3話
……あまり遠くない場所に我が友人の強い魔力を感じる事から、今いる所が慣れ親しんだアクセルの街だと分かる。
そこは、まだ家具も無い小さな部屋。
そして、恐らくはまだ最近建てたばかりの新築の家なのだろう。
新築の家ならではの独特の香りがする。
そんな場所で、我輩は。
「………………」
鼻先十センチほどの超至近距離にて、四つん這いの体勢の幼女に顔を寄せられマジマジと見られていた。
気がつけば我輩は、あぐらをかいた状態で部屋の中央に座っている。
つい先ほど店の品出しを終え、この仮の肉体を休ませようかと一息ついていた所だったのだが。
自らの周囲には謎の紋様。
どう考えても子供の落書きにしか見えないそれは、もしかしなくても悪魔召喚の為の魔法陣らしかった。
つまり状況から考えるに、我輩はこの幼女に召喚されたらしい。
大悪魔たるこの我輩が。
地獄においても公爵級の位を持つこの我輩が。
以前は魔王軍の八大幹部の一人としてその名を連ねていた我輩がである。
悪魔召喚には二種類の方法がある。
一つは、術者が指定した悪魔を喚び出す召喚。
これは、その悪魔の事を記した書物を読むなどして詳しくその悪魔の事を知り、そして呼び出す。
メリットは、自分の実力に合った悪魔かどうかを吟味して喚び出せる事。
通常、術者の力量以上の悪魔を喚べば、喚び出した悪魔に殺されてしまう。
なので、喚び出す悪魔を指定出来るのは大きな利点と言えるだろう。
デメリットとしては、まずその悪魔が記されている書物なり何なりを手に入れなければいけない事。
そして、相手を指名して喚び出すと、召喚の際に捧げる代価に指名料という物が加算され、非常に高い代価を要求される事。
とりあえず、この二つがあげられる。
そしてもう一つの召喚方法。
それは、喚び出す悪魔を指定しない、ランダム召喚という物だ。
その名の通り地獄に住む悪魔を適当に喚び出してしまう方法であり、術者にとっても何が飛び出してくるか分からない危険な召喚方法である。
メリットは、全く知らない悪魔だろうがどんな大物の悪魔だろうが、召喚者が全くのド素人でも召喚が行える事。
そして、デメリットは危険な事。
大概の場合は最も数の多い下級の悪魔が喚び出される事となるが、稀に最高位の大悪魔がうっかり喚び出されてしまう事がある。
過去にこの街でも、とある素人がうっかり大悪魔を喚び、その力を行使して領主にまでのし上がってしまった事がある。
…………そう。
「わが名はこめっこ。わが召喚に応じたあくまよ。われと契約を交わすがよい」
こんな具合に。
きっとこの子は何も分からずにランダム召喚の方を行ったのだろう。
目の前の幼女は、実に興味津々といった感じで我輩の仮面をジッと見ていた。
……さてどうしたものか。
悪魔は本来、喚び出した召喚者の命令に従うか、召喚者を殺して地獄に帰るか。
喚び出された場合は、この二つの内のどちらかを選ばねばならない。
当然の事ながら、このこめっこと言う名の幼女は我輩を使役する力など無い。
…………こめっこ。
この独特の変わった名前と、そして目の前の幼女の紅い瞳。
身に着けているのは黒のワンピース。
確か、あのネタ種族は皆、黒を好むと聞いた事がある。
……そう、この幼女は紅魔族だ。
魔法に秀でた紅魔族。
だからこそ、悪魔の召喚儀式なんてものを知っていたのだろう。
と言うか、まだこんな子供に教えるべき物ではない。
親の顔が見てみたい所だ。
「……召喚主よ。ハッキリ言おう。子供の汝には良く分からぬかも知れんが、汝の力では我輩を使役は出来ぬ。よって、悪魔の決まりによって我輩は汝を殺さねばならん」
こめっこに重々しく告げるが、こめっこはよく分からないといった感じで小首を傾げた。
