19話を読み飛ばす方がいるかも知れないのでこちらにも。
本日は昨日の分と合わせて2話更新です。
最初は領主視点となります。
※残酷なセリフがあります。
苦手な方はご覧にならないか、◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆の後の部分まで飛ばして下さい。
屋敷の者達が皆寝静まった頃。
「ああ……、くそっ! くそっ! くそおっ!」
自分の寝室の地下にある隠し部屋。
そこでイライラと、私はその薄汚い一匹の悪魔に当たり散らしていた。
願いを満足に叶えられない、この一匹の壊れた悪魔。
それを何度も何度も足蹴にする。
「ヒュー、ヒュー、ヒュー」
蹴られた悪魔は痛みなど感じていないかの様に、ヒューヒューと喘息患者の発作の様な変わった声を上げ、能面の様に無表情のまま、蹴られる度にユラユラと揺れていた。
この下級悪魔を呼び出し、一体どれぐらいの付き合いになるのか。
これだけの付き合いになれば普通はもう少し可愛気も出てくるものだが、こいつだけはどれだけ経っても慣れる事は出来なかった。
「お前がっ! お前がもう少し使える悪魔だったなら! あそこで、あそこでワシのララティーナを奪われるはずも無かったのに! お前の強制力はそんなにちっぽけな物なのかっ! 役立たず! 役立たず! この、役立たずがぁっ!」
「ヒッ、ヒュー、ヒュー。教会は悪魔の力が弱くなるからね。そんな事より、何者かに呪いが解かれた様だよアルダープ」
変な呼吸音と共に、蹴られている悪魔がそんな事など気にも留めずにサラッととんでもない事を言った。
「呪いが解けた? 呪いが解けただと!? お前はっ! 満足に、人間一人呪い殺す事も出来ないのか、役立たずがっ!」
怒鳴りつけながら、悪魔を思い切り蹴り飛ばす。
だが、悪魔は蹴られた事などまるで何も無かったかの様にぼうっとしていた。
この痛がりもせず、苦しみもしない所も、自分がこの悪魔を好きになれない理由の一つだ。
こいつを見ていると、何だかゾクリと背筋が凍る時がある。
こんな下級の悪魔が。
こんな、頭の壊れた、見た目も言動も何もかもが壊れた、下級の悪魔ごときがこの自分を、たまに恐れさせる時がある。
この何重にも対悪魔の封印が施された地下室ならば、余程の悪魔でも契約者に手が出せなくなる。
高い金を出して買った魔法の封印の数々。
それらが施されている以上、本来こんな下っ端の悪魔に怯える必要など無い筈なのだが……。
忌々しげにその下等な悪魔を見下ろす。
左右の目の色が違うその悪魔は、見た目は紳士的な貴族の青年といった風だ。
黒いタキシードをキッチリと着こなして、自分よりも気品ある貴族の貫禄が感じられる。
金髪で色白の、ぞっとするぐらいに綺麗な顔立ちのその悪魔は、見た目は普通の人間と変わらない。
右目は青く、左の目は白い。
それ以外の、ある部分さえ見なければ普通の人間と変わりは無い。
そう、ある部分さえ見なければ。
それは、悪魔の後頭部。
無いのだ。
そこの部分がすっぽりと。
元々なのか、それとも他の事が原因なのか。
頭の一部を失っているこの壊れた悪魔は、突如身体を震わせたり、ギョッとする様なおかしな事を口走ったりしてその度に私をゾッとさせる。
酷く忌々しいが、こんな下等悪魔の力でも、その力を利用しなければ今回の事は揉み消せないだろう。
流石に、居並ぶ街の有力者達や貴族の前で、あの言い草は不味かった。
頭に血が昇り、家格は遥かに上のララティーナを巡り、公衆の面前で随分と暴言を吐いてしまった。
今日はバタバタしていて結局ララティーナには逃げられてしまったが。
公衆の面前であれだけの騒ぎを起こしたのだ。
落ち着いた明日の朝には、ララティーナの仲間のあの冒険者達を手配し、捕えさせて処刑しよう。
場合によっては、ララティーナが助命を懇願してその身を差し出しに来るかもしれない。
だが、それには……。
「マクス! 今回の教会への参列者、及び、ワシの言葉を聞いた者達の記憶を明日の朝までに、全て都合の良い様に捻じ曲げておけ! 分かったな!」
そう言い捨てて、その薄暗い地下室を後にしようと……。
「ヒュー、ヒュー……。無理だよアルダープ。僕にはそれほどの、力は無いよ」
その言葉に足が止まった。
……無理?
