☆花恋のココロ模様☆

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震災前の私は、夫と死別して、10年たっぷりかかって、やっと前向きになれたときでした。



夫がいたときは自分の物は1番後で、子供たちの物、夫の物を買っていた。何故か一生懸命働いている夫に、自分の物を買うことに申し訳ない気持ちがあったから。



ある日夫から、「ママ、その服は結婚前から着ている服でしょ?ママが遣り繰りして余ったお金はママが何に使っても良いんだよ。子供たちに贅沢な服とか汚すのに要らないけど、ママはオシャレに使って良いんだからね。俺はママの笑った顔が見たいから、仕事も頑張ってるんだから。」
そんな風に言ってもらえとても嬉しかった。
普段は何も言わない人だから、私の着ている服まで覚えていたなんて。
夫とはたった5年の結婚生活だったから、優しい記憶しかありません。
今もいたなら私は絶対幸せだったと思います。





夫が亡くなってから私の時間は止まったままでした。いつも心の糸をピンと張り詰めた緊張感でいっぱいで、とても疲れていました。
4人の子供を守るため、私は無理をしていました。だから何か心の張り詰めた糸が切れると、いつも死んで楽になりたいと思いました。



夫の親兄弟からは冷たい仕打ちをされ、私から縁を切りました。
そのことも、私を苦しめている大きな原因です。


10年たった頃、中学の同級会がありました。
とても楽しくて、『生きていればこんなに楽しい気持ちになれるんだ!』と、私が初めて前向きな気持ちになれるきっかけでした。
それからは東方神起のファンになり、ファンクラブに入り、韓国までファンミーティングやライブに行くようになりました。夫がいなくなり、節約とかどうでもよくなり、寂しさを紛らわせるために、欲しいものは買うことにしました。
1番初めに私が買ったのは黒のファー付きのコートで10万円しました。Aラインで、とても上品で、津波から生還して、今も大切に着ています。夫がいればそんなコートは買わなかったと思いますが、寂しい気持ちや、惨めな気持ちを軽くするのに、物欲は私に必要なことでした。





でも震災後に避難所生活を5ヶ月間もしているうちに、夫の親兄弟を憎む気持ちも軽くなり、そういう意味では、少し楽になったようです。
避難所生活は小学校の体育館で、堅い床の上に薄い敷物をしいているだけ、プライバシーも全くない所で、言葉では言い表せないくらい過酷なものでした。









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