…………なんとやりにくい。
我輩は本来、いつか極上に美味なる悪感情を生むかもしれない人間は、一人として殺したくはないのだ。
しかし、召喚されてしまった以上、殺すか使役されるかの二つしか選択肢は無い。
使役されるとなれば、実行可能な命令は絶対となる。
と、こめっこがジッとこちらを見つめてくる。
そして……。
「お姉ちゃんが、悪い男にたぶらかされているんです」
そんな事を言ってきた。
……いや、我輩にそんな事を言われても。
と、こめっこが、一口かじった跡のある焼き鳥串を一本、皿に乗せて差し出してきた。
…………なんのつもりだろうか。
「いけにえです」
……困った。本当にどうしようか。
悪魔の中には、殺したばかりの鶏の生き血を好む者がいる。
きっと、それを勘違いかなにかして、こんな行動を取っているのだろうが。
召喚の際には生け贄を必要とする悪魔もいるにはいる。
だが、これはそもそも生け贄と言うより捧げ物であるし、そもそも焼き鳥だし、何よりかじってある。
困った。
本当に、どうしようもなく困った。
と言うか、悪魔に捧げる生け贄を、かじってそのまま差し出すと言うその度胸はなかなか大したものである。
案外この幼女、将来は大物になるのやも知れぬ。
この幼女の未来を見通してみたい所だが、一応現在は召喚主である。
悪魔は、召喚主の許可無くしては、その召喚主に対して力の行使が出来ない。
能力の行使が出来ないだけで、ひねり殺す事は出来るのだが…………。
しかし、本当にどうしたものか。
困った末に、我輩は一つの妥協案を見出した。
ずっと使役される訳にもいかぬ。
だが一日限定という契約を結び、それでちゃんと契約は施行されたとするのはどうだろうか。
契約をするからには我輩への報酬が必要となるのだが。
代価は、かじりかけの焼き鳥……。
地獄の公爵である我輩が、子供の食いかけの焼き鳥一本で使い魔となるのか……。
我輩は、ため息を吐きながら。
「……しょうがない。よいか召喚主よ。本来は汝の力では我輩の使役は出来ぬ。なので、我輩が帰るには汝を殺さなくてはいかぬ。だが、出来ればそれはしたくない」
相変わらずの至近距離からジッと仮面を見続けているこめっこに、ちゃんと理解が出来るだろうかと、少々不安に思いながらも説明した。
「……そこで、こうしようではないか。一日だけ、汝の使い魔として仕えてやろう。一日だけだ。すると、汝は我輩が出来る事ならばどんな命令でも下す事が出来るようになる。だが、前もって言っておく。悪い男に姉をたぶらかされているとの事だが、我輩に人殺しや暴力行為は命じない事。契約が交わされると、汝の命令に逆らえなくなってしまう。なので、我輩にそういった事を命じないと約束出来るなら、契約を交わしてやろう。…………どうだ?」
その言葉を、ちゃんと理解したのかしないのか。
こめっこはコクコクと頷くと、自分の前にあったかじりかけの焼き鳥串の皿をズイと前に出した。
…………。
我輩は再びため息を吐きながら、契約の代価の証である、そのかじりかけの焼き鳥を手に取ると……。
「……………………」
こめっこが、その焼き鳥串を物欲しそうにジッと見ていた。
凄く至近距離で。
やがて、こめっこがゴクリとつばを飲み込む音がする。
………………。
我輩は、契約を交わす為の形上の代価として一口だけそれをかじると。
「……食うか?」
こめっこへ、その焼き鳥串の残りを差し出した。
満足そうに焼き鳥を頬張り終えた一日主に、我輩は改めて名乗る。
「さて、一日主よ、名乗ろうか。我輩は公爵級悪魔バニル。別名を、見通す悪魔バニルと言う。さあ、主の望みを言うがいい。それが我が力により叶うものであれば、契約に従いそれを叶えてしんぜよう」