この壊れた悪魔が、今まで口答えをした事はない。
ましてや、何を望もうが、どれだけ捻じ曲げようが、無理だなどと言った事はない。
それが、今こいつは初めて無理と言った。
「……無理だと? お前が力が無い悪魔だと言う事は、呼び出したワシが一番良く分かっている。素人同然のワシに呼ばれて来たぐらいだからな。……だが、貴様に拒否権は無い。やれ! 無理だろうが何だろうが、やって来い! 人数が多いからか? 記憶の捻じ曲げはお前の得意技だろうが! さっさとやれっ!」
何を考えているのかさっぱり分からない壊れた悪魔、マクスに怒鳴る。
だが、それでも……。
「無理。光が……。ヒュー、呪いを解いた強い光が邪魔をするから、それは無理。今はきっと警戒しているからそれは無理」
無理だと拒否する壊れた悪魔。
カッと頭に血が昇る。
「もういい、この無能な悪魔が! 貴様なぞ、契約解除して他の力ある悪魔と契約してやる! 貴様に最後の命令だ! ワシの前にララティーナを……! お前の強制力で、今すぐ此処にララティーナを連れて来い! そうしたら、貴様に代償を払ってやる!」
その言葉に、壊れた悪魔が反応した。
「代償? 本当に? 本当に払ってもらえる?」
「ああ、本当だ。本当だとも。お前はバカだから、ワシが何度も代償を払っている事を忘れているだけだ。今度もちゃんと払ってやる。さあ、ララティーナを連れて来るんだ」
そう言って、頭を失い、マトモな記憶力が無く、何度も何度も騙されるこの悪魔に、諭す様に優しく告げる。
……その時だった。
「領主殿。領主殿はいるか? 私だ。今日の昼の事で、謝罪に来た。顔を見せてはくれないか……」
この、誰も存在を知らない筈の地下室。
その地下室への入口が、コンコンと叩かれた。
なぜこんな時間にだとか、なぜこの地下室を知っているのかだとか、そんな事は今はどうでもいい!
その声は、勿論この私が聞き違えることなど無い……!
「ララティーナ! ララティーナか! よ、よし、良くやったマクス! 褒めてやる! 褒めてやるぞ! 一体どうやったのか知らないが、約束通り代償を払ってやろう! 契約も解除だ! 貴様を自由にしてやろう! ああ、ララティーナ、今開けよう!」
「……? まだ何もしてないのに、ヒュ、ヒュー! 代償を払ってくれる? 契約を、解除?」
何かをボソボソと呟くマクスにはもう注意を払う事もなく、私は急いで地下室のドアを開けた。
そこからこちらを見下ろすのは、間違え様のないララティーナの姿。
それも、随分と扇情的な……。
黒く、薄いネグリジェの様な物を身にまとったララティーナは、普段見せない様な親しげな笑顔を見せ、地下室への階段を降りてきた。
その姿に、その笑顔に、即座にどす黒い欲望が身をもたげる。
ララティーナが申し訳無さそうな顔で甘く囁く。
「申し訳ありません領主殿……。昼の事は謝ります。……なので、どうか、わが身で仲間の命の助命を……!」
その言葉に全てを理解した。
そう、この女は自分の予想通りに、仲間の助命の懇願に来たのだ!
もう、これ以上は我慢できない!
長年ずっと狙っていた娘が、こんな格好で目の前に居るのだ。
ララティーナが階段を下りきるまで待つ事が出来ず、その身体にむしゃぶりつこうと…………!
飛び掛ろうとした、その時だった。
ララティーナがニイッと笑うと、その姿がグニャリと歪む。
そして、そこには……、
「フハハハハハハ! ララティーナだと思ったか? 残念、我輩でした! おっと、これまた凄まじく強烈な悪感情! 美味である美味である! フハハハハハハ!」
黒い、パリッとした、マクスが着ている物と同じタキシードを着た、仮面を被った男が立っていた。
「!? な、なんだ貴様は。なんだ、貴様はっ! このゾクゾクする感じ。マクスと同じ感じだ! 悪魔だな! 貴様は悪魔だ!」
私は目の前の悪魔とおぼしき者に指を突きつけると、その仮面の悪魔はニタリと笑う。
その笑みを見て、思わず一歩後ずさりながら確信する。
間違いない、こいつは悪魔だ。
「マクス! この汚らわしい悪魔を殺せ!」
仮面の悪魔を指差し、叫ぶ。
許せない、許せない!
