳だが。
ようやく離れてくれたアクシズ教徒にめぐみんとダクネスがホッとする。
しかし……。
「アルカンレティアへようこそ! アクシズ教入信者からは、病気が治っただとか宝くじに当たっただとか芸が上手くなっただとか、様々な良い実体験を聞く事が出来るんですよ。どうです? あなたも入信してみませんか?」
…………なんて胡散臭い宗教団体なんだ。
俺は半ば呆れながら熱心に勧誘する信者達を遠巻きに眺め、アクシズ教が避けられている一端を垣間見た気がした。
「……と、とりあえずあれだ。まずは情報を集めようか。ここから紅魔の里までは三日ほどの距離らしい。だが未だ紅魔の里は戦闘中だと言うのなら、ここでしばらく滞在する事を考えないと。寝泊りは街の外で野宿するとしても、紅魔の里の戦闘が何時まで続くのかが分からないしな」
その言葉に、アクアがにんまりと笑みを浮かべる。
「それなら、私に任せてよ! 考えがあるのよ!」
アクシズ教。
国教とされるエリス教の影に隠れ、この街を除き、非常にマイナーな宗教である。
だがその存在感は凄まじく、旅をしていて野盗などに襲われた際にはアクシズ教徒であると告げると、怖がった野盗達に見逃して貰える事もあるとか。
だがこれは諸刃の剣で、野盗達がアクシズ教徒に関わり、酷い目に遭わされた事がある場合、悲惨な末路を辿る事にもなる。
それほどまでに恐れられるアクシズ教徒。
魔王にすら敬遠されるアクシズ教徒。
俺は今。
「俺、今からエリス教の教会に行って懺悔してくる! エリス神の肖像画見てると欲情するんですがいけない事ですか、って! 一緒に行く者この指とーまれー!」
「おい、俺も行くぞ!」
「俺も俺も!」
この自由奔放な集団を見て、その意味を嫌になるぐらいに理解した。
「行きなさい行きなさい。またエリス教の女神官が顔真っ赤にして怒鳴り込んで来るでしょうが、またそれが良い! 是非とも行きなさい」
嬉々として出掛けて行く信者達に、ニコニコしながらそんなとんでもない事を口走るのは、アクシズ教のプリースト。
この街の教会の管理を行なっている、ゼスタと言う名の温厚そうな白髪のおっさんだった。
アクシズ教は戒律や管理がゆるゆるで、ちゃんとした宗教団体の体をあまり成していないらしい。
と言うのも、本来なら上に立つべき熱心な信者ほど……
「やがて、エリス教の美人神官がここに怒鳴り込んで来る。私は教会の入口に上着を脱いで寝そべり、美人神官を迎撃する態勢に入る。誰か魔道カメラを借りてきてくれ! エリス教の美人神官が裸の私を踏みつけ、涙目になっている姿を激写するのだ! 美人神官は泣いて帰り、私にとってはご褒美になる。そして『裸のアクシズ教徒を踏みつけるエリス教神官』と題を打ち、写真を撒いてやる事でさらなるダメージが狙える!」
「素晴らしい! 流石はゼスタ様、明日以降のエリス教徒の女神官襲撃の際には、是非俺にも!」
「ずるい、俺だって美人神官に踏まれたい!」
……この通り、上に行くほどどうしようもない。
俺は無言でアクアの方を見ると、アクアがふいっと目を逸らす。
俺達が今居るのは、アクシズ教の教会だった。
アクアが、アクシズ教のアークプリーストである事だけを明かして、教団の協力を得ると言い出したのだが……。
俺達四人が教会の入口で立ち尽くす中、ゼスタと呼ばれた神官がこちらに来る。
「やあ同士達。私はこれから、エリス教徒との聖戦の準備をしなければいけない。なので、ちょっと忙しい為、しばらく奥でくつろいでいてくれないか。何なら、街を見て回るのも良いだろう」
このおっさん、美人神官へのセクハラを聖戦と抜かしたか。
俺は三人を振り返ると。
「……そうだな。私は街を見に行こうか。アクセルの街からロクに出た事も無い。良い機会だ、観光しよう」
ダクネスが、若干ソワソワしながら言ってきた。
「俺もちょっと街をブラブラしてくるよ。めぐみんは最近ロクに眠れてないだろうし、ウロウロしないで休んでおくか? ……というか、ここから紅魔の里に手紙でも出して、この街までテレポートで迎えに来て貰うとかはダメなのか?」
「……手紙自体は送る事は出来るでしょうが……。魔王軍も恐れない大人達が、ここの街と関わる事だけは避けてましたからね。きっと、テレポート先にこの街を登録している術者はいませんよ。かと言って、現在戦闘中の里の人達に、ここまでローブを持ってきて欲しいとか迎えに来て欲しいとか言う訳にもいきませんし。私はここでゆっくりしています。二人共、気をつけてくださいね」
そんな不安になる事言われると、俺もこの教会で待機したくなってくるんだが。
「私も教会に残るわ。この水の都を見て回りたい所だけれど、私の信徒が華麗にエリスの信者を撃退する様を見届けないと」
「いや、お前あれ止める気ないのか」
そう言って俺の指す方には、いそいそと教会の玄関前で服を脱ぎ、仰向けになったりうつ伏せになったりするゼスタの姿。
