社説:劣化した国会 禍根残した数への過信
毎日新聞 2013年12月08日 02時35分(最終更新 12月08日 04時04分)
特定秘密保護法の成立を強行した臨時国会が8日閉幕する。衆参ねじれ状態が解消して初の論戦だったが、与党の強引な手法は日本の議会政治に深い傷痕を残した。
数を頼みに強行採決を連発した与党が猛省すべきなのは当然だ。一方で暴走を食い止められなかった野党にも責任はある。底流にあるのは政治全体の質的な劣化である。
7日未明、国家戦略特区法も参院の実質審議がまったく不十分なまま成立した。与党は会期を2日延長して重要案件をまるで、どさくさまぎれのように処理した。安倍内閣の「成長戦略実行国会」との当初のふれこみが泣こうというものだ。
こうした一連の暴挙は「多数決の原理」では到底正当化できない。民主主義とも相いれない。
確かに多数決は議会制度の重要な原則であり、ねじれ国会当時は「決められない政治」の弊害もあった。だが、言うまでもなく与党は決して有権者から白紙委任を得たわけではない。ましてや秘密保護法の場合、憲法の保障する人権や立法、行政、司法の三権の均衡にも影響し、国の骨組みに関わる。通常の法案以上に国会の熟議が必要なのは明らかだ。
ところが与党は参院に至っては約22時間の委員会審議で採決を強行してしまった。直近の参院選公約にも掲げず、早期に国会を召集せず、十分な会期すら確保しなかった。多数決以前の問題である。
安倍晋三首相が国連平和維持活動(PKO)協力法に今回の立法をなぞらえたのもその重要性ゆえだろう。ならばなぜ同法の時のように十分審議を尽くさず、しかも選挙で有権者の理解を得ようと努めなかったのか。ことは政権の本質に関わる。
政党や国会の劣化も背景にある。政権が暴走しそうな場合、かつての自民党であればいくら「1強」でもベテラン議員らが自重を促したが今はそうした声はほとんど聞かれない。公明党も歯止め役を果たすどころか強硬路線に加担した。
野党も日本維新の会やみんなの党に至っては衆院段階で安易な修正合意に走り、まるで与党の補完勢力と化した。国会運営を理由に参院本会議の採決を棄権したが、実態は党内の亀裂を取り繕うための苦し紛れの対応ではないか。
民主党も最後は内閣不信任決議案提出に踏み切ったが、衆院通過まで対決姿勢は鮮明でなかった。ねじれ解消に対応し発信を強化することで世論の支持を広げ、野党共闘を主導する戦略が決定的に欠けていた。
民主主義は単なる多数決とは異なる。政治が坂道を転げ落ちないためには、こんな当然の原則をまず政党が共有しなくてはならない。