取り逃がした悔しさに歯軋りし、切望していたララティーナに化けて現れるとは、なんて奴だ!
なんというガッカリ感!
なんというどん底感だ!
絶対に、絶対に許さない!
「? ……なぜ僕が同胞を殺さないといけないの? ヒューッ……? あれ? 君はどこかで会ったのかもしれないな?」
マクスが、私の言う事を聞かずにそんな事を言い出した。
私に口答えをしたのは、今日はこれで何度目だ?
どうしてしまったのだこの悪魔は。
本当に壊れてしまったのか?
そんな事を考えている間に、目の前の仮面の悪魔が、貴族として羨むような、完璧な作法と共に礼を尽くしたお辞儀をした。
そして、マクスにニヤリと笑いかけ。
「貴公に自己紹介をするのは何百回目か何千回目か。では今回も、初めましてだマクスウェル。辻褄あわせのマクスウェル。真実を捻じ曲げる者マクスウェル。我輩は見通す悪魔、バニルである。真理を捻じ曲げる悪魔、マクスウェルよ。迎えに来たぞ!」
マクスウェル?
この壊れた悪魔はマクスではなくマクスウェルと言うのか?
いや、迎えに来ただと……?
「バニル! バニル! なぜだろう、何だかとても懐かしい気がするよ! 以前どこかで会ったような?」
「フハハハハハ、貴公は会う度に同じ事を言うな! 貴公の名前はマクスウェル! こことは違う別の世界から、記憶を失ったままやって来た我が同胞である! さあ、貴公が帰るべき場所、地獄へ帰ろう!」
仮面の悪魔の言葉に私はそこに割って入った。
「ま、待て待て! そいつはワシの下僕だ! 勝手に連れて行くな!」
思わず出たその言葉に、バニルと呼ばれた悪魔が笑う。
「下僕? 我輩と同じく地獄の公爵の一人であるマクスウェルが、貴様の下僕だと? 悪運のみが強い、傲慢で矮小な男よ。貴様は運が良かっただけだ。たまたま最初に呼び出した悪魔がマクスウェルだったから助かったのだ。他の悪魔を呼んでいたなら呼び出した瞬間に、何の力も持たない貴様は引き裂かれていた事だろう! だが、貴様は運が良かった! 何も分からないマクスウェル! 力はあるが、頭は赤子のマクスウェル! 彼のおかげでその地位まで上ることが出来たのだ、深く、深く感謝するがいい!」
言っている事が分からない。
私が飼っていたマクスが、地獄の公爵?
いや、私がこの地位まで上り詰めたのは自分の力だ。
この壊れた悪魔の力など微々たる物でしかない筈だ。
バニルの指摘に戸惑う私に、その仮面の悪魔は更に口元を歪めて言った。
「そして、貴様は先ほど我輩が現れた時、マクスウェルにこう言ったな。……約束通り、代償を払ってやろう! 契約も解除だ! 貴様を自由にしてやろう! と」
その指摘に、しまった、と後悔する。
なんて事だ、あの時マクスが悪魔の力を使い、ここにララティーナを呼んだのだと勘違いしてしまった。
上機嫌になり、我を忘れ、ついあんな事を口走ってしまった。
……そうか。
この悪魔は見通す悪魔だとか名乗ったな。
つまりこうなる事を分かった上で、このタイミングでここに来たのだ。
そこまで考えていたその思考すらも見通すかのように。
「そう、ど素人の貴様の作った、このちっぽけな対魔結界などは我輩やマクスウェルには特に意味など成さないが、契約が交わされているというのが問題だったのでな。いやいや全く、こんな回りくどい事をしてしまった」
……回りくどい?
「き、貴様、貴様……! 貴様が、まさか」
「そう、ご想像の通りである! 我輩があの小僧に借金返済の都合を付け、貴様の事も教えてやったのだ! フハハハハハハ! いいぞいいぞ、素晴らしい悪感情だ! 美味である美味である!」
震える拳を握り締め、
「こんな! こんな事をしてくれて……! こんな壊れた悪魔が欲しいのなら、言えばいい! 正体を明かして言えば、そうすれば、最初から返してやったのだ! こんな、街中を巻き込み、ワシに恥を晒させずとも……!」
そうだ、ここまで先を見通せる悪魔がいたと最初から知っていれば、私だってここまで大胆な事は……!