主が言った。
「世界征服」
こやつは大物なのかも知れない。
我輩は迷う事無くそんな願いを言ってきた主に諭すように。
「……流石に我輩の力を持っても、一日で世界征服は無理である。……と言うか主よ、目的を見失ってはいけない。確か、主の姉が悪い男にたぶらかされているのだろう?」
「そうでした」
簡単に納得してくれた主に内心ホッとしながらも主の次の言葉を少し冷や冷やしながら待つ。
何せ、実行可能な事であれば契約は絶対である。
「じゃあ、お姉ちゃんをたぶらかす悪い男を懲らしめてください」
そんなあやふやな事を言われても。
姉をたぶらかしているのが悪い男なのかどうかも分からない状況ではどうにも出来ない。
使役されている最中の悪魔というものは不自由なもので、契約者に命令されなければ悪魔の特殊能力の行使すら許されない。
悪魔への命令は具体的な物でなくてはいけないのだ。
「主よ、悪魔への命令と言うのは厄介でな。もっとこう、具体的に命令しなければならぬ。例えば、主の姉をたぶらかそうとする者は一人では無いかも知れぬし、そんな場合にはどうすればよいのか。色々と細かい決まりがあるのだ。……その、姉をたぶらかす男とやらの名前は知らないのか?」
我輩は、幼い子供に噛んで含ませるが如くゆっくりと説明する。
主は一言。
「忘れちゃった」
主はバカではなく、大物であると願いたい。
我輩は、主と共に街へと繰り出していた。
主が、天気が良いので散歩がしたいと言い出したのだ。
なぜ悪魔が子供を連れて晴れた日の下を散歩などしなくてはいけないのか分からないが、主の命令は絶対である。
逆に言えば、使い魔となっている以上は主の命令無しに勝手な事はしてはいけない。
しかし、新鮮だ。
実に新鮮である。
我輩が人間とこうして契約を交わしたのは一体何百年ぶりだろうか。
とりあえず、今の所主は、姉をたぶらかす悪い男とやらの事は忘れている様だ。
厄介事にならないで済むならそれに越した事はない。
聞けば、主の姉も、その姉をたぶらかす男とやらも、この街の住人らしい。
一体どこの誰かは知らないが、我輩は少々有名である。
店の評判を落とさぬ為にも、あまり揉めない方が良いに決まっている。
このまま忘れたまま契約期間である一日が終わってくれればそれが一番いいのだが。
「バニル! あれ見て、あれ! 大道芸をやってるよ!」
主の声にそちらを見れば、一人の男が帽子を使った基本的な手品を見せていた。
帽子の中から様々な物を取り出していくアレである。
しばらくはワクワクして見ていた主は、やがて満足したのか、
「帽子から色々出てきたよ、すごいね! でも私、もっとすごいの見た事あるよ! その芸人のお姉ちゃんはね、小さい箱の中から、箱より大きいネロイドを出したんだよ!」
そんな事を興奮した様に言ってきた。
……箱よりも大きいネロイドを出す。
物理的に不可能である。
ネロイドとは、シャワシャワしたりする謎の多い生物なのだが。
流石に謎の生物とは言え、物理法則をねじ曲げるのは不可能だと思う。
まあ、子供の言う事である。
大方、ちょっとした手品を見せられて大げさに言っているのだろう。
「あっ! 焼き芋!」
大道芸を見ていた主が、焼き芋の屋台を目ざとく見つけた。
何と言うか、すぐに色々な物に目移りするのは流石子供である。
物欲しそうな顔で焼き芋をジッと見ているが、親はちゃんと飯を与えているのだろうか。
いや、先ほど焼き鳥を食っていたな。
となると、この食欲旺盛さは生来の物か、生まれがよほど貧しかったか。
そんな主は、金など持っているのだろうか。
と、主が我輩を見上げて聞いてくる。