あれが一応、この街で一番偉い教団関係者らしい。
大丈夫なのか色々と。
いや、大丈夫じゃ無いからこんなに悪評が立っているのか。
「アクシズ教の教義の一つにね。我慢はしない。それが犯罪でない限り、望むままに自分のやりたいようにやれば良いって物があるから、私からは止められないわ」
「セクハラは犯罪ですよ女神様」
ダクネスと街をプラプラと歩きながら、俺はその辺の屋台で買った串焼きを手に、キョロキョロと辺りを見回していた。
あちこちに水路が張り巡らされ、随分と清潔そうな街並み。
これだけ見ていると、住み易そうな良い街に見えるんだが……。
……と、前方から重そうな荷物を抱え、フラフラと歩いてくる若い女性が現れた。
俺は何となく道を開け、ダクネスと共にその隣を通り抜けようと……。
「きゃあっ!? どうしましょう、せっかく買ったりんごが……!」
俺が通り抜けようとした瞬間、女性がバランスを崩して買い物袋の中身をぶちまけた。
転がるりんごを慌てて拾い、せっせと袋に詰めていく。
俺とダクネスも、慌ててそのりんごを拾い集め……。
「どうもありがとうございました! おかげで助かりました! ああっ、何かお礼をさせては貰えないかしら……!」
その女性は、言いながら俺の腕を取る。
おっと、何このフラグ的な…………!
ちょっと期待した俺に、その人が言った。
「この先に、アクシズ教の運営するカフェがあるんです。そこで私とお話しませんか?」
「……結講です」
その女性は、先ほどまで大事そうに抱えていた買い物袋を無造作に道に置き、そそくさと立ち去ろうとする俺とダクネスのマントを後ろからガッと掴む。
「まあまあお待ちになってください。私、実は占いが得意なんです。お礼代わりに占わせては頂けませんか?」
「け、結構です……、ちょ、本当に結構なんで、はな……、離せ!」
マントを掴むその手を振りほどいて何とか逃げようとすると、女性は俺の腰にしがみ付いてきた。
「今、占いの結果が出ました! このままではあなたに不幸が! でも、アクシズ教に入信すれば、その不幸が回避出来ます! 入りましょう! ここは入っておきましょう!」
「不幸なら、今正に遭遇している! ちょ、離せ! ダクネス、助けてくれ!」
その、俺の腰にしがみ付く女性の腕を、ダクネスがそっと掴んだ。
そして、胸元から何かのペンダントの様な物を取り出すとそれを女性に見せ付ける。
それはきっとエリス教徒である事を示す物。
地球においてキリスト教徒である事を示す、十字架みたいな物なのかも知れない。
「……すまない、私はエリス教の信者でな。その男を勧誘する気なら、一言断ってもら……」
「ぺっ」
女性が道に唾を吐いた。
そして無言で俺の腰から手を離すと、買い物袋を拾い上げ、そのままスタスタと遠ざかる。
今まで、そんな扱いを受けた事のないダクネスが固まっていると、女性はチラリとダクネスを振り返り。
「……ぺっ」
もう一度道に唾を吐き、そのままスタスタと去って行った。
……ちょっ……。
「……おいダクネス、その、あれだ。アクシズ教とエリス教は仲悪いみたいだし、そのペンダントみたいなのは隠しておけ。……ま、まああんまり気にする事は……」
固まったままのダクネスに声を掛けると、軽くブルッと身を震わせた。
「……んっ……!」
…………。
「……お前、ちょっと興奮したのか」
「……してない」
…………。
無言で立ち尽くす俺とダクネスの前に、ごつくて強面の男と、そこそこ可愛い女の子が現れた。
「きゃあああっ! 助けてっ! すいませんそこの方、助けてくださいっ! あの凶悪そうな、エリス教徒とおぼしき男が、私を無理やり暗がりへ引きずり込もうと……っ!」
「へっへっへ、おいそこの兄ちゃん、お前はアクシズ教徒じゃねえな? ハッ! 強くて格好いいアクシズ教徒だったなら逃げてた所だが、そうじゃないなら遠慮はいらねえ! 暗黒神エリスの加護を受けた俺様の、邪魔をするってなら容赦はしねえぜ!」
「ああっ、なんて事! 今私の手元にあるのはアクシズ教団への入信用紙! これに誰かが名前を書いてくれさえすれば、このエリス教徒は逃げていくのに!」
…………。
俺は見なかった事にして、そのままスタスタと立ち去ろうと……、
「ああっ、見捨てないでそこの方! 大丈夫、この紙に名前を書くだけでアクア様から授けられるアレな超パワーで強くなれます! その力に恐れをなして、このエリス教徒も逃げ出すでしょう!」
「そうだぜ! しかも、入信すると芸達者になったり、アンデッドモンスターに好かれ易くなったりと様々な不思議な特典もあるんだぜ!」
その二人に対し、ダクネスが例のペンダントを見せ付けた。
「……私は見ての通りのエリス教徒だ。そのエリス教徒の前でエリス様を暗黒神呼ばわりとは」