そんな私に、悪魔が告げた。
とてつもなく、バカな事をあっさりと。
「この方が面白いだろう! フハハハハハ、見物であった! 見物であったわ! 今回は、あの女神ですらが我輩に踊らされた事になるのではなかろうか! あのチンピラ女神が式に呼ばれている間、この我輩が卵の孵化をさせられるという屈辱は受けたものの、最後に極上の悪感情を味わえた! 恋焦がれ、ようやくその偏愛が実り! そして、あと少しで手に入ると思った瞬間に嫁を連れ攫われた時の、貴様のあの悪感情! 思わず我輩、このまま滅ぼされてしまっても良いとすら思える程の美味であった!」
何を言っている。
何を言っているのだこの悪魔は!
「さて領主殿。我輩はもう貴様に用は無い。後はマクスウェルを地獄に帰し、我輩はあのへっぽこ店主の下であくせくと働くのみだ」
どうやら、この悪魔はマクスを連れて、もう帰るつもりの様だ。
仕方ない、マクスが強力な悪魔だったとは知らなかったが、それでもこいつが居なくても、きっと私ならまた上手くやっていける。
下手にこの悪魔を怒らせるのもバカな話だ。
だが、明日からどうするか。
これで、これから証拠を揉み消す事も出来なくなった。
いずれ証拠を嗅ぎ付けられる前に、王国の懐刀と呼ばれた、ダスティネス家のあの男の物理的な暗殺を考えなくてはいけなくなった。
私がそんな事に頭を悩ませていた、その時。
「ヒュー! ヒューッ! バニル! バニル! 帰る前に、僕はアルダープから代償を貰わないと! さっき言ってくれたんだ、代償を払ってくれるって!」
マクスが、興奮したように笛の音の様な声を出し、嬉々としてそう言った。
しまったな、そう言えばそんな事も口にしてしまった。
「分かった分かった、代償だな。払ってやる払ってやる」
今はそれ所ではないのに。
だが、これ以上こいつらの相手をしている暇は無い。
そう言えば、こいつに代償とやらを払うのは初めてだな。
どんな物を請求されるのかは知らないが、まあ、散々こき使ってやったのだ。
最後に代償ぐらい払ってやっ
……ゴギンッ!
……地下室に、突然響く鈍い音。
それが、自分の両腕が折られた音だと気付いたのは、
「………………えっ、あっ、ああああぐああああああっ!?」
無表情のままのマクスが、私の両腕を握り締めている姿を確認してからだった!
「ひいっ!? ひいいいいっ! 痛っ、いっ、いだああああっ!?」
折れた両腕を握り締められ、私は悲痛な悲鳴を上げる。
だが、この地下室の声は誰にも聞こえない。
どんなに助けを求めても、聞こえる事は無い。
元々は、気に入った娘を攫って来た時に、それを嬲るために作った場所だ。
どれだけ叫ぼうとも、外に声が出る事は無い。
「アルダープ! アルダープ!! 良い声だよアルダープ! ヒュー、ヒューッ!」
壊れた悪魔が、そんなバカな事を言ってくる。
「何をっ! 離せマクス! 止めろ! 痛い、止めてくれえっ!」
泣き叫ぶ私の声を聞き、マクスが初めて。
そう、長い付き合いのこの悪魔が、初めてその顔に表情を見せた。
無機質だった能面の様なその顔をぐにゃりと歪め、実に楽しそうに笑う。
それを見て、バニルが言った。
「フハハハハ! マクスウェル、続きは地獄へ帰ってからやればよい。どうせ、この男の貴公への代償は凄まじい量になっている。百年や二百年では払いきれる物ではない。地獄へこの男を持ち帰って、ゆっくり代償を払わせるがいい」
痛みに頭がぼうっとしながらも、その言葉がとてつもない内容を含んでいる事には気が付いた。
今この悪魔はなんと言った。
その、私の考えを見通したのだろう。
バニルが嬉々としながら言ってきた。
「これまでの、貴様がマクスウェルを使役してきた代金は、契約に従い、マクスウェルの好む味の悪感情を、決まった年月分放ち続けて貰おうか。……フムフム。貴様随分と好き放題な生活をして、こやつを酷使したものだなぁ……。だが安心するが良い。代償を払い続けている間はマクスウェルの呪いにより、年を取る事も死ぬ事も無い! 代償を支払い終わると呪いが解け、経過した年月分が一気にその身に掛かり、すぐさま息絶えてしまうだろうが……。だが、喜ぶが良い! 貴様は長い年月を生きられる事になるぞ! 良かったな! フハハハハハハ! フハハハハハハハ!」
「ヒュー! ヒュー! ヒュー! ヒュー!」
バカ笑いする悪魔二人に、私は背も凍るようなおぞ気を感じた。