「……命令しちゃいけないのは、人を殺したり、人に暴力を振るったりがダメなんだよね?」
そんな事を、純粋そうな紅い瞳で真っ直ぐにこちらを見ながら。
それに我輩がコクリと頷くと、
「あの焼き芋屋さんの屋台を襲げき」
「よし、焼き芋ぐらい我輩が買ってしんぜよう!」
何かを言い掛けた主を遮り、我輩は焼き芋を買いに走った。
実に幸せそうに焼き芋を頬張る主を見ながら、この幼女は今にとんでも無い事を命じて来ないかと心配になる。
そんな主は我輩の視線に気が付いたのか、ジッとこちらを見てきた。
と言うか、主にとっては我輩の仮面がよほど気になるのか、暇があると常に仮面を見てくる。
子供の本能的に、この仮面が我輩の本体だと見抜いているのだろうか。
そんな事は無いと思いたいが。
主はしばらく我輩を見た後、自分が持っていた焼き芋をジッと見る。
……と、何を思ったのか、主は手にしていた焼き芋を二つに割った。
そしてそれを見比べて、しばらく我輩の顔と焼き芋の片割れを交互に見比べ。
「…………はい。あげる……」
自分の手にしていた焼き芋の、大きい方の片割れを我輩に差し出した。
…………焼き芋の片割れの、どちらを渡そうかと悩んでいたのか。
「我輩は悪魔であるので、別に食べ物は必要とはしない。それは、主が全部食べるがいい」
その言葉に、主は満面の笑みを浮かべて両手に持った焼き芋を頬張り出した。
と、主が両手に焼き芋を握りながらも、器用に二本の指でワンピースのポケットから一枚の紙切れを取り出し、我輩に見せてくる。
「これは、敵の極秘情報だよ。バニルにだけ見せてあげる」
そう言って、我輩に紙を渡した主は再び焼き芋に食いつき出した。
我輩は手渡された紙に目を落とす。
それは……。
「……拙い筆跡で、ロクでもない事がたくさん書かれているが。……街の人の声アンケート……? もしや、これは主の姉をたぶらかしていると言う男についての情報か何かか?」
我輩のその言葉に、主が芋を頬張ったままコクコクと。
それを見て、改めて紙に目を通した。
ミミズののたくった様な字で書かれた、それは…………。
『初対面で下着剥がれて、その下着を返してもらう代わりに有り金全部巻き上げられました。(盗賊のお姉ちゃん)』
『神に選ばれた勇者であるこの僕から魔剣を取り上げ、魔剣を返して欲しいなら有り金置いてパンツ一枚で土下座しろと言った男だよ。(ちょっとウザいソードマスターのお兄ちゃん)』
『魔法で水掛けられたりだとかは序の口で、敵を集める囮にされ、敵ごと魔法で吹き飛ばされた事が二度ほどあった。公衆の面前で罵られたりだとかはしょっちゅうで、夜這い……ではなく、子供にはとても言えない事を……。ああ……っ、思い出したら火照ってきた……っ。(クルセイダーのお姉ちゃん)』
『鬼畜ね! あの男は鬼畜だわ! 私なんてね、湖を浄化するって時にこの方が安全だからって言われて、檻に閉じ込められて檻ごと湖に放り込まれたわ。他にも数え上げたらきりがないわね! いい事? この男の悪評を広めるのよ。そして、いつも一緒に居る見目麗しいアークプリーストが、いかに活躍しているかを広めるの。そうしたら、アメをあげるからね!(芸人のお姉さん)』
「………………」
それら以外にも続々と色々な事が書かれている。
我輩は無言でそれらに目を通しながら、コレほどまでに色々やらかす男とはどんなヤツかと想像してみた。
コレほどの鬼畜な行いが出来る男は、この街には該当しない気がするのだが。
近いと言えば、ダストの奴か、もしくは後もう一人。
だが、モテない事に関しては他の追随を許さないダストが、女をたぶらかせるとは思えない。
すると、もう一人のあの男か?
