3ガガヘッズのみなさんは、2012年9月に旅が終わり、帰国しました。
9月28日(金)
コートジボアールからベナン共和国に移動、今回の旅、6カ国目にして最後の国です。ベナン
では、日本のテレビでも有名な、ゾマホン在日ベナン大使の紹介で、たけし日本語学校で、ライブをやらせていただきました。開演時間前に、つぎつぎ集まる生徒の皆さん。自己紹介を、おぼえたての日本語で、ていねいにしてくれます。40人ぐらいでしょうか、学校の近くに住んでいる子どもたちも招待して、ライブをやりました。さすがに、日本に興味のある人たちばかりなので、始まる前から盛り上がり、ライブ中も終始、歓声と拍手をしてくれ、終わった後も 、一人づつ写真を撮って、握手して、とても楽しい時間を過ごしました。
今回の僕たちの旅は、このベナンで最後です。21日には、ベナンを発ち、トーゴ、コートジボアール、南アフリカ、シンガポールとトランジットをして、日本に帰ります。日本に着くのは、23日の夕方。帰りは、飛行機でもまる2日と言う、何とも移動に時間をかけた旅でした。
約一ヶ月半の、長いようで短い、短いようで長い、アフリカの旅でしたが、いろいろな物を見て、聞いて、体験し、経験させてもらいました。アフリカ、ありがとう!
9月20日(木)
ケニア、ナイロビを後にして、一気に西に飛びコートジボワールへ。この1ヶ月半の間にアフリカ大陸を、南、東、西と飛び回っている僕たち。今回の旅の行程を、行く先々で話すと、この短期間でそれだけの国を回る人は、さすがにいないらしく、みんなビックリします。僕らは、僕らで、アフリカ大陸の広さにビックリしています。そして、コートジボワールで、悩まされたのが言葉の壁です。南、東、とも片言の英語と、片言の現地語を覚えて、何とかやってきたのですが、ここコートジボワールでは、フランス語が公用語。英語もスワヒリ語もまったくと言っていいほど通じません。去年、1ヶ月間フランスに滞在したのですが、フランスでは、僕たちが日本人だとわかると、ほとんどの人が気を使って英語で話してくれました。そのせいか、耳慣れないフランス語に悪戦苦闘です。物を買うにも、道を聞くにも、ほとんど会話が成立しません。またここで、アフリカ大陸の広さと、それぞれの国の文化、歴史の違い、同じアフリカでも、ここまで違うのかと痛感させられました。
9月12日(水)
マラウイからバスで移動、タンザニアをほぼ縦断する形で、ケニアに入りました。バス移動は、行きと同じぐらい大変でしたが、途中タンザニアとケニアの国境に近いアルーシャと言う町で、路上パフォーマンスをやり、学校の先生を育てる学校でも、パフォーマンスをやらせてもらいました。そして、ケニア。今回の旅で4カ国目です。ケニアで最初に行ったのは、ティカと言う、ナイロビから北東に45キロ離れた中都市です。そこにある、ストリート・チルドレンなどを保護する施設、「モヨ・チルドレンセンター」で、ケニアで最初のパフォーマンスをやらせていただきました。モヨ・チルドレンセンターは、日本人の松下照美さんという方が運営しており、20人ほどの子どもが生活しています。まずは、お互いに自己紹介をして、少しなごんだ後、玄関の階段を客席に利用してのライブ。子どもたちは元気いっぱいで、「ジャンボ」と言うと、「ポア」と大きな声で返してくれます。作品に入ると、目を皿のようにして、食い入るように見てくれます。作品一つ一つが終わるたびに、大きな拍手をしてくれ、時には驚き、時には笑い、20分という短い時間でしたが、みんな楽しんでくれたようでした。終わった後に、日本から持って行ったちょんまげのカツラをかぶっての記念撮影。訳もわからず、ちょんまげをかぶっている子どもたちの笑顔、その日一日は、終始笑顔が絶えない、とても素敵な一日でした。
9月5日(水)
タンザニアのダルエルサラームから、マラウイのリロングウェイに飛行機ではなく、陸路で移動です。直行便のバスチケットを事前に手に入れて、30時間の旅!っと聞いていたのですが、当日の朝6時30分に、バスターミナルに行くと、「トラブルで、今日はそのバスが出ないから、また明日来い」と言われました。「それでは困る!」っと食い下がると、別のバスの人が、そばに寄ってきて、こう言いました。「こっちのバスで国境まで乗って行って、国境を越えたら、むこうにバスが待っているから、それに乗って行けばいいよ。このチケットで、最後まで行ける