腕の痛みもどこへやら、身体を震わせ、必死に悪魔に呼びかける。
「わ、分かった! 今まで酷使して悪かった! こうしよう! まず、私の莫大な」
「資産ならば、マクスウェルが地獄に帰る事により、貴様は様々な悪事が全てバレ、全財産を没収される。それはダスティネス家に管理され……。調子に乗って全財産はたくんじゃなかった本当に身体で払わせてやろうかあの女、と現在自宅で悶々と悩む男や、街や国へと返還される事になる。見通す悪魔、バニルが宣言しよう。貴様はもはや無一文である」
それを聞いて、カタカタと歯を合わせ、泡を吹きそうになる。
私が貯めた資産が全て……!
「そ……」
「それなら、家の者を何人でもワシの代わりに連れて行っていいから、だと? 残念、支払い義務は契約者にのみ請求される! ……おっと、せっかくの悪感情であるが、今の貴様の、その絶望の悪感情は我輩の好みでは無いな。その感情はマクスウェルの好みの味だ」
それを聞き、いよいよ身体の震えが止まらなくなる。
「ま、まま、マクス……、マクス……! わ、ワシはお前に色々と酷い事を……。酷い事をしてしまった。頼む、助けてはくれんか? 見逃してくれ、ワシはああ見えて、お前の事が嫌いでは無かったのだよ……! 本当だ! なあ、頼むマクス!」
その言葉を聞きながら、バニルはニヤニヤと笑ったまま、なぜか私の嘘を訂正しようとはしなかった。
私の腕を握っていた、マクスの手が離される。
私は、そのままペタンと地に座り込んだ。
その行動に、ほんの僅かな希望を抱き、恐る恐るマクスを見上げる。
笑っていた。
それは、とても無邪気な笑顔。
ずっと無表情だったこの悪魔は、純粋な子供の様な笑顔を見せていた。
「アルダープ! アルダープ! 僕もだよ! 僕も、君が好きだよアルダープ! 地下室に、泣いて許しを請う娘の髪を掴んだまま引きずり込み、乱暴を働いた残虐な君が好きだよアルダープ! 君の大切な物をうっかり壊した、命ばかりはと助けを求めた使用人を、躊躇無く殺した君が好きだよアルダープ! あの、ララティーナという子に少しでも似た娘を何人も何人も攫ってきて、それを嬲って壊してきた、君が好きだよアルダープ!」
その言葉に、ブワッと汗が噴出した。
バニルは、一体何がおかしいのか、私の様子をニヤニヤと笑って見ている。
マクスは。
長年の付き合いの、壊れた悪魔は、その顔を紅潮させて力説していた。
「アルダープ! アルダープ! 僕が君を、どんなに好きかなんて伝わらないだろう! 君が好きだよアルダープ! この眼を見てよ、この色の違う瞳を!」
言われたままに、壊れた悪魔のその眼を見る。
右目は青く、左は白い。
壊れた悪魔は、実に楽しそうに手を広げた。
「この青い眼はね、アルダープ! 僕と最初に契約してくれた人の眼なんだよ! 僕は記憶する事が出来ないからね! 僕は、僕は頭の一部が無いからね! でもねアルダープ、この眼の持ち主の事は覚えていられる! 何せ、身体の一部にしたんだから!」
その言葉におぞ気が走った。
ああ、私がこいつをどうしても好きになれなかった理由はこれだ。
「どうやって身体の一部にしたか、聞きたいかい、アルダープ! 彼の……、いや、彼女だったのかな? その身体の一部を食べて取り込んだんだ! ああ、アルダープ、アルダープ! 残虐な君は素晴らしい! 愛おしい! 君を殺して、食べてしまいたいほどに!」
この悪魔は壊れている。
私は自分の股間がじんわりと温かくなっていくのを感じながら。
もう一匹の悪魔に手を伸ばす。
「た……たす」
「我輩は、人間が好きである。大切な、我輩の美味しいご飯製造機であるからな。……だから、その大好きな人間族の数を減らす輩は、我輩の敵と言えよう! そもそも、悪魔に助けを求めるなど貴様は滑稽にも程があるぞ! フワハハハハハハ!」
バニルを絶望の表情で見つめる私に、壊れた悪魔が笑い掛けた。
「ヒュー! ヒュー! ヒュー! ヒュー! 堪らない! 堪らないよアルダープ、今君が放っている絶望の感情の味は! ああ、堪らない、堪らない! こんなに昂ぶったのは何時振りだろう? そうだ、母さんだ! 母さんを殺した時だ!」
いや、この悪魔は壊れているんじゃない。
「なぜ母さんを殺した事を覚えているんだろう? ……? ああ、そうか! 母さんも、殺して食ったんだった! ヒューッ、ヒューッ、ヒューッ、ヒューッ!」
狂っている。
この悪魔は狂っている。
ああ、どうか……!