いや、あの男に関しては肝心な所でヘタレる輩だ、この紙に書いてある様な、初対面の女性の下着を剥いだり、女を夜這いが出来る様な根性はあるまい。
アレは、そんな度胸がある男では無いはずだ。
と、なると他に該当しそうなロクデナシはこの街には……。
「止めてえっ! いやあ、いやよお……っ! 離してっ、お願い許してえ……っ! 聞いいて! 私、経験無いの! 痛いのはいやよお……っ!」
……どうやら一人、居たらしい。
それはあまり我輩の好みではない、恐怖の悪感情。
そんな感情を振り撒きながら、一人の女性が屈強な男に腕を掴まれていた。
男は、泣く女性の腕を掴んだまま、道脇の建物の中へと女性を引きずり込もうとしている。
道行く人々は知らんぷりだ。
それもそのはず、その女性は…………。
「た、大変だよ! バニル、女の人が……!」
それを見た主がその二人を指さしながら、叫び、そして我輩に訴えかける様な顔で、
「犬のお姉さんが、悪い人に連れてかれようとしてるよ! バニル、あの悪い人をやっつけ…………」
そこまで言って、主が途端に黙り込んだ。
思い出したのだろう、人を殺したりだとか、暴力を振るわせないという約束を。
男が連れ込もうとしているのは獣人の女性。
本来は人の耳の位置にある部分に悲しげに垂れ下がった犬の耳が生えている。
履いているスカートの下からは元気の無さそうな尻尾が怯えを表したかの様に垂れていた。
その獣人は首輪が付けられている。
つまりは、あの男が飼い主なのだろう。
人権団体や動物愛護団体が、獣人は動物に分類するべきではなく亜人として扱うべきで、基本的人権を与えるべきだと日々叫んではいるものの、それでも獣人族をペットにしたがる貴族や金持ちは後を絶たず、なかなか獣人族のペット化禁止法案が可決されない。
あの獣人の女性がペットという事は、あの飼い主がどんなに酷い扱いを行おうとも、それは獣人の所有者の勝手な訳だ。
なので…………。
「そんな顔をしても、我輩にはどうにも出来んぞ主よ。あの獣人はあの男の物で、あの男から獣人を奪うなりして助ければ、我輩や主が悪者になる。……それにだ、力で強引に物事を解決しても、大概はロクな事にはならぬ。我輩は悪魔だが、我輩が力を振るうのは宿敵である神々か、もしくは古い友人へのツッコミぐらいな物だ」
泣きそうな表情で訴えかけるように見つめてくる主に、ゆっくりと諭すように。
それをじっと黙って聞いていた主は、連れて行かれようとしている獣人を見る。
「ヤダヤダヤダ! お願い、お願いよおーっ! 誰か、誰か助けてえっ!」
そんな、獣人の泣き叫ぶ声を聞きながら。
「ああ、いつまでも手間を掛けさせるな! ホラ、強引にでもやるからな! 痛いのは一瞬だけだ、すぐ済むからとっとと来いっ!」
そう言って、獣人を力ずくで引きずり込もうとする男に、主がスッと近寄った。
そして、両手に大事そうに持っていた、先ほど二つに割った焼き芋を、物凄く切なそうな表情でしばらく見詰め。
「ねえ、おじさん。犬のお姉ちゃんが嫌がってるよ? バニルにもらった焼き芋、半分あげるから、犬のお姉ちゃんに酷い事しないであげて」
そんな事を言いながら主は男を真っ直ぐ見詰め、焼き芋の片割れを男にスッと差し出した。
小さい方を。
そこは譲れなかったらしい。
男は、しばし呆然と主を見詰め。
「……見ろ、お前が手間取らせるから! いい大人が、ギャンギャン鳴くからだぞ!」
「だっ……! だって……! だって……!」
そのまま男は、主ではなく獣人の女にあたる。
それをじっと見ながら、主は片手で焼き芋を差し出したまま。
もう片方の大きい方の焼き芋を、せっせと急いで食べていた。
大きい方の焼き芋の方か、もしくは両方よこせと言われるのを心配したのかも知れない。
やがて、そんな主を悲しそうな目で見ながら、獣人の女が観念した様に言った。
「分かったわ……。もう好きにして……。私は目を閉じてるから、さっさと済ませて……」
そんな獣人に男が告げる。
「ったく、手間取らせるな。ほら、行くぞ」
そのまま手を引かれて行く獣人と男から一切目を逸らさずに、尚も片手で焼き芋を差し出した体勢のまま、主が黙々と芋を食う。
