「しまむら」の従業員に土下座させ、ツイッターで話題だった女が強要容疑で逮捕された。
かつては身分が上の人に対して粛々とおこわれていた土下座が、今のような謝罪の意味を持ち始めたのは戦後からだという。
(NHKで「土下座」を特集したスタッフが歴史を調べたらそうだったと言っていた)
考えてみれば近年の「謝罪会見」「炎上」「クレーム」なども土下座に連なる土壌にある。
これはいったい何を意味するのだろう。
実感で言うが、皆「自分は何がしかの人間である」ことを確認したいのだ。
今、SNSを利用すれば同一空間でフラット。誰もが直接批判や罵声を浴びせることだってできる。しかし平等な空間であればあるほど「自分の価値」も確認したい。差違や優位性を獲得したい。
本来なら、自分の本分でそれを獲得すればよいのだが、今はそんな面倒なことをしなくても「消費者」「顧客」「視聴者」を名乗れば無条件で大事にされる。先方はペコペコしてくれる。私のようなものにでさえ!
前々回のこのコラムで私はTBSドラマ「半沢直樹」人気の推理として、
「ツッコミ目線でテレビを楽しむ今、なんならツイッターをやりながら視聴している今、主人公が『完璧な善人』だと浮世離れしている。半沢直樹みたいに『少々意地が悪くてツッコミがスペシャルな奴』のほうがリアル」と書いた。
「徹底的にツッコんだ、追い込んだ」ことが大ウケしたのだ、この意地悪な時代に。
あれだけ多くの人が録画ではなくなぜオンタイムでわざわざ「半沢直樹」を視聴したのか。
一種のイベントだったのかもしれない。それはスポーツのような明るく爽やかなイベントではなく「公開処刑」に近い、暗い衝動を刺激する覗き見行為だったのではないか?
ツッコミ社会の今こそ土下座は最大の恥辱。だから芸能人や企業の謝罪会見はガス抜きとして逆利用されてセレモニーになってゆく。
さらに政治家は簡単に土下座する。あの人たちの土下座はまったく意味合いが違う。「消費者」ならぬ「有権者」に喜んでもらえるなら朝飯前。
何かに似てるなと思ったら、お約束のギャグを披露する営業ステージと同じ空気なのだ。
それでも「スベる」政治家は結構いるが。
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