「ねえ喜んでよアルダープ!」
どうか、早く私の精神が壊れて、すぐに何も感じられなくなります様に……!
「君が何度壊れても、僕の力で何度でも、記憶を捻じ曲げて、何時でも新鮮な絶望をあげるから! あげるから! 愛しているよアルダープ! ヒューッ、ヒューッ! ヒューッ、ヒューッ!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それは、ダクネスを拉致って来た次の日の朝の事。
俺は自分の屋敷の玄関口で。
「領主が失踪?」
朝一で屋敷に来たダクネスの言葉に、自分の耳を疑っていた。
あのダクネスダクネス言ってたおっさんが、なぜいきなりいなくなるのか。
と言うか……。
「……ん、そうだ。使用人達が探しても、姿が見当たらないそうだ」
そのダクネスの言葉に、俺は首を傾げていた。
……?
てっきり、朝になったら領主の私兵が家に来ると思っていたのだが。
「なぜか今日になって、突然あちこちで領主の不正や悪事の数々の証拠がこれでもかと湧いて出てな。領主は、それの発覚を押さえ込む事が出来なくなった為に夜逃げしたのではと言われているな」
なるほど。
ダクネスは、俺を見て。
「……だから、もうカズマが夜逃げをする必要はないからな。とりあえず、その荷物を置くといい」
俺はダクネスの言葉に、背負っていた荷物を降ろした。
俺の後ろに居ためぐみんとアクアも、それぞれ背負っていた荷物を降ろす。
色々なほとぼりが冷めるまで、どこか遠くで畑でも耕そうと言う事になっていたのだが。
「まあ、それなら良かったな。…………? どうしたんだよ、早く中に入れよダクネス」
俺は、玄関先で立ったまま、屋敷に入ろうとしないダクネスを促すが……。
ダクネスは、玄関先でじっと立ったまま、思い詰めた顔で動かない。
「どうしたんですか、ダクネス? 何かありましたか?」
めぐみんの言葉に、アクアがあっ! と声を上げた。
「そうか、めぐみんは最初から教会にいた訳じゃ無いから知らなかったのよね! 聞いて! ダクネスは、なんとカズマに買われちゃったのでした! カズマがダクネスの借金肩代わりしたんだけどね、ダクネスに、その分を身体で払えって……」
「……は?」
「おい、ちょっと話をしようぜ。おかしい、色々とおかしい。いや、言ってる事は間違ってはいないが色々おかしい」
めぐみんが俺をゴミでも見る様な目で見つめる中、ダクネスが首を振る。
「……いや、そうじゃない。カズマには、確かに衆目の中、身体で払えだの、ド変態クルセイダーだのと言われたが……」
おっと、めぐみんが魔法を唱えようとしてるんですが。
ダクネスが、突然頭を下げた。
「すまない。今回は自分勝手な事をして、皆に迷惑を掛けた。……本当に、自分でもバカな事をした。許して欲しい……」
それを見たアクアとめぐみんが、慌ててダクネスに駆け寄った。
「もういいじゃないですか、こうして無事に帰って来れたんですから。私は気にしてませんよ。カズマがちょろっと色々失いましたが、カズマは小金を得ると働かなくなる習性を持っています。これで良かったんですよ」
「そうそう、むしろ、今回の事が無かったら私だってダクネスの家に行かなかった訳だしね。そうでなかったら、ダクネスのお父さんの呪いにだって気付かなかっただろうし! アレよ! あの呪いはあの仮面悪魔が掛けたんじゃないかと疑ってるのよ私は! 私のくもりなきまなこで見た感じ、間違いないわね! お礼参りに行きましょう!」
