「反対」の声を無視し、成立した特定秘密保護法は、官僚が情報支配する道具だ。国会議員は目を覚まし、官僚制にこそ“鎖”をつけるべきである。
<自らの支配者たらんとする人民は、知識が与える力で自らを武装しなければならない>
米国の第四代大統領のジェームズ・マディソンは、一八二二年に知人宛ての手紙にそう書いた。
日本の支配者は、主権者たる国民のはずである。その国民が情報を十分に得られなかったら…。マディソンはこうも書いている。
<人民が情報を持たず、または、それを獲得する手段を持たないような人民の政府は、喜劇への序幕か悲劇への序幕にすぎない>
◆善良でも「省益」に走る
政府には喜劇であり、国民には悲劇である。主権者たる国民は本来、支配者の自覚で、情報がもたらす知識の力で「武装」しなければならない。それゆえ、憲法は「表現の自由」を規定し、国民は「知る権利」を持っている。
だが、膨大な行政情報を握る官僚制は、もともと秘密主義をとりたがる。国民に過少な情報しか与えない仕組みになっている。
「『職務上の機密』という概念は、官僚制独自の発明物」と看破した社会学者マックス・ウェーバーは、こう述べている。
<官僚制的行政は、その傾向からいうと、つねに公開禁止を旨とする行政なのである。官僚制は、その知識や行動を、できることならどうしても、批判の眼(め)からおおいかくそうとする>
これは情報公開制度を使った経験のある人なら、容易に理解するはずだ。「非開示」の通告を受けたり、真っ黒に塗りつぶされた文書を“開示”されたりするからだ。新聞記事すら、黒く塗りつぶして、「公開」と称する。
個人として善良な官僚たちでも、組織となると独善に陥り、「省益」を守るべく奔走する。
◆無力な国会でいいのか
特定秘密保護法は、さらに官僚制に好都合な装置だ。行政機関の「長」の判断で、重要情報を国民の目から覆い隠せるからだ。「安全保障」のワッペンさえ貼れば、違法秘密でも秘匿できる。
先進国の中で、官僚制にこれほどフリーハンドを与えている国はあるまい。欠陥がぼろぼろと出てきたため、政府は改善と呼ぶ提案をトランプのカードのように次々と切ってきた。「保全監視委員会」を内閣官房に、「情報保全監察室」を内閣府に…。
だが、行政機関を身内の行政機関が客観的に監視できるはずがない。法律本体が欠陥なのだから、取り繕う手段がないのだ。それならば、いったん成立した法律を次の国会で廃棄するのが、最も適切な対応だと考える。
首相や与党幹部は、考え違いをしていないか。自民党の石破茂幹事長は「絶叫デモはテロ行為と変わらない」とブログに書いた。
同党の町村信孝氏も「知る権利が国家や国民の安全に優先するという考え方は、基本的に間違い」と述べた。憲法を否定し、「主権在民」ではなく、「主権在官」だと言っているのに等しい。国民あっての国家であることを忘れてはいないか。
安倍晋三首相が目指すのは「美しい国」だ。世界中の民主主義国家では、多種多様な意見がひしめき合うのを前提に成り立っている。安倍首相の頭には、整然とした統制国家があるのではないかと思える。
秘密保護法はまさに情報統制色を帯びている。だから、国民の代表者である国会議員をも処罰する規定を持たせている。特定秘密には国政調査権も及ばない。議員はまるで無力である。国会は政府の言いなりの存在になる。
国権の最高機関よりも、行政権が優位に立つ不思議な国の姿になろう。三権分立を崩す法律には、議員こそ反対すべきだった。その反省に立ち、議員らは官僚の暴走を食い止める“鎖”となる仕組みを構築するべきだ。
過去の情報漏えい事件は、ずさんな管理が原因のものばかりだ。むしろ、官僚に対して、命令形の用語を使った情報管理システムをつくったらどうか。「情報は国民のもの」という原則で、情報公開法を全面改正する。公文書管理法も改正し、行政に説明責任を果たさせる−。官僚制に“鎖”をつける方法はいくらでもある。
◆知識で武装するために
首相は「国益」というが、これまでの経験則では官僚が狙うのは「省益」だ。「国民の利益」はいつも置き去りとなる。
民主主義を機能させるには、国民は情報がもたらす知識で「武装」せねばならない。
少なくとも情報公開法と公文書管理法の抜本改正という、トランプのエースのカードを国民に与えるべきである。
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