「「ぺっ」」
ダクネスが何かを言い終わる前に、道に唾を吐き捨て去っていく少女と男。
……アクシズ教徒はこんなのしかいないのか。
……と、ダクネスが、しばらく無言で固まっていた後ブルッと震えた。
…………エリス教徒は、こいつみたいなのばっかじゃないんだろうな……。
その後も……。
「おめでとうございます! あなたはこの大通りを通られた、100万人目の方となります! つきましてはこちらで記念品を贈呈したいのですが、この記念品、実はアクシズ教団がスポンサーとなっておりまして! なので、ほんの書類上の事だけなので、記念品受け取りの為にちょっとお名前だけ、入信、と言う形でお借りしてもよろしいでしょうか?」
俺はダクネスを連れて、入ろうとした通りをクルリと引き返す。
「あれっ? あれあれ? ひっさしぶりー! わたしわたし! 元気してた? ほら、学校の! 同級生の! 同じクラスだったんだけれど、覚えてる? アクシズ教に入信して、わたし大分変わったから分かんないかもねー!」
こちらの世界の学校に通っていない上に、そもそも、こんなに親しく話せる女子がいなかった俺は、無言でその子の隣を素通りする。
「……どうなってんだこの街は。と言うか、アクシズ教団ってのは何なんだ」
俺はぐったりと疲れ果て、ダクネスと共にオープンカフェで休憩していた。
向かいに座るダクネスは、首からぶら下げたエリス教徒のペンダントの所為で散々な目に遭い、ほんのりと頬を火照らせている。
俺がテーブルへ突っ伏していると、注文した食べ物がウェイトレスによって運ばれてきた。
テーブルの上に皿が置かれ、飲み物が添えられる。
俺は身を起こし、それを食べようと……。
「あ、エリス教徒のお客様。こちらは当店からのサービスです」
食事を運んできたウェイトレスが、何かをダクネスの足元にコトリと置いた。
皿に盛られた犬のエサ。
「ではごゆっくりどうぞー」
にこやかな笑顔を浮かべ、綺麗に礼をして去っていくウェイトレス。
ダクネスが頬を赤らめ、ブルリと体を震わせた。
「……なあカズマ。めぐみんの件が片付いたら、皆でこの街に住まないか?」
「……絶対嫌だ」
……しかし、改めて街を見回すと、そこかしこであらゆる手段で勧誘が行なわれている。
あちこちで聞こえてくるアクシズ教団の勧誘の声。
そう、こうして耳を澄ませば……、
「どうですか、アクシズ教! アクシズ教に入れば、きっとあなたの願いも叶いますよ!」
「ほ、本当ですか! ……あ、あの、私……。と、友達がいなくって……。仲間も、いなくって……。し、親友は! 親友は一人いるんです! その子をこっそり助ける為にここまで来たんですけど、見失っちゃって……! こ、こんな私でも、アクシズ教に入信すれば、友達とか出来ますか!?」
「あー……。ええっと、ごめんねー。基本的に誰でも歓迎なアクシズ教団なんですが、出会い目的の方の入信だけはお断りしてるんですよー」
「あっ……! ごっ、ごめんなさい、ごめんなさいっ! 私、そんなつもりじゃ……!」
ちょっと耳を澄ましただけでも、遠くからそんな会話が聞こえてくる。
俺は椅子から立ち上がると、顔を赤らめホコホコさせたダクネスを引き連れ、教会へと帰ろうとした。
ここはおかしい。
この街は、色々おかしい。
教会に帰り、総元締めのクソ女神を問い詰めたい。
あと、あのゼスタとか言うおっさんも。
……と、帰ろうとする俺の目の前を、てててっと駆ける一人の女の子。
年の頃は十歳位だろうか。
そんな女の子が、目の前で突然転んだ。
慌てて俺とダクネスが駆け寄ると、その子は痛そうにしながらも。
「あ……。ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
言って、にこりと笑顔を浮かべた。
俺のささくれ立っていた心が癒される。
「大丈夫か、気をつけろよ? ほら、立てるか?」
言って、女の子に手を貸してやると、その子は嬉しそうに手を取りはにかんだ。
もう凄く癒されるが、俺はロリコンではない、子供が好きなだけだ。
「うん、もう大丈夫! ありがとう! ……ねえ親切なお兄ちゃん、名前教えて?」
そんな事を聞いてくる女の子に、
「カズマだよ。サトウカズマ。こっちの怖そうなお姉ちゃんはダクネスだよ」
そんな俺の言葉にダクネスが、俺のこめかみの辺りを小突いてくる。
それを聞いて、女の子が一枚の紙とペンを取り出した。
「サトウカズマ? ねえ、どんな字を書くの? 書いてみてお兄ちゃん!」
「ああ、俺の名前はね…………」
名前を書こうとして紙を見る。
『アクシズ教団入信書』
「くそったりゃああああーっ!!」
「あああっ、お兄ちゃーんっ!!」
俺はその紙を真っ二つにした。
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