明らかな傾向として言えるんですが、匿名で批判してくる人はうんざりするほど、ぼくの記事を読んでくれていません。本を全部買って読めとは言いませんが、せめて最新のブログくらい読んでから批判してくださいませ。


嫌いだから批判したい、でも嫌いだから読みたくない

いつだったか、アンチの人に「書籍の内容を批判するなら、せめて読んでから批判してくれます?古本でも図書館でもいいので」みたいなことを注文したら、「わたしはあなたが嫌いなので、読みたくありません」という丁重なお返事をいただいた記憶があります。なるほどごもっとも、この人は素直でいいですね。

…が、批判対象の文章をまともに読む気がない人に、有効な批判ができるとは到底思えません。これって、映画を観ていないのに、作品や監督を批判するようなものです。観ていない、読んでいない以上、その批判は見当はずれなものになります。


有効な批判を繰り出したいと思うのなら、その人の作品をよく見つめる必要があります。そんなわけで、ぼくは「自分がその人のファンである」場合を除き、誰かに批判的な態度を取らないようにしています

先日「「ちきりん」の限界」という記事を書きましたが、こういうことをぼくが書けるのは、ぼくが彼女と彼女の作品のファンだからです。ぼくが「アンチちきりん」だったら、こういう批判的な文章を書くことはまずなかったでしょう。そういう批判は己の恥さらしにしかならないことは、さすがによく自覚しております。


匿名の批判者たちが採る「イケダハヤトは嫌いだから批判したい、でも記事や書籍は読みたくない」という態度は、実に幼稚なものです。そんな批判は、低レベルに決まっています。

彼らが匿名の立場に徹するのは、そういう愚かさに、他でもない自分が気付いているからなのでしょう。それが相手の急所を突くような鋭い批判であり、まったく恥ずべきものでないという確信があるのなら、匿名でやる必要はありませんからね。

批判というのはコストが掛かります。それは「相手の文章を精読する」「批判が合理的出ない場合は、自分の身に返ってくる」というコストです。名前を明かさず、いつでもアカウントを消せる匿名の人々は、狡猾にそのコストをスキップしています。が、そういうチープな批判は、残念ながら有効性を持ちえません。そんなことは、彼らもよくわかっていると思うのですが、なぜか減らないんですよねぇ…。


ぼくは批判なんてことは、基本的に面倒くさくてできません。だって、その人の作品を漁っていくのは、普通に大変じゃないですか。よっぽど好きなクリエイターでないと、批判的な論考なんて繰り出せないですね。

皮肉なことに、「アンチ・イケダハヤト」がぼくの急所を突くためには、彼らがぼくのことを好きになる必要があると思われます。ぼくの作品はそれなりに多いので、好きじゃないと多分消費できません。…が、好きになった時点で、彼はもはや「アンチ」とは言えなくなるのが、構造的に興味深いですね。というわけでアンチの人たち、今後もせっせと浅い批判を頑張って吐き出してください。


補足しておくと、名前は挙げませんが、実名でも「まったく読んでいないぞこの人」という批判者も数多くいらっしゃいます。そういう人には真摯に答えるようにしていますが、ぼくが攻撃的なのもあって、お話になった試しはありません。まぁ、ろくに文章・著作を読まずに批判してくる人とは、お話にならなくて当然なのでしょうけれど…。