ダクネスは二人の言葉を聞きながら、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「カズマには、本当に大きな借りが出来た。全てを投げ出して、金を作ってくれたと言っていたが……。カズマの金は……。領主に不当に取り上げられた、廃城の弁償金、そして、私の代わりに払ってくれた金。それらは全て、今すぐにでは無いが還付される。父が体調を回復次第、領主から没収した財産を計算し、それらの補填が行なわれるはずだ。だが……」
ダクネスが、顔を曇らせる。
「……だが、お前が売ってしまった知的財産だのは、もう戻っては来ない。せっかく鍛冶スキルを取ってまで得た、お前の仕事が……」
そんな事か。
「いいよ。それにジッポ作るのも飽きてきてたから、別に……。…………あれっ、ちょっと待ってくれ。金が返ってくるの?」
ハタと気付いた俺は真顔で聞き返す。
いや、待て待てちょっと待て。
「ああ、返ってくる。まず今回用立てて貰った二十億。それに、以前の廃城の件で言い掛かりを付けられて横取りされた、三億の報酬。そして、領主の屋敷で支払った八千万。計二十三億八千万か。……しかし、今になってよくよく考えてみれば、なぜあんな素直に領主の言い分を受け入れ、廃城にホイホイとあんな額を払ったのか……。それに、なぜこんなに急に、次々と領主の不正の証拠が出てきたのか……?」
ダクネスが、合点がいかぬとか言いながら首を傾げているが、それ所じゃない。
それ所じゃないって!
「二十……三億……八千万……」
なんてこった。
もう一生働かなくてもいい訳で……!
……あれっ?
ちょっと待てよ、一日が二十四時間で、あのサービスが三時間で五千エリス……。
あれ?
二十億もあったら、俺、このまま一生夢の世界で暮らす事も……?
そんな俺に、めぐみんとアクアがピタリと寄り添う。
「今日のカズマって、何だかアレよね。凄くアレだわ、男前よね」
「ですね、アレな感じで男前ですね、私は昔から思ってましたよ、カズマは男前だって」
「それしか褒め言葉が思い付かないなら無理に言わなくてもいいぞ。心配しなくても、独り占めしようなんて思ってないからな」
そんな俺達三人を見ながら、ダクネスがまだ玄関先から動かなかった。
「全く、もう良いって。お前は俺の廃城の時、コッソリ内緒で、弁償金の大半を領主に払ってくれただろ? 昨日は何勝手な事してんだって怒ったけどさ。そりゃ、やっぱちょっとは嬉しかったよ。で、今回はその借りを返した。そんで、その金が全部返ってくる。もうそれで、昨日は全部何も無かったって事で良いじゃないか」
ぶっちゃけ、返ってくる予定の金の、金額が金額だからみみっちい事はどうでもいい。
正直もうそんな事はどうでもいいので、今日から宿屋の一番良い部屋借りて、一週間ほど外泊したい。
だがダクネスは、俺の、何も無かった事に、という言葉を聞いて、その表情を曇らせた。
…………?
「それは……。私を買う、と言った言葉も無かった事に?」
ダクネスの言葉を聞いて、俺の両脇にピタリとくっついていためぐみんとアクアが、至近距離でジッと俺の顔を見つめ出した。
……や、やめてください。
「勿論無かった事に! あれだよ、昨日あった出来事は、もう全部忘れようぜ!」
ダクネスが、それを聞き尚更沈んだ表情を浮かべた。
……あれっ?