から、心配するな。ハクナマタタ!」(ハクナマタタはスワヒリ語で、心配要らないよという意味だそうです。)これは、わたりに舟だと思い、早速そのバスに乗りました。バスはボロボロの大型バス、どう見ても中古なのに、運転手は、新車で乗り心地は最高だと言います。出発予定時間を2時間遅れて、そのバスは出発しました。国境まで一っ走りと思いきや、途中何度も止まって、人を乗せたりおろしたり、随分時間がかかります。夜8時ぐらいに、やっと国境の近くまで来たのですが、その手前で、降りろと言われました。どうやらバスは、違う道に行くので、ここからは、タクシーで国境まで行けと言うのです。話が違うと思ったのですが、時すでに遅し。結局そこにいたタクシーをつかまえ国境へ向かったのですが、国境はすでに閉まっていたので、仕方なく国境の近くの宿で一泊しました。次の日の朝8時30分に起き、国境を越えたのですが、そこにバスは待っている事もなく、またタクシーに乗り、途中のムズズという町でバスに乗りかえ、リロングウェイに行きました。タクシーはもちろん相乗り、ライトバンタイプに15人ぐらい乗せては降ろしの連続だし、バスは満員に、もちろん通路まで立ち乗りでパンパン になるまで、出発しないありさま。結局、リロングウェイに着いたのは、その日の深夜0時ですから、僕たちは、隣の国の首都に行くのに、まる2日およそ42時間の激疲れの移動でございました。
8月29日(水)
25日に、南アフリカからタンザニアに移動してきて、最初のライブをしました。HIVの患者さんを支援する施設に行って、そこに集まる20人ぐらいの地元の方に、パフォーマンスを見てもらいました。タンザニア初という事と、見ていただくのがすべて地元の人ばかりという、僕たちにとっては、すべて未経験のライブとなりました。始まりは、「この人たちは何をするんだろう?」という、かまえた雰囲気でしたが、ネタを進めていくうちに笑顔がこぼれ、拍手の数も増えていきました。最後に感想を聞くと、「おもしろいです、でもそれより、学ぶ事がたくさんありました。」と、何人もの方に言われ、ばかばかしい僕たちのネタで、タンザニアの人は、いったい何を学ぶのだろう?と思いました。
8月22日(水)
ヨハネスブルグでも危険だと言われている駅、パークステーションから、バスに乗って18時間の移動、向かうのはケープタウンです。バスは意外にもしっかりとしていて、トイレもテレビもついています。リクライニングも壊れてなく、ゆったりめに乗れ、まめにゴミも回収に来るし、コーラなどの飲み物も買える充実っぷり。それで、一人390ランド、日本円でおよそ3900円、う〜んこれは安い。途中休憩を何度か取りながら、無事ケープタウンに到着。ケープタウンは、テーブルマウンテンのふもとに広がる港町、観光客も多く比較的安全です。街なかで見つけた、地元の人がよく入っているカレー屋さんに行ってみました。チキンカレー、サラダ付き35ランド、350円。山盛りのご飯で、お腹いっぱいになってしまいました。
8月12日(日)
今日は、ヨハネスブルグ市内にある、マーケット・シアターという劇場に、芝居を見に行ってみた。来る前に、とにかく言われたのは、「市内は大変危険だから歩かないでください」と、「危険ですから、夜は出歩かないでください」しかし僕たちは、すでに初日の夜、夕飯を食べに2キロ先にあるレストランまで歩いた。そして今日、芝居を見るには、市内を歩かざるを得ない。緊張しながら、3人で固まって、周りに注意しながらも、無事劇場に到着。確かに市内は、地元の人ばかりで、旅行で来ているような人は、ほとんど見なかった。
8月10日(金)
朝11時00分、日本の成田を出発です。最初に入る国は南アフリカ。トランジットを含め27時間、なんでてお思いでしょうが、僕たちの旅は、なるべくお金を切りつめる貧乏旅行です。なので、格安チケットで行くと、どうしてもこのようなスケジュールになってしまいます。さて、南アフリカのヨハネスブルグに着いたのは、11日の朝7時(時差がありますので)早速、初日に泊まるホテルに直行です。ここで一つの壁に当たります。ホテルまで行くタクシーです。空港を出て、すぐに声をかけて来るほとんどが、メーターの付いてないタクシーの運転手、無視するのもありですが、メーターのタクシーが、あまり走っていないヨハネスブルグでは、いかに安くそのタクシーに乗るかが勝負、そこからは交渉です。とにかく安く行きたいのですが、向こうもサルもの、なかなかどうして安なりません、交渉する事1時間、やっとむこうも根負けして、言い値の60%で乗せてもらえました。大のおとなが3人で、でかめのトランク2個と、でかめのリュック3つ持っているのですから、タクシーの運転手も相当いやな客だったでしょう。でも、そんな所で、引け目を感じたり、弱気になったりしてはいけません。僕たちの持論ですが、とにかく根気よく、そして強気に交渉すれば、必ず安くなります。決して、あきらめてはいけないのです。