連れて行かれる獣人を見て、泣くでもなく、怒るでもなく。
やはりこの娘は大物になる。
先を見通したい所だが、契約中で力を勝手に使えないのが残念である。
建物の中に連れられて行く獣人が、最後にフッと主の方を振り向いた。
その表情はとても悲しげで、それでも、我が主に対してのお礼なのか、または我が主に対して、気にするなとでも言いたかったのか。
最後に少しだけ、笑みを浮かべた。
「…………ねえバニル、聞いてもいい?」
それを見ながら主が言った。
なおも芋を突き出した体勢のまま。
先ほどまでもう片手に持っていた芋は、すでに喰らい尽くしている。
「なんだ、主よ。我輩は汝の使い魔。聞かれたなら答えねばならぬ。どんな事でも聞くがいい」
我輩の言葉に、主が言った。
「…………約束を破る人は嫌いですか?」
主の言葉に、我輩は思わず口元に笑みを浮かべた。
大悪魔と交わした約束を、獣人の娘一人の為に破る気らしい。
きっと、あの男をぶん殴ってでも獣人を助け出せと。
愉悦。
実に愉悦である。
例え一日とはいえ、大悪魔たる我輩が小物に使役される等とは我慢がならん。
だが、この一日主はどうだ。
思わず笑いがこみ上げてくる。
もはやこみ上げる笑いを堪えもせずに。
「フハハハハハハハ! 我輩は悪魔である。悪魔にとっては約束は絶対だ。人間が約束を破れば悪人と言われるだろう。……だが、悪魔が悪人を嫌うわけがあるまいて! 主よ! 今、我輩は実に愉快である!」
この小さな一日主は、いずれ大物に、ではなく。
既に大した大物だった様だ。
主が言った。
「わが忠実なるしもべ。見通すあくまバニルに命じる」
満面の笑みを浮かべて。
「建物ごとぶっ飛ばしてあの女の人を助けてください」
主は大物どころか我輩の予想外の人物かも知れぬ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「わああああーっ! ご主人様、しっかりしてえええーっ!」
獣人の女が、完全に気を失った男にすがる。
そのすぐ傍には破壊されたドアが転がり、建物の中には怯えた様子の動物達とその飼い主達。
「……事情は分かりました。まあ、あなたも善意でやった事ですし……。壊したドアを弁償して頂ければ、ウチとしてはそれでいいですよ。こちらの方には、目が覚めたら事情を説明しておきますから。後日、彼の所に謝りに行ってあげてください」
「…………大変申し訳ない。勘違いから迷惑を……」
我輩は、主と共に目の前の男性に頭を下げる。
獣人族は、街で暮らす際には混合ワクチンと呼ばれる注射を射たなければならない。
獣人フィラリアや狂獣病の予防接種だ。
病の類は魔法では治らない。
なので、これらの事は飼い主に義務付けられているらしい。
気を失った男に膝枕をしてやり、甲斐甲斐しく寄り添う獣人の女。
それを見て、主が言った。
「バニルの言った通りだったね。力で強引に物事を解決しても、たいがいはろくな事にはならぬ、って。……バニルはすごいね!」
主は獣人にごめんなさいと謝ると、
「お見舞いとおわびの品です」
言って、獣人の膝上に頭を乗せたまま横たわる男の胸に、そっと半分残った芋を置いた。
あれほど食い意地の張った主にとって、苦渋の決断だろうに。
「犬のお姉ちゃんは気にしないでって言ってたね」
主を、我輩が呼び出された新築の家へと送る帰り道。
主が我輩の片手を掴んだまま、上機嫌で言ってきた。
芋を失ったのに、意外に機嫌は良いらしい。
芋の事よりも、あの獣人が虐められていた訳ではなかった事に、単純に喜んでいる様だ。
捻くれ者や変わり者ばかりのこの街の住人の中で、この純粋な主は大変に貴重な人材やも知れぬ。
まあ、我が主であるのでそれも当然と言えよう。
我輩の主がそこらの住人と同レベルな訳が…………。
……違う、そうではない。
主とは一日だけの主従関係である。
まあ、新鮮ではあった。
いつか、この小さな主が本格的に魔道を極め、我輩の事を古代の文献などで調べあげ。
そしてランダム召喚などではなく、この我輩を指名して召喚できたならば、その時は。
……と、物思いに耽っていると、いつのまにか主の家に着いていた。
