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朝日新聞東京本社 特別報道部 記者 板橋 洋佳さん

2013年03月12日

プロフィール

朝日新聞東京本社 特別報道部 記者 板橋 洋佳さん

朝日新聞東京本社 特別報道部 記者 板橋 洋佳さん

1976年栃木県生まれ。
1999年に法学部政治学科を卒業し、栃木県の下野新聞社に入社。栃木市議による選挙ポスターの水増し請求を暴く報道などで活躍。2007年に朝日新聞に転職し、神戸総局を経て大阪本社社会部に異動。2010年、郵便不正事件に伴う大阪地検による証拠改ざんをスクープ。この報道により同年度の新聞協会賞を受賞する。2011年東京本社社会部に移り、2012年より現職。調査報道を専門に行う部署で、丹念な調査や取材活動を続けている。

自律的に学ぶことで新聞記者への夢を叶え事実をひたむきに追求する

2010年秋、大阪地検特捜部の検事によるフロッピーディスク(FD)改ざんが発覚。検事の犯罪として世間に大きな衝撃を与えました。 その事件をスクープしたのが、板橋洋佳さんです。知らされるべき事実、語られるべき言葉を、常に追い続ける記者として活躍しています。

隠された事実の大きさに愕然

検事による押収証拠の改ざんを伝えるスクープが朝日新聞に掲載された翌日には、改ざんを行った主任検事が逮捕されるという急展開をみせた

検事による押収証拠の改ざんを伝えるスクープが朝日新聞に掲載された翌日には、改ざんを行った主任検事が逮捕されるという急展開をみせた

私は当時大阪地検担当でしたから、郵便不正事件(※)には捜査段階から関わっていました。それまでの証言や押収証拠などから、検察は村木さんの有罪を確実視していたのですが、裁判が始まると、村木さんの指示だったと供述していた部下や関係者が、次々と自らの供述をひるがえす証言を始めたのです。その時の違和感が、取材を始める端緒でした。

しかし、有罪の立証を進めている検察への取材は簡単ではありません。何度も拒絶されながら後輩の野上英文記者と2人で取材を続けた結果、ついにある検察関係者から、FDのデータを書き換えたらしいという衝撃的な証言を聞き出すことができました。そこで、弁護士を説得して入手したFDをデータ解析し、改ざんの物的証拠をつかんだのです。

記事は2010年9月21日付朝日新聞朝刊の一面に掲載されましたが、正直ホッとしたのを覚えています。法と証拠に基づいて犯罪を調べるはずの検事が捜査に有利になるように証拠を改ざんしたという衝撃の秘密情報をつかんだこと、そしてそれを明らかにできるのは検察担当の自分たちしかいないという重責から、やっと解放された気がしたのです。

同時に、強いメディア不信も改めて認識しました。FDを借りる際、弁護士からこう言われました。「検察担当記者に検察批判の記事が書けるのか。検察に立ち向かったら逮捕されるかもしれない。いいのか」と、権力との癒着を疑われたわけです。結局、私なりの覚悟を伝え、FDを借りることができました。

隠された事実は、証拠改ざん以外にも、世の中にたくさんあります。愚直にひたむきに、埋もれた事実を掘り起こしていきたいと思っています。

17歳を「新聞記者ゼロ年」に

高校2年生の時、父親をがんで亡くし、「人は死ぬと話ができない」という当たり前のことに改めて気づきました。母のどこを愛していたのか、私や妹が生まれた時どんな思いだったのか、会社を経営するやりがいと孤独はどうだったのか、聞きたいことがたくさんあるのに、もう永遠に対話できないのだと……。

ちょうどそのころ、中学の恩師に紹介され、朝日新聞記者だった本多勝一氏の『殺される側の論理』や『殺す側の論理』などの文庫本を読んでいました。父の死の体験も相まって、〝される側〞から取材をする新聞記者の職業に魅力を感じるようになっていきました。さらに本多氏の著書には、記者という職業は新聞社に入らなくても始められる、問われるのは仕事の内容だ、とも書いてあります。そこで私は、記者職を志した17歳を「記者ゼロ年」にしようと決意したのです。

法政大学を選んだのは、自由な校風で、多くの学部のさまざまなタイプの学生と出会える機会が多いと思ったからです。当時、法政大学の法学部で保護者を失った高校生に対する学費免除学生の入学試験があったことも理由の一つです。政治学科を選んだのは、人を動かす力としての政治を学んでみたいと思ったからでした。

自律的に過ごした学生時代

社会的な反響も大きく、大阪地検による証拠改ざん事件の報道や事件を記した書籍も刊行された

社会的な反響も大きく、大阪地検による証拠改ざん事件の報道や事件を記した書籍も刊行された

大学入学に当たって2つのテーマを掲げました。一つはプロに会うこと、もう一つは疑似体験をすることです。

プロに会うとは、学内に限らず、ものづくりや創作活動をしている人のそばでその生きざまを観察するという意味です。私は演劇実験室「万有引力」の演劇に感動し、劇団に押しかけて、役者ではなくスタッフとして手伝わせてもらうことにしました。大学を卒業しても交流があります が、ここでは魂を込めて作品を完成させるというプロの情熱を体感できました。

疑似体験では、新聞学会という大学新聞を作るサークルに所属し、企画から編集、取材、執筆などをこなしました。範囲こそ学内に限られましたが、読者に有益な情報を提供して選択肢を与えるという、新聞作りのフレームを体験したつもりです。

ゼミでのディスカッションも印象に残っています。特に河野康子法学部教授のゼミでは、先生との論理的な対決を勝手に自分に課していました。振り返ると、資料を分析して考えをまとめるという記者職にも通じる基礎の一つを河野ゼミで培うことができました。劇団活動で忙しい私を、おおらかに受け止め、ときに厳しいアドバイスをくださった先生の包容力に感謝しています。

私の体験から後輩の皆さんにアドバイスするなら、私にとっての劇団の演出家や河野先生のような「マスター」を大学時代に見つけるのはどうでしょうか。何でも話せる「友人」は大学で見つかるかもしれませんが、畏敬の念をもって接する「マスター」には自ら動かないと出会えないものです。 つまり、他律でなく自律。そんな姿勢で生きられるよう、私は今も自分に言い聞かせています。