アレか。
ひょっとして、あなたの物になりたかったみたいな。
そんな、変わった愛の告白展開なのか。
俺のそんなドキドキを他所に。
ダクネスが、泣きそうな顔で俯いたまま。
「……その……。手紙の事だが……。私をパーティーから外して欲しい、と書いた、あの手紙だが……」
ああ、なるほど。
ダクネスの中ではパーティ抜けたつもりでいるのか。
で、昨日の件を無かった事にしたら、クルセイダーとして身体で払って貰うって言った件も、無かった事になるって訳で……。
なあんだ、期待した。
ったく、そんなの……。
「何言ってるんですか、ダクネスはウチの大事なクルセイダーなんですから。絶対に離しませんよ?」
「そうよ、今更何言っちゃってんの? ダクネスって、たまにバカなの? ダクネスの居場所なんて此処しかないでしょ? 何パーティー勝手に抜けようとしてんの?」
……くそう、先に言われた。
だがダクネスは、胸の前で手をもにょつかせ、オドオドとした不安そうな顔で、上目遣いに俺を見た。
俺の口から聞かないと、安心出来ないのだろう。
と、俺が口を開こうとしたその前に、ダクネスが先に言ってきた。
「そ、その! ……私は、固いだけが取り柄の、ロクに剣も当てられないクルセイダーだ……、です……。……その、もう一度……。もう一度、私を仲間にして……、もらえますか……?」
不安そうな、慣れない敬語を使ってきたダクネスに、俺は苦笑しながら言った。
「……当たり前だろ。……お帰り!」
その言葉にダクネスが。
歳相応の自然な顔で、柔らかい笑みを浮かべた。
「ねえ、カズマ。でも、本当はちょっと残念だったりしない? ダクネスに身体で払って貰うって言葉、あれってちょっとえろい意味も含まれてたでしょ?」
空気を読まない事にかけては他に並ぶ者が居ないアクアが、口元に手を当てながらニヤニヤと、突然そんな事を言い出した。
こいつ、なに言ってんの?
「そう言えば。公衆の面前で……。それって殆ど愛の告白みたいなもんじゃないですかね?」
めぐみんまでもが、そんな事を言ってにやけている。
こいつもなに言ってんの?
ちょっと最近調子に乗ってきやがったなコイツラ。
舐められないように、ここらで一つザックリくるキツイ事言ってへこましとくか?
と、ダクネスの様子がおかしくなった。
おどおどしながらも、恥ずかしそうにこちらを、チラッ、チラッと伺い、俺が何か言うのを待っている。
…………なんだろう、イラッと来た。
良く分からないけれど、イラッと来た。
俺はこういった、周囲に冷やかされたり煽られてだのと言った、こういうラブコメみたいな展開が嫌いなのだ。
なので、今はまだ言わないでおこうと思っていた事を、言ってやろうと思う。
「……なあアクア。ちょっと疑問に思ってたんだけどさ。ここの国の結婚って、入籍とかどうなってんの? 式の後から? それとも籍とかは無いのか?」
突然違う話を始めた俺に。
「なあに、いきなり? 殆ど日本と変わんないわよ。まあ、基本は挙式より先に、まずは書類で籍入れて。それから……。結婚……。……みたい……な……」
アクアは、俺の言いたい事に気が付いたらしい。
途端に顔を引きつらせためぐみんも、同じく気付いた様だ。
「……? ……どうした? 急に?」
世事に疎い、お嬢様なララティーナには良く分からなかったらしい。
めぐみんが、顔を引きつらせながら。
「さ、最近は、バツイチなんて珍しくはないですしね! ないですし、ええ!」
その言葉に、ダクネスもようやく気付いた様だ。
ハッとして顔を上げる。
「その……、これってどうなるのかしら? 式の最中にダクネスは攫われた訳だけど。次の日に相手が夜逃げって事は……。むしろ、ダクネスがあのおっちゃんに捨てられたって、世間は見るのかしら」
悪気はないアクアの言葉に、ダクネスがビクリと震えた。
そして、恐る恐る不安そうに、正面の俺の顔を見上げると……。
「まあ……籍ぐらい、なんて事は無いさ。気にするなよ……。…………バツネス」
ダクネスが、ワッと泣いて背を向け逃げた。
ダクネスが、実家に泣いて帰ったまま出てきません。
謝ろうとしても引き篭もったまま出てきません。
現在、また俺一人による侵入作戦を計画中です。
後で調べたら、式を急いだおかげか、入籍手続きはまだでした。
三部終了です。
シリアスは疲れます……。
次回からは平常運転。
マクスウェルの悪魔はもう出てきません。
記憶がないのは伏線でもなく、マクスウェルの悪魔の殺し方に乗っ取っているだけです。
何かある様な感じですが、全く無いです。
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