主はそのまま家の玄関先に駆け寄り、その主の後を付いて来ようとしない我輩を、不思議そうに見る。
さて……。
先ほどの件で懲りたのか、姉をたぶらかす男を懲らしめようとは言い出さなくなった、こちらをじっと見る主に我輩は向き直ると。
「まだ契約終了までには日があるが……。どうだ。もう、我輩の力は必要とはしないのではないか?」
そんな我輩の言葉に、主が。
「……うん。お姉ちゃんをたぶらかす人と、お話をしてみる。お姉ちゃんをたぶらかすなら私で我慢してくださいって」
なぜか分からんが、それだけはやめた方がいい。
本当になぜだかは分からんが、大悪魔の勘である。
「では、本日の契約はこれにて終了だ。我輩はこれにて帰宅する。……ではな、元主よ。実に新鮮で、まあまあ楽しかったぞ」
そう言って立ち去ろうとする我輩に。
主……。
では、もうなくなった紅魔族の幼女、こめっこが言った。
「また、喚んでもいい?」
その言葉に思わず吹き出す。
我輩は笑い上戸なのだ。
「ああ、いいとも。ただし、ランダム召喚以外でだ。ランダム召喚は危険だから、二度としないように。ちゃんと指名召喚を行うのだぞ。指名召喚を行うには、その悪魔の事を深く知る必要がある。だが、深く知りさえすれば、素人にだって喚ぶ事が出来る。汝がちゃんと我輩の事を調べあげ、そして自力で喚ぶ事が出来たなら……。その時は、また契約を交わしてやろう」
そんな我輩の言葉に。
「うん! ちゃんと約束したからね! 悪魔は、約束は絶対なんだよね!」
そう言いながら、未来の主候補が笑顔を見せた。
そのまま家の中へと駆けて行くこめっこを見送りながら、我輩は背を向けた。
「おや、我が妹よ。遊びに行っていたのですか。我が父も我が母も留守だったものですから、勝手に上がりましたよ」
「お姉ちゃん、二人しかいないんだからいつも通りにしゃべって」
家の中からそんな会話が聞こえてきた。
…………と言うか、姉と思わしき方の声に聞き覚えがある。
何たる事だ、我輩ともあろうものが。
考えてみれば紅魔族などと言う珍しい種族が、この街にホイホイと居るものでもない。
姉の方は、我が知人ではないか。
……なるほど、あの姉にしてあの妹有りか。
「こめっこ、私がウィズ魔道具店で買ってきた、悪魔バニルの攻略本。勝手に持っていったでしょう? あれはいずれ来るべき対仮面悪魔への奥の手として買ってきた、大事な本なのです。お姉ちゃんに返しなさい」
「えー、やだ! だって、もうあれでバニルの事いっぱい調べて、私がバニル喚んだんだもん。バニルはまた私が喚ぶので、お姉ちゃんは他のあくまを喚んでください」
背中越しに、家の中からそんな会話がいや待て、待つがいい。
今、姉の方はなんと言った?
店で売られている我輩の攻略本?
著者はウィズか?
……なるほどなるほど、長い付き合いのウィズなら、我輩に関する書物を書く事も出来るだろう。
なるほど、それは確かに売れそうだ。
と言うか、ランダム召喚でいきなり我輩を喚ぶとはなんと運の良い娘だと思っていたら、なんの事は無い、しっかり我輩の事を勉強して喚んだらしい。
思わず込み上げてくる笑いを抑えきれず、家を後にしながらクックッと笑みがこぼれる。
大物だ、とんだ大物だあの娘は。
きっと、いずれは世界に名を馳せる者になるだろう。
何せ、この我輩をあの年で手球に取ってくれたのだ。
実に先が楽しみだ。
いつか再び、あの幼女が我が主となる日が来るのを期待しつつ、我輩はバカな物を書き、売りに出した欠陥店主を折檻するべく、店へと……。
店へと帰る我輩の耳に、未だ開いたままの玄関から姉妹の会話が飛び込んできた。
「バニルは私がまた喚ぶって、いつ喚ぶ気なのですか? もっと大人になってからでしょう?」
「…………うーん。……明日?」
我輩は、大物にも程がある娘から本を取り返すべく慌ててその家に引き返した。
感想等でこめっこ回とかエリス回とかの声が聞こえた気がしたので。
明日から本編再開の予定……なので、こちらは気が向いたらたまーに更新です。。
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