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【スポーツ】

河西昌枝さん しのぶ会に500人 東洋の魔女主将にお別れ

2013年12月10日 紙面から

中村昌枝さんをしのぶ会で、祭壇に飾られた遺影と金メダル=東京都内のホテルで

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 1964年東京五輪の女子バレーボールで金メダルを獲得した日本代表主将で、10月3日に脳出血のため死去した中村(旧姓河西)昌枝さんをしのぶ会が9日、東京都内のホテルで開かれ、「東洋の魔女」と称された当時のチームメートをはじめ、小泉純一郎元首相ら約500人が出席。80歳で亡くなるまでバレーボールの発展に尽力した中村さんをしのんだ。

◆「東洋の魔女」集結

 49年の時を超えて一堂に会した「東洋の魔女」たちが、金メダルを手にほほ笑む中村さんの遺影を前にその死を悼み、ねぎらいの花を手向けた。

 当時のメンバーのうち8人が集った式典では、東京五輪決勝・ソ連(現ロシア)戦でサウスポーから最後のサーブを放った寺山(旧姓宮本)恵美子さん(76)が最初にスピーチ。「2020年五輪が東京に決まったとき、河西(中村)さんは『もう一度聖火ランナーをして、開会式を見て、バレーボールを応援に行くのよ』と言っていませんでしたか」と祭壇に呼び掛けた。現役当時は寺山さんがアタッカーで、中村さんがセッター。「大松監督が河西さんに私へトスを上げろと言うのに、『打てない人には上げられない』と言われたことがある。『何くそ』という気持ちを持たせてくれたのが河西さんだった」と半世紀前の秘話も明かした。

 井戸川(旧姓谷田)絹子さん(74)も大松監督を交えた逸話を披露。「大松先生は息抜きができたが、河西さんは息抜きのできない助監督のようだった。今思えば、母であり、お姉さんでもあった」と振り返った。

 遺族代表であいさつした長男の中村元昭さんは「夏に腰を骨折していたので、聖火ランナーは無理でも、最終点火者を務めたいと言っていた」と、7年後へ意気盛んだった中村さんの素顔を明かした。 (武藤康弘)

 

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